[事件の概要] |
@甲は、人工漁礁(後に「人工魚礁」と補正)を名称とする特許出願をし、これに対して3回の拒絶理由通知及びその応答を経て平成6年に出願公告を受け(特公平6−77493号)、特許を取得しました。 A甲は、乙に対して特許権侵害訴訟を提起しましたが、第1審では出願経過の参酌の結果として均等の主張が退けられ(平成19年(ワ)11136号)、本件訴訟に至りました。 B甲の特許権の請求項2は次の通りです。 (A)樹脂製又は鋼製の通水性のケース(1)内にカキ殻(2)を充填してカキ殻入りの通水性ケース(1)とし, (B)該通水性ケース(1)を複数個集合して壁又は柱を構築すると共に, (C)鋼製又はコンクリート製の枠体(3),板体又はブロック体の構造物で補強結合してなる (D)人工魚礁。 C甲の特許明細書には次の記載があります。 (イ)「このような構築方法は,通水性ケース(1)のユニットを製造し,これを複数個集合する方法によるので構築が容易であるし,得られた魚礁の構造は,カキ殻を収容しているケース内に海水が自由に出入し,その内部のカキ殻は自然に存在する素材であってしかも多数の穴が形成されて生物が親しんで生活の場とし易く,また,この通水性ケースが壁又は柱全体の構成部材となり,かつ鋼製等の人工漁礁に収納され,全体形状が偏平な角柱台,円柱台,又は角錐台,円錐台形状と任意に構築可能となっているので,潮流や底引網によって破損したり移動することを防ぐ作用がある。」 (ロ)「ケース内へカキ殻を充填した主な理由は、前述したように餌料となる生物が親和性を持ち易く,かつ,多数の居住穴を形成することにある。」 D甲の特許出願の審査の経緯として次の事情がありました。 (A)第1回拒絶理由通知 (a)審査官は,平成5年6月7日付けで乙16公報(特開昭50−142389号公報)を引用し,「通水性のケース内に貝殻を充填してなる人工漁礁」が公知である旨の拒絶理由通知をした。 (b)特許出願人は,平成5年8月25日付けで特許請求の範囲を「樹脂製又は鋼製の通水性のケース(1)内にカキ殻(2)を充填してカキ殻入りの通水性ケース(1)とし,該通水性ケース(1)を複数個集合して鋼製又はコンクリート製の枠体(3),板体又はブロック体の構造物で補強結合して人工漁礁の壁又は柱の構成部材として全体形状を偏平な角錐台又は円錐台形状としてなる人工魚礁。」とする補正をし、同日付けで意見書を特許庁に提出した。 (c)意見書において,特許出願人は,乙16公報に「通水性ケース内にカキ殻を充填してなる人工魚礁」は記載されているものの,同公報には,プラスチック製枠体の隙間にカキ殻を充填した通水性ケースを取り付けることの記載しかなく,これをどのような形状に組み付けるかについての記載はない,と主張した。 (B)第2回拒絶理由通知 (a)特許庁審査官は,平成5年10月18日付けで拒絶理由を通知し,その中で,多数の樹脂製の筺体を立体的に連結し鉄棒で補強した点につき乙17公報(特公昭50−15717号公報)を引用した上,「樹脂製の通水性を有する筺体に貝殻等のカルシウム質物体を収納し海藻類の繁茂を促すと共に集魚効果を高めるようにすることは,本出願前周知である,「底引網等が引っかからないように角錐台等の形状にすることは,例えば実開昭52−158095号公報,実開昭61−43875号公報,特開昭59−82030号公報に記載されているように本出願前周知である。」と指摘した。 (b)これに対し,控訴人は,平成6年1月7日付けで特許請求の範囲を「樹脂製又は鋼製の通水性のケース(1)内にカキ殻(2)を充填してカキ殻入りの通水性ケース(1)とし,該通水性ケース(1)を複数個集合して壁又は柱の全体を構築すると共に,剛製又はコンクリート製の枠体(3),板体又はブロック体の構造物で補強結合して全体形状を偏平な角柱台,円柱台,又は角錐台,円錐台形状としてなる人工魚礁。」とするなどの補正をし,同日付けで意見書を提出した。 (c)その意見書において,控訴人は,乙16公報に通水性ケース内にカキ殻を充填してなる人工魚礁は記載されているものの,同公報には,プラスチック製枠体の隙間にカキ殻を充填した通水性ケースを取り付けることの記載しかなく,これをどのような形状に組み付けるかについての記載はない,との上記(b)の意見書の主張を繰り返すとともに, 「…カキ殻を充填してなる魚礁は稚ダコの絶好のかくれ場であり,外敵からの防御効果が大であります。