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今岡憲特許事務所マーク


●平成13年(行ケ)第64号


進歩性/特許出願/阻害要因/中空糸膜分離ユニット

 [事件の概要]
@本件特許の経緯

 原告は、中空糸膜分離ユニットと称する発明について

 平成2年6月29日に特許出願を行い、

 平成11年6月18日に特許権の設定登録を受けましたが(特許第2939644号)、

 その後本件特許について特許異議申立がされたため、

 平成12年7月31日に本件特許出願の願書に添付した明細書(本件明細書)の特許請求の範囲の訂正を行い、

 平成12年12月27日に特許庁が“訂正を認める。請求項1に係る特許を取り消す。”旨の決定をしたため、本件訴訟に至りました。

A本件特許の請求項1(訂正後)

 高分子材料よりなる複数の中空糸膜を結束し、

 この中空糸膜の結束端部における中空糸膜相互の隙間を封止剤によって封止し、かつ結束端部を封止した中空糸膜をハウジングに収納した中空糸型膜分離ユニットにおいて、

 上記中空糸膜の材質をオレフィン系樹脂のうちポリプロピレンとし、かつ封止剤の材質をオレフィン系樹脂のうちポリエチレンとすると共に、

 この封止剤の融点は、中空糸膜の融点より低温域であり、その加工温度は、中空糸膜の融点より低く、かつ封止剤の融点以上の雰囲気下の温度であり、

 この加工温度で封止剤と中空糸膜結束端部を加熱し、

 中空糸膜端部を溶融させることなく封止剤を溶融流動状態にした後に、封止剤を冷却固化させて中空糸膜の結束端部の中空糸膜相互の隙間を封止し、

 更に、分離ユニットを構成する接液部材であるハウジングを前記封止剤や中空糸膜と同一系統のオレフィン系樹脂で成形したことを特徴とする中空糸膜分離ユニット。

[本件特許発明] (1…中空糸膜 2…結束端部)

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B本件特許発明の概要

 分離膜を用いた分離ユニットは、逆浸透・限外濾過・透析・気体分離など様々な産業分野に用いられます。実用的に分離膜単独で使用されることは殆どなく、支持体などの補強材とともに組み立てられ、ユニットとして用いられます。この場合に、補強材と分離膜とを同系統の材料で形成することは技術常識として当然と考えられています。分離膜の態様として平板膜と中空糸膜とがあり、前者は補強材及び分離膜を同一素材で形成することが容易、後者は小型化し易いという特色があります。中空糸膜方式は、多数の中空糸を結束し、結束端部で糸同士の隙間を封止剤で封止して構成します。この封止剤の素材として何を用いるかが問題であり、その選択次第では用途が限定されてしまう恐れがあります。

本件発明の目的は、「中空糸膜及び中空糸膜結束端部における中空糸膜相互の隙間を封止する封止剤をいずれも耐薬品性、耐溶剤性に比較的優れた素材を採用することにより分離ユニット全体が耐溶剤性、耐薬品性等に優れ、しかも、安価で小型化を可能とした中空糸型膜分離ユニットを提供すること」です。

 本件発明の構成の特徴の一つは、中空糸膜の材質をポリプロピレンとし、かつ封止剤の材質をポリエチレンとしたことです。その理由は、特許出願の願書に添付された明細書の記載によれば、“耐薬品性、耐溶剤性に優れ、かつ汎用で安価な”材料であることですが、これとは別に本件訴訟において特許権者は次のように説明しています。

・ポリエチレンを溶融時に流動性の高い材料である。

・封止剤の流動性は、封止剤が中空糸膜相互間の間隙及び中空糸表面の孔に進入し、楔の様に封止剤自身を中空糸膜上に固定する効果(アンカー効果)を発揮するための要件である。

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C本件特許出願の先行技術は、次の通りです。

(a)特開平1−218605号公報(刊行物1)

・刊行物1発明の目的は、(近年、耐熱・耐薬品性中空糸状半透膜素材としてフッ素樹脂が提案されているが、エボシキ樹脂などの熱硬化性樹脂では該フッ素樹脂より耐熱・耐薬品性が劣るため、充分に中空糸状半透膜の性能を発揮できない、…熱硬化性樹脂と外筒部との素材が異なり、熱膨張率が違うため、該モジュールが高温流体と低温流体とに交互に晒されると外筒部と熱硬化性樹脂との間で剥離が起こったり、熱硬化性樹脂に亀裂が入るなどの不具合を生ずる)という問題点を解決するため

 「中空糸状半透膜が本来持つ耐熱性・耐薬品性・低溶出性・耐冷熱履歴性を低減させることのない、中空糸状濾過モジュールを提供すること」です。

・刊行物2の発明の構成の特徴は「中空糸とスリーブの間で該中空糸と同一素材のシール部材を介して液密的に熱融着されて開口端部を形成している」ことです(特許請求の範囲)。

