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●平成28年(行ケ)第10044号(審決取消控訴審・無効審決取消)


阻害要因/進歩性/赤外線センサIC

 [事件の概要]
@事件の経過

(イ)原告は、平成16年9月9日、名称を「赤外線センサIC、赤外線センサ及びその製造方法」とする発明について特許出願をし(優先権主張:平成15年9月9日、日本国。ただし、審決は優先権主張の効果を認めず、原告はこれを争わなかった。)、平成20年2月29日、設定の登録(特許第4086875号)を受けました。

(ロ)被告は、平成25年10月30日、本件特許について特許無効審判請求をし、無効2013−800203号事件として係属した。

(ハ)原告は、平成27年6月8日、本件特許に係る特許請求の範囲を訂正する旨の訂正請求をした(以下「本件訂正」という。甲24)。

(ニ)特許庁は、平成28年1月4日、「訂正請求書に添付された特許請求の範囲の通り訂正することを認める。特許第4086875号の請求項1ないし18に係る発明についての特許を無効とする。」との別紙審決書(写し)記載の審決(以下「本件審決」という。)をし、その謄本は、同月15日、原告に送達されました。

(ホ)原告は平成28年2月12日、本件審決の取消を求める本件訴訟を提起しました。

A特許請求の範囲

 【請求項1】

 基板と、

 該基板上に形成された、複数の化合物半導体層が積層された化合物半導体の積層体とを備え、室温において冷却機構無しで動作が可能な赤外線センサであって、

 前記化合物半導体の積層体は、

 該基板上に形成された、インジウム及びアンチモンを含み、n型ド−ピングされた材料である第1の化合物半導体層と、

 該第1の化合物半導体層上に形成されp型ド−ピングされた、InSb、InAsSb、InSbNのいずれかである第2の化合物半導体層と、

 該第2の化合物半導体層上に形成された、前記第2の化合物半導体層よりも高濃度にp型ド−ピングされ、かつ前記第1の化合物半導体層、及び前記第2の化合物半導体層よりも大きなバンドギャップを有する材料であるAlZIn1−ZSb(0.1≦z≦0.5)の第3の化合物半導体層と

 を備え、

 前記第1の化合物半導体層のn型ド−ピング濃度は、1×1018原子/cm3以上であり、

 前記第2の化合物半導体層のp型ド−ピング濃度は、1×1016原子/cm3以上1×1018原子/cm3未満であり、

 前記第3の化合物半導体層のp型ド−ピング濃度は、1×1018原子/cm3以上であることを特徴とする赤外線センサ。

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B本件発明の内容

(a)発明の目的

(イ)一般に赤外線センサには、赤外線エネルギーを吸収することによって発生する温度変化を利用する熱型(焦電素子やサーモパイルなど)と、入射した光エネルギーで励起された電子によって生じる導電率の変化や起電力を利用する量子型とがあり、

 熱型は室温動作が可能だが、波長依存性がなく、低感度で応答性が遅い

 量子型は低温に冷却する必要があるが、波長依存性があり、高感度で応答速度も速いが、一般的に冷却を必要とする、特徴を有します。

(ロ)ちなみに量子型として、p型とn型との間にi型(不純物を含まない真性半導体)を介在させたPIN構造のものが存在します(特公昭40−23055号)。

 そのエネルギーバンド図は下図の通りi型の部分が傾斜しています。このi型に光が当たると、電子及び正孔を生じ、電子はn型へ、正孔はp型へそれぞれ引き寄せられることで電流が流れます。

zu

 PN構造の場合には接合個所に逆デバイスをかけることで強い電圧をかけ、空乏層を広げることで感度及び応答速度を向上させることができることが知られています。PIN構造の場合には もともとI型の部分のキャリア濃度が低いので、強い電圧をかけなくても同様の作用を得られます。

(ハ)本発明の目的は、量子型において「室温での動作が可能であり、電磁ノイズや熱ゆらぎの影響も受けにくい超小型の、赤外線センサICを提供すること」です(段落0010)。

(b)発明の構成

(イ)本発明の基本的な構成は、基層の上に、原子の拡散を阻止するバッファ層であるn型の第1化合物半導体層、光吸収層であるp型の第2化合物半導体層、バリア層であるp型の第3化合物半導体層を順次形成したことです。各層を形成するための手法として、エピタキシャル成長(下地の基板の結晶面にそろえて配列する成長の様式)があります。

 実施形態の欄で第1層を第6層、第2層を第7層、第3層を第8層ということがあります。

(ロ)第1層をn型とするのは、センサの抵抗を低減するためです。第1層は他層よりも表面積が大きいために、そのシート抵抗がセンサ全体の抵抗に占める割合が大きく、n型の電荷のキャリアである電子の移動度はp型の電荷のキャリアである正孔の移動度より大きいために第1層をn型とすることが全体の抵抗値を小さくする上で有利なのです。

(ハ)光吸収層(第2層)の上にバリア層(第3層)を成長させる理由は、センサの量子効率が低下することを回避するためです。仮に逆の順序とすると、この順序では光吸収層は、結晶の格子定数の異なるバリア層上への格子不整合であるヘテロ成長となり、結晶欠陥を生じ易くなるからです。結晶欠陥があると、外部からの光の入射により発生した電子や正孔がその欠陥箇所に引きせられ、両者の再結合を生じて、前記量子効率が悪くなるのです。