またカキ殻は餌料生物培養基質としても優れており,他の生物の付着や浮泥の堆積等でもあまり劣化せず,長年月を経ても餌料生物が多いことも立証されています。」, 「…多数の樹脂製の筐体を立体的に連結し,鉄棒で補強したものが今回の拒絶理由の特公昭50−15717号(引例a)に記載され,また,角錐台や円錐台に全体形状を形成した人工魚礁は,今回の拒絶理由の例えば,実開昭52−134589号や実開昭52−158095号に記載されてはいますが,いずれもカキ殻を利用したものではなく,かつカキ殻を充填した通水性ケースを壁や柱全体の構成部材としたものではないのであります。」 (C)第3回拒絶理由通知 (a)特許庁審査官は,平成6年4月4日付けで,特許請求の範囲の記載が不明瞭である旨の拒絶理由通知をした。 (b)特許出願人は,平成6年4月11日付けで,特許請求の範囲請求項1を「樹脂製又は鋼製の通水性のケース(1)内にカキ殻(2)を充填してカキ殻入りの通水性ケース(1)とし,該通水性ケース(1)を複数個集合して壁又は柱を構築することを特徴とする人工魚礁の構築方法。」とし,同請求項2を「樹脂製又は鋼製の通水性のケース(1)内にカキ殻(2)を充填してカキ殻入りの通水性ケース(1)とし,該通水性ケース(1)を複数個集合して壁又は柱を構築すると共に,鋼製又はコンクリート製の枠体(3),板体又はブロック体の構造物で補強結合してなる人工魚礁」とするなどの補正をした。 E第1審裁判所の見解は次の通りです。 (イ)確かに,上記意見書における甲の意見は,本件特許発明は,通水性ケースの組付け方について特徴がある旨述べたものではあるものの,本件特許発明の本質が通水性ケースの組付け方のみにあり,通水性ケースに充填するものが「カキ殻」であるかどうかは本件特許発明の本質と関わりなく,その他の種類の貝殻でもよいというのであれば,あえて「カキ殻」に限定せず,乙16発明のように「貝殻」などと記載することも可能であったはずである。 (ロ)また,その後,乙17公報を引用して,樹脂製の通水性を有する筺体に貝殻等のカルシウム質物体を収納し海草類の繁茂を促すとともに集魚効果を高めるようにすることは,本出願前周知であるとしてされた再度の拒絶理由通知(乙15の4)に対し,甲は,「カキ殻は餌料生物培養基質としても優れており,他の生物の付着や浮泥の堆積等でもあまり劣化せず,長年月を経ても餌料生物が多いことも立証されています。このように優れたカキ殻を・・・」と述べた上,拒絶理由に引用された例は「いずれもカキ殻を利用したものではな」いなどと記載した本件意見書を提出している(乙15の5)。 (ハ)以上の出願当初の明細書の記載及び出願経過における原告の意見書における記載に鑑みれば,原告は,出願当初から,通水性ケース内に充填するものとして「カキ殻」を用いることをも本件特許発明の本質としていたものと解される。 F第2審における甲の主張は次の通りです。 (イ)原判決は,「特許請求の範囲」に記載されたカキ殻という構成の一部を形式的に取り出して判断しただけでなく,控訴人が出願経過の中でカキ殻を貝殻と補正しなかったこと(特許明細書の中で後からカキ殻を貝殻に広げる補正ができないことは特許法上明らかである),さらに,公知技術を控訴人が本件特許明細書で強調して使用したことをもって,控訴人がカキ殻を本件特許発明の本質的部分に取り入れたと判断したのであり,あまりに皮相な見解である。 (ロ)原判決は特許法が保護しようとする発明の実質的価値は公知技術では達成しえなかった目的を達し,公知技術では生じさせることができなかった特有の作用効果を生じさせる技術的思想を具体的な構成をもって社会に開示する点にあるという本質を見落としている。 |
[裁判所の判断] |
