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●平成20年(行ケ)第10026号(拒絶審決取消訴訟/容認)


進歩性審査基準/特許出願/発明の効果/動的な乗り物

 [事件の概要]
@本件特許出願の経緯

 原告は、「動的な乗物」を名称とする発明について米国特許出願を行い、当該特許出願をパリ条約優先権の基礎として、日本国を指定国に含む国際特許出願を行い(特表平8—502921)、進歩性の欠如により拒絶査定を受けたので、拒絶査定不服審判を請求し、そして「本件審判の請求は成り立たない。」との審決がされたので、本件訴訟を提起しました。

A本件特許出願の発明の内容

(i)乗客を乗せ、乗物の外側の環境を通る軌道に沿って動く動的な乗物において、

(a)前記環境に対して軌道に沿って動くシャーシと、

(b)乗客を乗せることができる車体と、

(c)車体をシャーシに接続し、シャーシと独立した車体の調整された運動を行なわせる運動装置と、を有し、

 車体がコーナーを曲がっている時、運動装置により、車体の半径方向内側は、車体の半径方向外側に対して持ち上げられる、乗物。

(ii)乗客を乗せ、乗物の外側の環境を通る軌道に沿って動く動的な乗物において、

(a)前記環境に対して軌道に沿って動くシャーシと、

(b)乗客を乗せることができる車体と、

(c)車体をシャーシに接続し、シャーシと独立した車体の調整された運動を行なわせる運動装置と、を有し、

 車体がコーナーを曲がっている時、運動装置により、車体の前方側は、車体の後方側に対して、半径方向内方に旋回させられる、乗物。

(iii)乗客を乗せ、乗物の外側の環境を通る軌道に沿って動く動的な乗物において、

(a)前記環境に対して軌道に沿って動くシャーシと、

(b)乗客を乗せることができる車体と、

(c)車体をシャーシに接続し、シャーシと独立した車体の調整された運動を行なわせるアクチュエーターと、を有し、車体が前進加速段階にある時、アクチュエーターが、車体の前方側を、車体の後方側に対して、持ち上げる、乗物。

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(iv)乗客を乗せ、乗物の外側の環境を通る軌道に沿って動く動的な乗物において、

(a)前記環境に対して軌道に沿って動くシャーシと、

(b)乗客を乗せることができる車体と、

(c)車体をシャーシに接続し、シャーシと独立した車体の調整された運動を行なわせるアクチュエーターと、を有し、

 車体が減速段階にある時、アクチュエーターが、車体の後方側を、車体の前方側に対して、持ち上げる、乗物。

B本件特許出願の発明の概要は次の通りです。

(ア) 本願発明1〜4は、特に遊園地における動的な乗物の乗客が、乗物によって提供される乗車経験に、より生々しい臨場感や大きなスリル感などを求めることに応えるため、乗客に対して急激な加速や減速、高速での急カーブの曲がりの感覚を提供することを目的とするものである。

(イ)本願発明1〜4は、設計技術上及び安全性の問題から乗物の急激な加速や減速及び急速度での急カーブの曲がりなどの実際の動きが制限されるという事情の下で、上記(ア)の目的を達成するため、乗物が軌道に沿って移動する間に乗客が経験する、乗物の加速時の速度感、減速時の制動感及びコーナでの転回時の曲がりに対する感覚といった乗車時の諸々の動きの感覚に更に同様の動きのシミュレーションを加えることにより、動的乗物がもたらす上記の各感覚を著しく強化し、実際には発生していない乗車経験を提供することができるようにした発明であり、現実には、上記の増強された感覚を発生させるために通常必要とされる速度で乗物を加減速したり、転回したりする必要がないため、安全性を十分に確保することができる、というものである。

 本願発明3は、乗物の前進加速時の加速感を強調するために、乗物10が加速しているときに、アクチュエータが車体22を縦揺れ軸心の周りで前端を加速し、かつ持ち上げることにより急速に後方へ縦揺れさせるもの、

 本願発明4は、乗物の減速時の減速感ないし制動感を強調するために、乗物10が減速しているときに、アクチュエータが車体22の後端を持ち上げることにより急速に前方へ縦揺れさせるもの、