(ニ)本発明においては、第3の化合物半導体層は、第2の化合物半導体層よりも高濃度にp型ド−ピングされています。その理由は、真性キャリア濃度を低減することにより、漏れ電流(主として拡散電流)を減らし、赤外線センサの感度の向上のためです。本件特許の明細書の文章を引用して説明します。

「【0063】

 化合物半導体による量子型の赤外線センサは高速、高感度という優れた性質を持っていることが知られている。例えば、PN接合を持つ光ダイオード型の赤外線センサや、PN接合の間に、ノンドープかあるいは非常に低濃度にドーピングした層を挿入したPIN構造をもった光ダイオード型の赤外線センサなどは、本発明における赤外線センサICの化合物半導体センサ部として好ましく用いられる。これら量子型の赤外線センサを用いて、波長5μm以上の赤外線を室温において検知する場合、その更なる高感度化の為には、赤外線センサの漏れ電流を抑制することが重要である。例えばPN接合を持つ光ダイオード型の素子において、その漏れ電流の主な原因となっているのが拡散電流である。拡散電流は赤外線センサを構成している半導体の真性キャリア密度niの2乗に比例する。また、ni2は数3で表される。

zu

【0065】

ここで、kはボルツマン定数、Tは絶対温度である。また、Nc、Nvはそれぞれ伝導帯、及び価電子帯の有効状態密度である。また、Egはエネルギーバンドギャップである。Nc、Nv、Egは半導体物質固有の値である。

【0066】

すなわち、波長5μm以上の赤外線を半導体が吸収するためには、そのエネルギーバンドギャップが約0.25[eV]以下と非常に小さくなければならない。このため、室温ではその真性キャリア密度が6×1015[cm3]以上と大きくなり、結果として拡散電流も大きくなる。よって、漏れ電流は大きくなってしまう。従って、室温で光ダイオード型の化合物半導体赤外線センサをより高感度化する為には、赤外線検出素子部分を液体窒素やスターリングクーラーなどの機械式冷凍機、あるいはペルチェ効果を利用した電子冷却等で冷却し、真性キャリア密度を抑制する必要があった。

 【0069】

図10に示す赤外線センサに赤外線を入射した場合、赤外線は光吸収層である第七化合物半導体層17において吸収され、電子正孔対を生成する。生成した電子正孔対はn層である第六化合物半導体層16とp層である第八化合物半導体層18とのポテンシャル差、すなわちビルトインポテンシャルによって分離され、電子はn層側へ、正孔はp層側へと移動し光電流となる。この時、発生した電子がPINダイオードの順方向、すなわちp層側に拡散してしまうと、光電流として取り出すことは出来ない。このPINダイオード順方向へのキャリアの拡散が拡散電流である。ここで、p層である第八化合物半導体層がエネルギーバンドギャップのより大きな材料であることで、数3に示すようにp層部分の真性キャリア密度niを小さくすることができる。よって、第七化合物半導体層17から第八化合物半導体層18への拡散電流を抑えることが出来るようになる。」

(ホ)更に本発明では、第3の化合物半導体層は、第1の化合物半導体層、及び前記第2の化合物半導体層よりも大きなバンドギャップを有する材料で形成されています。その理由は、拡散電流を抑制するためです。これに関して次の記述があります。

「図11に、図10にて説明した化合物半導体赤外線センサのエネルギーバンド図を示す。図11において、Eは電子のエネルギーを示し、EFはフェルミエネルギーを示し、ECは伝導帯レベルを示し、EVは価電子帯レベルを示す。また、図中の矢印は、赤外線の入射によって生成された電子の移動方向を示し、それぞれ光電流となる移動方向(矢印A)と、拡散電流となる移動方向(矢印B)とを示している。すなわち、図11に示す化合物半導体赤外線センサのエネルギーバンド図からわかるように、第八化合物半導体層18自身がp層側への電子の拡散に対するバリア層となる。一方で赤外線の入射により生成された正孔の流れは阻害しない。この効果により、漏れ電流を大幅に減少させる事ができる。さらに、赤外線の入射により発生した電子が光電流方向Aへ流れやすくなることから、取り出せる光電流が大きくなる。すなわち、センサの外部量子効率が向上する。この結果、素子の感度を飛躍的に上げることが出来る。」

「【0077】

また、第八化合物半導体層18は、室温において拡散する電子を十分に止める事が出来るだけの、大きなバンドギャップを持つ必要がある。一般にバンドギャップをより大きくする為には、第八化合物半導体層18を、格子定数がより小さな材料とする必要がある。この結果、バンドギャップの小さい第七化合物半導体層17との格子定数差が大きくなり易く、バリア層である第八化合物半導体層18に、ヘテロ成長による結晶欠陥が発生し易くなる。この結晶欠陥は欠陥による漏れ電流の原因となる。従ってそのバンドギャップの大きさは、拡散電流抑止の効果と、第八化合物半導体層18の結晶性により決定される。これは使用する化合物半導体層の材料の組み合わせによって変化し得る。」

zu

C先行技術

 本件特許出願の日前の先行技術は次の通りです。

 引用例1〜3 (省略)

 引用例4:C.T.Elliott、WAdvanced heterostrucures for In1−xAlxSb and Hg1−xCdxTe detectors and emittersW(C.T.エリオット「In1−xAlxSb及びHg1−xCdxTe検出器及びエミッタのための改良ヘテロ構造」)、Infrared Technology and Applications XXII、SPIE、1996.10.22、VOLUME2744、p452−461(甲4。頒布された日は、遅くとも平成8年10月22日である。)