(b)特開昭64−47409号公報(刊行物2)

・刊行物2発明の目的は、

 (エボキシ系、ポリウレタン系の接着剤が使用されている従来のモジュールは溶出物が多く、高純度が要求される超純粋製造などには使用できなかったことに鑑み)

 溶出物の極めて少ない、耐薬品性、耐熱性に優れた中空糸モジュールを提供することです。

・当該発明の構成は、「中空糸の転移点よりも低い融点を持つ樹脂で中空糸の端部が固定されていることを特徴とする中空糸モジュール」です(特許請求の範囲)。

D本件特許出願に対する審決の内容は、次の通りです。

(a)本件発明は、刊行物1及び刊行物2に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであり、特許法29条2項(進歩性)の規定に該当し特許を受けることができないものであり、本件発明の特許は、拒絶の査定をしなければならない特許出願に対してされたものと認められるから、取り消されるべきものである。

(b) 刊行物1には、「中空糸型濾過モジュール」に関し、中空糸状半透膜の素材として、オレフィン系樹脂のうちのポリプロピレン、ポリエチレンが例示され、かつ、中空糸の材質とシール部材(本件発明の封止剤に相当)及び外筒(本件発明のハウジングに相当)は同一素材からなる中空糸型濾過モジュールが記載されている。(中略)

 そうすると、中空糸状半透膜の素材にポリプロピレンを選択した場合には、刊行物1には、「高分子材料よりなる複数の中空糸膜を結束し、この中空糸膜の結束端部における中空糸膜相互の隙間を封止剤によって封止し、かつ結束端部を封止した中空糸膜をハウジングに収納した中空糸型膜分離ユニットにおいて、上記中空糸膜の材質をオレフイン系樹脂のうちポリプロピレンとし、かつ封止剤の材質をポリプロピレンとすると共に、封止剤と中空糸膜結束端部を加熱し、中空糸と封止剤を溶融接着した後に、封止剤を冷却固化させて中空糸膜の結束端部の中空糸膜相互の隙間を封止し、更に、分離ユニットを構成する接液部材であるハウジングを前記封止剤や中空糸膜と同一系統のオレフィン系樹脂で成形したことを特徴とする中空糸膜分離ユニット。」の発明(刊行物1発明)が記載されていると云える。

(c)本件発明と刊行物1発明とを対比すると、両者は、次の一致点及び相違点がある。

[一致点]

「高分子材料よりなる複数の中空糸膜を結束し、この中空糸膜の結束端部における中空糸膜相互の隙間を封止剤によって封止し、かつ結束端部を封止した中空糸膜をハウジングに収納した中空糸型膜分離ユニットにおいて、中空糸膜の材質をポリプロピレンとし、封止剤と中空糸膜結束端部を加熱し、封止剤を溶融流動状態にした後に、封止剤を冷却固化させて中空糸膜の結束端部の中空糸膜相互の隙間を封止し、更に、分離ユニットを構成する接液部材であるハウジングを同一系統のオレフィン樹脂で成形した中空糸膜分離ユニット」

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[相違点]

(i)相違点1:本件発明では、封止剤の材質を中空糸膜より融点の低いオレフィン系樹脂のうちのポリエチレンとするのに対して、刊行物1発明では、封止剤の材質が中空糸膜と同一素材のポリプロピレンである点。

(ii)相違点2:本件発明では、加工温度が中空糸の融点より低く、封止剤の融点以上の雰囲気下の温度であるのに対して、刊行物1発明では、加工温度がいわば封止剤を溶融して中空糸膜相互を溶融接着させる程度の温度である点。

(iii)相違点3:本件発明では、中空糸膜結束端部を溶融させることなく封止剤を溶融流動状態にして中空糸膜相互の隙間を封止するのに対し、刊行物1発明では、中空糸膜と封止剤が溶融接着して中空糸膜相互の隙間を封止する点。

(d)次に、これら相違点(i)〜(iii)について検討する。

 (i)相違点1については、「中空糸膜分離ユニット」において、その封止剤を中空糸膜より融点の低い材質とすることは、例えば上記刊行物2によって既に公知の事項であり、その材質についても、中空糸や封止剤の材質として「オレフィン系樹脂」等が選択されること(刊行物1や刊行物2参照)や、具体的なオレフィン系樹脂としては例えばポリプロピレンやポリエチレンであること(刊行物1参照)も周知の事項である。

 加えて、刊行物2には、中空糸の材質として「フッ素系樹脂、オレフィン系樹脂、イミド系樹脂、・・・」が、また封止剤の材質として「フッ素系樹脂、オレフィン系樹脂、イミド系樹脂・・・」がそれぞれ例示されており、そして、この例示によれば、中空糸と封止剤に共に「オレフィン系樹脂」を選択する組合わせが含まれることも明らかである。