 本願発明1は、乗物がコーナを曲がる時の感覚を強調するために、乗物10がコーナを曲っているときに、シャーシ12に対して概ね水平位置にあった車体22が湾曲した軌道18に対して外方向に転回軸心の周りで転回するもの、

 本願発明2は、乗物がコーナを曲がる時の四輪かじ取りによる滑りの感覚を強調するために、乗物10がコーナを曲がっているときに、乗物10の後輪16が転回方向から離れる方向にかじ取りされることにより、相対的に乗物10の前方側をコーナ内方に旋回して、乗物10の後端が、曲がりの間、外方に旋回して滑る感覚をシミュレートするものです。

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C本件特許出願の先行技術発明の内容

(i)引用例として次のものが存在します

(ア)特開平5−161762号公報(以下「引用刊行物」という。)

 「周回軌道と、

 この周回軌道に沿って進行する台板およびこの台板に搭載されて外界から遮蔽されるとともに内部に座席を設けたカプセルを備えた車両と、

 上記カプセルに設けられたスクリーンに映像を映す映像演出手段と、

 この車両に設けられ周回軌道の途中でカプセルの向きを変える方向変換装置と、

 上記方向変換装置の作動によりカプセルの向きを変更した場合に上記スクリーンを透明にしてこのスクリーンを通して外部を透視することができるスクリーン切換手段と、

 上記周回軌道の途中に位置して車両の外部に設けられ上記スクリーンを通してカプセル内の乗客から見ることができる外部演出手段と、

 上記映像演出手段に同調して、上記台板とは独立して前後、左右に揺動や振動が与えられる上記カプセルを動かすカプセル駆動手段と、

 を備えた軌道走行型観覧装置。」

(ii)乗物に乗車した体感を与える、いわゆるシミュレーション装置技術において、通常、乗物が前進加速をする状況を体感させる方法を示すものとして、次のものが存在します。

(ア) 周知例甲2(特開平5−88604号公報)

 同周知例には、自動車ショールーム等における展示実車の試乗者が走行時の擬似運転感覚を体験できる自動車展示装置が記載されており、さらに次の記載がある。

・「本発明は、ローリング、ピッチング、前後動の3揺動要素を有す揺動テーブル上に実車をそのまま設置し、スクリーン映像に合せて複合揺動運動を起こすことで、発進停止(加減速)時の持続加速感並びに旋回時の持続加速感を重力の代用で再現し視覚と体感のズレを少なくし、よりリアルな体験が出来る様にすることを目的とした。」(段落[0004])、

・「[作用] そして本発明は上記の手段によりローリング、ピッチング、前後動の3揺動要素を組み合わすことで発進停止時(加減速時)の持続加速度感並びにカーブ等の旋回時の遠心力を重力の代用で再現出来る。例えば、加速時は前後動揺動により、揺動台を前方に動かして初期の加速度感を搭乗者に与え、その間にピッチング揺動により揺動台の前方を持ち上げることで揺動台を斜めにして重力の水平成分を発生させ、加速時のシートに押しつけられる感覚(持続加速度感)を重力の水平成分で代用させることが出来る。尚、傾ける速度及び程度は、映像にマッチする様に制御装置で制御を行なう。また旋回時は映像に合せてローリング揺動を行ない、加速時と同様に発生した重力の水平成分を遠心力として代用させることが出来る。」(段落[0007])。

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(イ) 周知例甲3(実願平3−20556号)

 同周知例には、空中飛行の体感が得られる高精度の飛行操縦シミュレータが記載され、次の記載がある。

・「模擬操縦室が上部に設けられたリニアモータ走行装置がリニアモータ用環状レール上を走行し、模擬操縦室に遠心力が作用すると、遠心力補正制御装置が遠心力と模擬操縦室の傾斜角を検知し、必要な傾斜角の補正量を演算して制御信号を出力する。この制御信号は遠心力補正機構部に入力され、同機構部は模擬操縦室の傾斜角を補正し遠心力による横方向力が生じないように制御する。」(段落[0006])

