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●平成22年(行ケ)10282号(レーザーによって材料を加工する装置事件)


事後分析(後知恵・ハインドサイト)の排除/進歩性

 [事件の概要]
@Aは、「レーザーによって材料を加工する装置」の発明に関する独国特許出願に基づいて優先権を主張して日本の特許出願をして、特許権(第3680864号)を取得しました。

ABは、上記特許権に対して複数の無効理由を挙げて無効審判を請求しました。そして特許法第36条5項2号(発明の明確性)違反・第36条第4項(発明の詳細な説明による明細書の裏付け)違反を理由として無効審決(第一次無効審決)が出されました。

BAは、審決取消訴訟を提起するとともに訂正審判を請求しました。特許庁は、第一次審決を取り消す決定をするとともに、進歩性欠如を理由として特許を無効とする審決(第二次審決)を出しました。

C従来のレーザー技術として、収束レンズで収束させたレーザービームを発散レンズで細い平行光線にする際に発散レンズとしてその光線と平行なガイドノズル中を流れる液体(液体ビーム)を用いることが行われていました。しかしながら、レーザーの熱により熱レンズという現象を生じ、ガイドノズルを損傷することを特許出願人が見出しました。

{熱レンズ効果とは}照射された光が物体に吸収されると、光吸収が起きた部分とその周辺部分の密度及び屈折率が変化します。これにより熱のたまり易い中心部分と熱が外へ逃げる周辺部分との間で温度差が生ます。高温の中心部分がレンズ状になり、そこでは周辺部分よりも屈折率が大きく変化してレンズの作用を生じます。これが熱レンズです。

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D本件特許出願は、水ビームが熱レンズ現象を生ずることでガイドノズルを損傷することを防止する方法及び装置に関します。

E訂正後の本件発明(請求項1)は、次の通りです(斜め文字部分は訂正箇所)。

(イ)収束されるレーザービームによる材料加工方法であって,レーザービーム(3)を導く液体ビーム(12)がノズル(43)により形成され,加工すべき加工片(9)へ向けられるものにおいて,

(ロ)前記ノズル(43)の上面と,前記ノズル(43)の上方に配置されるとともに前記レーザービーム(3)に対して透明な窓(36)の下面との間には,前記液体ビーム(12)を形成するための液体を供給するディスク状液体供給空間(35)が形成され,

(ハ)前記ノズル(43)は,ノズル通路(23)のノズル入口開口(30)を有し,

(ニ)レーザービームガイドとして作用する液体ビーム(12)へレーザービーム(3)を導入するため,

(ホ)前記レーザービーム(3)がノズル(43)のノズル通路(23)の前記ノズル入口開口(30)の所で収束され,

(ヘ)前記ディスク状液体供給空間(35)へ供給される液体が,前記ノズル入口開口(30)の周りにおいてせき止め空間のないように前記ノズル(43)からの前記窓(36)の高さを設定した前記ディスク状液体供給空間(35)内を前記ノズル入口開口(30)に向かって周辺から流れるように導かれ,

(ト)それによりレーザービームのフォーカス円錐先端範囲(56)における液体の流速が,十分に高く決められるようにし,

(チ)したがってフォーカス円錐先端範囲(56)において,レーザービームの一部がノズル壁を損傷しないところまで,熱レンズの形成が抑圧されることを特徴とする,
 材料を加工する方法。

本件発明
 
甲1文献



F審決の理由は、主引用例である甲1発明(欧州特許第515983A1号)に甲13文献(特開昭50−118121号)及び甲14文献(特開平6−42432号)を適用することで本件特許に至ることが容易であるということです。

G本件発明と甲1発明との相違点は次の通りです。

 (イ) 相違点1
 「『液体供給空間』について,本件訂正発明1は『ディスク状』であるが,甲1発明はそのようなものではない点。」

 (ロ) 相違点2
 「液体供給空間への液体の供給について,
 本件訂正発明1は,『ディスク状液体供給空間(35)へ供給される液体が,ノズル入口開口(30)の周りにおいてせき止め空間のないように前記ノズル(43)からの前記窓(36)の高さを設定した前記ディスク状液体供給空間(35)内を前記ノズル入口開口(30)に向かって周辺から流れるように導かれ,それによりレーザービームのフォーカス円錐先端範囲(56)における液体の流速が,十分に高く決められるようにし,したがってフォーカス円錐先端範囲(56)において,レーザービームの一部がノズル壁を損傷しないところまで,熱レンズの形成が抑圧される』ものであるが,
 甲1発明は,『チャンバー30内に加圧液状流体の準停留,順定常状態が確保される』ものであり,『熱レンズの形成が抑圧される』か不明である点。」