 また、この「オレフィン系樹脂」としてポリプロピレンとポリエチレンが汎用されていることも上述の通りであるから、刊行物2には、結局のところ、中空糸と封止剤の材質の組合わせとして「ポリプロピレン」と「ポリエチレン」の組合わせが示唆されていることも当業者にとって明らかである。

 してみると、中空糸膜をポリプロピレンとする刊行物1発明において、中空糸膜より融点の低いポリエチレンを封止剤とすることも、上記刊行物2の記載をもってすれば当業者にとって容易に想到することができると云うべきである。

 そして、本件発明の効果である「中空糸膜及び中空糸膜結束端部における封止剤をオレフィン系樹脂とすることにより・・・分離ユニット全体を耐溶剤性、耐薬品性等に優れているばかりでなく、安価で小型化を可能とした中空糸型膜分離ユニットを提供することができ、」(特許公報第6欄第20行〜第24行)については、刊行物1及び2の記載から、また「また、オレフィン系統の樹脂であっても中空糸膜と封止剤とに融点差があり、・・・中空糸膜端部を確実に封止することができる」いう効果についても、刊行物2の記載からそれぞれ当業者が容易に予想することができる程度のものであると云える。

(ii)相違点2の加工温度については、中空糸膜と封止剤の材質の異同に伴って当然に考慮されるべき技術的事項であり、融点の異なる材質を使用した刊行物2の具体例にも本件発明のような加工温度が明示されているから、融点の異なる中空糸膜と封止剤を材料選択した場合には当業者であれば容易に想到することができるものである。

(iii)相違点3の「中空糸膜結束端部を溶融させることなく」については、その効果が必ずしも明確ではないが、中空糸自体の融着による中空糸端部の中空部消失や変形の防止のためであれば、これを「目止め」により防止する刊行物1発明とは、その構成上相違すると云えるが、融点の異なる材質を使用した刊行物2の具体例でも、中空糸相互の封着に際し上記「中空糸膜結束端部を溶融させることなく」ということが行われていることも明らかだから、この点も刊行物2の記載から当業者が容易に想到できる程度のものであると云える。

E特許権者が主張する取消事由は次の通りです。

(a)取消事由1(相違点1の判断の誤り)

 本件決定は、「本件発明では、封止剤の材質を中空糸膜より融点の低いオレフィン系樹脂のうちのポリエチレンとするのに対して、刊行物1発明では、封止剤の材質が中空糸膜と同一素材のポリプロピレンである点」を「相違点1」と認定した上、相違点1に係る構成は、当業者にとって、刊行物2の記載により容易に想到し得るものと判断したが、誤りである。

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(イ)同一系統の樹脂の組合せ

 本件決定は、刊行物2に中空糸及び封止剤の双方にオレフィン系樹脂を選択する組合せが例示されているとし、被告は、刊行物2の二つの実施例に基づいて、同一系統の樹脂同士の組合せが良いことが示唆されていると主張する。しかしながら、刊行物2は、中空糸に用いる樹脂として、フッ素系樹脂、オレフィン系樹脂等6種類の有機高分子樹脂群のほか、無機系の樹脂群等多数のものを挙げており、一方、中空糸束端部を固定するために用いる樹脂として、フッ素系樹脂、オレフィン系樹脂等6種類の有機高分子樹脂群を挙げているが、実施例は、このうちフッ素系樹脂に関するもののみである。刊行物2には、中空糸及び封止剤の双方に同一系統の樹脂を選択する組合せがよいことの記載はなく、上記の実施例からこれを導くこともできないから、中空糸及び封止剤の双方に同一系統の樹脂を選択する組合せが良いことが示唆されているということはできない。

(ロ)刊行物1と刊行物2の組合せ

 ポリプロピレンから成る中空糸とポリエチレンから成る封止剤の組合せは、熱融着しない樹脂同士の組合せであるから、この組合せのみにより中空糸膜端部を確実に封止することはできない。

 刊行物1は、中空糸と封止剤が液密的に熱融着されていることを特徴とし、従って中空糸と封止剤が液密的に熱融着し得ない樹脂の組合せは、むしろ積極的に否定している。そうであれば、ポリエチレンとポリプロピレンが熱融着しないことは、当業者にとって周知の技術的知見であるから、刊行物2において、中空糸及び封止剤の素材として、いずれもオレフィン系樹脂が開示されているとしても、中空糸と封止剤が液密的に熱融着することを必須の要件としている刊行物1との組合せは、阻害されるし、刊行物2を適用するとしても、刊行物1が液密的な熱融着を必須の要件とすることに起因して、樹脂選択の幅が限定され、熱融着しないポリエチレンとポリプロピレンを選択する組合せは排除されざるを得ない。