・「模擬操縦室1を搭載したリニアモータ走行装置3は、リニアモータ用環状レール2上を実際の飛行と同様に速度変化しながら走行する。この環状レール3〔判決注:「環状レール2」の誤記と認める。〕上を走行することにより、模擬操縦室1には遠心力が作用するが、・・・遠心力補正制御部4及び遠心力補正機構部5が作用し、・・・模擬操縦室1を傾斜させて遠心力による横方向力が生じないように制御する。」(段落[0009])

・「コンピュータ画像シミュレーションは従来の装置と同様に行われる。・・・」(段落[0011])

(ウ) 周知例甲4(特開平4−51078号公報)及び同5(特開平4−51076号公報)

 上記各周知例にはいずれも二輪車のライディングシミュレーション装置に関する発明が記載されており、

 周知例甲4には、「該模型二輪車の加減速度に応じて車体のピッチ角を可変すると共に、その際に該車体のピッチ角に対応して該ディスプレイ装置に表示される映像を変化させる。・・・模型二輪車の加速時には車体を後傾させ、減速時には前傾させるようピッチ角の変動を行うことにより、実際の二輪車における加減速感をリアルに再現できる。また、同時に映像も上下動させることにより、映像と車体のピッチ動とのずれが生じない。」(2頁左下欄5行〜16行)との記載がある。

 周知例甲5には、「該模型二輪車のロール動の回転中心を車速の上昇に対応して高くなるよう制御している。・・・本シュミレータでは、ロール運動をする際、搭乗者の頭部に加わるG(加速度)が発生する。このGは、ロールレイト(ロール角速度)に比例して発生し、このために実際とは異なる現象(走行フィーリング)が発生するが、上記の如く、ロールセンタを可変とすることにより、ロールレイトに比例しないG制御が可能となり、以って、より実走に近いフィーリングの頭部Gを発生させることが可能となる。」(2頁左上欄19行〜右上欄11行)との記載がある。

D本件特許出願の拒絶審決の内容

 審決は、本願発明1〜4は、特開平5−161762号公報(甲1。以下「引用刊行物」という。)に記載された発明(以下「刊行物記載発明」という。)及び周知の技術事項に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法29条2項の規定により特許を受けることができないとしました。

 (特許出願人が保護を求める本願発明1〜4は独立項であり、進歩性を否定する論理付けは、相互に対応していますので、以下、本願発明3を取り上げて説明します)。

 (ア) 本願発明3及び引用刊行物の一致点と相違点

 「本願発明3と刊行物記載発明とを対比すると、

 両者は、前記《本願発明1〜4において概ね共通する特定》を備えた「乗物」である点で一致するものの、以下の点で相違している。

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 <相違点1> 本願発明3においては、「車体が前進加速段階にある時、アクチュエーターが、車体の前方側を、車体の後方側に対して、持ち上げる」と特定されるのに対して、

 刊行物記載発明においては、この特定を備えるか定かでない点。」

 (イ) 相違点1についての判断

 「当該本願発明3の特定は、「車体の前方側を、車体の後方側に対して、持ち上げる」ことで、通常、乗物に乗車した際に体感される加速感をシミュレートしているものと解される。

 乗物に乗車した人間が、発進時の加速により座席に沈み込む感覚を受けることは、日常的に感じられることだから、これと同様な感覚を与えられつつ、乗物の発進状態を表示画面にみれば発進時の感覚を生むであろうことは、当業者ならずとも容易に理解できる。

 そこで、乗物に乗車した体感を与える、いわゆるシミュレーション装置技術において、通常、乗物が前進加速をする状況をどのように体感させているかについて検討するに、特開平5−88604号公報(本訴甲2)、実願平3−20556号(実開平4−116872号)のマイクロフィルム(本訴甲3)、特開平4−51078号公報(本訴甲4)あるいは特開平4−51076号公報(本訴甲5)等には、車体を模した装置の前方側を後方側より持ち上げることで、発進状態をシミュレートしていることが記載されている。

 よって、当該本願発明3の特定は、車体の前進加速段階をシミュレートする通常の手法でしかなく、当業者ならば必要に応じて従来も行っていることであって、格別なものとはいえない。

 したがって、本願発明3は、刊行物記載発明において車両の発進状態を体感させようとすれば、これの備えている運動装置を使用して周知のシミュレートを行うことで、当業者が容易に発明をすることができたものである。」

