[事件の概要] |
原告は、発明の名称を「音素索引多要素行列構造の英語と他言語の対訳辞書」とする発明につき、平成15年5月30日に特許出願(特願2003−154827号。以下「本願」という。)をした。 原告は、本願につき平成16年10月26日付け手続補正書(甲3)により明細書の補正をしたが(以下、同補正後の明細書を「本願明細書」という。)、同年12月17日付けで拒絶査定を受けたので、平成17年1月31日、これに対する不服の審判請求(不服2005−1619号事件)をした。特許庁は、平成19年10月30日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年12月8日、原告に送達された。 [特許出願に係る発明の内容] {発明の目的} 英語は、長期に世界の国々で通用されてきた国際語である。その分、英語の言語特徴の一つとして、発音のパタンが多く、文字と発音との「ズレ」も著しい。今日、もはや単純に英語の発音から文字の綴り字を推測することはとても難しい。英語の発音の多様性及び綴り字(文字)との不対応性は、発音で引く辞典を作る際の主要な困難である。 {発明の構成} 【請求項1】 音素(phoneme)索引多要素行列構造の英語と他言語の対訳辞書。「音素索引」とは、英単語の音素(母音音素、子音音素、アクセント音素)を辞書の見出し語として設定し、行列構造の辞書において索引の機能をするということである。多要素とは四つ以上の要素のことで、それぞれ以下に示す。要素1:英単語の音素(母音音素、子音音素、アクセント音素)の国際発音記号(IPA)表記、要素2:英単語のIPA表記から子音音素を抽出し、ロ−マ字へ転記したもの、要素3:英単語の綴り字、要素4:外国語の対訳語(日本語対訳語または他の言語の対訳語)。「行列構造」の「行」とは、英語の任意の一単語を多要素(四つ以上)に分類して記述し、横一行の形にしたものである。本辞書は、英単語ごとに一行を占めるため、収録した英単語の数分の行を持つ。「行列構造」の「列」とは、各単語の同類要素を縦方向の一列に配置したことである。辞書は、縦方向に四つ以上の列を持った形となる。辞書内の個々の単語(横一行の形で示す)の配列順序は、第1並べ基準の子音要素のロ−マ字順、第2並べ基準の母音、子音、アクセント要素の文字コ−ド順、第3並べ基準の外国語(英単語など)文字要素の文字コ−ド順、第4並べ基準の対訳要素の文字コ−ド順という並べ方から構成する。なお要素の数によって、第5、第6以後の並べ基準も可能である。 【請求項2】 英語子音音素の国際発音記号(IPA)のロ−マ字転記方法。英語の子音音素は一般に国際発音記号を用いて示す。国際発音記号の多数は、ロ−マ字と同じ形の文字を使っているが、ロ−マ字と異なった物も幾つかある。音素索引の英語の対訳辞書を作るために、英語の各子音のIPA発音記号に、一つまたは二つの定まったロ−マ字(組)を用いて、25個の転記符号を考案した。次に、25個の英語子音のロ−マ字転記と子音ゼロ(子音のない単語)のロ−マ字転記符号を示す。 (1)「ear」など子音なしの単語はaで転記する。 (2)「obey」の子音はbで転記する。 (3)「chair」の子音はchで転記する。 (4)「idea」の子音はdで転記する。 (5)「the」の子音はdhで転記する。 (6)「for」の子音はfで転記する。 (7)「go」の子音はgで転記する。 (8)「who」の子音はhで転記する。 (9)「age」の子音はjで転記する。 (10)「car」の子音はkで転記する。 (11)「all」の子音はlで転記する。 (12)「me」の子音はmで転記する。 (13)「now」の子音はnで転記する。 (14)「long」の後ろの子音はngで転記する。 (15)「up」の子音はpで転記する。 (16)「raw」の子音はrで転記する。 (17)「sea」の子音はsで転記する。 (18)「sure」の子音はshで転記する。 (19)「two」の子音はtで転記する。 (20)「earth」の子音はthで転記する。 (21)「via」の子音はvで転記する。 (22)「we」の子音はwで転記する。 (23)「year」の子音はyで転記する。 (24)「easy」の子音はzで転記する。 (25)「Asia」の子音はzhで転記する。 【請求項3】(本願発明) 音素索引多要素行列構造の英語と他言語の対訳辞書の段階的相互照合的引き方。 本辞書は、英語の一単語に四つ以上の要素(基本情報)を持たせ、辞書としての本来の機能を果すだけでなく、これらの基本情報の段階的相互照合的構造によって、調べたい目標単語を容易に見つける索引機能も兼ねる。 