(ハ)アンカー効果

 アンカー効果とは、流動性の良好な封止剤が中空糸膜相互間の間隙及び中空糸表面の孔に進入し、くさびのように封止剤自身を中空糸膜上において固定する効果(以下「アンカー効果」という。)であるが、形成された孔の中に液状となった封止剤が侵入することが発生条件であるから、中空糸膜に形成された孔径と、中空糸膜を封止剤によって封止する際に侵入すべき封止剤の粘度との相関によって、これが発生したり発生しなかったりする。

 刊行物2発明において、中空糸束の端部を固定するために用いる樹脂は、中空糸の転移点よりも低い融点を持つ樹脂であれば、フッ素系樹脂でもイミド系樹脂でも良いと明記されている。そして、フッ素樹脂に軟化点がなく、溶融しても軟化変形しないことや、イミド樹脂に融点がなく、そもそも溶融しないことは、当業者にとって明らかである。

 アンカー効果を得る前提としては、少なくとも、中空糸端部を固化させる樹脂が液化しなければならず、その場合の液化した樹脂の粘度が高くなく、遠心法を用いるという三つの条件が充足される必要がある。しかし、刊行物2には、遠心法について言及があるものの、中空糸に用いることができるとされる樹脂のうち、フッ素樹脂は軟化点がなく、溶融しても軟化変形しないし、イミド樹脂に融点がないことは当業者に明らかである。刊行物2発明は、封止剤と中空糸の端部が融着固定されれば足り、封止剤が軟化点や融点を持つかどうかについて全く関心がないのであるから、封止剤となる樹脂が液化することを要求しているわけではなく、溶融時において粘度が低いということも要求しているわけではないのであって、アンカー効果による固着を要素とする本件発明の技術的思想とは異なるものである。

(ニ)中空糸膜端部を確実に封止する効果

 本件決定は、本件発明が中空糸膜端部を確実に封止することができるとの作用効果を奏する点について、刊行物2の記載から当業者が容易に予想することができる程度のものであると判断するが(決定謄本6頁第4段落)、この点も誤りである。刊行物2には、その作用効果として確実な封止ができるとは明記されておらず、唯一、実施例において、エアーリークテストを行ったがシール漏れは見られなかったと記載されているにとどまる。従って、刊行物2発明の構成要件により開示されている内容のみにより、必ず確実に封止をするという本件発明の顕著な作用効果を予測することはできない。

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(b)取消事由2(相違点2に対する判断の誤り)

 本件決定は、「本件発明では、加工温度が中空糸の融点より低く、封止剤の融点以上の雰囲気下の温度であるのに対して、刊行物1発明では、加工温度がいわば封止剤を溶融して中空糸膜相互を溶融接着させる程度の温度である点」を「相違点2」と認定した上(決定謄本5頁第5段落)、相違点2に係る構成は、刊行物2により、当業者が容易に想到し得るものとしたが、誤りである。

 刊行物2発明の作用効果は、溶出物の極めて少ない対薬品性、耐熱性に優れた中空糸モジュールを得ること、中空糸膜の溶融、変形のないことに尽き、この二つの作用効果を得るために刊行物2発明で必要となる加工温度の条件は、中空糸膜の転移点以下で封止剤の融点以上であることのみである。

 他方、本件発明は、熱融着しないポリプロピレン製の中空糸とポリエチレンの封止剤の組合せであっても、アンカー効果によって中空糸膜端部を確実に封止するものであるから、封止剤は、単に溶融するだけでは足りず、流動性の高い状態となることを要する。この様な差異があるため、刊行物2に接した当業者が本件発明の加工温度に想到することはできない。

(c)取消事由3(相違点3に対する判断の誤り)

 本件決定は、「本件発明では、中空糸膜結束端部を溶融させることなく封止剤を溶融流動状態にして中空糸膜相互の隙間を封止するのに対し、刊行物1発明では、中空糸膜と封止剤が溶融接着して中空糸膜相互の隙間を封止する点」を「相違点3」と認定した上、相違点3に係る構成は、刊行物2に接した当業者が容易に想到し得るものとしたが、誤りである。

 すなわち、本件発明において、封止剤が溶融流動状態になることが、中空糸膜の結束端部を封止するために必要である。中空糸モジュールを得る場合、どのような方法及びメカニズムによって中空糸同士の隙間に封止剤を充填するのかが重要な問題であり、本件発明においては、溶融した封止剤の流動性の良さによりこれを解決しようとし、溶融時に流動性の高いポリエチレンを封止剤として特に採用したのである。

