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●平成14(ワ)第12752号


包袋禁反言(特許出願の経過の参酌)/階段構造

 [事件の概要]
@甲は、名称を“階段構造”の発明について特許出願するとともに、早期審査の事情説明書を提出して先行技術との相違を説明し、特許権を取得しました(特許第3191143号)。

A乙は、甲の特許発明の構成のうちの“シーリング剤”の代わりに“接着剤”を用いた階段構造を実施しました。

B甲は、均等論に基づいて乙が特許権を侵害していると主張し、これに対して、乙は、明細書の記載中及び上記事情説明書において特許出願人は“接着剤とシーリング剤との使い分け”を先行技術との相違と強調し、審査官はこれを受け入れて特許にしたのだから、勤労論は適用されるべきでないと主張して、本件訴訟(侵害訴訟第1審)に至りました。なお、控訴審(平成15年(ネ)第3657号)においても本件訴訟の結論は維持されています。

C本件特許の権利範囲は次の通りです(請求項1)。

A 踏み面が平面でなる階段下地において、その踏み面と、その踏み面に連接するコーナー部及び蹴上げとに亘って合成樹脂製の階段用床シートが重ね合わされた階段構造において、

B 階段用床シートと踏み面との重なり部分は接着剤により、

C 階段用床シートとコーナー部との重なり部分はシーリング剤により、

D それぞれ接合されていることを特徴とする階段構造。

図面

3…接着剤 4…シーリング剤

D明細書には、次の記載があります。

(イ)「図1及び図2に示すように、この階段用床シート2は階段下地1の踏み面11から蹴上げ13の上部に亘って重ねられ、床シート2の踏み面被覆部22と階段下地1の踏み面11との重なり部分が接着剤3によって全体的に強固に接合されている。そのため、昇降時の踏圧による床シート2のズレを生じる心配は皆無に等しい。そして、図1、図2、図4に示すように、床シート2のアールを付けたコーナー被覆部23と階段下地1のコーナー部12との重なり部分はシーリング剤4によって隙間なく接合され、(中略)踏圧により床シート2のコーナー被覆部23にヘコミやズレが生じることは殆どなく、」(0017)、

(ロ)「前記の接着剤3としては、例えばウレタン樹脂系一液型接着剤やエポキシ樹脂系二液型接着剤が好適に使用される。また、前記のシーリング剤4としては、接着剤より固形分が多く粘性が高いシリコン樹脂系シーリング剤、ウレタン樹脂系シーリング剤、ポリサルファイド系シーリング剤等が好適に使用される。」(0019)、

(ハ)「階段下地1の踏み面11のほぼ全面に接着剤3を付着し、コーナー部12に垂れにくいシーリング剤4を付着する。」(0022)、

(ニ)「接着剤3、シーリング剤4、粘着剤5等の接合剤は、貼り合わせ前に階段下地1又は床シート2のどちらかに付着させればよく、更に、これらの接合剤の粘度、接着力、粘着力などは、階段下地1と床シート2との接合強度や貼り合わせ作業等を考慮して適宜選択すればよい。」(0025)

E甲は早期審査の事情説明書で次のように陳述しました。

E訴訟での甲の「接着剤」と「シーリング剤」との関係に関する主な主張は次の通りです。

(イ)「接着剤」と「シーリング剤」とは材料・成分等の差異により区別されるものではなく、その目的・用途により区別されるものである。すなわち、「接着剤」が物体の間に介在することによって物体を結合することができる物質(面接着用)であり、「シーリング剤」が構造体の目地・間隙部分に充填して防水性・気密性などの機能を発揮させる材料(封又は充填用)であることは、技術的意義として確立している。

(ロ)このような区別を裏付けるものとして、株式会社日本実業出版社発行「接着技術のはなし」、住友スリーエム株式会社のHP「接着・接合テクノロジー」、岩波書店発行「広辞苑(第5版)」1133頁)があり、材料物質により区別される概念とはされていない。原告が本件発明を実施した階段構造のカタログ等においても、シーリング剤の用途としての「タキボンド50」を、「カートリッジ入り接着剤」、「段鼻隙間充填用接着剤」、「段鼻充填用接着剤」と、(床材の面接着剤とは)用途により区別して記載している。