探したい目標単語の発音(音素)に基づいて、子音音素から母音音素への段階的検索する方法の他に、目標単語の前後にある候補単語の対訳語、単語の綴り字内容を相互に照合する方法という二つの方法によって目標単語を見つける。 具体的に、まずは目標単語の発音から子音音素を抽出し、その子音音素のロ−マ字転記列のabc順に目標単語の候補を探す、結果が一つだけあった場合は、その行を目標単語と見なし、この行にあったすべての情報を得る。子音転記の検索結果が二つ以上あった場合は、さらに個々候補の母音音素までを照合する。もしくは、前後の候補の対訳語と単語の綴り字までを参照しながら、目標単語を確定する。 {発明の目的} 英単語の綴り字、訳語、発音表記など基本情報を引きたい時に限って、本辞書は一般の英語辞書より効率が良い。綴り字が知らなかった場合はもとより、例えすでに綴り字がしっかり覚えている単語の場合でも、あえてこの辞書の音素索引を使って引くと、より簡潔に単語の所在をヒットできる。この辞書の使用によって、目標英単語の基本情報を得るという当面の目的を達するだけでなく、(生の)英語音声を音素記号と関連して確認し、一つの候補または一つ以上の候補から単語を確定する過程では、母語習得と似た状態で英語の音素感覚を短期間に形成することができる。(段落0009) 今まで英語の非母語話者にとって壁のような英語の音声能力(音素の聴取力と発音能力)は、本辞書の使用によって、英語の音声を音素記号(発音記号)と直接に関連して具体化することができる。しかも、もはや覚えたのは母語の音声が混ざった発音(例えば、カタガナの音声)ではなく、英語の音声そのものである。本来、人は母語だけでなく、非母語の言語の音素を識別することもできる。但し、特定の外国語を実際に聞いて、その音声に慣れて音素を弁別できるまでの過程が必要である。本発明はまさにこの過程を大幅に短期化できるものである。(段落0010) [審決の内容] 審決は、以下の理由により、本願発明は、特許法2条1項に定義する「発明」ということはできず、同法29条1項柱書きの規定により特許を受けることができないと判断した。すなわち、 「(ア) 特許法第29条第1項柱書きでは、「産業上利用することができる発明をした者は、・・・その発明について特許を受けることができる。」と規定されており、同法第2条第1項では、「この法律で「発明」とは、自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のものをいう。」と定義づけられている。つまり、ある発明が上記のように定義された特許法上の「発明」であると認められるためには、その発明は「自然法則を利用した技術的思想の創作」に該当していなければならない。自然法則以外の法則(例えば、経済法則)、人為的な取り決めにあたったり、または、それらのみを利用している方法の発明は、「自然法則を利用した技術的思想の創作」に該当しているとはいえない。一般に人間が対訳辞書を引く方法、自体は、人間の創作活動そのもの、又は、人間が行うべき動作を特定した人為的取り決めであって、自然法則を利用した技術的思想ということはできない。そして、上記各方法をコンピュータシステム(サーバ、端末、ネットワーク)を単に利用して実現したものは、形式的にコンピュータシステムの発明として記載されているといえるとしても、単にコンピュータを利用して各方法そのものを情報システム的に表現したものに過ぎないから、自然法則を利用したコンピュータシステムの発明とはいえない。ただし、その発明がいわゆるソフトウェア関連発明(その発明の実施にプログラムを必要とする発明)である場合には、コンピュータ上で実行されるプログラムが自然法則に基づいた制御等を行っていない場合や、自然法則以外の経済法則などに基づいた情報処理を行っている場合であっても、請求項の記載において、コンピュータで実現される機能要素がソフトウェアとハードウェア資源とが協働した具体的手段として特定され、それによってソフトウェアによる情報処理がハードウェア資源を用いて具体的に実現されていることが提示されていれば、「自然法則を利用した技術的思想の創作」に該当すると認められる。 (イ) そこで、本願の請求項3に係る発明(以下、「本願第3発明」という。)をみると、発明を特定している請求項3では、まず、「音素索引多要素行列構造の英語と他言語の対訳辞書の段階的相互照合的引く方法。」