[事件の概要] |
@事件の経緯 原告は、「回路接続用フィルム状接着剤及び回路板」と称する発明について特許出願(特願平10−505855)を行い、特許権(特許第3342703号)が付与されたが、特許異議申立を受けて特許権を取り消す旨の決定がなされたために、当該決定の取消を求めて訴訟を提起しました。 A本件特許明細書の請求の範囲に記載された発明は次の通りです。 相対峙する回路電極を加熱、加圧によって、加圧方向の電極間を電気的に接続する加熱接着性接着剤において、 その接着剤には0.2〜15体積%の導電粒子が分散されており、 引っ張りモード、周波数10Hz、昇温5℃/minで動的粘弾性測定器で測定した、その接着剤の接着後の40℃における弾性率が100〜2000MPaであることを特徴とする回路接続用フィルム状接着剤。 B本件特許明細書には次の記載があります。 (a)本発明は、回路基板同士またはICチップ等の電子部品と配線基板の接続用いられる回路接続用接着剤及び回路板に関する。 (b)しかしポキシ樹脂をベース樹脂とした従来の接着剤を用いた接着剤は、熱衝撃試験、PCT試験、はんだバス浸漬試験等の信頼性試験を行うと接続基板の熱膨張率差に基づく内部応力によって接続部において接続抵抗の増大や接着剤の剥離が生じるという問題がある。 (c)本発明の接着剤によれば、接続後の40℃での弾性率が100〜2000MPaとしたため、熱衝撃、PCTやはんだバス浸漬試験等の信頼性試験において生じる内部応力を吸収でき、信頼性試験後においても接続部での接続抵抗の増大や接着剤の剥離がなく、接続信頼性が向上する。 また、フィルム状の接着剤は、取扱性にも便利である。したがって、本発明の接着剤は、LCDパネルとTAB、TABとフレキシブル回路基板、LCDパネルとICチップ、ICチップとプリント基板とを接続時の加圧方向にのみ電気的に接続するために好適に用いられる。 本発明の回路板は、信頼性試験後においても接続部での接続抵抗の増大や接着剤の剥離がなく、接続信頼性に優れる。 C本件特許の従来技術 (a)特許権取消決定の理由は、本件発明1は、特開平6−256746号公報(「刊行物A」)に記載された発明(以下「引用発明」という。)及び昭和62年12月25日日刊工業新聞社発行「エポキシ樹脂ハンドブック」51頁の表U.15及び300頁の図X.1(「周知例1」という。)に記載された周知事項に基づき、当業者が容易に発明をすることができたものであるということです。 (b)なお、被告(特許庁)は、本訴訟において、周知技術として、実開平5−50773号(乙1)、実開平5−90982号(乙2)、特開昭63−62297号公報(乙3)、特開昭63−117086号公報(乙4)、特開平6−260533号公報(乙5)及び特公平6−17443号公報(乙6)を援用しました。 D原告の取消理由(取消理由1のみ) (a)本件発明1は、「相対峙する回路電極を加熱、加圧によって、加圧方向の電極間を電気的に接続する加熱接着性接着剤」という特定の機能、用途を有する導電粒子含有接着剤(以下「本件接着剤」という。)において、「引っ張りモード、周波数10Hz、昇温5℃/minで動的粘弾性測定器で測定した、その接着剤の接着後の40℃における弾性率が100〜2000MPa」となるような調整を施すことにより、信頼性試験(熱衝撃試験、PCT試験、はんだバス浸漬試験等)の実行による接続抵抗の上昇を防止するという効果を得るものである。 (b)これに対し、決定は、当業者が樹脂の弾性率を所望の値に設定できることを理由に、相違点に係る本件発明1の構成の進歩性を否定しているが、誤りである。 仮に、樹脂の弾性率を適宜調整することが可能であったとしても、弾性率が調整された樹脂を本件接着剤に適用したときに格別の効果が得られることは、本件特許出願当時、当業者が容易に予測できたことではない。 すなわち、信頼性試験後の接続抵抗の増大や接着剤の剥離といった問題に対処するために、導電粒子を含有させた状態で、「接着剤の接着後の40℃における弾性率が100〜2000MPa」となる加熱接着性接着剤を適用すればよいということは、本件特許出願当時、当業者が容易に想到することができるものではなかったのである。 (c)決定は、「この程度の動的弾性率を得ることは、当業者ならば必要性さえあれば誰でもできることと認められる」(決定謄本9頁第3段落)とも説示するが、刊行物A及び周知例1には、刊行物Aに示された組成物の配合を変えて弾性率を調整することの動機付けが何ら示唆されていない。にもかかわらず、決定は、何の根拠もなく、本件発明1に係る数値範囲の弾性率にする必要性があったことを前提にした判断をしており、この点においても、決定の誤りは明白である(後略) |
[裁判所の判断] |
