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今岡憲特許事務所マーク


●平成3年(ネ)第1627号 特許侵害・請求棄却→取消


均等論/特許出願/第1要件/無限摺動用ボールスプライン軸受

 [事件の概要]
@特許請求の範囲の記載は次の通りです。

「円筒内壁に断面U字状のトルク伝達用負荷ボール案内溝と、該溝よりもやや深いトルク伝達用無負荷ボール案内溝を軸心方向に交互に形成し、その両端部に前記深溝と同一深さの円周方向溝を形成した外筒と、該外筒内壁の軸心方向に形成したトルク伝達用負荷ボール案内用溝(「トルク伝達用負荷ボール案内溝」の誤記である。)と該トルク伝達用無負荷ボール案内溝に一致して厚肉部と薄肉部(「薄肉部」と「厚肉部」の誤記である。)を形成し、さらに前記薄肉部と厚肉部との境界壁に形成した貫通孔と前記厚肉部に形成した無負荷ボール溝へボールがスムーズに移動可能な無限軌道溝を形成した保持器と、該保持器と前記外筒間に組み込まれたボールとによって形成される複数個の凹部間に一致すべく複数個の凸部を軸方向に形成したスプラインシャフトを嵌挿組立てて構成されることを特徴とする無限摺動用ボールスプライン軸受」


A裁判では、特許請求の範囲の記載事項を次のように分説しました。

・構成要件A…円筒内壁に断面U字状のトルク伝達用負荷ボール案内溝と、該溝よりもやや深いトルク伝達用無負荷ボール案内溝を軸方向に交互に形成し、その両端部に前記深溝と同一深さの円周方向溝を形成した外筒

・構成要件B…外筒内壁の軸方向に形成したトルク伝達用負荷ボール案内溝とトルク伝達無負荷ボール案内溝に一致して薄肉部と厚肉部を形成し、さらに前記薄肉部と厚肉部との境界壁に形成した貫通孔と前記厚肉部に形成した無負荷ボール溝へボールがスムーズに移動可能な無限軌道溝を形成した保持器

・構成要件C…該保持器と前記外筒間に組み込まれたボールとによって形成される複数個の凹部間に一致すべく複数個の凸部を軸方向に形成したスプラインシャフト

・構成要件D…右の外筒と保持器とスプラインシャフトを嵌挿組み立てる

・構成要件E…無限摺動用ボールスプライン軸受


Aさらに特許出願人が記載した明細書には、構成要件Aに関して次の記載があります。

・「鋼管あるいは鋼材より施削した外筒1の内壁に、施削、研磨工程により断面U字状で幅が比較的広く、かつ内径からの深さが深いトルク伝達用無負荷ボール案内溝5と、該トルク伝達用無負荷ボール案内溝5よりはやや浅いトルク伝達用負荷ボール案内溝6を軸心方向に交互に形成することによって複数個の分岐帯頂壁16、17、18、19、20、21が形成され、そしてこれら分岐帯頂壁16〜21のトルク伝達用負荷ボール案内溝16(6の誤記と認められる。)側にはボールの曲率を有するボール転走面22、22……が形成される。」(一頁二欄三〇行ないし二頁三欄三行)、

・「前記外筒1のトルク伝達用無負荷ボール案内溝5と、トルク伝達用負荷ボール案内溝6と一致するように嵌挿する保持器の隔壁を介して複数個形成したトルク伝達用無負荷ボール溝とトルク伝達用負荷ボール溝間に多数のボールを充填し、嵌めこむことによってトルク伝達用負荷ボール溝の2列のボール間の台形状の凹部に一致する突出部10、10、10を軸方(「軸方向」の誤記である。)に形成したスプラインシャフト9を嵌め込み、ストップリング17、17によって外筒1から保持器2の逸出を完全に防止することができる。」(同三欄二二行ないし三二行)、

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・「本発明の無限摺動用ボールスプラインは以上のように構成されているので、スプラインシャフト10(9の誤記と認められる。)あるいは外筒1が軸方向に回転しつつ移動すると、外筒と保持器内のボール即ちトルク伝達用負荷ボールは前記保持器2の長孔13より露出し、スプラインシャフトの台形凸部10の斜面部14と外筒1のU字状のトルク伝達用負荷ボール案内溝16(6の誤記と認められる。)との間に完全なころがり接触をしつつ走行し、その接触角はトルクの伝達方向に近く、そしてアンギュラコンタクトタイプの軸受がスラスト荷重を受けられるのと同様にトルク方向の荷重を確実に受け、しかも、トルク伝達用負荷ボールがスプラインシャフト9の突出部10、10、10をそれぞれ左右から狭み(「挟み」の誤記と認められる。)込むように配設されているため、アンギュララッシュを零にすることができ、また、プリロードをかけることもできるので、ボールスプラインの寿命を増大することができ、かつ、スプラインシャフトの回転方向において3ケ所が有効に働き、ボールの負荷能力を最大限生かせることのできる特徴を有する。また、トルク伝達用無負荷ボール案内溝はトルク伝達用負荷ボール案内溝よりもわずか深めのU字溝を必要とするのみであるから、軸径に対する軸受外径は極端に小さくできる特徴を有する。」(同三欄三三行ないし第四欄一三行)

※アンギュララッシュ…周方向のガタ。

※プリロード…スプリングなどに予めかけておく負荷。


[第一審判決の内容]

・「無限摺動用ボールスプライン軸受」の特許発明の保持器の「薄肉部」は、ボールを保持する機能のほかに、「断面U字状」のトルク伝達用負荷ボール案内溝と有機的に結合して、内側にスプラインシャフトの突出部を案内するために、2列のトルク伝達用負荷ボール間の凹部を形成する機能を有するものである。

・ボール保持の手段に関する従来技術は右発明の「薄肉部」に相当するものを有しないから、右発明におけるボール保持機能を果たすための部材の取付手段を、被告製品の取付手段へ置換することが、本発明の特許出願当時に、当業者において容易に想到できたので、両者は置換容易であると認めることはできず、被告製品が右発明と均等であると認めることはできない。

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[取消理由/原告の主張]