E特許出願人が主張する取消事由は次の通りです。

(a)取消事由1(相違点1についての判断の誤り)

(i)審決は、「本願発明3は、刊行物記載発明において車両の発進状態を体感させようとすれば、これの備えている運動装置を使用して周知のシミュレートを行うことで、当業者が容易に発明をすることができたものである」と判断したが、誤りである。

 本願発明3において「車体の前方側を、車体の後方側に対して、持ち上げる」のは、軌道に沿って動く車体が前進加速段階にある時であり、本願発明3は、車体が実際に前進加速段階にある時に、通常体感される加速感に加えてさらに車体の前方側を車体の後方側に対して持ち上げるという構成を採用したことにより、実際の車体の動きにより体感される感覚に加えて、シミュレートした車体の動きにより乗物に乗車した際の感覚を著しく向上させ、通常体感される以上の乗車感覚を経験することを可能とし、また、実際の乗物の速度を、通常それらの感覚を体感させるのに必要とされる速度まで急速に加速する必要がなくなるため、乗客の安全性を最大限に確保しつつ遊戯性を高めるという顕著な作用効果を奏するものである。

 これに対し、刊行物記載発明においては、カプセル内に設けられたスクリーンに映し出される映像又はスクリーンを通してカプセル内の乗客から見ることができる外部演出手段に同調して、周回軌道に沿って進行する台板とは独立にカプセルを前後、左右に揺動及び振動するだけであり、引用刊行物には、相違点1に係る「車体が前進加速段階にある時、アクチュエーターが、車体の前方側を、車体の後方側に対して、持ち上げる」との本願発明3の構成は全く記載も示唆もされていない。

 このように、引用刊行物は、本願発明3の「車体が前進加速段階にある時、アクチュエーターが、車体の前方側を、車体の後方側に対して、持ち上げる」という構成の技術的意義を記載も示唆もしておらず、本願発明3を想到する動機付けとなり得る記載を有するものではないから、当業者が引用刊行物に基づいて「車体が前進加速段階にある時、アクチュエーターが、車体の前方側を、車体の後方側に対して、持ち上げる」との本願発明3の構成を容易に想到し得たとはいえない。

(ii)審決は、乗物に乗車した体感を与える、いわゆるシミュレーション装置技術において、通常、乗物が前進加速をする状況を体感させる方法を示すものとして、周知例甲2〜甲4等には、車体を模した装置の前方側を後方側より持ち上げることで、発進状態をシミュレートしていることが記載されている、と判断している。

 しかしながら、周知例甲3は展示実車の試乗者が走行時の擬似運転感覚を体験できる自動車展示装置に関するものであり、周知例甲2は空中飛行の体感が得られる高精度の飛行操縦シミュレータに関するものであり、周知例甲4、5は共に二輪車のライディングシミュレーション装置に関するものであって、これらの各周知例は、いずれも乗物を実際には移動させることなく、前後動揺動、遠心力、又は車体のピッチ角の調整により、自動車、飛行機又は二輪車等の乗物を実際に運転する際に感じる運転感覚や体感を忠実に再現することを目的とするものである。すなわち、周知例甲2ないし5においては、乗物に与えられる動きは、いずれも刊行物記載発明と同様にスクリーンやディスプレイ装置の映像又はコンピュータ画像シミュレーションによる画面のみと連動して調整され、乗物の実際の前進加速、減速及びコーナーの曲がり等の移動とは全く無関係に行われるのであって、本願発明3の特徴とする「車体が前進加速段階にある時、アクチュエーターが、車体の前方側を、車体の後方側に対して、持ち上げる」構成及びそれにより得られる効果に関しては、全く記載も示唆もされていない。

 このように、周知例甲2ないし5は、本願発明3とは構成上明らかに相違するものであるから、当業者が刊行物記載発明において周知例甲2ないし5の記載を参照したとしても、本願発明3を容易に想到し得たとはいえない。

(b)取消事由2〜4 それぞれ本願発明1、2、4に関するものです。(内容省略)