 刊行物2には、封止剤に流動性を必要とすることの示唆もなく、むしろ、封止剤が中空糸の転移点よりも低い融点を持つ樹脂であれば、流動性の善し悪しは関係がないと言い切っており、封止剤自体の流動性を利用するという技術的思想はない。

F特許庁(被告)の反論(要旨)は次の通りです。

{取消事由1(相違点1の判断の誤り)について}

(a)刊行物2の3頁右下欄の比較例には、中空糸及び封止剤に使用する樹脂の双方が共にテトラフルオロエチレン−パーフルオロアルキルビニルエーテル共重合体である例が示されており、この場合には、固定端部以外で中空糸の融着、変形が生じて使い物にならなくなったと記載されているから、このような刊行物2の記載から、中空糸及び封止剤の材料選択に際しては、両者の素材を同一とする場合に問題点があり、接着に使用する樹脂の融点を中空糸の転移点よりも低く設定する必要性が見いだされた。

(b)刊行物2に記載された二つの実施例には、中空糸及び封止剤の双方に同一系統の樹脂を選択する組合せが良いことも示唆されており、また、刊行物2発明が実施例の素材に限定されるものではない。刊行物2のこのような知見からみれば、刊行物1発明のポリプロピレン製中空糸にポリプロピレン樹脂を封止剤として使用する態様について、中空糸と同じ樹脂を端部固定に使用する場合の問題点は、当業者にとって容易に予見し得る。

(c)刊行物1にも、モジュールを構成する部材の少なくとも接液部が熱可塑性樹脂より成り、望ましくは、同一素材より成ることを特徴とする(2頁左下欄)と明記されているように、モジュール構成部材を同一素材とすること自体を必須とするわけではなく、単に望ましい態様として同一素材の使用が推奨されているにすぎないから、刊行物1にも、中空糸と異なる樹脂の使用について阻害要因が示されているものではない。

(d)ポリエチレンは、耐溶剤性、耐薬品性に優れ、中空糸モジュールの構成部材の樹脂として何ら問題はなく、ポリプロピレンと同じオレフィン系樹脂に属する汎用で安価な材料であって、その融点がポリプロピレンより低いことも周知の事項であるから、当業者がポリプロピレンの中空糸膜とポリエチレンの封止剤の組合せに想到することは容易である。

 [裁判所の判断]
[裁判所の判断]

@裁判所は、特許権者が主張する取消事由1に関して次のように認定しました。

(a)同一系統の樹脂の組合せ

 刊行物2には、中空糸及び封止剤の双方に同一系統の樹脂を選択する組合せが良いとの明示的記載がないところ、被告は、刊行物2に記載された二つの実施例がこのことを示唆していると主張する。

 そこで、判断するに、刊行物2には、実施例1として「外径0.7mm内径0.4mmのテトラフルオロエチレン重合体(融点327℃)製の多孔性中空糸400本をU字型に束ねた糸束の先端部50mmを静かにテトラフルオロエチレン−ヘキサフルオロプロピレン共重合体(融点270℃)の水性ディスパージョン(固形分50wt%、粘度20cp、比重1.4)中に15秒間浸積し」(3頁右上欄)と記載され、実施例2として「実施例1と同一の中空糸束をハウジングシール用部材の中央に固定し、バイブレーターを併用しテトラフルオロエチレン−パーフルオロアルキルビニルエーテル共重合体(融点310℃)パウダーを中空糸相互間および中空糸とシール用部材間に充填した状態で」(同頁右下欄)と記載されているから、これら二つの実施例は、いずれも、中空糸及び封止剤の双方に同じフッ素系の樹脂を選択する組合せを採用したものである。

 他方、刊行物2には、「本発明(刊行物2発明)でいう中空糸には特に制限は無いが、対薬品性、耐熱性で優れているフッ素系樹脂、オレフィン系樹脂、イミド系樹脂、アクリロニ通りル系樹脂、アミド系樹脂、エステル系樹脂などの樹脂系、あるいはアルミナ、ジルコニアなどのセラミック系、ガラス系、炭素系などの中空糸が好ましい。・・・本発明で中空糸束の端部を固定するために用いる樹脂は、中空糸の転移点よりも低い融点を持つ樹脂であればすべてよく、フッ素系樹脂、オレフィン系樹脂、イミド系樹脂、アクリロニ通りル系樹脂、アミド系樹脂、エステル系樹脂などが好ましい」(2頁左上欄〜右上欄)と記載されている。そうすると、刊行物2においては、中空糸に用いる樹脂として、フッ素系樹脂、オレフィン系樹脂等、6種類の有機高分子樹脂群のほか、無機系の樹脂群等多数のものが挙げられており、中空糸端部を固定するために用いる封止剤として、フッ素系樹脂、オレフィン系樹脂等6種類の有機高分子樹脂群が挙げられているから、このような中空糸及び封止剤に用いる樹脂の組合せは、極めて多数に上り、たまたま、二つの実施例がいずれも中空糸及び封止剤の双方に同じフッ素系の樹脂を選択する組合せを採用しているからといって、刊行物2が中空糸及び封止剤の双方に同一系統の樹脂を選択して組み合わせるべきことまでを開示しているということはできない。