(一) 構成要件Aについて

 (1)  イ号製品の対をなす「断面半円状」の溝は、本件発明の「断面U字状」の溝の要件を充足する。

 本件発明の「断面U字状」との要件は、無限摺動用ボールスプライン軸受において、複列タイプのアンギュラコンタクト構造を採用するためには(複列タイプのアンギュラコンタクト構造を採用した本件発明の本質的特徴については、後記(二)(1) で詳述する。)、〈1〉二条で一組の負荷ボールを案内するためのボール転走面が形成できること、及び、〈2〉二条の負荷ボール間に保持器の薄肉部を配置し、かつ、シャフトの凸部を嵌入する必要があること(凹部形成機能)から採用されたものであり、「U字状」の形状それ自体に特別の技術上の理由があるためではない。要するに、複列タイプのアンギュラコンタクト構造のボール配置における負荷ボール案内溝の形状を技術的に意味あるものとしてみると、二条で一組の負荷ボールを案内するためのボール転走面が存在すること(U字状の溝における円弧状の溝両隅部)が必要であり、かつ、シャフト凸部を嵌入するために二列の負荷ボール間に保持器の薄肉部を収納配置することが可能であること(溝中央部)が必要であることから、負荷ボール案内溝の形状として、断面U字状が採用されたものである。したがって、溝中央部は、保持器の薄肉部を収納配置することが可能であれば足りるのであって、それ以上にその形状に技術的意義があるものではない。なお、無負荷ボール案内溝の形状は、アンギュラコンタクト構造とは直接の関係を有するものではないが、本件発明では、ボールの円周方向循環を採用した関係上、両ボール案内溝の形状を比較的近い形とした方が設計上、工作上容易となるので、同一形状としたものである。

 これに対し、イ号製品の溝は、「断面半円状」であるが、本件発明と同様に複列タイプのアンギュラコンタクト構造のボール配置を実現しているものであるから、二列の負荷ボール案内溝を対をなすものとして捉える他ないのであって、このような技術上の観点からみると、イ号製品にも転走面を有する二条で一組の負荷ボールを収納できる溝を観念することが可能となることは明らかである。すなわち、両者は、共に、複列タイプのアンギュラコンタクト構造のボール配置構造を実現するために、転走面を有する二条で一組の負荷ボールを収納する溝である点において全く差異はないのであるから、イ号製品の対をなす「断面半円状」の溝を断面U字状の溝と観念することが可能となるのである。(後略)

(二) 構成要件Bについて

 イ号製品の「三枚のプレート状部材11」、その両端に嵌着した一対のリング状部材31」及び「突堤25、27、29」からなる保持器具は、構成要件Bを実質的に充足するか、あるいはそれと均等のものである。

 (1)  本件発明の本質的特徴

 本件発明は、ボールスプラインの従来技術であるラジアル形のボールスプライン軸受が、〈1〉ボールを半径方向へ循環させることの欠点、〈2〉溝形状をV字形(ゴシックアーク溝)にしたことの欠点、〈3〉保持器がないことの欠点を有したことに鑑み、(a)大トルクの伝達を可能とすること、(b)許容伝達トルクを減少させることなく、(i)外筒外径を小さくすること、(ii)保持器を装着して、シャフト引き抜き時のボールの脱落を防止すること及びボールを無限循環させること、(iii )負荷ボールと無負荷ボールの遠心力差を無くし、スムーズな転がり運動を達成すること、(iv)アンギュラ・ラッシュを零にするためのプリロードを付与しても、スムーズな転がり運動が可能であること、を達成課題としたものである。

 本件発明の本質的特徴は、〈1〉複列タイプのアンギュラコンタクト構造(シャフトに凸部を設け、その両側に二条で一組のボールを挟み込む構造)を採用することにより、(a)ボールの接触角をトルク伝達方向に近づけて、トルク方向の荷重を確実に受けられる、(b)アンギュララッシュの解消のために、プリロードを付与しても、スムーズな転がり運動ができる、(c)外筒の外径を大きくしなくても保持器を装着することができ、ボールの脱落防止が可能となる、〈2〉ボールを円周方向へ循環させることにより、(a)遠心力の影響を排除して、スムーズな転がり運動が可能となる、(b)無負荷ボール案内溝を、ほぼ、円周方向に設けることができるので、外筒外径を小さくできる、点にあり、これを実現するために、前記2(一)の構成を採択したものである。

 これに対し、イ号製品は、本件発明の本質的特徴である前記〈1〉、〈2〉の両方をいずれも実現しており、かつ、これに基づく全ての効果を奏するものである。

 (2)  置換可能性について

 本件発明の前記課題に照らすと、保持器はスプラインシャフト引き抜き時における「ボール保持機能」及び「凹部形成機能」(薄肉部の内周面は厚肉部の内周面より外筒側に後退しており、シャフト凸部を収容するために、二列の負荷ボール間に凹部を形成する機能)を必要とする。

 右の二つの機能を実現するために、本件発明の保持器は、厚肉部、薄肉部、貫通孔及び貫通孔と厚肉部に形成した無負荷ボール溝へボールがスムーズに移動可能な無限軌道溝からなる。これに対し、イ号製品の保持器具は、三枚のプレート状部材11、その両端部に嵌着した一対のリング状部材31及び外筒に設けられた突堤25、27、29からなり、プレート状部材11と突堤25、27、29との間に長孔13を形成し、長孔13とプレート状部材11に形成した無負荷ボール溝へボールがスムーズに移動可能な無限軌道孔を形成している。そこで、本件発明の「U字溝と薄肉部」とイ号製品の「対をなす半円溝と両溝間の突堤」の機能を対比すると、薄肉部は、厚肉部との間で貫通孔を形成して、負荷ボールをシャフトの凸部に接触させるとともに、シャフト引き抜き時にボールが脱落するのを防止するボール保持機能を有し、また、薄肉部の内周面は、厚肉部の内周面より外筒側に後退しており、シャフト凸部を収容するために、二列の負荷ボール間に凹部を形成する凹部形成機能を有する。これに対して、イ号製品においては、突堤の上端部分はプレート状部材11との間で長孔13を形成して、負荷ボールをシャフトの凸部に接触させるとともに、シャフト引き抜き時にボールが脱落するのを防止するボール保持機能を有し、また、突堤の上端部分は、プレート状部材11の内周面より外筒側に後退しており、シャフトの凸部を収容するために、二列の負荷ボール間に凹部を形成する凹部形成機能を有する。

