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●平成17年(行ケ)第10042号(取消決定の取消請求事件・請求棄却)


サポート要件/特許出願/偏光フィルムの製造方法

 [事件の概要]
 原告は、平成5年10月21日、発明の名称を「偏光フィルムの製造法」とする発明につき特許出願をしました。

特許庁は、本件特許出願について、特許をすべき旨の査定をし、平成14年7月12日、特許第3327423号として設定登録がされました。

 その後、本件特許については特許異議の申立てがされ、特許庁は、同申立てを異議2003―70728号事件として審理した上、平成16年11月26日、「特許第3327423号の請求項に係る特許を取り消す。」(注、特許第3327423号の請求項1ないし3に係る特許を取り消すとの趣旨であると解される。)との決定をしました。

[特許発明の内容]

 【請求項1】 ポリビニルアルコール系原反フィルムを一軸延伸して偏光フィルムを製造するに当たり、原反フィルムとして厚みが30〜100μmであり、かつ、熱水中での完溶温度(X)と平衡膨潤度(Y)との関係が下式で示される範囲であるポリビニルアルコール系フィルムを用い、かつ染色処理工程で1.2〜2倍に、さらにホウ素化合物処理工程で2〜6倍にそれぞれ一軸延伸することを特徴とする偏光フィルムの製造法。

 Y>−0.0667X+6.73 ……(T)

 X≧65 ……(U)

 但し、X:2cm×2cmのフィルム片の熱水中での完溶温度(℃)

 Y:20℃の恒温水槽中に、10cm×10cmのフィルム片を15分間浸漬し膨潤させた後、105℃で2時間乾燥を行った時に下式浸漬後のフィルムの重量/乾燥後のフィルムの重量より算出される平衡膨潤度(重量分率)

[特許明細書の内容]

 特許明細書には次のことが記載されています。

・本件明細書の発明の詳細な説明には、従来のPVA系偏光フィルムには一長一短があり、偏光性能と耐久性のいずれもが優れたPVA系偏光フィルムの開発が望まれていたこと

・特開平4-173125号公報に記載された方法によれば、高温、高湿状態での耐久性が改善され、長期間放置しても偏光度が変化しない偏光フィルムが得られるが、この方法では、偏光性能や耐久性能等が安定せず、製造条件のわずかな変動で偏光度にバラツキが生じ、また高延伸倍率でフィルムが切断したり亀裂が生じたりする問題が発生していたこと

・従来技術におけるこのような課題の存在にかんがみ、本件明細書の特許請求の範囲の本件請求項1に記載された構成を採用することにより、高度の偏光性能や耐久性を持ち、しかも高延伸倍率に耐え得る偏光フィルムを製造できることを見いだしたこと

・熱水中での完溶温度(X)と平衡膨潤度(Y)が、71.6℃と2.4〔式(T)で示される範囲内〕であるPVAフィルム(実施例1)、72.0℃と2.2〔式(T)で示される範囲内〕であるPVAフィルム(実施例2)から、それぞれ、水中退色温度が63℃、62℃という、高耐久性で、かつ、延伸倍率が6.4であっても切断や亀裂が生じない偏光フィルムが得られたのに対し、熱水中での完溶温度(X)と平衡膨潤度(Y)が、74.5℃と1.6〔式(T)で示される範囲外〕であるPVAフィルム(比較例1)、75.3℃と1.6〔式(T)で示される範囲外〕であるPVAフィルム(比較例2)からは、それぞれ、水中退色温度が52℃、54℃という、耐久性が十分でなく、しかも、延伸倍率が6倍を越えると切断が発生する偏光フィルムが得られたこと

 上記の記載によれば、熱水中での完溶温度(X)と平衡膨潤度(Y)とが式(T)及び式(U)の二式を満足する関係にあることが従来技術の有する課題を解決するために不可欠な手段であるとされていることが認められるが、上記実施例以外には、熱水中での完溶温度(X)と平衡膨潤度(Y)とが式(T)及び式(U)の二式を満足する範囲に存在する関係にあることで当該課題を解決できることを当業者において認識できることを裏付ける記載は存在しない。

