[事件の概要] |
@本事件の経緯及び本事件に至る経緯(他の事件を含む)を説明します。 (イ)乙(特許権者)は、“連続壁体の造成工法”という名称の発明について特許出願をし、平成4年に出願公告(特公平4−48892)を受け、特許権を取得しました。 (ロ)乙は、平成10年11月、第三者丙に対して、丙の行為が上記特許権の侵害であるとして差止請求訴訟を提訴しました(平成10年(ワ)第25701号)。 (ハ)甲は、平成11年1月、乙の特許権に対して無効審判を請求しました。 (ニ)甲は、平成12年、乙に対して甲が行う行為に対して乙の差止請求権が存在しない旨の確認を求める訴訟を提起しました。 (ホ)乙は、平成12年2月14日、上記無効審判において回答書を提出し、後述の構成要件Dに関して意見を述べました。 (ヘ)裁判所は、平成12年9月27日、丙を相手方とする訴訟において、上記回答書の意見内容も参酌して、禁反言の原則に照らして、本件発明の技術的範囲を限定とするのが相当であるとして、乙の請求を棄却する判決を言い渡しました。 (ト)乙は、平成12年12月1日、無効審判の手続において上記回答書における意見を撤回する旨の上申書を提出しました。 (チ)乙は、平成12年12月19日、本件訴訟の口頭弁論期日において、「特許庁で右意見を撤回した以上、本件訴訟において、回答書の意見内容を参酌すべきでない」趣旨を主張しました。 A乙の特許の請求の範囲の記載は次の通りです。 (A)先端付近より硬化液を吐出しながら回転するオーガを回転域が一部重複するように複数基並列し、かつその並列を回動可能にした削孔機を用いること (B)削孔機による硬化液の吐出と回転とで連通した複数本からなる立坑を地盤に削孔すると同時に削孔土砂と硬化液とを撹拌混合してこれら混合物からなる壁体造成材料を立坑内に打設し、 (C)この壁体造成材料の打設後に削孔機による硬化液の吐出と回転とを維持して壁体造成材料を撹拌混合しながら削孔機を立坑から引き上げ、 (D)壁体造成材料が硬化する前にこの立坑に一部重複しかつ削孔機の回転により0度を含む所定の角度を介在させてさらに次の立坑を削孔すると同時に壁体造成材料を打設し、 (E)壁体造成材料が打設された立坑を連続させてその壁体造成材料を硬化させること を特徴とする連続壁体の造成工法。 B乙の発明の目的は、「造成の施工時間が短く造成される連続壁体のシール性が良好な連続壁体の造成工法を提供すること」です。 C本件訴訟の論点は、請求の範囲の構成要件のうち「削孔機の回転により0度を含む所定の角度を介在させてさらに次の立坑を削孔する」(構成要件D)の解釈です。すなわち、回転の手段が、「オーガの並列の回動による手段」のみに限定されるのか、「ベースマシンの旋回と回転式リーダーの回転を組み合わせることによる手段」をも含むのかということです。 D明細書及び請求の範囲の記載に基づいた当事者の構成要件Dの解釈 (I)この点に関して明細書及び請求の範囲には次の記載があります。 (i)「この重複削孔の際には、オーガ41、42、43の並列が回動可能であることを利用して、先の立坑6に対して次の立坑6を所定角度介在させるようにする。この角度は、第4図に示すように、施行ラインLが直線の場合には0度となり直角の場合には九〇度となる。なお、施行ラインLに沿った立坑6の施行移動に対しては、削孔機4の基部(本体ベースマシン等)44からのオーガ支持部(クレーン等)45の伸縮で対応することができる。」(5欄20行〜29行)。 (ii)「先端付近より硬化液を吐出しながら回転するオーガを回転域が一部重複するように複数機並列し、かつその並列を回動可能にした削孔機」(特許請求の範囲の構成要件Aに係る部分)。 (U)甲は、明細書及び請求の範囲に基づいて構成要件Dを次のように解釈しました。 “「施行ラインLに沿った立坑6の施行移動に対しては、削孔機4の基部(本体ベースマシン等)44からのオーガ支持部(クレーン等)45の伸縮で対応することができる。」との記載(第5欄25行ないし29行)及びこれに対応する図面(第4図)によると、本件発明は、連続削孔を行うとき、削孔機本体自体を回転させることにより、「先に削孔した立坑の列」に続けて「次の立坑の列」を削孔し、その際、削孔機の移動は必要とせず、削孔機の基部(本体ベースマシン等)からのオーガ支持部(クレーン等)の伸縮で対応する工法である。 (V)乙は、明細書及び請求の範囲に基づいて要件Dを次のように解釈しました。 (イ)構成要件Dの「削孔機の回転により0度を含む所定の角度を介在させてさらに次の立坑を削孔する」とは、 削孔機に複数配置されている各オーガをそれぞれ回転させることによって次の立坑を削孔すること、 最初の立坑と次の立坑との間には0度を含む所定の角度を介在させることを意味するものと解すべきである。 その理由は以下のとおりである。 (ロ)本件明細書において「回転」と「回動」とは使い分けがされており、「回転」という語を用いる場合は、回転の対象は各オーガを意味していること、したがって「削孔機の回転により」という語句は、「削孔機に配置された各オーガの各回転により」と読むべきであり、これを受ける語は、動詞「削孔する」であると理解すべきことになる。 (ハ)そうすると、本件発明の構成要件Dの「0度を含む所定の角度を介在させ」るという要件において、角度を介在させるためにいかなる手段を採用するかは、何ら限定されていない。 (ニ)甲が根拠とする、施工移動の際、削孔機の基部(本体ベースマシン等)からのオーガ支持部(クレーン等)の伸縮で対応することができる旨の記載及びこれに対応する図面(本件明細書5欄20行ないし29行及び第4図)は、実施例の一つとして、オーガ支持部(クレーン等)の伸縮で対応することが可能であることを記載したにすぎず、ベースマシンの走行移動を伴う施工を排除するものではない。 (ホ)ベースマシンの走行移動を伴う施工について格別本件明細書に記載しなかったのは、本件特許出願時の当業者にとって、ベースマシンが自走可能なものであることは自明であったためである。 (ヘ)ベースマシンの移動を伴わないオーガの並列の回動だけでは、既に削孔済みの立坑から次の立坑の位置までオーガの並列を移動させることができないから、本件発明は、ベースマシンの移動によりオーガの並列を移動している場合も当然に想定されている。 E無効審判の経緯に基づく当事者の構成要件Dの解釈 (T)乙は、無効審判で提出した回答書において、「本件発明は、ベースマシンの旋回と回転式リーダーの組み合わせが施工における不可欠な条件となっている公知技術とは異なり、オーガの並列の回動により0度を含む所定の角度を介在させることだけで達成できる」旨の意見を述べていました。 (U)甲の主張 “被告は、原告らを請求人とする本件特許権に係る無効審判請求事件において、上記記載のとおりの意見を述べたことを参酌すれば、構成要件Dについて、「ベースマシンの旋回と回転式リーダーの組み合わせによる工法」を意識的に除外したものと解され、侵害訴訟において右工法が含まれると主張することは禁反言に照らし許されず、「オーガの並列の回動」のみにより「0度を含む所定の角度を介在させる」工法に限定されているというべきである” (V)乙の主張 (A)禁反言の効果が認められる根拠は、当事者のした主張に基づき権利の取得又は維持がされた場合に、権利行使の段階で当該主張と反する主張をすることは公平の原則に反するということであるから、継続中の無効審判手続においてされた主張又は無効審決において採用されなかった当事者の主張は権利の取得、維持の根拠となった訳ではないので、これらに基づく禁反言の主張は認めるべきではない。 (B)しかも、被告は、右無効審判請求事件において、右意見を撤回しているので、右意見を参酌するのは相当でない。 |
[裁判所の判断] |
@裁判所は、構成要件Dを次のように解釈しました。 「『削孔機の回転により0度を含む所定の角度を介在させて』との部分に係る記載のうち『0度を含む所定の角度を介在させ(る)』という目的を達成させる手段としては、『削孔機本体の回転によって、複数並列に配置されたオーガの列を回転させる』手段を指すと理解するのが相当であり、さらに、出願手続に照らすならば、その手段のみに限定されると解される。」 A上記判断の第1の理由として、裁判所は請求の範囲及び明細書の記載に基づいて次のように解釈しました。 (前述の(I)(i)及び(ii)によれば)“構成要件Aにおいて、回動する対象は「オーガの並列」(並列状に配置されたオーガの列)であり、その回動を可能とする主体は削孔機本体であるから、構成要件Dにおいても、回転する対象は「オーガの並列」であり、かつそれを可能とする「削孔機本体」であると解するのが相当である。” B上記判断の第2の理由として、裁判所は請求の範囲及び明細書の記載に基づいて次のように解釈しました。 (イ)甲は、乙が請求した無効審判で示された公知資料(「ベースマシンの旋回と回転式リーダーの回転を組み合わせることによって敷地内の施工が可能である」と記述されている)に示された技術では両者の組み合わせが施工の条件であるのに対して、本件発明は、「複数機のオーガの並列の回動により0度を含む所定の角度を介在させる」ことだけで達成されるとの趣旨の意見を述べ、本件発明は、「ベースマシンの旋回と回転式リーダーの回転を組み合わせ」なければならない不便なものではないと、本件発明の特徴的部分を強調している。 (ロ)本件発明に関する被告の意見部分を参酌すると、本件発明の構成要件Dは、「0度を含む所定の角度を介在させる」目的を達成させる手段について、「オーガの並列の回動による手段」のみに限定すべきであり、「ベースマシンの旋回と回転式リーダーの回転を組み合わせることによる手段」は意識的に除外されていると解するのが相当である。換言すれば、被告が、無効審判手続中において、「複数機のオーガの並列の回動により0度を含む所定の角度を介在させる」ことだけで達成されるとの趣旨の意見を述べているのにもかかわらず、本件訴訟の中で、右意見と明らかに矛盾する主張、すなわち、構成要件Dは、「ベースマシンの旋回と回転式リーダーの回転を組み合わせることによる手段」を含むと主張することは、訴訟における信義誠実の原則に反し、また禁反言の趣旨に照らして、許されない。 (ハ)被告は、無効審判手続においてされた主張、又は無効審決において採用されなかった当事者の主張を根拠とする禁反言の原則は、適用されるべきではないと主張する。 (ニ)しかし、訴訟の当事者が、訴訟において、無効審判手続中でされた主張と正に矛盾する趣旨の主張を意図的にすることは、特段の事情のない限り、訴訟における信義則の原則ないし禁反言の趣旨に照らして許されないというべきである。 (ホ)無効審判手続は、特許権の生成の手続とは異なる性質を有する面もあるが、手続過程において出願人等がした主張と矛盾する主張を侵害訴訟で行うことが許されないとする信義誠実の原則ないし出願経過禁反言の原則は、同様に妥当するものと解して差し支えない。さらに、訴訟における信義則の原則等の適用に当たって、無効審判手続等でされた当事者の主張が、最終的に、審決等において採用されたか否かにより左右されると解すべきではない。 C裁判所は、撤回された意見を参酌することに関して次の見解を述べました。 (イ)無効審判手続における意見の撤回に関する経緯に照らすと、右撤回は、本件における構成要件Dに関する被告の主張が別件の侵害訴訟事件と同様の理由により排斥されることを免れるためにされたものと考えるのが自然であり、無効審判手続において当事者に認められた遂行権限を濫用したものということもできる。 (ロ)そうとすると、被告が無効審判手続において、本件特許権の構成要件の解釈について述べた意見を撤回する旨の書面を提出した後においても、当裁判所が、右意見を述べたことをも参酌して、本件発明の構成要件を解釈することは許されると解すべきである。 |
[コメント] |
@一般に“禁反言の法理”とは、或る者の言動により他の者が或る事実を信用し、その事実を前提とした行動をとったとき、前者は後者に対してその言動と矛盾した事実を主張することを禁ずることを言います。 A従って、無効審判の回答書で意見を陳述しても、無効審決が出る前にそれを撤回したときには、通常、包袋禁反言(出願経過禁反言)の問題となることは考えにくいといえます(∵“その事実を前提とした行動をとった”という条件を満たさないため)。 Bしかしながら、法定技術として、他の訴訟の様子を見ながら、安易に意見を撤回してこれと矛盾する主張を展開することは、やはり裁判所としては許せないことのようです。 C“信義誠実の原則ないし出願経過禁反言”という言い方に裁判所の意図を読み取ることができます。“信義誠実の原則”のような一般法則は、裁判所から見ると伝家の宝刀であり、特別法に存在する原則のみで対処できるのであれば、そうするのが通例です。“信義誠実の原則”を引っ張りだしても、矛盾する主張を排除する必要があったのだと理解されます。 Dまた包袋禁反言の原則は、本来特許出願の経過を参酌するものですが、裁判所は、「特許権の生成の手続とは異なる性質を有する面もある」としながら、無効審判での意見を参酌することの妥当性を認めています。 |
[特記事項] |
戻る |