 引用例4の内容

 InSb基板と、/InSb基板側から、p+InSb層、p+In0.85Al0.15Sb層、π−InSb層及びn+InSb層を積層した積層体と、/p+InSb層上に形成されたp側電極と、/n+InSb層に形成されたn側電極と、/を備えた、InSb赤外線検出器であって、/p+InSb層は、2×1018cm−3の典型的なレベルにベリリウムを使用してド−プされ、厚さが1μmの層であり、/p+In0.85Al0.15Sb層は、2×1018cm−3の典型的なレベルにベリリウムを使用してド−プされ、厚さが0.02μmの層であり、/π−InSb層は、意図的にド−プされておらず、厚さが1.3μmの層であり、/n+InSb層は、2×1018cm−3の電気的レベルにシリコンを使用してド−プされ、厚さが1μmの層であり、/p+In0.85Al0.15Sb層のバンドギャップが、n+InSb層及びπ−InSb層のバンドギャップよりも大きく、/比検出能力が、室温でバイアスなしに2×109cmHz1/2w−1以上である、/赤外線検出器。

D審決の内容

(a)本件特許のうち物の発明については、次の引用例の組み合わせにより特許法第29条第2項(進歩性)違反とされました。

・引用例1及び引用例2(これらの内容は同じである。)に記載された物の発明(引用発明A)及び周知技術の組み合わせ。

・引用例3に記載された発明(引用発明B)及び周知技術の組み合わせ

・引用例4に記載された発明(引用発明C)及び周知技術の組み合わせ

(b)引用発明Cと本件発明との一致点

 基板と、/該基板上に形成された、複数の化合物半導体層が積層された化合物半導体の積層体とを備え、室温において冷却機構無しで動作が可能な赤外線センサであって、/前記化合物半導体の積層体は、/インジウム及びアンチモンを含み、n型ド−ピングされた材料である第1の化合物半導体層と、/InSbである第2の化合物半導体層と、/高濃度にp型ド−ピングされ、かつ前記第1の化合物半導体層、及び前記第2の化合物半導体層よりも大きなバンドギャップを有する材料であるAl0.85In0.15Sbの第3の化合物半導体層と、/を備え、/前記第1の化合物半導体層のn型ド−ピング濃度は、1×1018原子/cm3であり、/前記第3の化合物半導体層のp型ド−ピング濃度は、1×1018原子/cm3である、赤外線センサ。

(c)引用発明Cと本件発明との相違点

 (ア) 相違点c−1

 InSbである第2の化合物半導体層に関して、/本件発明1は、/a「p型ド−ピングされた」ものであって、/b「p型ド−ピング濃度は、1×1016原子/cm3以上1×1018原子/cm3未満」であるのに対して、/引用発明Cは、「意図的にド−プされておらず」、「π−InSb」である点。

 (イ) 相違点c−2

 積層体の積層順に関して、/本件発明1は、基板上に、第1の化合物半導体層、第2の化合物半導体層、第3の化合物半導体層の順で形成されているのに対して、/引用発明Cは、基板上に、p+InSb層、p+In0.85Al0.15Sb層、π−InSb層及びn+InSb層の順で積層され、本件発明1と積層順が逆である点。

 (ウ) 相違点c−3

 第3の化合物半導体層に関して、/本件発明1は、「第2の化合物半導体層よりも高濃度にp型ド−ピングされ」ているのに対し、/引用発明Cは、第3の化合物半導体層(p+In0.85Al0.15Sb層)は、高濃度にp型ド−ピングされているものの、第2の化合物半導体層(π−InSb層)は、意図的にド−プされていないから、本件発明1の上記関係を有するものとはいえない点。

zu

E原告の主張する取消事由

{取消事由1}

(1)引用発明Cの認定の誤り及び認定の誤り(省略)

(2)相違点c−1の判断の誤り

 ア 光吸収層にp型ドーピングすることは技術常識ではないこと

(ア)半導体において所望の特性を得るために、ド−ピングの型及びド−ピング濃度を調整することは、周知の技術的「手段」であったとしても、光起電力型では、p層とn層のポテンシャルの差を利用して光起電力を取り出すから、光吸収層にどのような特性を求めるかについて、隣接層との関係を無視して考えることはできない。

 また、赤外線センサの性能を決定付ける複数の条件(層順、層の材料組成、ドーピング種類、ドーピング量等)が存在し、これらの条件と課題の達成(室温・冷却機構無しで動作)との関連が不明である場合において、これらの条件の詳細を具体的に定めることは技術常識ではない。

(イ)本件発明1は、第1〜第3の化合物半導体層間の関係を特定しており、そのような構成により、両キャリアへの障壁のバランスを取った構造により、冷却機構無しで室温動作可能な赤外線センサを実現できるようにしたものである(中略)。

 本件発明1においては、第1〜第3の化合物半導体層が、特定の濃度でn型又はp型ドーピングされているため、それぞれのエネルギーレベルは、当該濃度に応じて下又は上にシフトする。

 その結果、各層間のΔEcとΔEvのバランスが調整されたものとなり、赤外線センサの出力が大きく得られることになる。

 各層の全体バランスを取ることは、第2層にp型ドーピングを行い第1層と第3層の伝導帯との間に十分なオフセットを設けることが開示されている(【0089】)。

 (ウ) 本件発明1において光吸収層をp型ド−ピングする目的は、それまで考慮されていなかった正孔による拡散電流に着目し、ΔEcとΔEvのバランスをとることで、電子の拡散電流の抑制と正孔の拡散電流の抑制を共に得られるようにする、という発想に伴う(中略)。