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[特許取消決定の内容]

 決定の理由の要旨は次の通りです。

・本件発明1は、原反フィルムとして、熱水中での完溶温度(X)と平衡膨潤度(Y)との関係が、Y>−0.0667X+6.73〔以下「式(T)」という。〕及びX≧65〔以下「式(U)」という。〕で示される範囲であるポリビニルアルコール系フィルム(以下、「PVAフィルム」といい、ポリビニルアルコールを「PVA」という。)を用いることを構成要件とするものであるところ、これらの二式が規定する範囲は、広範囲に及ぶものであり、この数式を満たすものがすべて偏光性能及び耐久性能が優れた効果を奏するとの心証を得るには、実施例が十分ではなく、また、他に、本件明細書の記載及び当該分野の技術常識に照らして、上記二式を満足するものが上記の優れた効果を奏するとの確証を得られるものではなく、上記二式が、どのようにして導き出されたのか、その根拠、理由が不明であるから、結局、特許を受けようとする発明、すなわち、本件発明1並びに本件発明1を引用する本件発明2及び3が、発明の詳細な説明に記載されたものとは認めることはできず、したがって、本件明細書の特許請求の範囲の記載は、特許法旧36条5項1号(平成6年法律第116号による改正前の特許法36条5項1号)の規定に違反するものである、

・請求項1に規定する上記二式が満たす範囲は広範囲に及ぶところ、どのような製造条件(PVAの重合度、乾燥基材、乾燥温度、乾燥時間等)であれば、上記二式を満たし、かつ、偏光性能及び耐久性能が優れたフィルムが得られるのか、本件明細書の発明の詳細な説明を参酌しても不明りょうである(注、どのような製造条件であれば、上記二式を満たすPVAフィルムが得られるのか、本件明細書の発明の詳細な説明を参酌しても不明りょうであるとの趣旨であると解される。)から、本件明細書の発明の詳細な説明は、当業者が容易にその実施をすることができる程度に、その発明の目的、構成及び効果が記載されたものとは認められず、特許法旧36条4項(平成6年改正法による改正前の特許法36条4項)に違反するものである、

・以上のとおりであるから、本件発明1ないし3に係る特許は、特許法旧36条4項及び同条5項1号の規定する要件を満たしていない特許出願に対してされたものである

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[原告の主張]

(a)決定は、「Y>−0.0667X+6.73及びX≧65の二式が規定する範囲は、広範囲に及ぶものであり、この数式を満たすものが全て偏光性能及び耐久性能が優れた効果を奏するとの心証を得るには、実施例が十分ではなく、また、他に、本件特許明細書(注、本件明細書)の記載及び当該分野の技術常識に照らして上記二式を満足するものが前述の優れた効果を奏するとの確証を得られるものではない。」(決定謄本4頁第2段落)と判断しているが、この判断は、原告が、本件異議申立ての審理の段階で、10点の実験データを記載した実験成績証明書を提出したにもかかわらず、これを全く考慮せず、本件明細書記載の実施例1、2の2点及び比較例1、2の2点の合計4点のみを基にして、これら4点以外の実験データがないことを前提にされたものであり、以下に述べるとおり、誤りである。

 すなわち、「Y>−0.0667X+6.73」の式〔式(T)〕は、本件明細書記載の実施例等の4点の実験データのほか、原告が本件特許出願前の平成5年5月から同年8月にかけて行った実験に基づく甲6証明書記載の10点のデータを併せ、合計14点の実験データをプロットして導き出されたものである。また、本件明細書の段落【0013】には、熱水中での完溶温度(X)が65℃以下のPVAフィルムでは、延伸時にフィルムが一部溶解したり劣化が起こったりして、実用にならないことが記載されている。したがって、熱水中での完溶温度(X)と平衡膨潤度(Y)との関係が式(T)及び式(U)の二式が限定する範囲内であるPVAフィルムが、偏光性能及び耐久性能が優れた効果を奏することは、当業者であれば容易に理解できることである。

