[事件の概要] |
@本件特許出願の経緯 原告は、発明の名称を「病態モデル動物の作製方法」とする発明について特許出願をし、拒絶査定を受けたので、拒絶査定不服審判の請求し、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決を受けたので、本件訴訟を提起するに至りました。 A本件特許発明の内容 「アセチルコリン又はヒスタミンをモルモットに吸入させ、その吸入開始からモルモットが呼吸困難によって横転するまでの時間を測定し、0.08%のアセチルコリン又は0.025%のヒスタミンに対する横転時間が150秒以下であるモルモットを気道過敏系モルモットとして選抜し、兄妹交配、いとこ交配及び選択交配を組み合わせて少なくとも5世代にわたる継代選抜を行い、上記気道過敏系モルモットの出現率が5世代において90%以上となるように繁殖させて気道過敏系モルモットを作製する方法。 B本件特許出願の発明の概要は次の通りです。 [技術分野]本発明は、均一な高気道感受性又は低気道感受性を有する新規な病態モデル動物を作製する方法に関する。 [発明の目的]実験動物の中で、モルモットは気道過敏性が高くアレルギー反応を惹起しやすいことより、古くから喘息、アレルギーのモデル動物として繁用されてきた。 しかし、モルモットは気道感受性に個体差があり、またマウスやラットとは異なって妊娠期間が長期で一腹産仔数も少なく繁殖が極めて困難で、且つ近交退化しやすいため近交を重ね病態系をつくるのが非常に難しい等の理由から、気道感受性が均一なモルモットストレインは未だ確立されていない。 本発明の目的は、気道過敏系(高気道感受系)又は非気道感受系(低気道感受系)病態モデル動物を作製する方法、並びに該方法にて作製した新規な気道過敏系又は非気道過敏系病態モデル動物を提供することにある。 C本件特許出願前に存在した先行技術は次の通りです。 (a)「Bronchial Reactivities in Guinea Pigs to Acetylcholine or Histamine Exposure」(「モルモットにおけるアセチルコリン及びヒスタミン吸入に対する気道反応性」、Exp.Anim.38(2)、107−113、1989。以下「引用刊行物」という D本件特許に対する拒絶審決の内容は次の通りです。 審決の理由は、別紙審決書の写しのとおりである。要するに、本願発明は、前記「引用刊行物」という)に記載された技術(以下「引用発明」という)及び周知技術に基いて、当業者が容易に発明をすることができたものである、とするものである。 審決の認定した本願発明と引用発明との一致点及び相違点は、次のとおりである。 (一致点) アセチルコリン又はヒスタミンをモルモットに吸入させ、その吸入開始からモルモットが呼吸困難によって横転するまでの時間を測定し、その横転時間に基いて、気道過敏系モルモットを選抜する気道過敏系モルモットを作製する方法。である点 (相違点) (イ)横転時間による選抜に関して、前者(本願発明)が「0.08%のアセチルコリン又は0.025%のヒスタミンに対する横転時間が150秒以下である」のに対して、後者(引用発明)ではそのことが限定されていない点(相違点@) (ロ)交配方法に関して、前者が「兄妹交配、いとこ交配及び選択交配を組み合わせて少なくとも5世代にわたる継代選抜を行う」のに対して、後者ではそのことが記載されていない点(相違点A) (ハ)出現率に関して、前者が「気道過敏系モルモットの出現率が5世代において90%以上となる」のに対して、後者ではそのことが記載されていない点(相違点B) E特許出願人(原告)が主張する取消事由は次の通りです。 [取消事由1(一致点・相違点の誤認)] 省略 [取消事由2(相違点@についての判断の誤り)] (a)審決は、相違点@について、「刊行物1における横転時間の測定においても、0.08%濃度のアセチルコリン、及び0.025%濃度のヒスタミンが用いられている。刊行物1には上記濃度における横転時間がどの程度であれば気道反応性が高いと判断できるかについて具体的には明記されていないものの、例えば縦軸を横転時間とした第5ないし6図の分布図を見れば、150秒以下の横転時間のものが最も気道反応性が高いことは明らかであるので、気道反応性の高いモルモットを選抜する基準となる時間として、「150秒以下」を採用することに格別の困難性は認められない。」と判断した。 (b) (イ)引用刊行物に示された横転時間の測定において、0.08%濃度のアセチルコリン及び0.025%濃度のヒスタミンが用いられていること、(ロ)引用刊行物(第5図及び第6図)に、アセチルコリンあるいはヒスタミン吸入によるモルモットの横転開始所要時間の分布が示されていることは、審決が認定するとおりである。 (c)しかし、上記(イ)の事項は、市販のモルモット群における気道過敏性の検討、すなわち、吸入させる薬物間の相関関係や週齢との関係並びに閾値との相関関係を調べるための薬物濃度として記載されているのであり、継代選抜による気道過敏系モルモットの選抜基準として記載されているわけではない。 