@裁判所は、本件特許発明の技術的意義に関して次のように解釈しました。 (a)相違点に係る本件発明1の構成は、本件接着剤、すなわち、「相対峙する回路電極を加熱、加圧によって、加圧方向の電極間を電気的に接続する加熱接着性接着剤」の接着後(硬化物)の弾性率が大きすぎると、信頼性試験の際、接続基板の熱膨張率差に基づく内部応力により、接続抵抗の増大、電気的導通の不良、接着剤の剥離の問題が生じ(上記ア、オ)、他方、弾性率が小さすぎると、溶融粘度の上昇に起因する接着剤の排除性低下のために電気的導通の不良の問題が生じる(上記ウ、オ)ことから、これらの問題を解決し、実際に、信頼性試験において生じる内部応力を吸収し、信頼性試験後においても接続部での接続抵抗の増大や接着剤の剥離がなく、接続信頼性が向上するという効果を奏する(上記エ、オ)という点で、技術的意義を有するものであると理解される。 (b)相違点に係る本件発明1の構成において規定された弾性率の数値範囲は、その上限値及び下限値の双方において、特定の課題を解決し、所期の効果を奏するという技術的意義があり、その意味で、当該弾性率の数値範囲は、上記特定の課題及び効果との関係において最適化されたものであるとみることができる。 そうとすれば、当業者が相違点に係る本件発明1の構成を容易に想到し得たというためには、単に、「この程度の動的弾性率を得ることは、当業者ならば必要性さえあれば誰でもできることと認められる」(決定謄本9頁第3段落)というだけでは足りず、本件接着剤の接着後における弾性率と、上記特定の課題の解決や特定の効果の発現との間に関連性があることを、当業者が容易に想到し得たことが必要であるというべきである。 A裁判所は周知技術に関して次のように判断しました。 (a)乙1には、「導電性接着剤層を通して接続用電極を金属基板に接続することを特徴とする電子回路装置」(実用新案登録請求の範囲)について、「本考案で用いる導電性接着剤10は・・・従来に比べて硬化後において良好な弾力性と柔軟性とをもっている」(5頁第4段落)こと、「導電性接着剤10が弾力性と柔軟性とをもっているので、エポキシ樹脂などの電気絶縁樹脂層6で全面を被覆した後におけるヒートサイクル、プレッシャークッカーなどによって、導電性接着剤10にかなり大きな応力が加わっても、導電性接着剤10で形成される導電路が損傷を受けることがなく、また凹所9内に導電性接着剤10が充填されているということと、導電性接着剤10も含め電気絶縁樹脂層6で被覆していることも加わって、金属基板1と接続用電極3間の良好な接続状態を保持できる」(同)ことが記載されている。 (b)被告は、上記のとおり、乙1記載の「金属基板1と接続用電極3間の良好な接続状態を保持できる」との効果が、適度の弾性を有する樹脂を導電性接着剤に適用することによって得られるものであり、かつ、当該効果が、本件発明1にいう信頼性試験後の接続抵抗の増大や接着剤の剥離を回避し得る効果と同義であるかのような主張をしている。しかしながら、乙1の上記アの記載によれば、そこでいう「良好な接続状態を保持できる」という効果は、導電性接着剤の弾性のみならず、「凹所9内に導電性接着剤10が充填されているということと、導電性接着剤10も含め電気絶縁樹脂層6で被覆していることも加わって」奏されるものであることが明らかである上、乙1において抽象的に「良好な接続状態を保持できる」と記載された効果が、本件発明1における信頼性試験後の接続抵抗の増大や接着剤の剥離を回避し得るという具体的に特定された課題ないし効果と同義であるとみるべき根拠も格別見当たらないというほかはない。 (c)そうすると、乙1を根拠に、基板と接続用電極間の「良好な接続状態を保持できる」こと、すなわち、信頼性試験後の接続抵抗の増大や接着剤の剥離を回避し得ることが当業者にとって周知の事項であったとする被告の当該主張は採用することができず、そうである以上、信頼性試験後の接続抵抗の増大や接着剤の剥離を回避し得るという作用効果が上記周知事項から容易に予測できる程度のことであるとする被告の主張も、採用の限りではないというべきである。 |
[コメント] |
@新規性・進歩性審査基準によれば、“引用発明が上位概念で表現されている場合は、下位概念で表現された発明が示されていることにならないから、下位概念で表現された発明は認定できない(ただし、技術常識を参酌することにより、下位概念で表現された発明が導き出せる場合は認定できる)”と規定しています。 これは当然のことです。仮にそうでなければ、先行する特許出願の発明の発明特定事項のうちの下位の概念(当該特許出願の明細書に開示されているものを除く)を選択して著しい効果を奏するものを発明しても特許を受けることができくなるからです。 A引用発明の認定において上位概念から下位概念を導き出すことですら、このように注意が必要なのですから、周知例に記載された抽象的な事柄を、特許出願の発明特定事項に当てはめることにより慎重さが求められます。 B本事例では、裁判所は、周知例における「金属基板1と接続用電極3間の良好な接続状態を保持できる」という記載と本件発明1にいう信頼性試験後の接続抵抗の増大や接着剤の剥離を回避し得る効果とが同義であるかという如き特許庁の主張を退けています。良好な接続状態の保持を実現するためには、導電性接着剤の弾性のほか、接着剤の充填性や電気絶縁樹脂層による絶縁などいろいろな要素が絡むからです。 |
[特記事項] |
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