 結局、本件発明とイ号製品は、〈1〉両者の負荷ボール案内溝については、溝の外側隅部とシャフトの凸部の間に、二条で一組の負荷ボールを挟み込み収容する機能を有し、溝中央部で「薄肉部」又は「薄肉部」に相当する「突堤の上端部分」を配置収容する機能を有する点において共通し、「薄肉部」と「薄肉部」に相当する「突堤の上端部分」とは、共に、「ボール保持機能」及び「凹部形成機能」を有する点において、実質的に同一の作用効果を奏するものである。したがって、イ号製品は、「対をなす断面半円状の負荷ボール案内溝間の突堤」との構成の採用にもかかわらず、本件発明の技術思想の範囲内にあることは明らかであるから、「薄肉部」と「突堤」は置換可能というべきである。

 (3)  置換容易性について

 両者において相違する点は、本件発明においては、U字溝中央部(溝底)と薄肉部との間の空間が格別の機能を果たしていないのに対して、イ号製品においては、右空間部分に本件発明の薄肉部に相当する「突堤の上端部分」を外筒に取り付ける部材が存する点である。すなわち、イ号製品は、遊んでいたU字溝の中央部分に薄肉部に相当する突堤の上端部分の取付部材を設けたに過ぎないのであり、右の相違点は、薄肉部又は薄肉部相当部材の支持方法の違いに過ぎない。しかしながら、本件発明の出願時における先行技術、特に、米国特許第三三九八九九九号明細書(甲第一一号証)に記載の技術に照らせば、前記の相違する点に関する構成は、置換容易であるというべきである。すなわち、右明細書には、ボールスプラインにおいて、外筒の突堤をボールの保持に用いた構造のものが示されている。また、米国特許第三三六〇三〇八号明細書(甲第一三号証)には、ボールスプラインにおいて三個のプレート状部材と二個のリング状部材で構成される保持器が示されている。したがって、当業者であれば、本件発明における「断面U字状の負荷ボール案内溝に一致した保持器の薄肉部」の構成を、イ号製品における「対をなす断面半円状の負荷ボール案内溝の突堤」の構成に容易に置換することができるということができる。置換可能性及び置換容易性の判断時期を侵害時とした場合には、本件発明の実施品が広く販売されていたのであるから、置換は一層容易であったことは明らかである。

 以上のように、本件発明の「U字溝と薄肉部」は、イ号製品の「対をなす半円溝と両溝間の突堤」と置換可能であり、かつ、置換容易であるから、イ号製品の保持器具は、本件発明の保持器と実質同一、あるいは均等と認められるべきである。

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[被告の主張]

(一) 構成要件Aについて

 (1)  イ号製品の対をなす「断面半円状」の溝は、本件発明の「断面U字状」の溝の要件を充足しない。

 控訴人は、本件発明の出願過程において、対をなす「断面半円状」のボール溝を開示している米国特許第三四九四一四八号明細書を引用した異議申立てに対する答弁書において、「本願発明の無限摺動用ボールスプライン軸受は断面U字状のトルク伝達用負荷ボール溝を形成した外筒と該外筒内壁の定位置にセットされる保持器と、該保持器に形成される長孔はスプラインシャフトの凸部と前記外筒の負荷ボール案内溝との関係がすべてアンギュラコンタクトタイプの軸受となるように形成されていることが必須の要件である。」と述べているのである。すなわち、控訴人は、対をなす「断面半円状」の溝形状が従来公知であることを認識した上で、本件発明においては、「断面U字状」が必須要件であることを認めているのであり、これを受けて、異議決定において、「断面U字状」が本件発明の重要な特徴であることを認定しているのである。したがって、以上の出願経過からすると、控訴人の前記主張は、禁反言の原則に反するものであって、失当である。

 また、イ号製品における断面半円状のボール案内溝は、本件発明の断面U字状のボール案内溝が有する削り取るべき材料、エネルギーの無駄という問題点に鑑みて採用されたものであり、しかも、断面半円状の負荷ボール溝間の突堤はボールの保持機能に、無負荷ボール溝間の突堤は保持器11の位置決め機能に積極的に用いられており、断面U字状の溝形状ではこのようなことは不可能であるから、両者は実質的にも異なるものである。

 (2)  イ号製品の円筒状部分7(「円周方向部分7」)は、本件発明の「円周方向溝」の要件を充足しない。

  (a) 本来「溝」とは、「細長い凹み」であり、「凹み」とは、文字どおり、両側に側壁を有する構造である。そして、本件発明においては、少なくとも負荷ボール案内溝に対応する部分をみる限り、「溝」と呼ぶに相応しい円周方向の細長い凹みが形成されていることは明らかである。しかし、イ号製品の外筒には、一側に段差を有する円筒状部分が形成されているのであり、これは「溝」ではないから、本件発明「円周方向溝」の要件を充足しない。

  (b) 本件発明においては、無負荷ボール案内溝と円周方向溝とは「同一深さ」であることが要件とされている。そして、本件発明において右の両者が「同一深さ」に設定されているのは、とりもなおさず、この円周方向溝がボールの方向変換路(なお、ここでいう方向変換路とは、ボールの方向変換を案内する機能とともに、方向変換中のボールの脱落を防止する機能を有するもので、ボールスプラインに関する発明が成立する当然の要件である。)の一部としても用いられているからに他ならず、この方向変換路の構成要素としての円周方向溝と無負荷ボール案内溝との間においてボールが円滑に移動できるように両者間の段差をなくしたものである。この結果、本件発明においては、円周方向溝がないとボールが方向変換することができず、脱落してしまう(本件明細書においては、本件発明における保持器の環状溝としてボールの中心からみると一八〇度以上が開放しているものしか開示されていない。)し、また、外筒が負荷ボールを円周方向溝に導くための逃げ部(曲面加工)を必要とすることとなるのである。以上のことは、本件明細書の記載から明らかであり、かかる構成と異なる構成については何ら開示されていないのである。控訴人は、トルク伝達用無負荷ボール案内溝と円周方向溝との関係を同一深さでなくてもよいなどと主張するが、本件発明の特許請求の範囲において「同一深さ」と記載した以上、後になって、実は「同一深さ」でなくてもよい、などと主張すること自体許されないことであり、同一深さでないものは、本件発明の実施品ではない。

 これに対して、イ号製品においては、無負荷ボール案内溝と円筒状部分との間に段差のないものはない。これは、イ号製品においては、保持器11の端部のボール変向溝とリターンキャップ31のボール変向溝とで方向変換路を形成しているのであるから、円筒状部分7はリターンキャップ31を固定する機能を果たしているに過ぎず、ボールの方向変換とは全く関係がないのであって、この点において両者が異なる技術思想に基づくことは明らかである。なお、イ号製品のSPG−三〇型においては、円筒状部分7と無負荷ボール案内溝の段差は、専ら適切な「嵌め合い」の見地から約五〇ミクロンになっているが、イ号製品においては、この段差が如何に大きくてもボールスプラインとしての機能上何ら支障がないことは検乙第一、二号証から明らかであり、この点においてイ号製品は本件発明とは根本的に異なるのである。