(b) 決定は、上記二式が限定する範囲が広範囲に及ぶとしている。しかし、平衡膨潤度(Y)は、(浸漬後のフィルムの重量)/(乾燥後のフィルムの重量)より求められる値であり、下限値は浸漬前後の重量が同じとなる1であるから、必ず1以上となる。また、本件発明における「完溶温度」は「耐熱水温度」とほぼ同じになるので、長野浩一ほか著「ポバール改訂新版」(昭和56年4月1日・株式会社高分子刊行会発行)に記載のPVAの熱処理温度と耐熱水温度との関係を示す図100によれば、「完溶温度65℃以上」は「熱処理温度110℃以上」となり、同文献記載の熱処理温度と膨潤度との関係を示す図101によれば、「熱処理温度110℃以上」であれば膨潤度は約1.5以下となることが分かる。そして、平衡膨潤度=膨潤度+1(高分子学会論文集12巻128号「高分子化学」昭和30年12月25日・高分子学会発行。甲10)であるから、本件発明における熱水中での完溶温度65℃以上では、平衡膨潤度の上限は高々2.5程度となっており、測定誤差等の諸条件を考慮しても実質的な上限が3.0を超えることはない。他方、熱水中での完溶温度(X)の下限値は本件請求項1で規定する65℃であり、上限値は実質90℃程度である。このように、式(T)及び式(U)の二式を満足する範囲は、決して無制限に広い範囲を示すものではない。また、本件明細書記載の2点の実施例及び2点の比較例のほか、甲6証明書記載の8点の実験データ及び2点の比較実験データを加えた合計14点のデータをプロットしたものが別紙2の図1であり、これによって明らかなとおり、これら実施範囲は、上記二式が限定する範囲と対比して、極めて狭い範囲となっているというものでもない。

(c)本件特許に適用される特許法旧36条5項1号及び同条4項の規定の解釈・運用の基準となる特許・実用新案審査基準は、平成5年6月に全面改訂されたものであるところ、この特許・実用新案審査基準には、いわゆるパラメータ発明の特許出願に係る明細書の記載要件についての基準は全く規定されていなかった。

平成6年改正法による改正により、明細書の記載要件が大幅に改正され、これに対応する平成12年10月改訂に係る特許・実用新案審査基準において、いわゆるパラメータ発明の特許出願に係る明細書の記載要件についての基準が加えられ、平成15年10月改訂に係る特許・実用新案審査基準には、いわゆるパラメータ発明の特許出願に係る明細書の記載要件に関して、第36条第6項第1号違反の類型として、“特許出願時の技術常識に照らしても、請求項に係る発明の範囲まで、発明の詳細な説明に開示された内容を拡張ないし一般化できるとはいえない場合”を規定している。

 これらの基準は、現行特許法36条6項1号及び同項2号の解釈・運用基準であって、遡及して適用されるとしても、その対応規定が存在する平成6年改正法による改正後の特許法が適用となる平成7年1月1日以降にされた特許出願に限られるというべきである。

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[被告の主張]

 原告は、本件明細書が記載要件を具備しているか否かについて、本件特許の出願後に定められた明細書の記載要件に関する特許・実用新案審査基準を遡及適用して、本件特許を本件明細書の記載不備のみを理由に取り消すことは許されない旨主張する。

 しかし、決定は、本件明細書が記載要件を具備しているか否かについて、飽くまでも法令に従って判断したものであり、本件特許の出願後に定められた特許・実用新案審査基準を遡及適用したということはなく、原告の主張は失当である。



 [裁判所の判断]
@裁判所は特許出願の要件としてサポート要件を課する意義について次のように説諭しました。

・特許法旧36条5項は、「第三項四号の特許請求の範囲の記載は、次の各号に適合するものでなければならない。」と規定し、その1号において、「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること。」と規定している。