(エ)本件発明1において、第3層が第1層よりも大きなバンドギャップを規定しているのは、第3層をバリア層として機能させるためにバンドギャップを大きくすることに加え、第1層のシート抵抗を低減するためにバンドギャップを小さくすることにある(【0073】【0078】等)。

 イ 周知技術の不存在

 (ア) 光起電力型構造において、光吸収層にp型ド−ピングをするという「周知技術」は存在しない。まして、PIN接合でバリア層、すなわち室温において拡散する電子を十分に止めることができるだけの、大きなバンドギャップを持つ層を有するデバイスの光吸収層にp型ド−ピングする「周知技術」は存在しない。各文献は、使用する材料系やバリア層の有無、使用温度などの様々な要因を考慮し、光吸収層のドーピングタイプ・濃度を決定している。

 ウ 引用発明Cの光吸収層にp型ド−ピングする動機付けはない。

 (ア) 光吸収層へのp型ド−ピングの効果

 光吸収層へのp型ド−ピングにより、直ちに検出能力の向上がもたらされるということはない。

 すなわち、雑音の原因は、熱励起だけでなく、オ−ジェ発生電流、ショックレ−リ−ドトラップ発生電流など様々であり、ある原因を抑制したつもりでも、かえって他の要因による雑音を増加させることもある。また、雑音の低減は、検出能力に影響を与える要素の一つにすぎず、検出能力の良否は、材料・ド−ピング濃度、「PN接合」か「PIN接合」か、バリア層の有無など、全体積層構成に依存する。

 さらに、甲6には、π層へのp型ド−ピングがショックレ−リ−ドトラップによる熱生成を助長させ、ノンド−プの場合よりも光応答性を低下させる旨記載されているから(21〜22頁)、引用発明Cの光吸収層(π−InSb層)に、検出能力の低下を招来するp型ド−ピングを行うことはない。

 (イ) 引用発明Cは、バリア層(InAlSb層)を有すること

 引用発明Cの構成では、バンドギャップの大きいInAlSb層が拡散電流に対するエネルギ−障壁(バリア)になっている(454頁)。そして、飽和電流は、かかるエネルギ−障壁により制限されるから、引用発明Cにおいては、熱励起によるキャリアの発生を抑制してもしなくても、熱雑音の低減に実質的な影響を与えない。

 また、引用発明Cの光吸収層(π−InSb層)に、p型ド−ピングを行うと、光吸収層の伝導帯がバリア層の伝導帯に近づくので、エネルギ−障壁の高さ(バンドオフセット)は小さくなり、拡散電流の防止機能は損なわれる。被告は、一般に光吸収層のドーピング濃度は低く、光吸収層の伝導帯レベルの変化は僅かであるから、バリア層の機能は損なわれないと主張するが、一般に光吸収層のドーピング濃度が低いということはできず、仮にバリア層と比較してドーピング濃度が低いとしても、伝導帯レベルの変化が僅かであるということはできない。

 (ウ) 引用例4には、光吸収層にp型ドーピングをすることは記載されていないこと

 引用例4には、「π Undoped」として「ドーピングしなかったこと」が明瞭に記載されているから、意図的であるか意図しないかを問わず、一切のp型ドーピングが排除されている。

 なお、「ドーピング」は、不純物を導入することであり、「p型ドーパント」「p型不純物」は、不純物を含まない半導体材料にp型の導電型を与える性質を有する物質を意味するから、π型が僅かにp型の導電性を示すことをもって、p型のドーピングが行われているということはできない。

 (エ) p型ドーピングの技術的意義

 キャリア密度とドーピング濃度とは別のものであるから、ノンドープで光吸収層のキャリア密度が1×1016cm−3の赤外線センサと、光吸収層のp型ドーピング濃度を1×1016原子/cm3とした赤外線センサは、光吸収層の物性が異なり、赤外線センサの性能が相違する。

 不純物ドープをしていなくても結晶欠陥等が存在することによってp型を示すこともあるが、光吸収層に結晶欠陥が存在すると電子正孔対が対消滅を起こしやすくなるなど、赤外線センサの性能が低下する(甲6、本件明細書【0071】、【0074】等)。ノンドープであるが結晶欠陥等によってp型を示す光吸収層と、p型ドーピングを行ってp型にしている光吸収層とでは、同じp型でも赤外線センサの検出能力に与える影響は異なる。

 (オ) 従って、当業者において、引用発明Cの光吸収層(π−InSb層)に、1×1016原子/cm3以上1×1018原子/cm3未満のp型ド−ピングを行う動機はない。

(2)相違点c−2及び相違点c−3の判断の誤り(省略)

(3)相違点c−3の判断の誤り

 そもそも、引用発明Cの第2層をp型ドーピングすることは容易想到ではない以上、第3層と第2層との間に、本件発明1に規定する「ド−ピングの濃度」の関係が成り立つ余地はなく、積層の構造や順序を無視して、第2層のド−ピング濃度が決められるわけもない。

 引用発明Cにおいて、相違点c−3に係る本件発明1の構成を備えるようにすることは、当業者が容易に想到できたものではない。

zu

{取消事由2}(省略)

F被告の主張(相違点c−1、c−3の判断の誤り)