   (二) 構成要件Bについて

 (1)  イ号製品の「三枚のプレート状部材11」、その両端に嵌着した一対の「リング状部材31」及び「突堤25、27、29」は、構成要件Bを実質的に充足しない。

 控訴人は、イ号製品は、本件発明の保持器の薄肉部を外筒側の突堤上端部に置換しただけのものであり、右置換は単なる設計変更ないし実質同一であると主張するが、右主張は前述した方向変換路の構成における根本的相違を全く無視したものであって、到底首肯し得るものではない。

 (2)  イ号製品の「三枚のプレート状部材11」、その両端に嵌着した一対の「リング状部材31」及び「突堤25、27、29」は、構成要件Bと均等ではない。

 まず、控訴人は、イ号製品は本件発明の最も重要な本質的特徴部分であるアンギュラコンタクト構造をそのまま利用しているなどと主張するが、要するに、本件発明のアンギュラコンタクト構造、ボールの円周方向循環、保持器の装着、プリロードの付与等はいずれもボールスプラインとボールブッシュにおける従来周知の技術であり、本件発明はこれらの周知の技術の寄せ集めに過ぎないものであるから、アンギュラコンタクト構造等を用いている限り、本件発明の侵害であるということはあり得ないことである。本件発明は、本件明細書の特許請求の範囲に記載されている特定の構成の外筒と保持器が一体不可分に結合されて初めて一定の意味を持つボールスプラインとなるのであるから、実質的にアンギュラコンタクト構造自体に特許が付与されているかの如き控訴人の主張は到底容認されるべきものではない。

(a) 控訴人は、置換可能性について種々論じているが、ボールスプラインにおける「ボールの保持機能」という機能面に着目して考察した場合、両者が置換可能であることはむしろ自明のことであり、この点はさほど意味がなく、最も問題となる点は置換容易性ないしは自明性であるから、以下、本件において置換容易性又は自明性がないことを詳述する。

(b) 均等の要件としての置換容易性ないし自明性は、特許要件としての進歩性と異なり、「当該他の特許発明をみれば特段の実験追試を試みるまでもなく当業者であれば当然に推測できる程度の推考容易性がなければならないと解するのが相当である。」(大阪地裁昭和五五年一〇月三一日判決・無体裁集一二巻二号六三二頁)とあるように極めて限られた要件の下でしか認められないのである。このような観点からみると、本件においては、控訴人が援用する甲第一一、第一二号証(いずれもボールスプラインに関する技術ではないし、そこに開示されている技術を組み合わせてもイ号製品を得ることはできない。)及び同第一四、第一五号証(いずれも負荷ボール列と無負荷ボール列をしゅん別するタイプのものではなく、ボールスプラインとしての基本原理を異にするし、そこに開示されている技術を組み合わせてもイ号製品の保持器を得ることはできない。)をみても、置換容易性ないし自明性を証明することはできない。また、イ号製品における保持器11とリターンキャップ31からなる方向変換路の構成は特許権を付与されているのであり、このことからしても置換容易性ないし自明性がないことは明らかである。

  (c) イ号製品における保持器11とリターンキャップ31の組合せは、断面半円状の溝と両端の円筒状部分を具えた外筒と相まって、本件発明よりもボールスプラインの製造組立を容易にしたものであり、このような作用効果の相違からみて、本件発明の保持器と均等なものではない。



 [裁判所の判断]
@裁判所は、イ号製品が構成要件C、D及びEを充足することは当事者間に争いがないとして、被控訴人において明らかに争わないところであるとして、イ号製品が構成要件A及びBを充足するか否かについて、検討しました。


A構成要件Aについて

(a)明細書の記載によれば、本件発明を外筒の構成、とりわけトルク伝達用負荷ボール案内溝及びトルク伝達用無負荷ボール案内溝の構成の技術的意義という観点からみると、

 本件発明は、

・スプラインシャフトと負荷ボールの接触形式にアンギュラコンタクト構造を採用することにより、トルク方向の荷重を確実に受けることを可能にするとともに、

・右接触構造を二条の負荷ボールがスプラインシャフトの凸部を左右から挟持する複列タイプとすることにより、アンギュララッシュを零にするとともにプリロードを効果的にかけることを可能とし、

・また、無負荷ボールの循環を円周方向に設けたトルク伝達用無負荷ボール案内溝とする構成を採用することにより、スプラインシャフトの軸受外径を極端に小さくして、ボールスプライン軸受を小型、軽量化すると同時に、循環ボールに加わる遠心力差をなくすことを可能とすることによってボールの循環運動をスムーズならしめ、円滑な直線運動を実現したボールスプライン軸受であると認められる。

(b)また、いずれも成立に争いのない甲第二五号証(昭和五九年一〇月三一日財団法人日本規格協会発行、森五郎編集「日本工業規格 ラジアル形ボールスプライン」)、同第二六号証(控訴人作成の「発明大賞に輝くTHKボールスプラインの特性」と題するパンフレット)及び甲第三九号証(控訴人代表者の陳述書)によれば、本件明細書が指摘したボールスプライン軸受に関する前記の従来技術とは、ラジアルタイプのボールスプライン軸受であり、この種の軸受においては、ボールとボールが接触する軌道面(溝)にゴシックアークの接触形式(V字形溝形状)が採用されていたことから、プリロードをかけると差動すべり量が大きくなり、ころがり接触がすべり接触に変化するため、プリロードをかけることができないという欠点を有していたところ、アンギュラコンタクトの接触形式の場合には、プリロードをかけた場合にも、差動すべり量が大きくならず、良好なころがり運動が可能になるとの事実を認めることができる。