・特許制度は、発明を公開させることを前提に、当該発明に特許を付与して、一定期間その発明を業として独占的、排他的に実施することを保障し、もって、発明を奨励し、産業の発達に寄与することを趣旨とするものである。そして、ある発明について特許を受けようとする者が願書に添付すべき明細書は、本来、当該発明の技術内容を一般に開示するとともに、特許権として成立した後にその効力の及ぶ範囲(特許発明の技術的範囲)を明らかにするという役割を有するものであるから、特許請求の範囲に発明として記載して特許を受けるためには、明細書の発明の詳細な説明に、当該発明の課題が解決できることを当業者において認識できるように記載しなければならないというべきである。特許法旧36条5項1号の規定する明細書のサポート要件が、特許請求の範囲の記載を上記規定のように限定したのは、発明の詳細な説明に記載していない発明を特許請求の範囲に記載すると、公開されていない発明について独占的、排他的な権利が発生することになり、一般公衆からその自由利用の利益を奪い、ひいては産業の発達を阻害するおそれを生じ、上記の特許制度の趣旨に反することになるからである。

・そして、特許請求の範囲の記載が、明細書のサポート要件に適合するか否かは、特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し、特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か、また、その記載や示唆がなくとも当業者が特許出願の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものであり、明細書のサポート要件の存在は、特許出願人又は特許権者が証明責任を負うと解するのが相当である。

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A裁判所は、前述のサポート要件を課する意義に照らして本事案について次のように判断しました。

 本件明細書の記載が、特許請求の範囲の本件請求項1の記載との関係で、本件明細書のサポート要件に適合するか否かについてみると、本件明細書の発明の詳細な説明には、従来のPVA系偏光フィルムが有する課題を解決し、耐久性及び偏光性能に優れ、かつ製造時の安定性に優れた性能を有する偏光フィルムを製造するための手段として、本件請求項1に記載された構成を採用したことが記載されているものの、その構成を採用することの有効性を示すための具体例としては、特定の完溶温度(X)と平衡膨潤度(Y)の値を有するPVAフィルムから、高度の耐久性を持ち、かつ、高延伸倍率に耐え得る偏光フィルムを得たことを示す実施例が二つと、特定の完溶温度(X)と平衡膨潤度(Y)の値を有するPVAフィルムから、耐久性が十分でなく、高延伸倍率に耐えられない偏光フィルムを得たことを示す比較例が二つ記載されているにすぎない。

 他方、本件発明は、原反フィルムとして用いられるPVAフィルムが満たすべき完溶温度(X)と平衡膨潤度(Y)とが、本件請求項1に規定された、Y>−0.0667X+6.73〔式(T)〕及びX≧65〔式(U)〕の二式で画定される範囲に存在する関係にあることにより、上記所望の性能を有する偏光フィルムが得られるというのであるところ、少なくとも、上記範囲が、式(T)の基準となるY=−0.0667X+6.73の式(以下「式(T)の基準式」という。)及び式(U)の基準となるX=65℃の式(以下「式(U)の基準式」という。)を基準として画されるということが、本件特許出願において、具体例の開示がなくとも当業者に理解できるものであったことを認めるに足りる証拠はない。

 また、PVAフィルムの熱水中での完溶温度(X)を60℃〜100℃のX軸、平衡膨潤度(Y)を1.0〜3.0のY軸に取ったXY平面に、式(T)の基準式を斜めの実線で、式(U)の基準式を縦の破線で表した上、これに上記実施例及び比較例で用いられたPVAフィルムの熱水中での完溶温度(X)と平衡膨潤度(Y)の値をプロットした別紙1の第1図に見るとおり、同XY平面において、上記二つの実施例と二つの比較例との間には、式(T)の基準式を表す上記斜めの実線以外にも、他の数式による直線又は曲線を描くことが可能であることは自明であるし、そもそも、同XY平面上、何らかの直線又は曲線を境界線として、所望の効果(性能)が得られるか否かが区別され得ること自体が立証できていないことも明らかであるから、上記四つの具体例のみをもって、上記斜めの実線が、所望の効果(性能)が得られる範囲を画する境界線であることを的確に裏付けているとは到底いうことができない。

