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●昭和55年(行ケ)第69号(拒絶審決取消訴訟/容認)


進歩性審査基準/特許出願/発明の効果/幼児用靴

 [事件の概要]
@本件特許出願の経緯

 原告は、名称を「幼児用靴」とする発明につき特許出願をしたところ(昭和46年特許願第11257号)、進歩性の欠如を理由として拒絶査定を受けたので拒絶査定不服審判を請求し、「本件審判の請求は成り立たない。」との審決がされたため、本件訴訟を提起しました。

A本件特許出願の内容は次の通りです。

 偏平な靴底に敷板を敷設固着してなる幼児用靴において、

 上記敷板を踵部と第5趾近傍に至る外側部とから一体形成してなり、

 その外側部前端から踵部内側縁前端にわたる内斜側を体の重心に向けて円弧状に形成するとともに、

 上記敷板を全体が0.5mmないし1.0mmの均一な肉厚に形成したことを特徴とする幼児用靴。

B本件特許出願の発明の概要

(イ)発明の目的

 本発明は幼児用靴に関するものである。人間が歩行する場合は踵部から順次第5足指の付けね、第1足指の付けねへと体重を移動させ足の裏を外側から内側へ煽るように動作させるが、幼児期においては足部の骨格や筋肉が充分に発達しておらず、従って安定した立ち構えをすることが困難であり、かつ上記歩行動作が極めて不安定で転び易く、このため恐怖感が生じ、歩行開始時期が遅れたり、また無理に歩行させることにより足部の発育に師匠を来たすおそれがあるなど成人の場合には考慮されない特有の問題を有している。

 本発明は上記問題に鑑み、鋭意研究した結果なされたもので、幼児の歩行開示時における圃場的機能を果たすとともに足部の機能の正常な発達を促進するものである。

(ロ)発明の構成・作用
本発明は、生後10ケ月から11ケ月の歩行開始時の幼児100人に対し、観察による方法写真撮影法、映画方法、ビドスコープ方法スタジオファックス方法の5つの方法により敷板の厚さ、固着場所、形状を順次変えて実験した結果から成し得たものである。

 敷板3は前述の実験結果から選定された肉厚0.5mm〜1mmになり、かつ全体の肉厚は均一としてある。

 また上記敷板3は、その外側部3b前端から踝部3aの内側縁前端にわたる内傾側3cを体の重心に向けて円弧状に傾斜されるのであり、このため足部の外方へのぐらつきが阻止されるとともに

 上記敷板3の内斜側3cが体の重心に向いた円弧状に形成されているので、幼児が直立から歩行開始の最も重要な時期において体の重心が安定して自然な立ち方及び歩行ができ、

 しかもこの敷板3の肉厚が0.5mm〜1.00mmの均一な厚さに構成されているので歩行中足が前方向へ滑動することなく、敷板3上に安定よく支持され、従って足が前方向に滑り、足指が靴の内面前端壁に衝接して柔弱な幼児の足指を痛め、その健全な発育を阻害するおそれが全くないものである。

(ハ)発明の効果

 従って本発明によれば起立、歩行時の安定感がよく歩行開始時の幼児に恐怖感を与えることなく歩行運転の発育を促進できる等有用性は極めて高いものである。

[本願発明]

図1

[引用例1]

図2

[引用例2]

図3

[引用例3]

図4

C本件特許出願の先行技術は、次の通りです。

(イ)実用新案出願公告昭和45年第23814号実用新案公報(第1引用例)

 シユーズの平坦な底辺の接地面の踵部及びシユーズ内面の平坦な中底面の踵部内にそれぞれ防滑用踵片を接着したベビーシユーズが記載されています。

(ロ)実用新案出願公告昭和30年第12626号実用新案公報(第2引用例)

 当底に前方足腹部、土不踏部よりその後方踵部及び外側部に向つて厚さを漸増し、かつ土不踏部を土不踏の内側形状に合せて欠除した弾性版を接着した運動靴が記載されています。