(c)以上の認定を基礎として、本件発明が採用した複列タイプのアンギュラコンタクトの接触形式の観点から外筒の断面U字状の溝形状の技術的意義をみると、負荷ボールとアンギュラコンタクト接触するのは、断面U字状をしたトルク伝達用負荷ボール案内溝の両隅部(前記実施例ではボールの曲率に形成されたトルク伝達用負荷ボール案内溝の転走面22がこれに当たる。)とスプラインシャフトの凸部(前記実施例では台形突部10の斜面部14がこれに当たる。)であり、前者が二列で一組となって右凸部を左右から挟持する構造であることが明らかである。そして、トルク伝達用負荷ボール案内溝の溝底中央部は、前記凸部を案内して収容することが可能であれば足り、それ以上に負荷ボールとの接触等の役割を有するものではない。これに対し、トルク伝達用無負荷ボール案内溝は、無負荷ボールの円周方向循環を可能ならしめるに過ぎないものであるから、軸受外径を可能な限り小さくすることが可能であれば足り、その溝形状が特定の形状でなければならないとの技術的要請を見いだすことはできず、この意味で、前記の小型、軽量化の要請を満たす限り、専ら、製造上の便宜等に基づいて適宜決定しても差し支えがないということができる。

 本件発明が採用した外筒の構成を有する以上の技術的意義は、本件明細書における前記の開示事項に照らせば、本件明細書に接した当業者であれば、十分に読み取ることが可能というべきであるから、以下、これを踏まえて、イ号製品の構成要件Aの充足の有無について具体的に検討する。

(d)検討事項

(一) イ号製品の対をなす「断面半円状」の溝が本件発明の「断面U字状」の溝の要件を充足するか否かについて検討する。

 当事者間に争いのないイ号製品の前記構造に照らすと、イ号製品も本件発明と同様にスプラインシャフトの凸部をトルク伝達用負荷ボール案内溝の負荷ボールが左右から挟み込む複列タイプのアンギュラコンタクト構造のボールスプライン軸受であることは明らかである。そして、かかる接触構造からすると、負荷、負荷、無負荷、無負荷と連続する断面半円状のボール案内溝は、隣接する二列の負荷ボール案内溝が一組となり、右各案内溝の両隅部と前記凸部との間で負荷ボールを挟持するものであることは明らかである。ところで、イ号製品の外筒の負荷ボール案内溝の間には突堤25、27、29が設けられてはいるが、右突堤は、その上方にスプラインシャフトの凸部を収容する場所的空間が確保されているというに止まり、それ以上に負荷ボールとスプラインシャフト凸部との前記の接触に直接の関係を有するものでないことは、前記の接触構造自体から明らかである(もっとも、右突堤がプレート状部材11の側部と共働して負荷ボールの脱落を防止する機能を有し、また、この結果、右突堤とその左右に保持された二列の負荷ボールによってスプラインシャフトの凸部を案内する凹部形成機能を有することはいずれもイ号製品であることに争いのない検甲第五、第六号証及び乙第一、第二号証をみれば明らかであるが、この点は本件発明の保持器の機能と対比すべきものであるから、後に論及することとする。)。また、イ号製品の断面半円状の無負荷ボール案内溝は、負荷ボールを円周方向へ循環させるためのものであってアンギュラコンタクト接触とは何ら関係を持たない点において本件発明と同様であることは、イ号製品の構造自体から明らかである。

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 本件発明における断面U字状の溝形状及びイ号製品における断面半円状の溝形状の技術的意義は前述したとおりであり、以上の溝形状を対比すると、確かに、本件発明が「断面U字状」と規定するのに対し、イ号製品は「断面半円状」であるから、その形状が一見相違するかのようであるが、これを両者が採用しているところの複列タイプのアンギュラコンタクト構造の接触という技術的観点からみた場合、スプラインシャフトの凸部を案内する場所的空間を確保するという点において本件発明の「断面U字状」溝の溝中央部と共通の技術的意義を有しているが、それ以上に突堤それ自体の技術的意義を見いだすことはできず、また、スプラインシャフトの凸部案内のための場所的空間の確保という点に限ってもイ号製品の突堤が特に優れた効果をもたらしているものと認めるに足りる証拠もない。この意味において、イ号製品の「断面半円状」の負荷ボール案内溝を複列タイプのアンギュラコンタクト構造という観点から技術的に意義のある二条で一組の溝として捉えた場合、そこに「断面U字状」の溝を観念することが可能というべきで、右の技術的観点からみる限り、イ号製品の二条で一組をなす「断面半円状」の負荷ボール案内溝は、本件発明の「断面U字状」の負荷ボール案内溝の底面に技術的には意義を認め難い突堤を設けたに過ぎないものということができるから、両者の溝形状は実質的に同一と認めて差し支えないものというべきである。そうであればこれと格別区別して扱う技術的理由がない無負荷ボール案内溝についても同様に考えて差し支えないものというべきである。

 被控訴人は、控訴人のこの点に関する主張は本件発明の出願過程において「断面U字状」の溝形状が必須の要件であると述べていることからすると、禁反言の原則に反し許されないと主張するので、この点を検討するに、いずれも成立に争いのない甲第三〇号証(本件発明に関する昭和五四年五月一日付け特許異議答弁書)によれば、控訴人は、右答弁書に被控訴人が主張するとおりの記載をしている事実を認めることができる。そこで更に右答弁書の記載を検討するに、右甲号証によれば、右答弁書は異議申立人が公知技術として特公昭四四−二三六一号公報(甲第一〇号証)、ドイツ連邦共和国特許第一四五〇〇六〇号公報(乙第二号証)及び米国特許第三四九四一四八号明細書(乙第一〇号証)を援用して推考容易を主張したことに対する反論を記載したものと認められるところ、右答弁書中には、一般的な記載として「断面U字状」の溝が必須要件である旨の記載は被控訴人も援用するように認められるところであるが、前記の各公知技術との関係において「断面U字状」に限定し、この形状こそが本件発明の特徴であるとして、「断面半円状」の溝形状を意識的に排除したとまで認めるに足りる記載を見いだすことは困難であり、このことは、前記申立てに対する異議決定である成立に争いのない乙第一号証を精査しても同様であり、他にこれを認めるに足りる証拠はない。そうすると、前記程度の記載をもって、控訴人の前記主張が禁反言の原則に反し許されないとまでいうことはできないから、被控訴人のこの点に関する主張は採用できない。

 また、被控訴人は、イ号製品の「断面半円状」の溝形状は本件発明の「断面U字状」の溝形状が有する製造上の無駄の解消を目的として採用したものであると主張するところ、本件全証拠を検討しても「断面U字状」の溝形成に製造上の無駄が存在することを認めるに足りる的確な証拠はない。