と記載されていることから、本願第3発明の「方法」は、「音素索引多要素行列構造の英語と他言語の対訳辞書」を対象として、「段階的相互照合的」に辞書を引く方法であると認められる。ここで、人間が「辞書を引く方法」自体は、一般に、人間が行うべき動作を特定した人為的取り決めに基づく辞書の参照方法といえ、本願第3発明の「辞書を引く方法」も、人間が「辞書を引く方法」として解釈可能であるから、この域を出ているものとはいえず、自然法則を用いたものではない。 請求項3では、また、「対訳辞書の引く方法は、以下の三つの特徴を持つ。 一、言語音の音響物理的特徴を人間視覚の生物的能力で利用できるために、英語の音声を子音、母音子音アクセント、スペル、対訳の四つの要素を横一行にさせた上、さらに各単語の子音音素を縦一列にローマ字の順に配列させた。二、英語音声を音響物理上の特性から分類した上、情報処理の文字コードの順に配列させたので、コンピュ−タによるデータの処理に適し、単語の規則的、高速的検索を実現した上、対訳辞書を伝統的辞書のような感覚で引くことも実現した。三、辞書をできるだけ言語音の音響特徴と人間聴覚の言語音識別機能の特徴に従いながら引くようにする。すなわち、まずは耳にした英語の音声を子音と母音とアクセントの音響上の違いに基づいて分類処理する。次に子音だけを対象に辞書を引く。同じ子音を持った単語が二個以上有った場合は、さらにこれら単語の母音、アクセントレベルの音響上の違いを照合する。」と記載されており、対訳辞書の引く方法の特徴が3つ提示されている。 1つめの特徴として、「一、言語音の音響物理的特徴を人間視覚の生物的能力で利用できるために、英語の音声を子音、母音子音アクセント、スペル、対訳の四つの要素を横一行にさせた上、さらに各単語の子音音素を縦一列にローマ字の順に配列させた。」と記載されているが、これは、対訳辞書の引く方法の特徴というよりは、引く対象となる対訳辞書の特徴というべきものであって、本願第3発明の「辞書を引く方法」は、人間が対訳辞書を引く方法を特許請求するものであると解釈可能であるから、対訳辞書の特徴がどうであれ人間が行うべき動作を特定した人為的取り決めに留まるものである。 2つめの特徴として、「二、英語音声を音響物理上の特性から分類した上、情報処理の文字コードの順に配列させたので、コンピュ−タによるデータの処理に適し、単語の規則的、高速的検索を実現した上、対訳辞書を伝統的辞書のような感覚で引くことも実現した。」と記載されているが、この特徴もやはり対訳辞書の引く方法の特徴というよりは、引く対象となる対訳辞書の特徴というべきものであって、本願第3発明の「辞書を引く方法」は、人間が対訳辞書を引く方法を特許請求するものであると解釈可能であるから、対訳辞書の特徴がどうであれ人間が行うべき動作を特定した人為的取り決めに留まるものである。「コンピュ−タによるデータの処理に適し」といっている点も、データの配列構造がコンピュ−タによるデータの処理に適したものである旨述べているのみで、このデータの配列構造をコンピュータのハードウェア資源をどのように利用して処理しているのかという点について、対訳辞書の引く方法を技術的に説明する記載ではない。 3つめの特徴として記載された「三、辞書をできるだけ言語音の音響特徴と人間聴覚の言語音識別機能の特徴に従いながら引くようにする。すなわち、まずは耳にした英語の音声を子音と母音とアクセントの音響上の違いに基づいて分類処理する。次に子音だけを対象に辞書を引く。同じ子音を持った単語が二個以上有った場合は、さらにこれら単語の母音、アクセントレベルの音響上の違いを照合する。」は、対訳辞書を引く方法を記述したものであるが、ここで記載されていることは、人間の聴覚で識別された言語音の音響特徴にしたがって分類処理し、人間が対訳辞書を引く方法を記述しているものであり、人間の聴覚で識別された言語音の音響特徴を分類処理することは、もっぱら人間の精神活動を規定したものに過ぎず、人間の精神活動である分類処理の結果にしたがって、人間が辞書を引く動作は、人間が行うべき動作を特定しており、人為的取り決めそのものといえ、やはり、自然法則を利用しているものとはいえない。 請求項3では、さらに、「この段階的な言語音の分類処理方法によって、従来聞き分けの難しい英語音声もかなり聞き易くなり、英語の非母語話者でも、英語の音声を利用し易くなった。」と記載されているが、これは、特定の配列構造を有する対訳辞書の効果を述べるものであり、対訳辞書を引く方法を技術的に特定しているものではなく、自然法則を利用していることを裏付けるものではない。 請求項3では、つぎに、「以下ではさらに詳しく説明する。