(ハ)本件明細書の発明の詳細な説明欄【0010】によれば、「接着剤」とは床シートと階段下地の踏み面との重なり部分を強固に接合する機能を有するものであり、「シーリング剤」とは床シートと階段下地のコーナー部との重なり部分に生じる隙間を塞ぐように接合する機能を有するものをいう。

(ニ)被告らの主張する同【0019】の記載は、単なる実施例の記載であり、本件発明の「シーリング剤」として、接着剤より固形分が多く粘性が高いウレタン樹脂系材料が好適であるとしているにすぎない。

(ホ)本件特許請求の範囲において「接着剤」と「シーリング剤」という異なる用語を用いていることも、両者が異なる成分の材料を用いることを意味することにはならない。

(ヘ)したがって、「接着剤」と「シーリング剤」とは、目的・用途により区別されるものであり、上記の機能を有する(作用を奏する)ものである限り、その材料・成分等について何ら限定されるものではない。

(ト)「接合」と「接着」の区別に関する被告らの主張について反論すれば、「接合」は「接着」を包含するより広い概念であり(セメダインのHP「接着基礎知識」による。岩波書店発行「広辞苑(第4版)」でも「接着剤」は「接合剤」ともいうとされている。)、互いに相容れないというものではないから、「接合」の用語をもって「接着剤」と「シーリング剤」とは材料・成分等を異にすると主張するのは誤りである。

zu

F訴訟での甲の出願経過に関する主張は次の通りです。
「発見された先行技術文献は以下の通りである。

  〈1〉 実開昭59−78432号(実願昭57−172966号マイクロフイルム)
この文献には、先端部をL字状に折曲した合成樹脂製シート本体の該L字状先端部にすべり止め部を形成した階段用すべり止めシートを使用し、この階段用すべり止めシートを階段の隅角部、踏み面、蹴上げ部に亘って全体を接着剤で接着して被覆した階段の構造が記載されている。

 〈2〉 特開昭61−113952号公報
 この文献には、階段の踏み面を覆うすべり止め本体の前端から、階段の蹴込み面を覆う前方固定舌を下方へ延設した合成樹脂製又はゴム製の階段用すべり止めシートを使用し、すべり止め本体の下面及び前方固定舌の裏面に接着剤を塗布し、すべり止め本体を階段の踏み面に、前方固定舌を階段の蹴込み面に貼付けて被覆した階段の構造が記載されている。」

 「本願の請求項1、2の発明と先行技術文献〈1〉、〈2〉を対比すれば、合成樹脂製の階段用床シート(階段用すべり止めシート)を、階段下地の踏み面とコーナー部と蹴上げとに亘って重ね合わせる点で、両者は共通する。

 しかしながら、先行技術文献〈1〉、〈2〉はいずれも、階段用すべり止めシートと階段下地の踏み面、コーナー部、蹴上げとの重なり部分をすべて接着剤で接着するのに対し、本願請求項1の発明は、階段用床シートと踏み面との重なり部分を接着剤により、階段用床シートとコーナー部との重なり部分をシーリング剤により、それぞれ区別して接合する点において構成が相違する。(中略)

 上記のように、本願請求項1、2の発明は、接着剤とシーリング剤と粘着剤とを使い分け、階段用床シートと踏み面、コーナー部、蹴上げとのそれぞれの重なり部分を区別して接合したため、本願明細書(中略)の段落番号[0010]、[0011]に記載の如き作用効果が得られたものであり、このような技術的思想を開示する先行技術文献は全く見出すことができなかった。」