 そうすると、イ号製品は、本件発明の「断面U字状」の溝形状の要件を充足するというべきである。

(二) イ号製品の「円筒状部分7」は、本件発明の「円周方向溝」の要件を充足するか否かについて検討する。

 本件発明の特許請求の範囲の記載によれば、本件発明においては、外筒内において無限軌道溝を形成し、ボールが一八〇度の方向変換を行う構造であることは明らかである。ところで、前項に認定したように、本件発明の外筒にトルク伝達用負荷ボール案内溝及びトルク伝達用無負荷ボール案内溝を軸方向に交互に設けた場合、その溝間に分岐帯頂壁が残存するため、前記のように外筒内でトルク伝達用負荷ボール案内溝からトルク伝達用無負荷ボール案内溝へと方向変換を行うためには、障害となる分岐帯頂壁を除去し、方向変換を可能とする空間の必要が生ずることは明らかなところである。このように外筒の端部において、ボールの一八〇度方向変換の障害となる分岐帯頂壁を除去し、方向変換を可能とする空間を提供するために円周方向溝を設ける必要があることはボールの方向変換の構造上明らかなこところというべきである。そして、この場合、円周方向溝の深さの設定に当たり、これをトルク伝達用負荷ボール案内溝の深さと同一にした場合には、ボールが方向変換の出入口においてシャフトと干渉するであろうことは容易に推認できる反面、可能な限り小型化を図る観点からトルク伝達用無負荷ボール案内溝と同一の深さとすることは極めて合理的な選択であり、本件発明においてもかかる観点から同一深さを選択したものと推測されるところである。

 次に、イ号製品についてみると、同製品においても、外筒内でボールの一八〇度の方向変換を行うものであり、かつ、断面半円状の溝を形成している以上、ボールの方向変換のために残存する壁を除去して、方向変換のための空間を提供するという技術的要請が欠かせないものであることは当然のことであり、イ号製品の円筒状部分7が少なくともかかる技術的要請を充足するものであることは明らかというべきであって、このように外筒内におけるボールの方向変換を図るために必要な技術的要請を充足する点でイ号製品の円筒状部分7と本件発明の円周方向溝は変わるところがない。

 これに対し被控訴人は、本件発明における円周方向溝は文字どおり溝、すなわち側壁を有する構造であるのに対し、イ号製品は円筒状であるに過ぎないからこの点において構成を異にすると主張するので検討するに、確かに、一般に「溝」とは、国語的意義においては、左右に側壁を有する構造を意味するものであり、本件明細書によれば、本件発明の実施例では、分岐帯頂壁の円周方向溝を挟んだ外筒端部側に側壁があり、これが溝構造を形成していることが認められるところであり、これに対し、イ号製品の円筒状部分7にはかかる溝が形成されていないことは前掲検甲第五、第六号証及び乙第一、第二号証から明らかである。そこで、本件発明における前記側壁の技術的意義についてみるに、本件明細書によれば、右側壁は外筒に断面U字状の溝と円周方向溝を形成した際の不要部分として残存した部位であることが推認されるに止まり、本件発明の奏する効果と関連した何らかの技術的意義を有するものと認めるに足りる記載を見いだすことはできない。そして、このことは、右側壁が前記のとおり分岐帯頂壁の円周方向溝を挟んだ外筒端部側に不連続状に存在していて完全な溝形状を構成していないことからも窺われるところである。そうすると、この点に関する差異は、技術的な意義を有する差異とは認め難いから、この点において構成が異なるとすることはできず、被控訴人の主張は採用できない。(後略)


B構成要件Bについて

(一) 本件発明の前記特許請求の範囲の記載によれば、構成要件Bは、本件発明の保持器の構成を規定したものであることは明らかである。そして、右特許請求の範囲の記載によれば、保持器は、無負荷ボール溝を形成した厚肉部、薄肉部、厚肉部と薄肉部の境界壁に形成した貫通孔、及び、厚肉部の無負荷ボール溝と貫通孔との間でボールがスムーズに移動可能とする無限軌道溝を具備した一体構成からなり、厚肉部は外筒のトルク伝達用無負荷ボール案内溝と、薄肉部はトルク伝達用負荷ボール案内溝とそれぞれ一致して外筒に嵌挿されるものであると解することができる。そこで、さらに本件明細書に即して、構成要件Bの技術的意義について検討するに、前掲甲第一号証によれば、従来のボールスプライン軸受においては、外筒とスプラインシャフトとの間に保持器等を介在させる余裕がないため、スプラインシャフトを取り除いたとき、ボールが脱落する恐れが十分にあった事実を認めることができる。そして、本件明細書には、本件発明の実施品に関して、「トルク伝達用無負荷ボールとトルク伝達用負荷ボールを案内する保持器は中空筒体にして、前記外筒内壁に形成したトルク伝達用無負荷ボール案内溝5とトルク伝達用負荷ボール案内溝6に一致するように厚肉部11と薄肉部12を形成すると共に該厚肉部11に複数のトルク伝達用無負荷ボール溝15、15を形成し、該厚肉部11と薄肉部12との両境界部のトルク伝達用負荷ボール溝(「トルク伝達用負荷ボール溝6」は誤記である。)にはそれぞれトルク伝達用負荷ボールが脱落しない程度の即ちボール径寸法よりもやや幅の狭い長孔13を貫通せしめて形成し、さらに厚肉部11と薄肉部12との境界部から厚肉部11へボールの移動可能ならしむるべく環状溝(「環状溝16」は誤記である。)を形成し、保持器に複数個の無限軌道溝を形成することになる。次に、前記外筒1のトルク伝達用無負荷ボール案内溝5と、トルク伝達用負荷ボール案内溝6と一致するように嵌挿する保持器の隔壁を介して複数個形成したトルク伝達用無負荷ボール溝とトルク伝達用負荷ボール溝間に多数のボールを充填し、嵌め込むことによってトルク伝達用負荷ボール溝の2列のボール間の台形状の凹部に一致する突出部10、10、10を軸方に形成したスプラインシャフト9を嵌め込み、ストップリング17、17によって外筒1から保持器2の逸出を完全に防止することができる。」(二頁三欄七行な
いし三二行)との記載が認められる。

 以上によれば、本件発明における保持器は、厚肉部の無負荷ボール溝、長孔13及び環状溝によってボールの無限循環を案内し、長孔13によって、スプラインシャフトを引き抜いた時の負荷ボールの脱落を防止し、また、二列の長孔13によって保持された二列の負荷ボールによって凹部を形成し、この凹部にスプラインシャフトの凸部を案内する機能を有する中空筒体の一体構造のものであると認めることができる。