また、上記(ロ)の分布に関する事項も、市販のモルモット群についての横転開始所要時間の分布を示すものであって、継代選抜による気道過敏系モルモットの選抜基準として記載されているわけではない。しかも、第5図及び第6図のデータにおける薬物の濃度は、アセチルコリンについては0.1%、ヒスタミンについては0.05%であり、本願発明で特定されている各薬物濃度とは異なっている。 (d)審決の指摘する事項は、いずれも、審決の気道反応性の高いモルモットを選抜する基準となる時間として、「150秒以下」を採用する根拠となり得るものではない。 (e)しかも、審決のいうように、最も気道反応性が高いものが選抜されるべきものであるとすると、第5図及び第6図から、150秒以下ではなく、100秒以下あるいは80秒以下のものが選抜されることになるはずである。 結局、引用刊行物には、選択基準についての記載は、全くないことになるのである。 (f)被告は、本願発明の「0.08%のアセチルコリン又は0.025%のヒスタミンに対する横転時間が150秒以下」という条件は、臨界的な技術的意義を有するとはいえない、と主張する。 (g)しかしながら、各世代において選抜されるモルモットの個体数及び性質は、横転開始所要時間の設定上限値によって変化するものである。選抜基準(選抜目標)の設定は、モルモットの選抜飼育をするに当たって最初に当面する重要な問題であり、選抜目標の設定を誤ると、時間的、労力的、経済的に計り知れない損失を招くこととなるのである。 [取消事由3(相違点Aについての判断の誤り)] 省略 [取消事由4(相違点Bについての判断の誤り] 省略 [取消事由5(顕著な効果の看過)] (a)本願発明で得られる気道過敏系モルモットは、アセチルコリン、ヒスタミン等の気道収縮の起因物質に対して均一な高気道反応性を示し、気管支喘息や鼻アレルギーの研究及び気管支喘息治療剤や抗アレルギー物質の薬効を測定するための病態モデル動物として非常に有用性が高いものである。 このような本願発明の効果は、予測できないものである。 (2)前述したとおり、薬液用量と横転時間により特定されたモルモットの継代選抜による飼育において、近親交配による場合の、あるいは近親交配と選択交配を組み合わせた場合の、各世代における上記モルモットの出現率も、同モルモットの産子能力、成長率、強健性、寿命、それらのファクターに基づく近交退化の程度なども、実際に飼育してみなければわからないことである。また、引用刊行物には、薬液用量と横転時間により特定された本願発明のモルモットの継代選抜による飼育については全く記載されていないのであるから、このモルモットを、近親交配に加えて選択交配を組み合わせて、少なくとも5世代にわたる継代選抜を行い、出現率を5世代で90%以上に達成することは、引用発明からは全く予測できないことである。 (3)本願発明においては、気道過敏系モルモットの出現率は5世代で90%以上であるものと規定している。本願明細書の第1表から明らかなとおり、5世代で90%以上の出現率で生まれた気道過敏系モルモットは、100%の出現率で次世代の気道過敏系モルモットを産んでいるのである。すなわち、90%以上の出現率で生まれた5世代の本願発明の気道過敏系モルモットは、「実質的に100%の出現率で気道過敏系モルモットを産出するモルモット」なのである。したがって、「実質的に100%の出現率で気道過敏性モルモットを産出する系の確立」という効果は、本願発明の効果であり、このような効果は予測することのできないものである。 |
[裁判所の判断] |
@裁判所は特許出願人が主張する取消事由1〜5の全てを退けました。ここでは取消事由2、5に対する判断に関して紹介します。 A裁判所は取消事由2に関して次のように判断しました。 (a)引用刊行物の記載によれば、同刊行物には、@第一製薬(東京)の塩化アセチルコリン及び半井化学(京都)のヒスタミン二塩酸塩を、実験直前に生理食塩液に溶解して使用したこと、A吸入方法は、研究室で通常用いている既報の方法であること、B吸入濃度として、塩化アセチルコリン0.08%(W/V)、ヒスタミン二塩酸塩0.025%(W/V)のものも用いたこと、C各薬物の濃度と喘息症状によって惹起される横転開始所要時間との間には、いずれも用量依存性が観察されるという結果が得られたことが記載されており、しかも、図7、9、10によれば、D0.08%のアセチルコリン又は0.025%のヒスタミンを吸入させた場合の横転開始所要時間は、多くにおいては150秒より長いものの、150秒以下のモルモットもいることも示されていることが明らかである。そうだとすると、引用刊行物に接したが、アセチルコリン又はヒスタミンをモルモットに吸入させることで気道過敏系モルモットを選抜するに当たり、0.08%のアセチルコリン又は0.025%のヒスタミンを吸入させてみようと考えることに、格別困難性はない、ということができる。 (b)また、引用刊行物には、各薬物の濃度と喘息症状によって惹起される横転開始所要時間との間には、いずれも用量依存性があることも、0.08%のアセチルコリン又は0.025%のヒスタミンを吸入させた場合の横転開始所要時間も上記のとおり示されているのであるから、横転開始所要時間の基準として「150秒以下」を採用し、150秒以下の横転開始所要時間のモルモットを気道過敏系モルモットとして選抜することも、格別の困難なくなし得ることというべきである(気道過敏性のより高いモルモットを選抜しようとすれば、横転開始所要時間を、他の条件が許す限り、より短く設定すべきことになるのは当然である。)