英語の一単語に四つ以上の要素(基本情報)を持たせ、辞書としての本来の機能を果すだけでなく、これらの基本情報の段階的相互照合的構造によって、調べたい目標単語を容易に見つける索引機能も兼ねる。探したい目標単語の音声(音素)に基づいて、子音音素から母音音素への段階的検索する方法の他に、目標単語の前後にある候補単語の対訳語、単語の綴り字内容を相互に照合する方法という二つの方法によって目標単語を見つける。まずは目標単語の音声から子音音素を抽出し、その子音音素のローマ字転記列のabc順に目標単語の候補を探す、結果が一つだけあった場合は、その行を目標単語と見なし、この行にあったすべての情報を得る。子音転記の検索結果が二つ以上あった場合は、さらに個々候補の母音音素までを照合する。もしくは、前後の候補の対訳語と単語の綴り字までを参照しながら、目標単語を確定する。」と記載されているが、この記載も、人間が対訳辞書を引く方法を記述しているものであり、もっぱら人間が行うべき動作を特定した人為的取り決めそのものであるから、自然法則を利用したものとはいえない。 以上のとおりであるから、本願第3発明は、全体をみても人為的取り決めそのものであり、自然法則を利用したものといえない。 また、対訳辞書を引く方法をコンピュータのハードウェア資源を用いて行っている旨の記載もなく、コンピュータのハードウェア資源についても何ら記載がないから、対訳辞書を引く方法を実現するための機能要素がソフトウェアとハードウェア資源とが協働した具体的手段として特定されているとはいえない。 したがって、本願第3発明は、自然法則を利用したものとはいえず、単に、人間が対訳辞書を引く方法というほかなく、また、ソフトウェアによる情報処理がハードウェア資源を用いて具体的に実現されていることが発明を特定する請求項3の記載において提示されていないから、自然法則を利用した技術的思想の創作である方法ということはできず、特許法第2条に定義する「発明」ということはできない。」と判断した。 [取消理由(原告の主張)] @本願の請求項1・請求項2との関係を考慮せずに本願発明を認定した誤り(取消事由1) 本願の特許請求の範囲は、発明が形成された時間的経過又は発明に係る音声学的手段の生成の経過に沿って、請求項1「音素(phoneme)索引多要素行列構造の英語と他言語の対訳辞書」、請求項2「英語子音音素の国際音標文字(IPA)のローマ字転記方法」、請求項3「音素索引多要素行列構造の英語と他言語の対訳辞書の段階的相互照合的引く方法」の順に、発明を連続的、全体的に記述した。そして、請求項1が発明の主要部分、請求項3が従属部分という主従関係にあった。 ところが、審決は、上記の順とは逆の順から、しかも請求項3を請求項1、請求項2から切り離して検討したため、請求項1ないし3の連結的構造を全体的客観的にみることができなくなり、発明の主要部である請求項1と従属的部分である請求項3の主従関係を逆に判断し、本願発明の認定を誤った。 A本願発明の辞書を引く方法が人の精神活動又は人為的取り決めであると判断した誤り(取消事由2) 対訳辞書は独特の行列構造を有しており、その段階的相互照合的引く方法は、対訳辞書の行列構造によって客観的、必然的に決められる方法であり、人為的取り決めで恣意的に決められる方法ではない。 対訳辞書の段階的相互照合的引く方法は、対訳辞書の独特の行列構造の特徴に必然的に依拠しているが、審決は、その点を看過し、辞書の構造と辞書を引く方法を分離し、対訳辞書の引く方法の特殊な手順及び辞書を使用する際に必要な使用者の聴覚と視覚の動きなどを単純に「人間が行うべき動作を特定した人為的取り決めに留まるものである」と誤って判断した。 本願発明は、対訳辞書を使うための特定の使用方法である。本願発明の方法を実施する際には、辞書の使用者が、自分の耳や目、脳などの身体器官を使用し、人間の精神活動を行うが、この人間の精神活動は、野球の投球方法や相撲選手の腕技など何の具体的道具にも頼らない身体器官の動き又は人間の精神活動とは本質的に異なり、対訳辞書という特定の道具を使用している過程における特定の人間の精神活動である。本願発明の方法は、人間の精神活動のみで対訳辞書を用いない状態では、実行できない。例えば、双眼鏡の使用には、双眼鏡を使用する際の一連の人間の動きが欠かせないが、双眼鏡の使用方法及び双眼鏡の構造までを人間の精神活動又は人為的取り決めとはいえない。 