(a)PINフォトダイオ−ドにおける技術常識は、次のようなものである。

  a 光吸収層(i層)は、p型ド−ピング及びn型ド−ピングのいずれもしない層であってもよく、低濃度のp型ド−パント(p型となる不純物)を含むπ層(p−層)であってもよく、また、低濃度のn型ド−パント(n型となる不純物)を含むν層(n−層)であってもよい。

  b π層のp型ド−ピングは意図的であるか否かを問わない。

  c π層のp型ド−ピング濃度は、おおよそ1×1016原子/cm3以上1×1018原子/cm3未満の範囲である。

  d n層のn型ド−ピング濃度は、おおよそ1×1018原子/cm3以上である。

  e p層のp型ド−ピング濃度は、おおよそ1×1018原子/cm3以上である。

  f ド−ピング濃度の有効数字は1桁である。

  g 光吸収層(i層)がπ型及びν型のいずれかである場合も、p層は光吸収層(i層)より高濃度にp型ド−ピングされたものである。

(b)PINフォトダイオードにおいて、隣接する半導体層の間で伝導帯レベル差ΔEc及び価電子帯レベル差ΔEvを適切に設けるべきことは、技術常識である(引用例4・図2a(A)など)。

 b 原告は、本件発明1は、ΔEcとΔEvのバランスを取ったものであると主張するが、それは技術常識の範囲にすぎない。

 本件発明1の請求項の記載によれば、各層の材料及び組成比は様々であり、ドーピングの型及び濃度も技術常識の範囲内である。また、ΔEc(第3層と第2層の間の伝導帯レベル差)とΔEv(第2層と第1層の間の価電子帯レベル差)のバランスについては、本件明細書に記載がなく、ΔEc及びΔEvがいかなる条件を満たすことを意味するのか不明確である。本件明細書には、第3層のバンドギャップが、第2層のバンドギャップよりも相対的に大きいことのみが第3層がバリア層として機能するための要件とされている。図11に関する本件明細書の記載(【0070】【0089】)によれば、第2層がp型ドーピングだけでなくノンドープであってもよく、各層のドーピング濃度は任意であり、各層の材料及び組成比も任意である。

(c)光吸収層のドーピングの型及び濃度は、各層の材料、p層のp型ドーピング濃度及びn層のn型ドーピング濃度に応じて適宜設定すればよいことである。

zu

   イ 周知技術の適用

(d)光吸収層における周知技術は、次のようなものである。

 a 光吸収層のドーピングは、他の層のドーピング等とともに適切に設計されること。

 b ノンドープ、p型及びn型のいずれも可能であること。

 c p型とする場合、本件発明1の濃度範囲程度とすること。

 d 低濃度p型(p−)がπ型と呼ばれること。

(e) 引用発明Cの光吸収層にp型ド−ピングする動機付けとしては、引用例4には、高温動作の為には光吸収層がπ型(低濃度p型)であることが好ましい旨が記載され、引用発明Cのデバイスの光吸収層をπ型(低濃度p型)とすることが記載されている。

(f)原告は、引用発明Cの光吸収層にp型ドーピングを行うと、光吸収層の伝導帯がバリア層の伝導帯に近づくので、エネルギー障壁の高さが小さくなり、拡散電流の防止機能は損なわれると主張する。

 しかし、PIN積層構造では、p層及びn層のドーピングが高濃度であるのに対して光吸収層のドーピングが非常に低濃度であることは技術常識である。第3層(バリア層)のドーピング濃度と比較して光吸収層のドーピング濃度は数桁も低いから、光吸収層へのドーピングに因る光吸収層の伝導帯レベルの変化は僅かであり、エネルギー障壁の高さや拡散電流防止機能はほとんど変わらない。(後略)


 [裁判所の判断]
@裁判所は取消事由1の相違点c−1について次のように判断しました。

 ア 被告は、引用発明Cにおいて、相違点c−1は実質的相違点でなく、仮にそうでないとしても相違点c−1に係る本件発明1の構成を備えるようにすることは、当業者が適宜なし得る設計事項にすぎない、又は周知技術を適用することにより、当業者が容易に想到することができた旨主張する。

 イ 実質的相違点、設計事項

 (ア) 引用発明Cのπ−InSbからなる第2の化合物半導体層は、「近真性p」としての性質を示し、かつ、「Undopted」とされているから、その性質は、実質的に真性半導体に近く、p型としての性質は、結晶欠陥の存在等に由来する程度のものであって、ドーパントはなるべく除去されているものと認められる。

 そして、引用例4には、前記⑴ア(オ)の通り、引用発明Cに係る赤外線検出器について、「前記バンド構造は、コンタクト領域から各々の少数キャリアの移動をほとんど生じさせず、それゆえ付加的なノイズもほとんど生じさせない」と記載されている。

 そうすると、引用発明Cは、第2の化合物半導体層のドーパントをなるべく除去した上で、第3の化合物半導体層との間の伝導帯レベル差ΔEcに着目したものであるから、第2の化合物半導体層と第3の化合物半導体層のドーピングの型やドーピング濃度は、第2の化合物半導体層と第3の化合物半導体層との間に伝導帯レベル差ΔEcを生じさせ、比検出能力を向上させるために調整される要因であることは明らかである。

 (イ) 従って、ドーパントがなるべく除去されている引用発明Cの第2の化合物半導体層を、本件発明1の濃度の程度にまでp型ドーピングすることは、実質的にも相違し、第2の化合物半導体層と第3の化合物半導体層との間に伝導帯レベル差ΔEcを生じさせ、比検出能力を向上させるために調整された引用発明Cの構成を変更するものであるから、当業者が適宜なし得る設計事項であるということはできない。

zu

 ウ 周知技術の適用

 (ア) 被告主張に係る周知技術について

 被告は、引用例1、引用例3、引用例4、甲5ないし7、甲10、甲13ないし15、乙1ないし3から、@光吸収層のドーピングは、他の層のドーピング等とともに適切に設計されること、Aノンドープ、p型及びn型のいずれも可能であること、Bp型とする場合、本件発明1の濃度範囲程度とすること、C低濃度p型(p−)がπ型と呼ばれることが、光吸収層における周知技術と認められる旨主張する。