 [裁判所の判断]
@裁判所は、引用刊行物自体に関して次のように判断しました。
 (本件特許出願の明細書の記載によれば)相違点1に係る本願発明3の構成は、乗物の実際の前進加速により乗客が経験する加速度の感覚を強調するために、乗物を更に加速することに代えて、前進中の乗物に加速度感を生起させる動きを加え、それによるシミュレーション効果により擬似的に実際の加速以上の加速度感を乗客に体験させるとともに、安全性を十分に確保するという点に技術的意義があるものと認められる。

 これに対し、刊行物記載発明は、カプセル内部のスクリーン上の映像に対応して座席等に動きを与え、乗客に映像上の出来事を擬似的に体感させるというものであり、同発明におけるシミュレーション効果は、乗物の実際の動きがもたらす乗客の感覚とは無関係である。また、引用刊行物には、設計技術上及び安全性の問題から乗物の急激な加・減速や急速度での急カーブの曲がりなどの実際の動きが制限されるという事情の下で、動的な乗物に臨場感や大きなスリルなどを求める乗客に対して急激な加速や減速、高速での急カーブの曲がりの感覚を提供するという本願発明3の課題についての記載も示唆もなく、シミュレーション効果の利用という点においては、引用刊行物が従来技術として記載している「従来のシミュレーション式遊戯装置」と同一の技術的思想であるといえる。

 したがって、刊行物記載発明は、動的な乗物においてシミュレーション効果を利用するという点では本願発明3と共通するものの、シミュレーション効果の利用状況についての着想及びそれにより実現される効果の点で本願発明3とは技術的思想を異にするものというべきであって、刊行物記載発明と本願発明3とでは、シミュレーションを利用することの技術的意義が相違するものと認められる。そして、本願発明3におけるシミュレーションの利用の技術的意義については、引用刊行物に記載も示唆も認め難いところ、本願発明3におけるシミュレーションの利用の点が、相違点1に係る構成に当たるから、結局、引用刊行物には、相違点1に係る構成の技術的意義について、記載及び示唆があるものと認めることはできない。

 以上によれば、引用刊行物には、相違点1に係る本願発明3の構成を想到する契機ないしは動機付けとなる記載や示唆があるものと認めることはできない。

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A裁判所は、周知技術に関して次のように判断しました。

 上記周知例の記載によれば、乗物を実際には移動させることなく、あるいは乗物の実際の動きとは異なる態様で、乗物を運転する際に感じる運転感覚や体感を擬似的に体験させるシミュレーション装置はよく知られた技術であると認められる。

 しかしながら、周知例甲2乃至5には、乗物が実際に前進加速している時に、乗客が経験する加速度感を更に強調するために、当該乗物に加速度感を生起させる実際の動きを加え、乗客の前進加速感を擬似的に強調し高めるシミュレーションを行うとの技術的事項が記載されているとは認められないし、これを示唆する記載も見い出すことがことができない。

 そうすると、周知例甲2ないし5によって、擬似的な前進加速感を乗客に与えるシミュレーションを行うことが周知技術であることは認められるものの、前述の本願発明3におけるシミュレーション利用の技術的意義についてまで周知であったと認めることはできず、また、これが当業者にとって技術常識であったことを認めるに足りる証拠もない。さらに、前記アに説示したところに照らせば、上記周知のシミュレーション技術は、本願発明3におけるシミュレーション利用の技術的意義を示唆するものとは認め難いから、相違点1に係る本願発明3の構成を示唆するものとも認められない。
(オ) 以上のとおり、引用刊行物には、相違点1に係る本願発明3の構成を想到する契機ないしは動機付けとなる記載も示唆もないこと、また、周知例甲2ないし5によっては、単に擬似的な前進加速感を乗客に与えるシミュレーションを行うことが周知技術であったと認められるにすぎず、同シミュレーション技術は相違点1に係る構成を示唆するものでもないこと等に照らすならば、刊行物記載発明において上記周知技術を考慮したとしても、当業者において、本願発明3におけるシミュレーション利用の技術的意義を容易に着想し、また、それによる効果を容易に想到し得たとは認められないから、当業者が相違点1に係る本願発明3の構成を容易に想到し得たとは認められない。