B本願発明においてソフトウェアによる情報処理がハードウェア資源を利用して具体的に実現されることが提示されていないと判断した誤り(取消事由3) (省略) [被告の主張] 2 本願発明の辞書を引く方法が人の精神活動又は人為的取り決めであると判断した誤り(取消事由2)について 人間が辞書を引く場合,人為的に定められた特定の規則性に従って配列された辞書の見出し部を,視覚等を用いて認識し,知りたい内容と一致する項目を探して,目的とする情報を得るものであって,例えば一つの見出し語に複数の項目がある場合には,列挙されている項目の記載内容を視覚等を用いて認識することも,ごく一般的である。これらの行為は,人間の精神活動に基づくものであり,それ自体は自然法則を利用するものとはいえない。 請求項3に示された辞書を引く方法のうち,人間が耳にした英語の音声を,その人間が習得している子音と母音とアクセントの音響上の違いに基づいて分類処理すること,人間が耳にした英語の音声から人間が子音音素を抽出することは,人間の精神活動そのもの,あるいは,人間の精神活動を規定する人為的取り決めであり,また,これらに続く各手順も,一般の辞書を引く際の手順と同様の,辞書が提示する情報を視覚によって認知・判断して目的とする情報を得る手順であって,いずれも人間の精神活動そのもの,あるいは,人間の精神活動を規定する人為的取り決めである。 したがって,本願発明は,全体として自然法則を利用したものとはいえない。 |
[裁判所の判断] |
@裁判所は、特許出願に係る対象の発明該当性に対する基本的な考え方として次の見解を示しています。 (a)特許法2条1項は、発明について、「自然法則を利用した技術的思想の創作のうち高度のもの」をいうと規定する。したがって、ある課題解決を目的とした技術的思想の創作が、いかに、具体的であり有益かつ有用なものであったとしても、その課題解決に当たって、自然法則を利用した手段が何ら含まれていない場合には、そのような技術的思想の創作は、特許法2条1項所定の「発明」には該当しない。 (b)ところで、人は、自由に行動し、自己決定することができる存在であり、通常は、人の行動に対して、反復類型性を予見したり、期待することは不可能である。したがって、人の特定の精神活動(社会活動、文化活動、仕事、余暇の利用等あらゆる活動を含む。)、意思決定、行動態様等に有益かつ有用な効果が認められる場合があったとしても、人の特定の精神活動、意思決定や行動態様等自体は、直ちには自然法則の利用とはいえないから、特許法2条1項所定の「発明」に該当しない。 (c)他方、どのような課題解決を目的とした技術的思想の創作であっても、人の精神活動、意思決定又は行動態様と無関係ではなく、また、人の精神活動等に有益・有用であったり、これを助けたり、これに置き換える手段を提供したりすることが通例であるといえるから、人の精神活動等が含まれているからといって、そのことのみを理由として、自然法則を利用した課題解決手法ではないとして、特許法2条1項所定の「発明」でないということはできない。 (d)以上のとおり、ある課題解決を目的とした技術的思想の創作が、その構成中に、人の精神活動、意思決定又は行動態様を含んでいたり、人の精神活動等と密接な関連性があったりする場合において、そのことのみを理由として、特許法2条1項所定の「発明」であることを否定すべきではなく、特許請求の範囲の記載全体を考察し、かつ、明細書等の記載を参酌して、自然法則の利用されている技術的思想の創作が課題解決の主要な手段として示されていると解される場合には、同項所定の「発明」に該当するというべきである。 A裁判所は、前記見解を本件特許出願に対して次のようにあてはめました。 本願の特許請求の範囲の記載においては、対象となる対訳辞書の特徴を具体的に摘示した上で、人間に自然に具わった能力のうち特定の認識能力(子音に対する優位的な識別能力)を利用することによって、英単語の意味等を確定させるという解決課題を実現するための方法を示しているのであるから、本願発明は、自然法則を利用したものということができる。 本願発明には、その実施の過程に人間の精神活動等と評価し得る構成を含むものであるが、そのことゆえに、本願発明が全体として、単に人間の精神活動等からなる思想の創作にすぎず、特許法2条1項所定の「発明」に該当しないとすべきではない。 B裁判所は、本件特許出願の審決に対して次のように述べました。 (a)本願発明の特徴は,以下のとおりである。 すなわち,英語においては,発音のパタンが多く,文字と発音の「ズレ」も著しいため,発音から文字の綴り字を推測することは難しい。