(ハ)昭和11年実用新案出願公告第8069号実用新案公報(第3引用例)

 外側周縁に踵部より爪先部にわたつて斜面をもつ補助皮を貼着した靴用敷皮が記載されている。

D本件特許出願に対する拒絶審決の内容は次の通りです。

(イ)そこで、本願発明と第1引用例に記載された発明とを対比すると、両者は、

 幼児靴において、靴を着用した幼児が安定的に歩行できるように偏平な靴底に平坦な敷板(踵片)を装着したものである点で一致し、

 本願発明の敷板については、

 A平面形状に関して、踵部と第5趾近傍に至る外側部とから一体形成してなり、その外側部前端から踵部内側縁前端にわたる内斜側を体の重心に向けて円弧状に形成する点及び、

 B断面形状に関して、0.5mmないし1.0mmの均一な肉厚に形成する点の限定があるのに対し、第1引用例のものには、踵片を踵部に形成したものである以外格別の限定がない点 で相違する。

(ロ)Aについては、第2引用例の運動靴は、幼児靴と用途が相違するが、その弾性版は、本願発明の敷板と平面形状においてほぼ同じであるとともに、土不踏部に向つて低く傾斜しているので、同じく、足部の外方へのぐらつきが阻止できること及び体の重心が安定した自然な立ち方及び歩行ができるという効果を持つ。

 また、第3引用例に記載されたものも、足の重心を斜面に従い常に内側に位置する作用を有する補助皮を貼着したものであるから、本願発明とほぼ同様の効果を奏する。

 そして、第2引用例及び第3引用例に記載された技術は、運動靴や敷皮だけにしか使用できないものではなく、かつ、第2引用例に記載されたものも偏平な靴底であり幼児靴も偏平な靴底を有するものであること及び第3引用例に記載された敷皮は靴底の一部を構成するものであるから、これらを幼児靴に適用することは、当業者であれば容易に推考できる程度のことである。

 また、Bについては、第1引用例も幼児靴であつて、幼児用として用いる場合は、必要以上の厚さのものはかえつて不安定となるので、その厚さを0.5mmないし1.0mmに限定した点は、当業者であれば適宜採用する設計事項にすぎず、また、敷板を均一な肉厚に形成する点は、第1引用例のものにおいても踵片を前後方向に均一な肉厚にした点が記載されている。しかも、Bの限定による本願発明の「歩行中足が前方向へ滑動することなく、敷板(3)上に安定よく支持され、したがつて、足が前方向に滑り、足指が靴の内面前端に衝接して柔弱な幼児の足指を痛め、その健全な発育を阻害するおそれが全く無い。」という効果は、第1引用例もほぼ同様に備えるものであり、その間に格別顕著な差異はない。

 そして、前記A及びBの限定事項を総合して検討しても、本願発明は、第1引用例ないし第3引用例に記載されたもののそれぞれが有する作用効果から予想される以上の格別顕著な効果が期待されるものとも認められないので、結局、本願発明は、前記各引用例に記載されたものから当業者が容易に発明をすることができたものであり、特許法第29条第2項(進歩性)の規定により特許を受けることができない。

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E特許出願人(原告)が主張する取消事由は次の通りです。

(イ)審決が、次の通り、各引用例との間に存する本願発明の構成上の本質的な差異及び顕著な作用効果を看過し、その進歩性を否定したのは、判断を誤つており、違法であるから、取消されねばならない。

(ロ)本願発明は、体の重心に向けて第5趾近傍から踵部内側縁前端に向けて内斜側を1つの円弧状に形成した敷板を靴底に固着一体化した構成により、足部の骨格や筋肉が十分に発達しておらず、足の裏に脂肪が多く、球状に近い状態となつていて直立した時、重心の動きが前後、殊に横に大きく不安定である幼児の歩行時における体の重心の安定を確保するものであるが、かかる技術的思想は、各引用例に何ら開示されるところではない。