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(b)刊行物1と刊行物2の組合せ

 刊行物1に「(刊行物1発明の)中空糸型濾過モジュールは・・中空糸とスリーブあるいは中空糸とスリーブの間で該中空糸と同一素材のシール部材を介して液密的に熱融着されて開口端部を形成している事を特徴とする。更には、スリーブと外筒・外筒部の胴体とキャップ部を各々相互にあるいは各部材の間に該部材と同一素材よりなるシール部材を介して液密的に熱融着されている事を特徴とする」旨の開示があることに当事者間に争いがない。

 そうすると、刊行物1は、中空糸と封止剤とが液密的に熱融着し得ない樹脂の組合せは、刊行物1発明に当たらないものとして排除していることになるから、刊行物1に接した当業者にとって、両者が熱融着しないことが周知であるポリエチレンとポリプロピレンの組合せに想到することは、刊行物1自身によって阻害されるというべきである。

 刊行物2においては、上記の通り、中空糸及び封止剤の双方の素材としてオレフィン系樹脂を選択する組合せが開示されている。しかしながら、刊行物2において、中空糸及び封止剤に用いる樹脂の組合せは極めて多数に上るから、単に中空糸及び封止剤の双方にオレフィン系樹脂を選択する組合せが記載されているからといって、ポリエチレンとポリプロピレンの組合せに容易に想到し得ないことに加え、刊行物1は、当業者にとって、中空糸及び封止剤が液密的に熱融着し得ない樹脂の組合せに想到することを阻害しているから、この点でも、中空糸にポリプロピレンを採用し、封止剤にポリエチレンを採用するという本件発明の構成は、当業者にとって、容易に想到し得るものということはできない。

(c)アンカー効果

 原告は、「アンカー効果」という用語を、「流動性の良好な封止剤が中空糸膜相互間の間隙及び中空糸表面の孔に進入し、くさびのように封止剤自身を中空糸膜上において固定する効果」と定義した上、アンカー効果によって、熱融着しないポリプロピレンとポリエチレンを本件発明において採用することが可能になると主張する。そして、発明の名称を「中空糸膜モジュールの製造方法」とする特開昭61−97005号公報(乙2)の[従来の技術]欄には、「中空糸膜として多孔質膜を使用した中空糸膜モジュールの場合には、固定部材の原料樹脂が多孔質中空糸膜の膜壁の細孔内へも侵入して固化するため、中空糸膜と固定部材とは物理的に嵌合した状態で固着され、その間で剥離が生じることは殆どなかった」(2頁左上欄)と記載されていることから、熱融着しないポリプロピレンとポリエチレンが固定されるのは、アンカー効果によるものであると認められる。そうすると、アンカー効果によって中空糸と封止剤が固着するためには、中空糸膜の孔の中に液状となった封止剤が侵入することが必要であり、中空糸膜に形成された孔径と、封止の際に侵入する封止剤の粘度とを特定の数値に制御することが必要となるから、被告が主張するように、中空糸膜におけるアンカー効果が中空糸分離膜では当然に発生する固着現象であるということはできない。

 これに対し、刊行物2発明においては「本発明(刊行物2発明)で中空糸束の端部を固定するために用いる樹脂は、中空糸の転移点よりも低い融点を持つ樹脂であればよく、フッ素系樹脂・・・イミド系樹脂・・・などが好ましい。中空糸の転移点とは、オレフィン系樹脂製中空糸のように軟化点がある場合にはその軟化点を、フッ素系樹脂製中空糸のように軟化点がない場合にはその融点を、イミド系樹脂・・・のように融点がない場合にはその分解温度を意味する。その温度差は5℃以上あれば中空糸が固定端部以外で融着したり、変形したり、その多孔構造が変化したり、分解することなく融着固定できる」(2頁左上欄〜右上欄)と記載されている。そうすると、刊行物2は、封止剤と中空糸膜の端部が融着固定することについては、発明の実施に必要な要件として記載しているけれども、封止剤が軟化点を持ち溶融時において粘度が低いという、アンカー効果を奏するための条件を要求しているわけではない。従って、刊行物2発明は、熱融着しない中空糸と封止剤をアンカー効果によって固着するという技術的思想については何ら開示していないというべきである。

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A裁判所は、取消事由1に対する被告の反論に関して次のように判断しました。