 しかし、光吸収層のドーピングについて、引用例3には、「ダイオードの活性領域は、最大量子効率のために、ドーピング及び厚みにより最適化され得る」と記載され(96頁2段落)、引用例4には、「活性領域のドーピングのレベル及び型は、ライフタイムを最大化するとともにノイズを最小化するように選択され得る」と記載され(453頁右欄2段落)、甲5には、「単純なpnホモ接合を考えたとき、最も高い検出能力を得るためには、熱によるキャリア生成に対する光によるキャリア生成の比率を最大限にすることが必要である。また、熱生成−再結合が起こる領域は最小化すべきである。所与の材料における光起電力型検出器の最適化は、ドーピングレベル及び層の厚みの適切な選択によって達成され得る。」(102頁第2段落)と記載され、甲6には、「これらは、量子効率を高めるために、成分、ドーピングレベル及び厚みを制御することにより検出器構造を最適化することを含む」、「オージェ再結合を抑制する1つの方法は、活性層の最適なドーピングを決定することである。」と記載され(11頁2段落)、甲7には、「オージェ制限のある光検出器の最大検出能は、p型ドーピングにより実現される。」と記載されている(4頁2段落)。

 このように、引用例3〜4、甲5、甲6には、光吸収層のドーピングの調整によって、量子効率の最大化、ライフタイムの最大化、ノイズの最小化、熱によるキャリア生成に対する光によるキャリア生成の比率の最大化、熱生成−再結合が起こる領域の最小化、オージェ再結合の抑制が図られる旨記載されているものである。また、甲7には、オージェ制限のある光検出器の検出能力の最大化は、p型ドーピングによって実現できる旨記載されている。

 そうすると、赤外線検出器の検出能力を向上させるためには、その目的に応じて、光吸収層のドーピングを調整することが必要であるというべきである。引用例3、引用例4、甲5ないし7から、おおよそ赤外線検出器の検出能力を向上させるための技術事項として、「光吸収層のドーピングが、他の層のドーピング等とともに適切に設計されること」(前記@)や、光吸収層のドーピングが「ノンドープ、p型及びn型のいずれも可能であること」(前記A)といった抽象的な技術事項は認めることはできない。引用例1、甲10、甲13からも、このような抽象的な技術事項を認めることはできず、また、甲14、甲15、乙1ないし3は、本件特許の特許出願日以降に頒布されたものである。

 従って、被告の主張に係る前記周知技術のうち、少なくとも前記@及びAの周知技術は認めることができない。なお、そもそも、引用発明Cに、被告が主張するような複数の周知技術を組み合わせることは容易に想到できるものではないから、この点からも、被告の主張は失当である。

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 (イ) 本件審決が認定した周知技術について

 a 本件審決は、赤外線検出器において、雑音を低減する手段として、想定される動作温度に応じて光吸収層の導電型を変更したり、室温近くで動作する赤外線検出器の光吸収層をp型ドーピングして所望のp型キャリア濃度にしたりすることは、本件特許の出願日当時、周知であったと認定した。

 一方、本件特許の特許出願日以前に頒布された赤外線検出器(InSbデバイス)に関する文献である甲5〜7には、第2の化合物半導体層にp型ドーピングを行うことについて、次の通り記載されている。

 b 甲5には、p+InSb/p−InAsSb/n+−InSbの構造を有する赤外線検出器が記載されているところ、オージェ生成−再結合プロセスを抑制するために、光吸収層(第2の化合物半導体層)に3×1016cm−3の濃度でp型ドーピングを行ったことが記載されていると認められる。

 c 甲6には、n+AlInSb/i−InAsSb/p+AlInSbの構造を有する赤外線検出器が記載され、光吸収層(InAsSb)に2×1017cm−3の濃度でp型ドーピングを行うことが、一般的に高い光応答性を示すことが記載されているが、SRH再結合トラップの存在によりその効果が打ち消されると考察されていると認められる。

 d 甲7には、n+InSb/π−InAsSb/p+InSbの構造を有する赤外線検出器が記載されているところ、オージェ生成の最小化の観点からは、最大検出能はp型ドーピングにより実現されることが記載されているが、p型ドーピングに当たっては、非本質的な悪影響の存在を考慮しなければならない旨考察されていると認められる。

 e 本件審決が認定した周知技術の検討

 ⒜ 本件審決は、前記の通り、赤外線検出器において、雑音を低減する手段として、光吸収層にp型ドーピングを行うなどすることは、本件特許の出願日当時、周知であったと認定したものである。

 ⒝ しかし、赤外線検出器の検出能力を向上させるためには、その目的に応じて、光吸収層のドーピングを調整することが必要である。

 そして、オージェ生成を抑制すれば、結果として、伝導帯の電子密度が低減されるものであるところ、甲5には、オージェ生成−再結合プロセスを抑制するために、光吸収層(第2の化合物半導体層)に3×1016cm−3の濃度でp型ドーピングを行ったこと、すなわち光吸収層(第2の化合物半導体層)の伝導帯の電子密度を低減するために所定の濃度のp型ドーピングを行ったことが記載されている。また、甲7には、オージェ生成の最小化の観点からは、最大検出能はp型ドーピングにより実現されること、すなわち伝導帯の電子密度の最小化の観点からは、光吸収層にp型ドーピングを行うことが、検出能力の最大化のために有効であることが記載されている。