(ハ)第1引用例に記載のベビーシユーズは、シユーズの平坦な底片の接地面の踵部及びシユーズ内面の平坦な中底面の踵部内にそれぞれ防滑用踵片を接着したものであるが、これは、あくまで踵部に形成されているものであつて、幼児が直立したときに、「足裏に脂肪が多く踵部がほとんど球状に近くて重心の動きが殊に横に大きく不安定である」事実に何の配慮もされていないので、履用した幼児が自然な立ち方及び歩行を安定してできるという効果においても、格段の差異を有するものである。

(ハ)第2引用例の弾性版は、内側の切線が足腹部(5)と土不踏部(6)の2個の構成部分からなり、足腹部(5)、土不踏部(6)の2個の円弧部分の接点ならびにその近傍が内方へ突出することとなつて、これを履用したとき、体の重心を決定し難く、本願発明の敷板とは、それぞれの構成ならびに作用効果において、極めて大きな差異があり、本願発明の敷板と第2引用例の弾性版とが、その平面形状についてほぼ同じ形状のものとは到底いいえない。

(ハ)第3引用例の靴用敷皮は、外側周縁に踵部より爪先部にわたつて斜面をもつ補助皮を貼着したものであり、この靴用敷皮を内設した靴を幼児に履用させた場合、幼児の足は滑動し易く、しかも、体の重心が決定しにくく、自然な起立状態を到底維持できないことは明らかである。

(ニ)敷板の厚さの限定が当業者の適宜採用しうる設計事項であることは争わないが、敷板を0.5mmないし1.0mmの均一な肉厚に限定したことと、前記構成との結合により、乳幼児が履いたとき、体の重心が極めて簡単に決定でき、「振れ」も極めて小さく、足部の外方へのぐらつきが阻止でき、体の重心が安定した自然な立ち方及び歩行ができるという作用効果が極めて顕著であつて、これは、いわゆるピドスコープによる実験によつても十分確認されている。


 [裁判所の判断]
@裁判所は、本件特許出願の発明及び引用発明に関して次のように事実認定しました。

(イ)本願発明が、足部の骨格や筋肉が十分に発達しておらず、足の裏に脂肪が多く球状に近い状態となつていて、直立したとき重心の動きが前後、特に横に大きく不安定である幼児の歩行時における体の重心の安定を確保するために、第5趾近傍から踵部内側縁前端にわたる内斜側を体の重心に向けて1つの円弧状に形成した敷板を靴底に固着一体化した構成を有することは、当事者間に争いがない。

(ロ)成立に争いのない甲第1号証ないし第6号証によると、つぎの事実が認められる。

(ハ)第1引用例に記載されたベビーシユーズは、シユーズの平坦な底片の接地面の踵部及びシユーズ内面の平坦な中底面の踵部にそれぞれ防滑用踵片を接着しているが、これら踵片の平面形状は、いわゆるシユーズの踵部の平面形状と同一であり、靴の内部における足裏のすべりと、靴底接地面のすべりを防止し、その作用によつて幼児の足に疲労を与えずに歩行を安全にするものではあるが、本願発明の前記のような幼児の歩行時における体の重心の安定をはかる技術的思想は何ら示されていない。

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(ニ)また、第2引用例に記載された運動靴は、マラソン競技等における走行用のものであつて、当底と本底との間に、前方足腹部、土不踏部より、その後方踵部及び外側部に向つて厚さを漸増し、かつ、土不踏部を土不踏の内側形状に合せて欠除し、前端は足腹部の外側で終るように土不踏部前端から斜めに内反り円弧状に切除された弾性版を接着するとともに、本底も土不踏の形状に合せて欠除しているが、これは、走行中の衝撃緩和と爪先部の踏張力の減退の防止をはかり、また、土不踏部の外側を、踵部と足腹部と連続した1面に形成し、本底に接地による撓みや角を生じないようにして、土不踏部の肉刺防止をしようとしたものであつて、その弾性版の円弧状の形成も土不踏の内側形状に合せて前端が足腹部の外側で終るように斜めに切除したものであるから、前記のとおりの本願発明における敷板の円弧状の形成と、その形状は全く相違する。また、作用効果においても、土不踏の円弧部分と、その前端から足腹部の外側で終るようにした斜めの切除部分とが互いに独立して設けられた構成となつているから、殊に、脂肪が多くベタ足状態であり、踵部が殆んど球状に近くて体の重心の動きが横に大きく不安定である幼児特有の足裏状態を考慮すると、これを幼児用靴に適用しても、体の重心を1点に常時向けることは困難である。したがつて、第2引用例に記載されたものには、前記のような幼児の歩行時における体の重心の安定をはかる技術的思想は開示されていないといわねばならない。