@裁判所は均等論の第1の要件(本発明の特徴部分ではない)に関して次のように判断しました。 (イ)本件特許明細書には,カキ殻を利用したことによる利点が具体的に記載されていること,本件特許出願前には,「プラスチック製筺体を枠状に組んで連結した人工漁礁」や「カキ殻を利用した人工魚礁」は知られていたものの,本件特許発明のようなものは知られていなかったこと,そのため,控訴人は,上記eのとおり,本件特許の出願経過において,本件特許発明について,乙16公報記載の発明との関係では,枠体に通水性ケースを取り付ける形状に特徴があることを,乙17公報等記載の発明との関係では,カキ殻を利用したことに特徴があることを主張していたことが認められる。 (ハ)そうすると,本件特許発明については,通水性ケースを複数個集合して壁又は柱を構築するとともに,鋼製又はコンクリート製の枠体(3),板体又はブロック体の構造物で補強結合したという点のみならず,カキ殻を利用したという点についても,本件特許発明に特有の課題解決手段を基礎付ける特徴的部分であるということができる。 A裁判所は、均等論の第2要件(この部分を対象製品等におけるものと置き換えても特許発明の目的を達することができ同一の作用効果を奏する)について判断する。 (イ)本件特許明細書には,カキ殻について「多数の穴が形成されて」との記載がある。 (ロ)控訴人は,この「多数の穴が形成されて」という記載は,カキ殻そのものに穴が形成されていることを述べたものではなく,積み重ねられたカキ殻同士の間に生じる隙間のことを述べたものであると主張する。 (ハ)しかし,「穴」には,「向こうまで突き抜けた所」という意味のほかに,「くぼんだ所」という意味もあり,これと,カキ殻については,餌料となる生物が親和性を持ちやすく多数の居住穴を形成するとの本件特許明細書の記載を総合考慮すれば,上記の「多数の穴」とは,「多数のくぼんだ所」という意味に解すべきであり,控訴人主張のような意味に解釈することはできない。 (ニ)仮に,控訴人主張のように「多数の穴」が通水性ケース内部に積み重ねられたもの同士の間の隙間をいうものであり,積み重ねると隙間があく形状のものであればカキ殻でなくてもよいというのであれば,本件特許明細書にカキ殻の優れた効果を強調した記載をするとは考え難いところである。 |
[コメント] |
@この事例の第1の教訓は、特許出願の新規性・進歩性の審査において、 論点とする発明の特徴は妄りに増やすべきではない、 それら論点の全てが包袋禁反言の反論となると覚悟しなければならない ということです。 A特許出願人としては、貝殻を入れるケース自体を人工魚礁の四隅の柱とすることを本願発明の主たる特徴と考えていたのかも知れないですが、従たる反論として、引用文献のものはカキ貝ではないので明細書に記載の効果を発揮できないと主張しました。裁判所としては、包袋禁反言の適用に関して、意見書における特許出願人の主張が主たる主張でも従たる主張でも斟酌するべき理由はありません。 Bこの教訓の第2の教訓は、明細書で使う用語の意味は明確にせよということです。 明細書中の「カキ殻は自然に存在する素材であってしかも多数の穴が形成されて生物が親しんで生活の場としてし易く」という説明に関して、甲(特許権者)と乙とで見解が分かれました。 甲の見解:「穴」とは貝殻同士の隙間であり、そうした隙間が生ずることはカキ貝でもホタテ貝でも変わらない。 乙の見解:「穴」とは、貝殻の内側の凹みであり、平べったいホタテ貝はカキ貝ほどに凹みが大きくない。 C私見でも甲の見解は適切ではないと考えます。 「あな」には、「向うまで突き抜けたところ」と「くぼんだところ」という意味がありますが、厳格には、前者のあなは「孔」と、後者のあなは「穴」といいます。例えば「鼻孔」は、鼻をつき抜けて肺まで達している故に「孔」といいます。これを「鼻穴」とはいいません。こうした言葉の使い分けは常に厳密に行われているとは言えませんが、明細書中の「居住穴」を「向うまで突き抜けたところ」と解釈することは、特許出願人が意見書において「(引用例は)いずれもカキ殻を利用したものではなく、かつカキ殻を充填した通水性ケースを壁や柱全体の構成部材としたものではないのであります。」と述べていることと明らかに矛盾します。 |
[特記事項] |
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