 また、甲6には、光吸収層に所定の濃度のp型ドーピングを行うことが、一般的には検出能力の向上につながると記載されているものの、SRH再結合トラップの存在により、その効果が打ち消されると考察されている。また、甲7には、最大検出能はp型ドーピングによる実現されると記載されているものの、p型ドーピングに当たっては、非本質的な悪影響の存在を考慮しなければならない旨考察されている。そうすると、赤外線検出器の検出能力の向上をさせるために、光吸収層に所定の濃度のp型ドーピングを行う際には、それによって生じ得る現象を考慮しなければならないことも認められる。

 ⒞ 以上の通り、赤外線検出器の検出能力を向上させるために、光吸収層に所定の濃度のp型ドーパントを含ませるのは、光吸収層(第2の化合物半導体層)の伝導帯の電子密度を低減させるという目的のために行われるものであって、また、それによって生じ得る現象を考慮しなければならないものである。

 そうすると、本件審決が認定するように、赤外線検出器において、おおよそ雑音を低減する手段として、光吸収層にp型ドーピングを行うことが、本件特許の出願日当時、周知であったと認めることはできない。

 (ウ) 本件特許の出願日当時の周知技術

  a 前記(イ)e⒝によれば、本件特許の出願日当時、周知であったと認められる技術事項は、甲5ないし7から、赤外線検出器(InSbデバイス)は、一般的に、光吸収層に所定の濃度のp型ドーパントを含ませることにより、それによって生じ得る現象を考慮しなければならないものの、光吸収層(第2の化合物半導体層)の伝導帯の電子密度を低減させることによって、その検出能力を向上させることができるという技術事項にとどまるというべきである(以下、この技術事項を「本件周知技術」という。)。

  b 被告の主張について

 被告は、本件周知技術に関して、甲5ないし7の赤外線検出器において、第3の化合物半導体層は、第2の化合物半導体層よりも、大きなバンドギャップを有しているから、伝導帯の電子に対するバリア層として機能している旨主張する。

 しかし、甲5及び甲7の赤外線検出器において、第3の化合物半導体層が、第2の化合物半導体層よりも、大きなバンドギャップを有しているとしても、これらの文献には、第3の化合物半導体層を、バリア層として機能させることによって、検出能力の向上を図ることについて記載されているということはできない。従って、これらの文献に、検出能力を向上させるための手段として、第2の化合物半導体層と第3の化合物半導体層との間に、伝導帯の電子に対するバリア層として機能する伝導帯レベル差ΔEcを設けた赤外線検出器において、さらに、光吸収層に当たる第2の化合物半導体層に、所定の濃度に至るまでp型ドーパントを含ませるという技術思想が開示されているということはできない。

 また、甲6の赤外線検出器において、第3の化合物半導体層が、第2の化合物半導体層よりも、大きなバンドギャップを有しており、かつ、第2の化合物半導体層(i−InAsSb)と第3の化合物半導体層(p+AlInSb)の関係に着目した記載があるとしても(19頁3段落、25頁)、甲6には、前記(イ)c⒝の通り、「多数のSRH再結合トラップの存在はp型に少しドーピングした活性層の効果を打ち消す。それゆえ真性活性領域を有するデバイスの方が高い光応答性を示したのである。」との記載もある。従って、甲6にも、同様に、検出能力を向上させるための手段として、伝導帯レベル差ΔEcを設けた赤外線検出器において、さらに、第2の化合物半導体層に、所定の濃度に至るまでp型ドーパントを含ませるという技術思想が開示されているということはできない。

 従って、甲5ないし7の赤外線検出器において、第3の化合物半導体層は、第2の化合物半導体層よりも、大きなバンドギャップを有していることをもって、直ちに、検出能力を向上させるための手段として、第2の化合物半導体と第3の化合物半導体層との間に伝導帯レベル差ΔEcを設けた赤外線検出器において、更に第2の化合物半導体層に、所定の濃度に至るまでp型ドーパントを含ませるという技術事項が周知であるということはできない。

zu

 (エ) 本件周知技術の適用

  a 動機付け

 本件周知技術において、光吸収層に所定の濃度のp型ドーパントを含ませるのは、光吸収層の伝導帯の電子密度を低減させるという目的のために行われるものである。

 これに対し、引用発明Cは、赤外線検出器の検出能力を向上させる一つの手段として、第2の化合物半導体層と第3の化合物半導体層との間の伝導帯レベル差ΔEcに着目し、かかる観点から、第2の化合物半導体層と第3の化合物半導体層のドーピングの型やドーピング濃度を調整したものであって、また、引用発明Cの第2の化合物半導体層のドーパントはなるべく除去されたものである。

 そうすると、本件周知技術が、光吸収層の伝導帯の電子密度を低減させることを課題として第2の化合物半導体層(光吸収層)にp型ドーパントを含ませるのに対し、引用発明Cは、バリア層として伝導帯レベル差ΔEを有しており、そのような課題を有しないから、光吸収層にp型ドーパントを含ませる必要がない。また、光吸収層にp型ドーパントを含ませることによって、一般的に赤外線検出器の検出能力が向上するとしても、それによって生じ得る現象を考慮することも必要であるから、当業者は、上記のような課題を有しない引用発明Cの光吸収層に、あえてp型ドーパントを含ませようとは考えない。

