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●昭60年(行ケ)第51号鉄族元素とほう素とを含む無定形合金


マーカッシュ形式で記載した発明の解釈/選択発明/新規性・進歩性

 [事件の概要]
@甲(原告)は、「鉄族元素とほう素とを含む無定形合金」の発明に係る米国特許出願に基づく優先権を主張して特許出願(特願昭51−74554号)をしたところ、特許法第29条第1項第3号違反で拒絶査定を受けました。そして拒絶査定不服審判を請求し、請求は成り立たない旨の審決を受けたために審決取消訴訟を提起しました。

A特許出願に係る発明の内容は次の通りです。

 下記の一群の式の中から選ばれるいずれか一つの式で表わされる組成を実質上有し、少なくとも五〇%非晶質であり、改善された極限引張強さと硬度とを有する熱安定性非晶質金属合金(ただし非晶質金属針金である場合を除く。);

 MaBe, MaM′bBe, MaCrcBe, MaM″dBe,

 MaM′bCrcBe, MaM′bM″dBeおよびMaCrcM″dBe;

 〔ただし、上記式中、Mは鉄、コバルト及びニツケルよりなる群から選ばれる一の元素であり;M′は鉄、コバルト及びニツケルよりなる群から選ばれるM以外の一又は二の元素であり;M″はバナジウム、マンガン、モリブデン、タングステン、ニオブ及びタンタルからなる群から選ばれる少くとも一の元素であり;aは四〇〜八五原子%を表わし;bは四五原子%以下を表わし;cは二〇原子%以下を表わし;dは二〇原子%以下を表わし;eは一五〜二五原子%を表わす。〕

B本件特許出願に係る発明の目的・効果に関して明細書には次の記載があります。

(イ)この発明の一つの目的は、簡単に冷やされ無定形状態になり、高度の安定性を持ち、かつ望ましい物理特性を有する新規無定形金属合金組成物を供給することである。

(ロ)この発明のもう一つの目的は、上記および他の無定形金属組成物より針金形の物品、すなわち横断面がほぼ円形であるフイラメント、すなわち棒状フイラメントを供給することである。

(ハ)私達は今や、少量、すなわち〇・一〜一五、好ましくは〇・五〜六原子数%のAl,Si,Sn,Sb,Ge,In,Beなどの特定金属を上記合金に加えることにより新規で、独特で、かつ有用な特定組成物が得られることを発見した。これら元素の導入の結果としてこれら合金ははるかに優れたガラス形成体となり、すなわちその無定形状態は一層簡単に得られ、その上一層熱安定性である。

(ニ)これら無定形合金および針金体物品は非常に望ましい物理特性を持つ。例えば、様々な選択された組成物の場合、優れた耐食性およびユニークな磁性の他に冷却状態で高引張強さ、および高弾性限度を達成できる。(中略)またこれら延性サンプルの場合、三五〇、〇〇〇psiまでの引張強さはその冷却状態で得られた。

C審決の理由は次の通りです。

(イ)引用文献である次の特開昭49−91014号公報の特許請求の範囲の第10項には次の記載がある。

「(10) 式:TiXj(式中Tは遷移金属またはそれらの混合物;Xはアルミニウム、アンチモン、ベリリウム、ホウ素、ゲルマニウム、炭素、インジウム、リンおよびシリコンからなる群から選択される元素またはそれらの混合物;iとjは原子数百分率であり、その和が一〇〇になるという条件でそれぞれ約七〇〜八七、約一三〜三〇である。)の無定形金属針金。」

(ロ)引用例の明細書には次の記載がある。

「この発明の範囲内の無定形金属ストランド、針金、シート等は補強用途などの様々な用途があり、例えばタイヤコードとして、あるいは熱可塑性、熱硬化性成形プラスチツクの補強材として;フイルター媒質として;生医学的補強材;例えば縫糸;リレーマグネツトとして;耐食性化学加工装置等の用途がある。」

※タイヤコード…タイヤケーシングの構成要素である合成繊維や鋼鉄線のこと。

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(ハ)引用例記載の発明において、X成分としてホウ素を選択したものと、本願発明のMa Be, Ma M′b Beを選択して比較する。

(ニ)そうすると本願発明と引用例記載の発明の構成成分が同一であるとともに、その組成範囲が同一である。用途についても主たる用途として両者ともタイヤコードである点で重複するから、特許法第29条第1項第3号の規定により特許を受けることができない。

D特許出願人甲の主張する取消事由は次の通りです。
本願発明は、式TiXjのX成分としてホウ素のみを選択することが必須要件であるのに対し、引用例記載の発明はホウ素のみを選択することは必須要件となっていないものであり、かつ、本願発明はホウ素のみを選択したことによって顕著な効果を奏するものであるから、いわゆる選択発明として特許されるべきである。特許法第二九条第一項第三号の規定により特許を受けることができないとした審決の判断は誤りである。