G訴訟での乙の「接着剤」と「シーリング剤」との関係に関する主な主張は次の通りです。

 本件明細書の特許請求の範囲の記載(本件発明の構成要件B、C)のほか、発明の詳細な説明欄【0001】〜【0007】及び【0010】の記載によれば、本件発明は、階段用床シートと踏み面との重なり部分は「接着剤」により、階段用床シートとコーナー部との重なり部分は「シーリング剤」により、それぞれ接合されている階段構造を特徴とするものである。そして、本件発明の構成要件Bの「接着剤」及び同Cの「シーリング剤」とは、本件明細書の発明の詳細な説明欄【0010】及び【0019】によれば、両者は性能を異にし、別個の目的で使用されるものであり、具体的には、ウレタン樹脂系一液型接着剤は「接着剤」としては好適に用いられるが、「シーリング剤」はこのウレタン樹脂系一液型接着剤より固形分が多く粘性が高いものが用いられることが明らかである。一般的にも、「接着剤」が低粘度又は高粘度であるのに対し、「シーリング剤」が高粘度又は超高粘度であり、その塗布方法も用いる器具を異にするものである(日本接着剤工業会発行「接着剤読本」)から、当業者であれば、特許請求の範囲に「接着剤」と「シーリング剤」とを区別して記載していれば、両者は異なる成分のものと認識するのが通常であり、本件明細書の発明の詳細な説明の上記記載も、このことを説明するものである(目的・用途の別により「接着剤」と「シーリング剤」が区別されるという原告の主張は、本件明細書の記載に基づかないばかりか、物の発明である本件発明を用途発明であることを前提として主張するものであり、本件発明の本質を根本的に誤解している。)。

H訴訟での乙の出願経過に関する主張は次の通りです。

(イ)原告は、「早期審査に関する事情説明書」で…上記の公知技術は、いずれも階段用すべり止めシートと階段下地の踏み面、コーナー部、蹴上げとの重なり部分をすべて接着剤で接着するのに対し、本件発明は、階段用床シートと踏み面との重なり部分を接着剤により、階段用床シートとコーナー部との重なり部分をシーリング剤により、それぞれ区別して接合する点で相違することを認めていた。

(ロ)更に原告は、本件発明が接着剤とシーリング剤と粘着剤とを使い分け、階段用床シートと踏み面、コーナー部、蹴上げとのそれぞれの重なり部分を区別して接合したため、本件明細書の【0010】、【0011】記載の作用効果が得られたものであり、このような技術的思想を開示する先行技術文献は全く見出すことができなかった旨を説明した。

(ハ)特許庁審査官は、原告のこのような説明を相当と認め、本件特許出願について特許査定したものである。つまり、原告は、本件特許出願手続において、階段用床シートと踏み面との重なり部分にも、階段用床シートとコーナー部との重なり部分にも接着剤を用いるものは本件発明と異なることを主張した結果、本件特許発明について、特許査定を受けることができたものであるから、本件訴訟において、階段用床シートと踏み面との重なり部分、階段用床シートとコーナー部との重なり部分のいずれにも「接着剤」を用いる被告構造が本件発明の技術的範囲に属すると主張することは、信義誠実の原則に反し、包袋禁反言の適用により許されない。


 [裁判所の判断]
@裁判所は「接着剤」と「シーリング剤」との関係に関して次のように判断しました。

(イ)原告は、「接着剤」と「シーリング剤」とは目的・用途により区別されると主張する。

(ロ)確かに、セメダインのHPの「接着基礎知識」によれば、「接着剤をどのような目的、用途で使用するのか。強力な構造接着か、一時的な仮止め接着か、充填接着か、あるいはコーティング材として使用するのかで選ぶ接着剤の種類も変わってきます。」という記載があることが認められる。

(ハ)しかし、同HPは「接着剤は本来、物と物とを接合するのが基本機能です。しかし最近では(中略)いろいろな働きがもとめられるようになりました。(中略)接着機能以外の特性を強調した接着剤を総称して機能性接着剤と呼びます。」と定義づけるものであることや、本件明細書上は「接着剤」及び「シーリング剤」とは別概念であることが明らかな「粘着剤」(本件明細書の特許請求の範囲請求項2及び発明の詳細な説明0025)まで「感圧形接着剤」と呼称していること等に照らすと、本件発明における「接合剤」に相当するものを同HP上では接着剤と総称したにすぎないとも解される。