 そうすると、本件明細書に接する当業者において、PVAフィルムの完溶温度(X)と平衡膨潤度(Y)とが、XY平面において、式(T)の基準式を表す上記斜めの実線と式(U)の基準式を表す上記破線を基準として画される範囲に存在する関係にあれば、従来のPVA系偏光フィルムが有する課題を解決し、上記所望の性能を有する偏光フィルムを製造し得ることが、上記四つの具体例により裏付けられていると認識することは、本件特許出願の技術常識を参酌しても、不可能というべきであり、本件明細書の発明の詳細な説明におけるこのような記載だけでは、本件特許出願の技術常識を参酌して、当該数式が示す範囲内であれば、所望の効果(性能)が得られると当業者において認識できる程度に、具体例を開示して記載しているとはいえず、本件明細書の特許請求の範囲の本件請求項1の記載が、明細書のサポート要件に適合するということはできない。

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B裁判所は、原告の主張に関して次のように述べました。

 原告は、本件異議申立ての審理の段階で提出した、甲6証明書記載の10点の実験データと本件明細書記載の4点の実験データを参酌すれば、式(T)及び式(U)の二式を導き出すための具体例の数としては十分であり、上記二式を満足するPVAフィルムが優れた効果を奏するとの確証を得るにも十分であるのに、決定は、甲6証明書を全く考慮せずに、上記のとおり、本件明細書記載の実施例1、2の2点及び比較例1、2の2点の合計4点のみを基にして、上記二式を満たすものがすべて偏光性能及び耐久性能が優れた効果を奏するとの心証を得るには、実施例が十分ではなく、本件明細書の記載及び当該分野の技術常識に照らしても、上記二式を満足するものが上記の優れた効果を奏するとの確証を得られるものではないとしたが、この判断は誤りである旨主張する。

 ア しかしながら、上記(4)アのとおり、特性値を表す二つの技術的な変数(パラメータ)を用いた一定の数式により示される範囲をもって特定した物を構成要件とする、本件発明のようないわゆるパラメータ発明において、特許請求の範囲の記載が、明細書のサポート要件に適合するために、発明の詳細な説明に、特許出願時の技術常識を参酌してみて、パラメータ(技術的な変数)を用いた一定の数式が示す範囲内であれば、所望の効果(性能)が得られると当業者において認識できる程度に、具体例を開示して記載することを要すると解するのは、特許を受けようとする発明の技術的内容を一般に開示するとともに、特許権として成立した後にその効力の及ぶ範囲(特許発明の技術的範囲)を明らかにするという明細書の本来の役割に基づくものであり、それは、当然のことながら、その数式の示す範囲が単なる憶測ではなく、実験結果に裏付けられたものであることを明らかにしなければならないという趣旨を含むものである。そうであれば、発明の詳細な説明に、当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる程度に、具体例を開示せず、本件特許出願の当業者の技術常識を参酌しても、特許請求の範囲に記載された発明の範囲まで、発明の詳細な説明に開示された内容を拡張ないし一般化できるとはいえないのに、特許出願後に実験データを提出して発明の詳細な説明の記載内容を記載外で補足することによって、その内容を特許請求の範囲に記載された発明の範囲まで拡張ないし一般化し、明細書のサポート要件に適合させることは、発明の公開を前提に特許を付与するという特許制度の趣旨に反し許されないというべきである。

 イ 本件についてみると、甲6証明書は、原告従業員であるA(中央研究所機能材料研究室主任)作成に係る平成16年8月3日付け実験成績証明書であって、これには、同人において、偏光性能及び耐久性能等に優れた偏光フィルムが、式(T)及び式(U)の二式を満たすPVAフィルムを用いるときに得られることを明らかにし、また、式(T)及び式(U)の二式が導き出された根拠を明確にすることを目的として、本件特許出願目前である平成5年5月18日から同年8月25日にかけて実験1ないし8、比較実験1、2の各実験を行ったこと、実験1ないし8は、PVAの平均重合度、PVAの平均ケン化度、乾燥温度、乾燥時間等を適宜に設定して、熱水中での完溶温度(X)と平衡膨潤度(Y)との関係がいずれも式(T)及び式(U)の二式の範囲内であるPVAフィルムを得、そのPVAフィルムから製造した偏光フィルムの水中退色温度を測定したほか、ホウ酸処理工程中、フィルムを6.4倍に一軸延伸した場合の切断可能性を検証したものであること、比較実験1、2は、上記PVAの重合度等の各条件を適宜設定して、熱水中での完溶温度(X)と平衡膨潤度(Y)との関係がいずれも式(T)及び式(U)の二式の範囲外であるPVAフィルムを得、そのPVAフィルムから製造した偏光性フィルムの水中退色温度を測定したほか、ホウ酸処理工程中、フィルムをそれぞれ6.4倍、5.1倍に一軸延伸した場合の切断可能性を検証したものであること、これらの実験の結果を取りまとめたものが別紙2の図1(注、図示の内容は別紙1の第2図と実質的に同じである。)であり、これにより、熱水中での完溶温度(X)と平衡膨潤度(Y)との関係が式(T)及び式(U)の二式を満たすPVAフィルムを用いた場合、水中退色温度の高い、偏光性能及び耐久性能に優れた偏光フィルムが得られることが分かったことが記載されている。