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B裁判所は、本件特許出願の発明に対する被告の反論について次のように判断しました。

(ア)被告は、引用刊行物には、乗物を走行させている最中に、乗物上に設けられた手段をもって実際の走行に起因する動き以外の動きを与えることがもともと示唆されており(段落[0034]〜[0035])、車体が前進加速段階を有することも想定されている(段落[0045])と主張する。

 そこで、検討するに、引用刊行物(甲1)には、「ステージ5の情景が動きを伴う映像の場合は、引き続きピッチング用油圧シリンダ54およびローリング用油圧シリンダ55を伸縮作動させて、カプセル40をローリングやピッチング運動をさせる。そして、走行中のスクリーン42に映されていた映像と、上記ステージ5の情景とを連続する環境雰囲気や連続するストーリに設定しておくこともできる。」(段落[0034])、「このような外部ステージ5に展開される情景を見ている時は車両10をその位置に停止させておいてもよいが、低速走行や通常の速度で連続して走行させるようにしてもよい。」(段落[0035])、「スクリーンに映し出される映像は、従来においては屋外に設置されたジェットコースタなどのような、各種の擬似体験遊戯とすることもでき」(段落[0045])との記載がある。

 上記記載によれば、引用刊行物には、「乗物を走行させている最中に、実際の走行に起因する動きに加えて、乗物上に設けられた手段をもって前記動き以外の動きを与えること」との技術事項が示唆されていると認められ、また、スクリーンの映像上において「車体が前進加速段階を有すること」も想定されているといえる。

 しかしながら、引用刊行物の前記の記載に照らすならば、当業者であっても、「乗物を走行させている最中に、実際の走行に起因する動きに加えて、乗物上に設けられた手段をもって前記動き以外の動きを与えること」との技術事項における「前記動き以外の動きを与える」ことを、乗物の前進加速により乗客が経験する乗物の加速度の感覚を強調し高めるシミュレーションを意味するものと理解することは困難であると認められ、また、スクリーンの映像上において「車体が前進加速段階を有すること」についても、これが上記シミュレーションを意味するものと理解することは困難であると認められる。このことは、被告が審決において、刊行物記載発明を前記のとおり認定した上、本願発明3との相違点として「車体が前進加速段階にある時、アクチュエーターが、車体の前方側を、車体の後方側に対して、持ち上げる」との点を挙げていることからも明らかというべきである。

 そうすると、被告の上記主張を考慮しても、引用刊行物に相違点1に係る本願発明3の構成の技術的意義が示唆されているとはいえないから、被告の上記主張は、本願発明3の構成を容易に想到し得たとは認められないという判断を左右するものではない。

(イ)また、被告は、乗物を走行させている最中に、実際の走行に起因する動きに加えて、乗物上に設けられた手段をもって前記動き以外の動きを与え、乗物に乗車した者にそれらの動きが組み合わさった動きを体感させて興趣感を高めることは、従来から当業者にとって技術常識(乙1〜3)であり、乗物の走行のみを行う場合と同程度の感覚を体感させるに当たり、シミュレートを加えることで要する走行に係る加速の度合いを低減できることは、当業者が予測し得る程度のことにすぎないと主張するので、その内容について、検討する。

 乙第1号証は、名称を「軌道走行型模擬乗物装置」とする発明の公開特許公報(特開平5−186号)であり、これには、周回軌道を走行するカプセル型車両の内部にスクリーンを設け、このスクリーンに車両の走行速度に関係のない映像を映し出し、映像に応じて座席又は車両をローリング運動やピッチング運動させて、映像とこれに応じたシミュレーション運動により宇宙遊泳、海中遊覧、ジェットコースタなどの疑似体験させる遊戯乗物装置が記載されている。

 乙第2号証は、名称を「遊戯用乗り物装置」とする発明の公開特許公報(特開平4−164479号)であり、これには、走行レールに沿って走行するゴンドラにバランスウエイトを設け、ゴンドラの乗客による操作に応じて、あるいは、走行するゴンドラがカーブする際の遠心力によって、バランスウエイトを移動させ、これによって、ゴンドラにさまざまな動きを行わせる遊戯用乗り物装置が記載されている。