H取消事由1(ディスク状の液体供給空間は周知であるという審決の判断の誤り)

{Aの主張}
判断の根拠となった甲13文献(流動媒体、特に燃料用噴出ノズル用の噴出ノズル)及び甲14文献(液状媒体用噴射ノズル)は本件発明と技術分野が異なるものであるし、技術的意義も異なる(両文献は液体を霧状に広く拡散するもの、本件は円柱状の掃流噴出として噴出するもの)であり、レーザーで加工片を加工する技術分野で上記技術が公知であることを示していない。

{Bの主張}
本件特許出願に係る特許明細書には、液体供給空間をディスク状にすることの作用効果が記載されておらず、ディスク状は一つの設計態様に過ぎないと認められるから、ディスク状液体供給空間を示す文献の技術分野は問題とならない。

※裁判所は、訂正後は“ディスク状”の要件が本件発明の他の構成と一体不可分の構成要件であり、任意的な構成ということはできないとしてBの主張を退けました。

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I取消事由2−1中の論点1(熱レンズ現象によりノズルが損傷するという不都合を認識できたという審決の判断の誤り)

{Aの主張}
 熱レンズは固体で起きることはよく知られていたが、液体中で起きることはあまり知られておらず、まして流れのある液体中で起きることは全く知られていない。

{Bの主張}
 レーザービームによる熱レンズの発生は乙15文献等により知られていた。
※裁判所は、証拠文献からレーザー加工技術で熱レンズ現象が発生している可能性を想定できるが、それが如何なる「問題」を生ずるかまでは認識できないと判断しました。

I取消事由2−1中の論点2(熱レンズ現象によりノズルが損傷するという不都合を解決するために液体がよどむことなく流れるという思想に想到することが容易と判断した審決の判断の誤り)

{Aの主張}
 液体を準停留状態とする(淀ませる)甲1文献から逆の着想に到達することを、動機付けを示さずに“自然に”できたとするのは後知恵(ハインドサイト)的論法である。

{Bの主張}
 甲1発明と本件発明との液体供給空間内の液体の流れの違いは、結局、液体の流速を低くするか高くするかの違いでしかない。甲1発明において液体を淀ませないようにするには流速を大きくすればよいのであり、発想の転換は必要でない。
※→裁判所の判断の欄へ

J取消事由2−1中の論点3(液体がよどむことなく流れるという思想を実現するために液体供給空間をディスク状とすることが容易とすることが容易とした審決の判断の誤り)

{Aの主張}
 ディスク状液体供給空間の周辺からノズルへ向かって液体が流れ込む構成を、層流噴流を作る液体供給空間とする示唆が存在したことを示す証拠はない。

{Bの主張}
 甲1発明も液体が液体供給空間(膨張チャンバー)の内周壁近傍からノズルへ向いて流れているから、結局、本件発明の構成は、甲1発明の構成を含むものである。
※→裁判所の判断の欄へ

K取消事由2−2(甲1発明は液状流体の均質性を増加させ、光路の品質を向上させるものであるという審決の判断の誤り)

{Aの主張}
 甲1文献には、自由体積中の液状流体自体が加圧されることにより均質性が増加すると言っているに過ぎず、温度の分布に関する均質性について言及していない。

{Bの主張}
 本件特許出願に係る特許明細書には、ディスク状液体供給空間の周辺部から液体が流れ込むことが液状流体の均質性とどういう関係をもつのかが記載されていない。
※裁判所は、甲1発明の発明者の認識では液状流体の均質性とは圧力の均質性であり、温度の均質性ではないと判断し、Aの主張を採用しました。

L取消事由2−3(液体供給空間をディスク状とすることが設計変更であるとした審決の判断の誤り)
→取消事由2−1中の論点3と重複するため省略。

M取消事由2−4(甲1発明の液体を準停留状態とする思想から本件発明の液体が淀みなく流れるという思想へ至ることが阻害要因とならないとした審決の判断の誤り)

{Aの主張}
 従来は、層流噴流を作るためにリザーバータイプのチャンバーを用いるのが一般の技術常識であり、こうした技術常識は本件発明の思想に至ることの阻害要因となる。

{Bの主張}
 リザーバタイプのチャンバーとは、“大きな体積を有し、流入される液体が膨張されるチャンバー” をいうのであり、チャンバーの形状を規定する用語ではない。ディスク状のチャンバーでも十分な体積を備えていれば、従来技術にいうリザーバタイプのチャンバーに相当する。
※→裁判所の判断の欄へ


