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@ライセンシー・エストッペルの意義
(a)品物の売買契約の関する契約法の原則を特許ライセンスに当てはめて、契約の合意後に、ライセンシーが当該特許の有効性を攻撃し、ライセンスに定められた義務を履行しないことは許されないという考え方は、相当の昔(少なくとも1850年代)から判例上に存在していました。
(b)他方、特許権は、特許出願の時(過去の米国特許法では発明時)に新規ではなく当業者にとって自明でもない技術的なアイディア(発明)を保護するために、この発明のモノポリー(独占)を認めるものです。
仮に特許出願時以前に公衆が当たり前に使用していた技術(或いはこれに当業者なら誰でも日常的に行う程度の設計変更を加えた技術)に特許権が付与されると、自由な産業活動は規制され、社会に悪影響を生じます。
特許の有効性は裁判所で争うことができますが、訴訟には費用がかかるため、特許契約のライセンシーが特許の有効性を争うことができないとなると、みすみす無効理由が存在する特許が見逃され、自由な産業活動を阻害する可能性が高いのです。
こうしたことを背景として、ライセンシー・エスペットルを特許ライセンスに適用することの是非が争われた事例があります。
Aライセンシー・エストッペルの事例の内容
Lear, Inc. v. Adkins事件“395 U.S.
653 (1969)”の判例の内容を紹介します。
(a)この事件において、ライセンシー・エストッペル(知財契約の禁反言)を撤回するとともに、特許性に疑義のある特許に基づくライセンスのライセンシーが、当該特許の有効性を争うことは自由であると決定した。
この判決は、Automatic Radio Mfg. Co. v. Hazeltine
Researchでの先例を覆すものである。
(b)最高裁判所は、契約法の要請とフェデラルポリシー(連邦政府の方針)との間の不一致(conflict)があることを認識している。
契約法は、“購買者が後に売買取引に不満足であったからと言って彼の約束を守らないことは禁止される。”ことを要請する。
他方、フェデラルポリシーは、“一般的な刊行物に開示された全てのアイディアは、有効な特許で保護されていない限り、公衆に捧げられたものである。”ことを要請する。
過去の訴訟において、裁判官らは、この2つの要請に折り合いをつけようとして妥協点を見つける努力をしたが、結局それは“対立する判例の混沌”を生じただけであった。
19世紀の或る判例では、“価値のない特許により競争が抑圧されないことが公衆にとって重要であり、真に価値のある発明の特許権者のみが発明を独占すべきである。”ことが強調されている。
(c)最高裁判所は、契約法の下でのライセンサーに対する衡平の要請は、公衆の利益に対してバランスを欠いていると結論した。
この公衆の利益とは、現実に社会の共有物(public
domain)の一部となったアイディアを使用して完全にかつ自由な競争を行うことである。
(d)最高裁判所は、契約法の下でのライセンサーに対する衡平の要請は、公衆の利益に対してバランスを欠いていると結論した。
この公衆の利益とは、現実に社会の共有物(public
domain)の一部となったアイディアを使用して完全にかつ自由な競争を行うことである。
(e)そして最高裁判所は、“発明者の発見の特許性に異議を唱えるのに十分な経済的動機を有する唯一の個人がライセンシーであるケースはたびたびあることである。”と指摘した。
経済的な動機がなければ誰も訴訟を提起しようとしないし、そもそも裁判を起こす権利もないもないのである。
(f)前述の“社会の共有物(public
domain)であるアイディアを使用して完全にかつ自由な競争を求める強いフェデラルポリシー”に基づいて、最高裁判所は、特許が無効である場合に被告がロイヤリティを支払わないということが許されるべきであると決定した。
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