その点を解決するための手段として,本願発明は,非母語話者であっても,一般に,音声(特に子音音素)を聞いてそれを聞き分け識別する能力が備わっていることを利用して,聞き取った音声中の子音音素を対象として辞書を引くことにより,綴り字が分からなくても英単語を探し,その綴り字,対訳語などの情報を確認できるようにし,子音音素から母音音素へ段階的に検索をすることによって目標単語を確定する方法を提供するものである。 (b)そして,子音を優先抽出して子音音素のローマ字転記列をabc順に採用している点からすると,本願発明においては,英語の非母語話者にとっては,母音よりも子音の方が認識しやすいという性質を前提として,これを利用していることは明らかである。そうすると,本願発明は,人間(本願発明に係る辞書の利用を想定した対象者を含む。)に自然に具えられた能力のうち,音声に対する認識能力,その中でも子音に対する識別能力が高いことに着目し,子音に対する高い識別能力という性質を利用して,正確な綴りを知らなくても英単語の意味を見いだせるという一定の効果を反復継続して実現する方法を提供するものであるから,自然法則の利用されている技術的思想の創作が課題解決の主要な手段として示されており,特許法2条1項所定の「発明」に該当するものと認められる。(中略) (c)特許出願に係る特許請求の範囲に記載された技術的思想の創作が自然法則を利用した発明であるといえるか否かを判断するに当たっては、特許出願に係る発明の構成ごとに個々別々に判断すべきではなく、特許請求の範囲の記載全体を考察すべきである(明細書及び図面が参酌される場合のあることはいうまでもない。)。そして、この場合、課題解決を目的とした技術的思想の創作の全体の構成中に、自然法則の利用が主要な手段として示されているか否かによって、特許法2条1項所定の「発明」に当たるかを判断すべきであって、課題解決を目的とした技術的思想の創作からなる全体の構成中に、人の精神活動、意思決定又は行動態様からなる構成が含まれていたり、人の精神活動等と密接な関連性を有する構成が含まれていたからといって、そのことのみを理由として、同項所定の「発明」であることを否定すべきではない。 (b)そのような観点に照らすならば、審決の判断は、 (i)「対訳辞書の引く方法の特徴というよりは、引く対象となる対訳辞書の特徴というべきものであって、・・・対訳辞書の特徴がどうであれ人間が行うべき動作を特定した人為的取り決めに留まるものである」などと述べるように、発明の対象たる対訳辞書の具体的な特徴を全く考慮することなく、本願発明が「方法の発明」であるということを理由として、自然法則の利用がされていないという結論を導いており、本願発明の特許請求の範囲の記載の全体的な考察がされていない点、及び、 (ii)およそ、「辞書を引く方法」は、人間が行うべき動作を特定した人為的取り決めであると断定し、そもそも、なにゆえ、辞書を引く動作であれば「人為的な取り決めそのもの」に当たるのかについて何ら説明がないなど、自然法則の利用に当たらないとしたことの合理的な根拠を示していない点 において、妥当性を欠く。したがって、審決の理由は不備であり、その余の点を判断するまでもなく、取消しを免れない。 |
[コメント] |
@従来は、“人間の特定の精神活動(社会活動・文化活動・仕事・余暇の利用等のあらゆる活動を含む。)、意思決定、行動態様等”は、発明該当性を有しないものの典型であり、たとえ有益かつ有用な効果を有していても、原則として特許の対象とはならないと考えられていました。 しかしながら、人間の精神活動を発明特定事項として含む技術的思想の創作に発明該当性が認められる事例も出現し(平成19年(行ケ)第10369号)、原則と例外との境目が曖昧になっていました。 A本事例は、この問題に対する裁判所(知財高裁)の立場を明らかにしたものと言えます。 B具体的には、人間は自己決定能力を有するから、人間の精神活動を発明の構成に組み込んでしまうと、反復類型性を予見することが期待しがたいことが予想されます。精神活動の中で思考・欲求などは、必ずしも発明者の期待通りに人間が対応してくれるとは限らないため、発明該当性がありせん。 しかしながら、人間の精神活動に関連する事柄でも、人の五感などを通じた知覚能力や物事に対する認識・識別の機能などのように万人が共通の反応をするものもあります。本事例では、文字に対する人間の識別能力が問題となっており、こうした場合には、発明該当性が認められる可能性があると裁判所は判断しています。 →発明該当性とは |
[特記事項] |
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