 これに対し、当事者間に争いのないイ号製品の前記構造に照らすと、イ号製品は、二列の負荷ボール案内溝間の突堤上端部とその左右に位置するプレート状部材11の側壁によって形成される長孔、同プレート状部材に形成した無負荷ボール溝及びリターンキャップ31に形成した環状溝によってボールの無限循環を案内し、前記長孔によってスプラインシャフト引き抜き時の負荷ボールの脱落を防止するとともに、二列の長孔内にある負荷ボールによって凹部を形成し、右凹部にスプラインシャフトの凸部を案内する構造であるということができる。

 以上によれば、本件発明の保持器は一体構造であり、保持器自体によってボールの無限循環案内、スプラインシャフト引き抜き時のボール保持機能及びシャフト凸部を案内するための凹部形成機能を有するのに対し、イ号製品は、外筒の負荷ボール案内溝間にある突堤上端部とプレート状部材11及びリターンキャップ31の三つの部材の協働によって本件発明の保持器の前記各機能を実現しているものであるから、両者がその構成を異にすることは明らかというべきである。

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   (二) ところで、特許発明の技術的範囲に属するか否かは、法的安定性の見地から、原則として、発明の構成に欠くことのできない事項のみが記載された特許請求の範囲に記載された構成により決めるべきものであって、例えば物に係る特許発明と侵害を主張される物品がその一部の構成を異にする場合においては、当該物品は当該発明の技術的範囲に属さないものというべきである。しかし、その場合であっても、解決すべき技術的課題及びその基礎となる技術的思想が特許発明と侵害を主張される物品において変わるところがなく、したがって、侵害を主張される物品が特許発明の奏する中核的な作用効果を全て奏することとなる反面、これに関連する一部の異なる構成について、これに基づいて顕著な効果を奏する等の格別の技術的意義が認められず、かつ、当該特許発明の出願当時の技術水準に基づくとき、右一部の異なる構成に置換することが可能であるとともに、容易に右置換が可能である場合には、例外として、侵害を主張される物品は特許発明の技術的範囲に属するものとして侵害を構成するものと解するのが相当というべきである。けだし、このように解さないと、新たな技術を社会に開示した代償として特許権を付与されたことを容易に無意味ならしめることに帰し、特許制度の趣旨にもとる結果を招来するからである。もとより、特許権の保護と同時に第三者に対する法的安定性の要請も十分に考慮することが必要であることはいうまでもないことであるが、前述した要件のもとに技術的範囲に属するか否かを判断する場合には、法的安定性の要請も十分に図られるものということができる。そこで、以上の観点から、以下、検討することとする。

 (1)  まず、本件発明の技術課題についてみるに、既に認定したように、本件発明は、従来の無限摺動用ボールスプライン軸受が有した、〈1〉負荷ボールとスプラインシャフト及び外筒に設けられた溝との接触がゴシックアーク形成であるためトルク伝達力が弱く、アンギュララッシュが生じ、プリロードをかけることができない欠点、〈2〉ボールの循環が半径方向であるため、必然的に軸受外径が大きくならざるを得ず、かつ、ボールが遠心力の影響を避けられず、円滑なボール循環ができない欠点、〈3〉スプラインシャフト引き抜き時におけるボールの脱落が防止できない欠点の解決を主要な解決課題としたものである。そして、右欠点を一挙に解決するべく、前記特許請求の範囲記載の構成を採択したものであり、その中心的構成が構成要件AないしC(外筒、保持器、スプラインシャフト)の組合せにあることは、前記課題と本件発明の構成を対比ずれば明らかなところである。本件発明は、無限摺動用ボールスプラインにおける主要な部材である外筒、スプラインシャフト及び保持器を右各構成要件のように構成して、組み合わせることにより、確実なトルク伝達力の確保及び円滑なボール循環並びに小型、軽量化を同時に実現した点にその技術的思想が存するものといえる(なお、この点について、被控訴人は、本件発明は、アンギュラコンタクト接触構造、円周方向変換及び保持器という従来周知の技術の寄せ集めに過ぎないと主張するが、本件全証拠をみても、本件発明が出願されるまでに、単一の無限摺動用ボールスプライン軸受において、右の各技術を有機的に統合し、本件発明が奏する前記の各種効果を一挙に実現したボールスプライン軸受が存在したことを認めるに足りる証拠はないから、右主張は採用でない。)そして、本件発明は、この結果、許容伝達トルクを減少することなく、軸径寸法に比し、軸受外径寸法を極端に小さくすることができ(アンギュラコンタクトの接触構造及びボールの円周方向変換の採用)、アンギュララッシュを零にすることが可能であるとともにプリロードをかけることができ(複列タイプのアンギュラコンタクトの接触構造の採用)、スプラインシャフトの引き抜き時に、ボールの脱落を防止できる(保持器の採用)との効果を得て。前記の全ての課題を一挙に解決したものと認めることができ、右効果こそ本件発明の中核的な作用効果であるということができる。

 これに対し、イ号製品が保持器以外の構成において本件発明と同一の構成を具備し、かつ、本件発明の奏する前記の中核的な作用効果の全てを奏することはこれまで述べてきたイ号製品の構造に照らして明らかである。

 そこで、イ号製品のプレート状部材11、リターンキャップ31及び突堤25、27、29の奏する作用効果についてみると、被控訴人は、イ号製品は本件発明に比して製造、組立が容易であるという効果を奏すると主張するので検討するに、イ号製品は本件発明が保持式を一体構造のものとするのに比し、同様の効果を三枚のプレート状部材11、二個のリターンキャップ31と部材点数において相当増加することからすると、直ちに、イ号製品の方が製造、組立上、容易であるといえるかについては疑問とせざるを得ないし、他にこれを認めるに足りる的確な証拠もない。なお、イ号製品の無負荷ボール案内溝間にある突堤26、28、30はプレート状部材11の位置決め機能を果たしていることが認められるが、元来、かかる位置決め機能は本件発明の薄肉部を外筒の突堤に置換した結果、分割構成を採用せざるを得なくなったために生じたものであるから、これを新たな作用効果と評価することはできないものというべきである。

 そうすると、イ号製品は本件発明の中核的な作用効果を全て奏するというべきであり、このことからすると、その基本とする技術的課題及びその基礎となる技術的思想において本件発明と変わるところはないものということができる。

 (2)  そこで、以下、本件発明の構成要件Bである保持器とイ号製品の3枚のプレート状部材11、二個のリターンキャップ31及び負荷ボール案内溝間の突堤25、27、29との置換容易性について検討する(なお、両者間の置換可能性は被控訴人も自認するところである。)