(ホ)第3引用例に記載された敷皮は、裏面に補助皮を貼着することにより、その外側周縁より内側に向け、かつ、踵部より爪先部に向かつて斜状に厚さを漸減して、これを靴内に挿入使用する際に足の重心を常に内側に位置するようにし、靴の外減りと同時に上皮部の外側への膨出を防止することを目的としたものであり、これを幼児靴に適用すれば、前記のような特性を持つ幼児の足は靴内において内側及び爪先部方向に滑動し易く、かえつて、体の重心が不安定となるだけでなく、未発達な幼児の足に悪影響を及ぼすおそれがある。したがつて、前記のような点を特徴とする本願発明の技術的思想とは全く異なるものである。

(ヘ)そうすると、前記のような、幼児の歩行時における体の重心の安定を確保するためにとられた本願発明の構成は、各引用例のものと、本質的に異なつており、第1引用例ないし第3引用例に記載されたものから想到されるものではなく、それらを適用しても本願発明におけるような作用効果が期待できないことは明らかである。

(ト)証拠方法及び弁論の全趣旨を総合すると、前述の構成と特性とを持つ幼児用靴の使用時における幼児の体の重心の安定を確保する本願発明の作用効果は、極めて顕著なものであることが認められる。

(ニ)従って審決は、各引用例との間に存する本願発明の目的、構成上の差異及びその顕著な作用効果を看過し、その結果、本願発明の進歩性を否定したものであつて、判断を誤つた違法があり、取消を免れない。


 [コメント]
@特許出願の実務では、“引用発明と比較した有利な効果が明細書等の記載から明確に把握される場合には、進歩性の存在を肯定的に推認するのに役立つ事実として、これを参酌する。”とされています(進歩性審査基準)。特に顕著な発明の効果が存在するときには進歩性の判断に有利に働きます。

A実際には、請求の範囲に記載した発明特定事項の全てが引用例に記載されており、その組み合わせにより顕著な効果が発揮されるというのではなく、特許出願の請求の範囲には要件“A+B+C+D”が記載されているとすると、引用例1には要件のA+Bが、引用例2には要件Cが、引用例3には要件D’がそれぞれ記載されており、引用例1〜3を総合するとA+B+C+D’が得られ、D’とDとの相違は設計的事項に過ぎない、と審査官が判断したが、実はその判断が間違っており、顕著な効果の違いを見逃しているということが多いのです。

B進歩性審査基準によれば技術分野の関連性が進歩性を否定する論理付けの動機の一つに挙げられているので、本件のように引用例1〜3の全てが靴である場合には、同一技術分野であるので、これらを組み合わせることには困難性はなく、そして靴の敷板は一定の用途に使用されるためにある程度構造が似通っています。従って、本件特許出願の明細書及び図面に記載された敷板と外観上似ている先行技術を探せば、それなりに類似の技術が集まることは多いと考えられます。

Cしかしながら、だからといって事後分析的にそれらを組み合わせることは妥当ではなく、それぞれの発明の課題や発明特定事項の技術的意義から、本当に進歩性が否定されるべきかを先入観を持たずに検討することが大切であるということを、この事例は教えていると思料します。


 [特記事項]
 
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