(a)被告は、刊行物2の比較例(3頁右下欄)に、中空糸及び封止剤の双方に使用する樹脂がテトラフルオロエチレン−パーフルオロアルキルビニルエーテル共重合体である例が示され、この場合には固定端部以外で中空糸の融着、変形が生じて使い物にならなくなったと記載しているから、中空糸と封止剤の素材を同一とする場合に問題点があり、接着に使用する樹脂の融点を中空糸の転移点よりも低く設定する必要性が見いだされると主張する。

 しかしながら、確かに、上記比較例の記載から、中空糸及び封止剤の双方の素材を同一とする場合に問題点があり、接着に使用する樹脂の融点を中空糸の転移点よりも低く設定する必要性が見いだされたことは認められるものの、このことは、中空糸及び封止剤の素材を選択するに際し熱融着しないものを採用することの阻害要因を解消するものではないから、上記必要性が見いだされたことは、本件発明が当業者にとって容易に想到し得ないものとする上記判断を左右するものではない。

(b)被告は、刊行物2には、中空糸及び封止剤の双方に同一系統の樹脂同士を選択した組合せが良いことも示唆されており、また、刊行物2発明が実施例の素材に限定されるものではないことから、刊行物1発明のポリプロピレン製中空糸にポリプロピレン樹脂を封止剤として使用する態様について、中空糸と同じ樹脂を端部固定に使用する場合の問題点を容易に予見し得ることは明らかであると主張する。

 しかしながら、刊行物2に同一系統の樹脂同士の組合せが良いことが示唆されているといえないことは上記@(a)の通りである上、刊行物2発明が実施例の素材に限定されるものではないことは当然としても、刊行物2発明に素材として記載されたものの中から本件発明の素材を採用することが容易でないことは上記A(b)の通りであるから、被告の主張は、その前提を欠く。

(c)被告は、刊行物1も、モジュール構成部材を同一素材とすることを必須とするわけではなく、単に望ましい態様として同一素材の使用が推奨されているにすぎないから、刊行物1にも、中空糸と異なる樹脂の使用について阻害要因が示されていないと主張する。

 しかしながら、中空糸と異なる樹脂を封止剤に使用することが刊行物1において排除されていないとしても、ポリプロピレンとポリエチレンの組合せという本件発明の構成に想到するためには、熱融着しない素材同士を固着するという阻害要因を解消する必要があり、これを解消し得ないことは上記@(b)の通りであるから、被告の主張は失当である。

(d)被告は、ポリエチレンが耐溶剤性、耐薬品性に優れ、中空糸モジュールの構成部材の樹脂として何ら問題はなく、ポリプロピレンと同じオレフィン系樹脂に属する汎用で安価な材料であって、その融点がポリプロピレンより低いことも周知の事項であるから、当業者がポリプロピレンの中空糸膜とポリエチレンの封止剤との組合せに想到することは容易であると主張する。

 しかしながら、ポリエチレンが中空糸モジュールの構成部材の樹脂として何ら問題はなく、ポリプロピレンと同じオレフィン系樹脂に属し、その融点がポリプロピレンより低いからといって、両者が熱融着しないという阻害要因を解消しない限り、本件発明の構成に想到することが容易とはいえない。被告の主張を、刊行物1発明と刊行物2発明の組合せの容易想到性の判断に際して技術事項を参酌すべきであるという趣旨に解しても、両発明を組み合わせることには阻害要因があり、他方、上記技術事項は阻害要因(ポリプロピレンとポリエチレンが熱融着しない)を解消するものではないから、被告の主張は失当である。(後略)

 以上の通り、当業者にとって刊行物1及び刊行物2の発明の組み合わせは容易ではなく、かつ刊行物2に記載された樹脂の組合せの中から熱融着しないポリプロピレンとポリエチレンの組合せを採用することには阻害要因があるから、相違点1に係る構成が当業者にとって刊行物2の記載により容易に想到し得るものとした本件決定の判断は失当であるから、作用効果に係る容易想到性を論ずるまでもなく、本件発明が刊行物1発明及び刊行物2発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができた旨の本件決定の判断は誤りである。


 [コメント]
@進歩性審査基準では、特許出願人の発明に想到することを妨げる事情が文献中に存在するときには、当該文献は引用例としての的確性を有しないとしています。

A本事例において、裁判官は、下記の通り、ポリエチレン及びポリプロピレンの組合せが熱融着しない事を阻害要因としています。

 刊行物1には「本発明(注、刊行物1発明)の中空糸型濾過モジュールは・・・中空糸とスリーブあるいは中空糸とスリーブの間で該中空糸と同一素材のシール部材を介して液密的に熱融着されて開口端部を形成している事を特徴とする。」と記載されており、これから“熱融着し得ない樹脂同士の組み合わせが排除されている”と解釈したのです。