 [裁判所の判断
@裁判所は、液体供給空間中を液体が淀みなく流れるという思想へ到達することの困難性に関して次のように判断しました。

(イ)「熱レンズ」は液体にレーザービームのエネルギーが供給され続けることによって生じることが解明されたとしても,原因が判明した場合にそれを除去する解決手段は1つに限定されるものではなく,「液体がよどむことなく流れるようにする」という解決手段を含め,エネルギーの供給が継続する場合の解決手段には,例えば,レーザーの種類と液体の種類の組合せとしてエネルギー吸収能の低い組合せを用いてエネルギー吸収そのものを抑止するなど,複数の解決手段があり得るところである。

(ロ)ましてや,本件では,主引用例である甲1発明は,液体を「準停留状態」にすることによって所定の課題を解決する発明と認められるから,甲1発明を基礎としながら,「準停留状態」とは着想の異なる「液体がよどむことなく流れる」との思想に想到するためには発想の転換が必要というべきである。

(ハ)したがって,液体がよどむことなく流れるという「思想」を自然に想到しうるものとした審決の上記論法は,後知恵的な論法であり,誤りである。

A裁判所は、液体供給空間をディスク状にすることの容易性に関して次のように判断しました。

(イ)審決は,液体が液体供給空間内を淀みなく流れるという思想に想到することが容易という判断を前提として,「透明な窓の下面」の高さは低くすることがよいことが明らかであると判断するが,「ノズルのすぐ上流側に位置する体積は,膨張チャンバーとなるチャンバー内に含まれる。この膨張チャンバーにより,加圧状態で供給される流体の準よどみが確保される。」とする甲1発明において,いかなる根拠をもって「透明な窓の下面」の高さを低くすることがよいことが明らかであると判断できるのか,その合理的な理由は何ら示されていない。

(ロ)以上のとおり,そのことを根拠として「ディスク状」「液体供給空間」を構成することが設計的事項にすぎないと判断した審決は,誤りである。

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B裁判所は、本件発明の思想に至ることに阻害要因があるか否かという点に関して次のように判断しました。

 審決は,「甲1発明においては,『準停留が確保』されない限り,加工が不可能なものではない。そして,加工において,種々の条件の変更を試みることは,一般的であるから,阻害要因があるとまでは言えない。」(審決63頁10〜12行)と判断しているが、前記のとおり,甲1発明と本件訂正発明1とは技術思想が異なること,「チャンバー30内に加圧液状流体の準停留が確保される」あるいは「供給される流体の準よどみが確保される」とする甲1発明において,「よどみなく流れる」ことを確保する趣旨で「ディスク状」液体供給空間を採用するのは困難であるから,阻害要因があるというべきである。


 [コメント]
@本件では多くの論点がありましたが、次の事柄に関して考察します。

(イ)“熱レンズの形成を抑制する手段として、レーザービームが通過する範囲において液体がよどみなく流れるという思想”に想到することが容易か否か

(ロ)チャンバー30内に加圧液状流体の準停留状態が確保されることが必要である甲1発明から、液体のせき止め空間が生じないようにディスク状液体供給空間を形成する本件発明に想到することに、阻害要因があるか(取消理由2−4)

A審決は、(イ)に関して、不都合な現象(熱レンズ現象)が判明している場合にそれを除去するのは当然だから当該思想に至るのとは自然に想到し得る、と主張しています。しかしながら、先行技術文献では熱レンズ現象の発生を不都合な現象して捉えておらず、仮に当業者が現象のマイナス面を認識したとしても、それを解決するためにはいろいろな方法(思想)が考え得るところです。従って審決の論法は、ハインドサイト(後知恵)と判断されても止むをえないと考えます。

Bこうしたケースで、ある発明の構成に至ることの進歩性を否定する論理付けがハインドサイトかどうかを判断するに際しては、次のことに留意する必要があると考えられます。
 発明の課題を着想することが容易という前提条件に無理がないかどうか、
 その課題から課題を実現する構成へ到達することが容易かどうか。

C論点(ロ)に関しては、引用発明の開示内容(液体を準停留させる)から本件発明の開示内容(よどみ空間を作らない)へ至ることは、正反対の思想への転換が必要ですので、開示内容の相反(TEACHING AWAY)型の阻害要因があったと考えられます。

D本事例では、特許庁が阻害要因に至る要因を判決文から読み取ることができます。被告は、「『液体供給空間』を『ディスク状』にすることにより奏される作用効果が本件明細書に一切記載されていない。」とか、「『液体がよどみなく流れる』については,本件明細書はいうに及ばず,原告のこれまでの主張を参酌しても,液体が具体的にいかなる速度でチャンバー内を流れると『液体がよどみなく流れる』に該当するのか判断することができない。」という批判をしています。

E特許出願の出願書類を作成する立場としては、特許出願をする技術の範囲や意義をより明確にすることが阻害要因による拒絶査定を避けることになると思います。


 [特記事項]
 
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