 従って、引用発明Cに、本件周知技術を適用する動機付けがあるということはできない。

  b 阻害要因

 前記⑴イ(ウ)の通り、引用発明Cの赤外線検出器は、ワイドギャップ領域を設けることにより、すなわち、ドーパントがなるべく除去された第2の化合物半導体層と第3の化合物半導体層との間の伝導帯レベル差ΔEcを大きくとることにより、キャリアの熱生成レートを非常に小さくするとともに、コンタクト部におけるキャリア生成から活性領域を隔離することによって、検出能力を向上させるというものである。

 一方、本件周知技術は、光吸収層に、伝導帯の電子密度が低減する所定の濃度に至るまでp型ドーパントを含ませるというものであるところ、その場合には、第2の化合物半導体層と第3の化合物半導体層との間の伝導帯レベル差ΔEcは、p型ドーパントに相当する分だけ小さくなる。

 そうすると、伝導帯レベル差ΔEcを大きくとることによって、検出能力を向上させるという引用発明Cの作用は、本件周知技術を適用することにより、阻害されることになる。

 従って引用発明Cに本件周知技術を適用することには阻害要因があるというべきである。

  c 被告の主張について

   ⒜ 被告は、伝導帯の電子に対するバリア層の存在により、光吸収層で発生した熱励起電子がp層側に流れることが抑制されたとしても、熱励起電子がn層側に流れると雑音になるから、熱励起電子の発生はバリア層の有無によらないと主張する。

 しかし、熱励起電子がn層側に流れること自体は、光起電力型の赤外検出器において検知の対象となる光電流のオフセットを設定することによって調整可能なものである。p層側に流れる熱励起電子が雑音として問題になるのであるから、バリア層として伝導帯レベル差ΔEを有する引用発明Cにおいて、バリア層とは無関係に、光吸収層の伝導帯の電子密度を低減させるという課題が存するということはできない。

   ⒝ 被告は、引用例4には、高温動作のためには光吸収層がπ型(低濃度p型)であることが好ましい旨記載されていると主張する。

 しかし、引用発明Cの第2の化合物半導体層(光吸収層)がπ型であるとしても、それは、意図的に添加物をドープしていない(「Undopted」)半導体層であって、ドーパントはなるべく除去されているのであるから、かかる記載をもって、引用例4に、第2の化合物半導体層をp型ドーピングすることが示唆されているということはできない。

   ⒞ 被告は、光吸収層にドーピングをしても、伝導帯レベルの変化は僅かであるから、エネルギー障壁の高さはほとんど変わらない旨主張する。

 しかし、引用発明Cの光吸収層の第2の化合物半導体層は、意図的に添加物をドープしていない半導体層であって、「近真性p」としての性質を示すものであるから、p型の性質を示すとしても僅かなものである。そして、このような第2の化合物半導体層に、光吸収層の伝導帯の電子密度が低減する所定の濃度に至るまでp型ドーパントを含ませた場合、それが、第2の化合物半導体層と第3の化合物半導体層との間の伝導帯レベル差ΔEcに与える影響を小さいものと直ちに評価することはできない。

 従って伝導帯レベル差ΔEcを大きくとることによって検出能力を向上させるという引用発明Cの作用が、本件周知技術を適用しても阻害されないということはできない。

 よって、引用発明Cに周知技術を適用することにより、相違点c−1に係る本件発明1の構成を備えるようにすることを、当業者が容易に想到できたということはできない。

A裁判所は取引事由2の相違点c−3について次のように判断しました。

 相違点c−3は、本件発明1において、第3の化合物半導体層が、第2の化合物半導体層よりも高濃度にp型ドーピングされているという関係を有する点を含むものである。

 そして、前記⑷の通り、引用発明Cにおいて、第2の化合物半導体層をp型ドーピングすることを、当業者が容易に想到することができたということはできないから、第3の化合物半導体層が、第2の化合物半導体層よりも高濃度にp型ドーピングされているという関係を有することもまた、当業者が容易に想到することができたということはできない。

 よって、引用発明Cにおいて、相違点c−3に係る本件発明1の構成を備えるようにすることを、当業者が容易に想到することができたということはできない。

B小括 以上によれば、引用発明Cにおいて、相違点c−1及び相違点c−3に係る本件発明1の構成を備えるようにすることは、当業者が容易に想到することはできないから、相違点c−2について判断するまでもなく、本件発明1は、当業者が引用発明Cに基づいて容易に発明をすることができたものということはできない。


 [コメント]
@引用文献同士を組み合わせることにより、元々の引用発明の作用が阻害されることになる場合には、引用文献同士を組み合わせることを妨げる事情(阻害要因)となり得ます。本件の場合に、引用発明は、伝導帯レベル差ΔEcを大きくとることによって、検出能力を向上させることを意図する技術であるのに、この作用を弱める方向に引用発明を組みわせることを以て阻害要因となると判断されました。

Aまた阻害要因の判断の根拠と同様の理由で引用文献を組み合わせることの動機付けもないと判断されたことにも留意するべきです。

B進歩性審査基準の考え方によると、一見したところ阻害要因が存在するように見えても他の観点により引用文献から本件発明に至ることの論理付けができた場合、例えば十分な動機付けが存在していたり、周知技術において引用文献同士を組み合わせることを示唆する知見が存在している場合には、進歩性は否定されます。

 [特記事項]
 
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