(ニ)Chem-StationのHPにも、「シール材」として「物をくっつけるというもの以外の用途にも接着剤は使われている。それがシール材(シーリング材)としての接着剤の利用である。」という記載はあるが、同HPにおける「接着」の意味の一つとして「2つの表面が何らかの界面力により結合している状態」が挙げられ、「私たちが使っているもの以外にもたくさん接着剤はある。しかしどれも身近な製品の中で接合という不可欠な部分でこれらは大いに役に立っている。」とも記載されているから、セメダインのHPと同様に、本件発明における「接合剤」に相当するものを接着剤と総称したにすぎないとも解される(むしろ、シーリング材については「もちろん接着としての意味もあるのだが、それ以上に気密性を上げるという効果がある。」と記載されており、接着よりも気密性を重視した部材である趣旨が窺われる。)。

(ホ)面接着用が「接着剤」、充填用が「シーリング剤」である旨のシーリング剤関係会社従業員の陳述書もあるが、同陳述書も、両者の相違が粘度の差にあること自体は認めるものであり、「ウレタン樹脂系シーリング剤の場合、接着剤としてのウレタンポリマーにフィラー(充填剤・ダレ防止剤)をその用途に応じ付加する」ことに言及していることに照らせば、成分による相違を否定し去る趣旨のものとはいえない。

zu

A裁判所は、出願経過に関して次のように判断しました。

(イ)特許出願手続において、特許出願人が早期審査に関する事情説明書を提出し、その中で先行技術文献と対比して当該発明との相違点や当該発明の特徴を説明するなどし、これが特許庁審査官に受け入れられて早期審査の対象とされ特許査定に至った場合には、特許出願人が同事情説明書で述べた内容は、当該特許発明の技術的範囲の確定に当たって参酌されるべきであり、また、侵害訴訟において同事情説明書で述べた内容と異なる主張をすることは、信義誠実の原則ないし禁反言の法理に照らして許されないものというべきである。

(ロ)これに対し、原告は、上記事情説明書では、上記先行技術文献には、いずれも段鼻部と床材裏面角部との間に生じる隙間を充填するという技術思想が開示されていない点で本件特許権と相違することを説明したものにすぎず、本件発明の特許請求の範囲を限定したものではない旨が記載されている。しかし、上記事情説明書(乙7の1)の記載からは、原告主張のような内容の説明にとどまるものと解することはできないから、原告の上記主張は採用することができない。


 [コメント]
@本件は、早期審査の事情説明書で陳述した事柄でも事情次第では、包袋禁反言が適用されるということを示すために紹介した事例です。

A“事情次第”というのは、本件の場合、技術常識としての“接着剤”と“シーリング剤”との意味内容の違い、請求項での“接着剤”と“シーリング剤”との使い分け、明細書でのシーリング剤を使ったことによる効果が全て整合しており、事情説明書ではそれを追認する形で意見を述べたことです。

B事情説明書で述べたことが決定打となった訳ですが、そうでなくても訴訟において同じ結論が出た可能性はあると考えます。

C包袋禁反言の適用のポイントは、特許出願人が出願の経緯でしたこと(意見の陳述等)が原因となって審査官の結論(特許査定)という結果を生んだということの裏付けにあります。

D判例において包袋禁反言の法理に反対する立場は、特許請求の範囲は法律に定められた特許請求の範囲・明細書などにより定められるべきである、ということです。ですから特許請求の範囲・明細書に権利解釈上の一定の方向性が示されており、それを補強するために早期審査の事情説明書の記載を参考とする分には何も問題ないのです。

E従って包袋禁反言の主張が受け入られるかどうかは全ての事情を総合的に見るべきであり、一律に早期審査の事情説明書に基づいても包袋禁反言の主張ができると考えるべきではないと思います。(平成19(ネ)第10089号)。


 [特記事項]
 
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