。 (c)原告は、引用刊行物の、@横転時間の測定に0.08%濃度のアセチルコリン及び0.025%濃度のヒスタミンが用いられているとの記載は、市販のモルモット群における気道過敏性の検討、すなわち、吸入させる薬物間の相関関係や週齢との関係並びに閾値との相関関係を調べるための薬物濃度として記載されているのであり、継代選抜による気道過敏系モルモットの選抜基準として記載されているわけではない、A引用刊行物(第5図及び第6図)に、アセチルコリンあるいはヒスタミン吸入によるモルモットの横転開始所要時間の分布が示されていることは、市販のモルモット群についての横転開始所要時間の分布を示すものであって、継代選抜による気道過敏系モルモットの選抜基準として記載されているわけではない、B上記第5図及び第6図のデータにおける薬物の濃度は、アセチルコリンについては0.1%、ヒスタミンについては0.05%であって、本願発明で特定されている各薬物濃度とは異なっている、と主張する。 (d)しかしながら、発明の進歩性を判定する際に基準とされる当業者とは、問題となっている発明の属する技術分野の基準時(特許出願日あるいは優先権主張日)における技術常識を有し、研究、開発のための通常の技術的手段を用いることができ、材料の選択や設計変更などの通常の創作能力を発揮でき、しかもその特許出願に係る技術分野及びその特許出願の発明が解決しようとする課題に関連した技術分野の基準時の技術水準にあるものすべてを自らの知識とすることができる者のことである。 (e)引用刊行物によって、「横転開始所要時間」を指標とする気道過敏系モルモットの作製を試みるという動機付けが与えられているのであるから、@同刊行物に示された横転開始所要時間の測定において、0.08%濃度のアセチルコリン及び0.025%濃度のヒスタミンが用いられており、A同刊行物(第5図及び第6図)に、濃度はそれぞれ0.1%、0.05%であって、上記0.08%、0.025%とは異なるものの、アセチルコリンあるいはヒスタミン吸入によるモルモットの横転開始所要時間の分布も示されており、さらに、B同刊行物に0.08%濃度のアセチルコリン及び0.025%濃度のヒスタミンを用いた場合の横転開始所要時間について上記のように記載されているのであれば、同刊行物の筆者がこれらをどのような意図で記載したのかにかかわらず、これらを適宜、継代選抜による気道過敏系モルモットの選抜基準として採用し、吸入させる薬物としては0.08%濃度のアセチルコリン及び0.025%濃度のヒスタミンを、横転開始所要時間としては150秒以下を選択することは、当業者にとって、容易に想到し得る事項である、という以外にない。 (f)この程度の事項を容易推考の範囲外にあるとするのは、人(当業者)の有する理解力や応用力を余りに低く設定するものであり、不合理であることが明らかである。 原告の上記主張は、失当である。 B裁判所は取消事由5に関して次のように判断しました。 (a)原告は、本願発明は、「実質的に100%の出現率で気道過敏系モルモットを産出する系統を確立」したものである、このような系統の確立は本願特許出願当時望まれていたにもかかわらず成功した例はなく、本願発明は長期未解決課題を初めて解決したものである、と主張する。 (b)しかしながら、本願発明の特許請求の範囲によれば、5世代において90%以上の出現率で気道過敏系モルモットを産出するというものであるから、本願発明が「実質的に100%の出現率で気道過敏系モルモットを産出する系統を確立」したものでないことは、明らかである。 (c)原告の上記主張は、前提において既に誤っている。 (d)その余の原告主張の効果は、本願発明の構成そのもの又はその当然の効果というべき範囲のものであり、構成自体に容易推考性の認められる発明に特許性(進歩性)を与えるものとはなり得ない。 |
[コメント] |
@進歩性審査基準によれば、「当業者」とは、本願発明の属する技術分野の特許出願時の技術常識を有し、研究、開発のための通常の技術的手段を用いることができ、材料の選択や設計変更などの通常の創作能力を発揮でき、かつ、本願発明の属する技術分野の特許出願時の技術水準にあるもの全てを自らの知識とすることができる者、を想定した者であるとされています。 従って、気道過敏性の検討を調べるための薬物濃度が引用例に記載されているのであれば、引用例の書き手がそれを市販用のモルモットのために書いたのあれ、気道過敏系モルモットを交配する目的のものに関して書いたのであれ、特別の事情がない限り、本件特許出願の発明に容易に想到できる(進歩性がない)という判断になるのは致し方ないと考えます。 何故なら、日常の産業活動において必要に応じ、技術に手を加え、或いは具体的な技術の適用に伴って設計変更をすることは当業者の通常の創作能力の範囲だからです(進歩性審査基準)。 |
[特記事項] |
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