 しかしながら、実際に刊行物1に“熱融着しない樹脂同士を排除する”と記載されている訳ではないし、“熱融着されている”ことは刊行物1の発明の唯一の特徴ではないので、そのことだけを見ると、これが進歩性の阻害要因になるのかと疑問に思います。

B通常の進歩性の審査では、通常の容易想到性の論理付け(特許出願人の発明と主引用例との一致点・相違点の認定、副引用例の適用の動機付けの有無、有利な効果の参酌)を経て阻害要因の有無を検討します。通常の論理付けの是非を別の角度から検討するために阻害要因があるのだから、阻害要因の評価は、通常の論理付けとセットで行う必要があります。

C本件では、刊行物1の概要は次の通りです。

課題…“モジュールの外筒部(ハウジング相当部分)と中空糸状半透膜(熱硬化性樹脂)との素材が異なり、熱膨張率が異なるため、両者の間の剥離や樹脂の亀裂が生ずる”

主たる特徴…“モジュールと中空糸状半透膜とを同一素材とする”

従たる特徴…“中空糸状半透膜とシール部材(封止剤相当部分)とを同一素材とする”

実施例…中空糸の材質として「フッ素系樹脂、オレフィン系樹脂、イミド系樹脂、・・・」が、また封止剤相当部分の材質として「フッ素系樹脂、オレフィン系樹脂、イミド系樹脂・・・」がそれぞれ例示されている。

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D審決は、次の手順で容易想到(進歩性を有しないこと)の論理付けを行いました。

(a)刊行物1は、中空糸とハウジング相当部分と封止剤相当部分とが同一素材であること、中空糸と封止剤相当部分との素材の一例としてオレフィン系樹脂が挙げられていること、オレフィンの代表例としてポリプロピレン及びポリエチレンが含まれることから、

“中空糸及び封止剤相当部分をそれぞれポリプロピレンとし、ハウジング想到部分を同一系統のオレフィン樹脂で成形した中空糸膜分離ユニット”が開示されている。

(b)刊行物2には中空糸の材質の一例として「オレフィン系樹脂」が、封止剤相当部分の一例としてとして「オレフィン系樹脂」が開示されているので、中空糸と封止剤の材質の組合わせとして「ポリプロピレン」と「ポリエチレン」の組合わせが示唆されている。

(c)この示唆に基づいて刊行物1に開示された中空糸膜分離ユニットのうちで封止剤相当部分の素材をポリプロピレンからポリエチレンに変更することは容易である。

Eしかしながら、もともとハウジング相当部分と中空糸と封止剤相当部分を同一素材とすることが刊行物1の発明の出発点となっていることを考えると、刊行物2に中空糸及び封止剤相当部分の素材として「フッ素系樹脂、オレフィン系樹脂、イミド系樹脂、・・・」と記載されていたのならば、三者の素材を例えばオレフィン系樹脂からフッ素系樹脂やイミド系樹脂へ変更することの示唆とはなりえても、中空糸をポリプロピレンとするとともに封止剤相当部分をポリエチレンとする構成に至る示唆とはなりえないと解釈すべきです。

Fなお、特許庁は、刊行物1に記載された“同一素材”の技術的意義に関して、“「モジュールを構成する部材の少なくとも接液部が熱可塑性樹脂より成り、望ましくは、同一素材より成ることを特徴とする」と明記されているように、モジュール構成部材を同一素材とすること自体を必須とするわけではなく、単に望ましい態様として同一素材の使用が推奨されているにすぎない。”と記載されていますが、それはモジュール構成部材(ハウジング相当部分)及び中空糸とを発明特定事項とする上位の請求項の話であり、シール部材(封止剤想到部分)と中空糸との関係を規定する請求項4では、“同一素材”が必須要件となっています。

Gこのように容易想到である(進歩性を有しない)ことの論理付けに刊行物を無理やり特許発明の構成に結びつける後知恵的な欠陥があったので、裁判所としても“熱融着することを特徴とする”という文言が刊行物1にあるから、“熱融着しない組み合わせは排除されている”という強い表現で審決を取り消したものと思われます。

 一般論として、刊行物の請求項や明細書の一部に“Aを特徴とする”と記載しているから、“Aを有しない”発明特定事項は排除されている理由で阻害要因を主張しても、裁判所がそれを認めるとは限らないと考えます。

Hなお、特許出願人が記載した明細書中には、封止剤としてポリプロピレンを選択した理由(溶融時の流動性が高い)も、中空糸膜端部が封止されるメカニズムとしてのアンカー効果に関しても開示されていませんでした。個人的には、発明の構成要件を採用した理由や発明の原理は


 [特記事項]
 
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