 ウ そうすると、甲6証明書の記載をそのまま信用するとしても、甲6証明書記載の実験データは、本件明細書の発明の詳細な説明に具体的に開示されていない、特定の完溶温度(X)と平衡膨潤度(Y)の数値を有するPVAフィルムから得られた偏光フィルムの性能の測定結果と、その測定データに基づき判断されるPVAフィルムの完溶温度(X)及び平衡膨潤度(Y)の数値と偏光フィルムの性能との関係を、本件特許出願後になって開示するものにほかならず、これを上記発明の詳細な説明の記載内容を記載外で補足するものとして参酌することは、上記アに説示したところに照らし、許されないというべきである。したがって、原告の上記主張は、採用することができない。


 [コメント]
@本事例では、パラメータ発明に係る特許出願がサポート要件を満たすためには、どの程度の実験例が必要なのかが論じられました。

(a)2つのパラメータX及びYに関して、特許出願人が明細書に記載したのは、発明の効果を発揮する2つの実施例及び発明の効果を発揮しない2つの比較例だけでした。

(b)XY平面上に、実施例1で得られた変数(X及びY)及び実施例2で得られた変数(X及びY)をプロットすると(X,Y)、(X,Y)という2点が表されるだけです。

(c)この2点を通って発明の範囲を表す境界線を引こうとすると、一本の直線の他に無数の直線を引くことができますから、特許出願人が設定した発明の範囲が“発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものである”とは言えません。

(d)また特許出願時の技術常識として変数X及びYの関係式は直線で表される筈であるということもできないので、“当業者が特許出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のもの”であるということもできません。

(e)従って裁判所が本件特許出願はサポート要件を欠いていると判断したのは仕方がないところです。

Aなお、原告は、特許異議申立の審理で追加の実験例のデータを提出したのに考慮してもらえなかったと言っています。

(a)しかしながら、特許出願時に開示したのが2つの実験例だけというのはいかにも数が少なすぎます。

(b)XY平面上でこれらの実験から得られた2点の他、これら2点を結ぶ直線近辺に位置する幾つかの点を導き出せる実験例が存在しており、当業者がそれらの点から境界線の形を直感することができるような場合に、その確認のために追加実験の資料を提出するというのであれば認められる可能性があったかもしれません。

(c)しかしながら、特許出願時の明細書に記載した実験例から発明の範囲を認識できず、特許出願後に提出した追加の実験例により、サポート要件を具備するということを認めた場合には、最先の特許出願人に特許を付与する先願主義に反します。
先願主義とは

B原告は、本件特許出願が行われた時点での審査基準によれば、“特許出願時の技術常識に照らしても、請求項に係る発明まで発明の詳細な説明に開示された内容を拡張或いは一般化できるとは言えない場合”には記載不備となるということは記載されていなかったと主張しています。

 しかしながら、この基準は、新規発明を開示した代償として特許出願人に独占排他権を付与するという特許制度から見て当然のことを記載したに過ぎないと考えます。

 特許出願人が開示したか否か不確かな事柄に独占排他権を付与することはどう考えても不合理であります。審査基準は単なる審査の目安にすぎず、それを直接の根拠として特許出願が許可され、或いは特許が維持されることを主張するのは、本末転倒であると考えます。


 [特記事項]
 
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