E被告である乙(特許庁)は裁判で次のように主張しました。

(イ)例えば有機化合物の用途発明では、先行発明の明細書の特許請求の範囲に記載された化合物の各部位の置換基がマーカツシユ型式によって択一的に限定されている場合には、一つの特許請求の範囲の中に数千、数万の化合物が相互に均等な効果を奏するものとして包含されることとなり、しかも発明の詳細な説明中の実施例の数はたかだか数十にとどまるというようなケースが稀ではなく、この様な場合、実施例に挙げられていない化合物については実施例に挙げられている化合物と均等な効果を奏するという意味において実質的に記載があるものとみるのである。

(ロ)本願発明及び引用例記載の発明は合金の発明ではあるが、引用例記載の発明は、明細書の特許請求の範囲において構成要件の一部がマーカツシユ型式で限定されているので、右に述べた有機化合物の発明に関する処理の仕方がそのまま妥当するものである。


 [裁判所の判断]
@裁判所は、先行発明においてマーカッシュ形式で記載された複数の発明特定事項が効果上均等であり、その一つの実施例があれば、残りの事項についても実質的に開示があったという審決に関して次のように判断しました。

(イ)産業別審査基準「有機高分子化合物」(その1)には、明細書の特許請求の範囲の記載が特許法第三六条所定の要件を備えているかどうかの判断基準の一つとして、特許請求の範囲の表現型式としての一群の化合物の総括的表現(上位概念又はマーカツシユ型式による表現を含む。)は、「それに内包される個々の化合物が、その発明において発明の作用および効果上均等であることを認めうる場合以外は原則としてこれを使用してはならない。」(3.62)と定められている。

(ロ)これは、総括的表現に内包される個々の化合物が発明としての作用効果上均等であると認め得る場合でなければ、明細書がその発明をまとまりのある一つの技術的思想として開示したことにならないのみならず、明細書の発明の詳細な説明に照らし、個々の化合物が発明としての作用効果上均等であると認め得ない場合には、発明の詳細な説明の記載と一群の化合物を総括的に表現した特許請求の範囲の記載との脈落が断たれ、特許請求の範囲の記載が発明の詳細な説明に記載した発明の構成に欠くことができない事項のみを記載したことにならないからにほかならない。

(ハ)そうであるからといつて、選択発明の成否を決めるに当って、後行発明が、先行発明が記載された明細書に具体的に記載されていないかどうかを検討する場合、被告主張のように先行発明の特許請求の範囲がマーカツシユ型式で表現されているときは、明細書に実施例として具体的に挙げられていない組成物も、実施例に挙げられている組成物と均等な効果を奏するはずのものであるから、実質的に開示されているものとみるべきであるとして、選択発明の成立を認めないことは、先行発明の明細書に具体的に開示されている化合物であればこそ、そのような化合物を後行発明の内容として特許を求めることは特許制度の趣旨に添わないから許されないとする選択発明の成立要件の意義及び限界から大きく離れることとなり、到底首肯できない。

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A裁判所は、特許出願人が主張する引張り強さの効果の顕著性を次のように判断しました。

(イ)引用例には三五〇ksiまでの引張強さはその冷却状態で得られたとの記載がある。…証拠書類によれば本願発明の成分及び成分割合に属するMa Be, Ma M′b Be, Ma Crc Be, Ma M′b Crc Be, Ma M″d Be, Ma M′b M″d Be, Ma Crc M″d Beの合計四五例の中のFe85B15,Ni58Mn20B22,Ni65Mo20B15の極限引張強度はそれぞれ三五二ksi、三五三ksi、三六五ksiであることが認められる。

(ロ)従って本願発明の成分及び成分割合に属する右以外の例における極限引張強度がこの数値より非常に高いものであつても、本願発明の非晶質金属合金の全てが引用例に具体的に記載された非晶質金属合金より引張強さの点で格別際立って優れているということはできない。

B裁判所は、特許出願人が主張する硬度の効果の顕著性に関しても、上記Aと同様に当該効果が一部の実施例について成立しないことを指摘し、本件特許出願に係る発明が特許できないと結論しました。


 [コメント]
@本事例において審決は特許法第29条第1項第3号(新規性)違反を拒絶理由としていますが、現在の新規性・進歩性審査基準では進歩性違反を理由とすると考えられます。

A審決では、“マーカッシュ形式は個々の化合物が効果上均等である場合を除いてマーカッシュ形式で記載してはならない。”というルールがあり、引用発明はマーカッシュ形式で記載されているから、その形式で記載した複数の組成物のうち実施例の記載がある物もない物も効果上均等である、という論法を用いました。

Bしかし、それは引用発明の特許出願人が上記ルールを守っているであろうという単なる推測に基づくものに過ぎません。他に根拠がない限り、無理な上位概念化によるハインドサイト(後知恵)の一例であると言えると考えます。

C他方、本事例では、特許出願に係る発明の特定事項である非晶質金属合金が典型的には顕著な効果(37万〜52万psiの範囲の極限引張強度など)を奏すると記載していましたが、発明特定事項に対応する多数(45例)の実施例のうちの3例では顕著な効果を奏しませんでした(35.2万〜36.5万psiの極限引張強度)。

B当たり前のことですが、特許出願に係る発明の特定事項に顕著な効果を発揮しないものを含まないことが重要です。特許出願の準備段階で発明者と密に対話を行って全部の実施例が効果を発揮することを確認することが望まれます。


 [特記事項]
新規性・進歩性審査基準に引用された事例
 
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