 乙第3号証は、名称を「疑似体験車両装置」とする発明の公開特許公報(特開昭59−32481号)であり、これには、カプセル型車両が走行する周回軌道に加減速部やカーブを設け、加減速部では、実際には車両の走行速度を変化させず、車両の内部に設けられた映像音響装置から出力される映像や音響を加減速部と同調させて視覚、聴覚と同時に加速感や減速感を増幅して感受させるとともに、乗員に加速感覚を付与するように車両の後方を沈み込ませたり、減速感覚を付与するように車両の前方を沈み込ませたりする疑似体験車両装置が記載されている。

 上記の記載によれば、乙第1ないし3号証には、被告主張の「乗物を走行させている最中に、実際の走行に起因する動きに加えて、乗物上に設けられた手段をもって前記動き以外の動きを与え、乗物に乗車した者にそれらの動きが組み合わさった動きを体感させ」る技術事項が記載されていると認められる。

 しかしながら、上記各乙号証には、当業者が、上記技術事項における「前記動き以外の動きを与え、乗物に乗車した者にそれらの動きが組み合わさった動きを体感させ」ることが、乗物の前進加速により乗客が経験する乗物の加速度の感覚を強調し高めるシミュレーションを意味するものと理解し得るような記載は存在しないから、各乙号証により相違点1に係る本願発明3の構成の技術的意義が当業者にとって技術常識であったとは認められない。

 したがって、被告の上記主張は、その前提とする技術常識が認められないのであるから、採用することはできない。(中略)

 したがって、被告の上記主張は採用することができない。以上のとおりであるから、取消事由1は理由がある。 取消事由2〜4に関しても同様に理由がある。


 [コメント]
@進歩性審査基準によれば、複数の先行発明の組み合わせにより特許出願人の発明となる時であっても、この特許出願人の発明に先行発明に比較して有利の効果があるときには、これを参酌するとされています。

A本件特許出願は、遊園地で使用される乗り物(ジェットコースターなど)であって、乗客がより刺激的な加速度感を体感できるようにするために、単に加速度を増大する代わりに、前進加速段階で乗り物の前側を後ろ側に対して持ち上げるなどの動作をするものであり、他方、引用刊行物は、本願発明と基本構成を開示するに過ぎない乗り物の装置を、周知技術は、加速状況とは無関係な動きをするシミュレーション装置であります。

B装置の動き自体は同じであっても、乗客がより大きな加速度が加わったと錯覚をするような動作をするものではないので、効果が異なると判断されました。

Cまた審判官は、進歩性否定の根拠として、特許出願人の発明の構成に対する示唆が周知例に存在すると主張しましたが、認められませんでした。単にシミュレーション装置のスクリーンの映像に合わせて動きを生ずるというものであり、特許出願人の発明とは技術的な意義が異なると判断されたのです。

D本件特許出願の明細書には、遊園地等のエンターメントの分野では“幻想あるいはごまかし”が効果を奏する旨が記載されています。例えば観客席の上に吊るされたブランコがあり得ないほど大きな動きをするように見えて実は観客席全体が揺れているという如くです。

 本件特許出願の発明はこうした“幻想あるいはごまかし”を巧妙に乗り物に取り入れたもので、「車体が前進加速段階にある時」に前側が持ち上がるという動き(過大な加速度が生じているという乗客の錯覚を誘うフェイクな動き)を行うことは引用例・周知例のどこにも開示されていませんから、構成の相違+顕著な発明の効果が評価されたと考えられます。

Dまた進歩性審査基準には引用文献中の発明の示唆は、進歩性否定の論理付けの有力な根拠となる旨が記載されています。審判部は、“乗物を走行させている最中に実際の走行に起因する動き以外の動きを与えること”が示唆されているので、本件特許出願の発明は進歩性がない旨を主張していますが、実際に先行技術に開示されているのは、ステージ5の情景が動きを伴う映像である場合に合わせて乗り物をローリングさせたり、ピッチングさせることです。これから、加速段階に乗り物の前側を挙げて実際以上の加速度感を体験させるという技術的意義には結び付きませんから、これにより進歩性を否定するのは無理があります。


 [特記事項]
 
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