 両者を対比すると、イ号製品は本件発明の保持器における薄肉部を外筒の突堤に置換することにより、本件発明と同一のボールの無限循環案内、ボールの脱落防止及びスプラインシャフトの凸部の案内の各機能を果たしているものと認めることができる。そして、イ号製品は本件発明の保持器における薄肉部を外筒の突堤に置換した結果、本件発明のような一体構造の保持器の採用が困難となり、必然的に、三枚のプレート状部材11及び二個のリターンキャップ31の構成を採用せざるを得なかったものと認められるから、結局、前記のような機能を有する薄肉部を外筒の突堤に置換することが容易であるか否かを検討すれば足りるものというべきである。

 いずれも成立に争いのない甲第一一号証(米国特許第三三九八九九九号明細書、昭和四三年一二月一七日特許庁図書館受入)及同第四二号証(弁理士西森浩司作成の見解書)によれば、右明細書の第7、第8図にはボールスプラインが記載されており、右ボールスプラインにおいては、ボールが通過する軌道22、24の間にある外筒に設けられた突出部84とボール保持手段である80、82の縁部でボールを保持している構成が開示されている事実を認めることができ、他にこれを左右するに足りる証拠はない。

 そうすると、右軌道22、24が負荷ボール案内溝に、また、突出部84が突堤に相当することは明らかであるから、右開示事項に基づいて当業者が本件発明の保持器の薄肉部を外筒の突堤に置換することは極めて容易というべきであり、他にこれを困難ならしめる証拠はない。

 更に念のため、プレート状部材11とリターンキャップ31についてその置換容易性を検討すると、成立に争いのない甲第一三号証(米国特許第三三六〇三〇八号明細書、昭和四三年三月一日特許庁資料館受入)には、無限摺動用ボールスプライン軸受において、スプラインシャフト引き抜き時にボールの保持機能を有する保持器に関して、スロット40を有する一体構造の円筒状ボール保持スリーブ38、一体構造の終端キャップ22及び三分割された終端キャップ20からなる保持器が構成される例(実施例第1図ないし第4図)、三分割された円筒状ボール保持スリーブ46(その端面であるエッジ64、68によりスロット67を形成する。)、一体構造の終端キャップ72、73からなる保持器が構成される例がそれぞれ開示されている事実が認められ、他にこれを左右する証拠はない。そうすると、右の円筒状ボール保持スリーブがイ号製品のプレート状部材11に、終端キャップがリターンキャップ31に相当することは、当業者がみればその機能からみて明らかなところであるから、右に開示されたボールスプライン軸受の保持器の構成に基づいて、本件発明の保持器の構成をイ号製品のプレート状部材11とリターンキャップ31の構成に置換することは容易というべきであり、他にこれを困難ならしめる証拠はない。なお、右明細書に開示されたボールスプライン軸受は、複列タイプのアンギュラコンタクト構造を採用していない等の点において、本件発明やイ号製品と基本的なボールの接触構造を異にするが、既に述べてきたところから明らかなように、保持器の構成は、ボールの接触構造によって根本的に異なるものとは認められないから、これらの差異が前記の置換の障害となるものではないというべきである。

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 なお、被控訴人は、イ号製品におけるプレート状部材11とリターンキャップ31からなる方向変換路の構成は特許を付与されていることからしても置換容易性ないし自明性がないことは明らかであると主張するので、検討するに、いずれも成立に争いのない乙第一二、第一三号証によれば、被控訴人は発明の名称をボールスプラインとし、その特許請求の範囲には「円筒内壁に略半円形の断面を有する負荷溝と無負荷溝を形成したアウターレースと、両端部に前記負荷溝と無負荷溝間のボール変向を行わせる軸方向外向きボール変向溝を有するリテーナを有し、前記アウターレースの両端部に嵌合せしめられるリターンキャップに設けた軸方向内向きボール変向溝が前記リテーナの軸方向外向きボール変向溝と相俟ってボールの方向変換路を形成することを特徴とする、ボールスプライン」との記載がある発明について特許査定を受けたことが認められる。しかしながら、右特許請求の範囲の記載によれば、右発明はリテーナとリターンキャップによるボール方向変換路に関する発明であり、前記の置換容易性において問題となる外筒における突堤の問題ではないから、被控訴人の右特許が前記置換容易性の判断を左右するものではないというべきであり、被控訴人の右主張は採用できない。

  3 以上に説示したように、解決すべき技術的課題、その基礎となる技術的思想及びこれに基づく各構成により奏せられる効果が、本件発明においてもイ号製品においても変わるところがなく、構成要件Bについて、これとイ号製品との間に置換可能性及び置換容易性が認められ、他方、一見相違するがごとき他の構成、すなわち構成要件Aについて断面U字状の溝と断面半円状の溝(突堤の有無)、円周方向溝と円筒状部分7に関する各構成も、イ号製品について特段の技術的意義も見いだし難い以上、イ号製品は本件発明の技術的範囲に属すると認めるのが相当である。


 [コメント]

@本事例は、日本の裁判所が均等論を肯定する判決を示したという点で世間の注目を集めたケースです。

 この事件の第3審においては、いわゆる均等論の5要件が提唱する重要な判例が示されました(平成6年(オ)第1083号)。 

 この判例を紹介する前に、事件の事実関係を明らかにするために本事例を解説します。


A本件では、一体構造の保持具を、イ号物件が有する分割された5つのパーツ(3枚のプレート部材及び2個のリターンキャップ)に置き換えることの是非が問題となりました。


B裁判官は、特許出願人が明細書に記載した発明の課題として

(i)軸受の外径を小さくすること、

(ii)アンギュララッシュを零にするとともにプリロードを掛けること

(iii)スプラインシャフトの引き抜き時にボールの脱落を防止できること

 を掲げていることに着目し、

(i)を実現するために、ボールの周方向変換手段(円周方向溝)を採用するとともにアンギュラコンタクト構造(U字形の案内溝の両隅にそれぞれ位置するボール列とスプラインシャフトの凸部の間にボールを挟んだこと)を採用したこと、

(ii)を実現するためにアンギュラコンタクト構造を採用したこと

(iii)を実現するために保持具を採用したこと

 を本発明の中核的作用効果と解釈しました。

 そしてイ号物件もこの作用効果を奏すると認め、さらに置換可能性・置換容易性を認めて、均等論を適用しました。


Cちなみに、“アンギュラコンタクト”とは、ボール支承の形態の一つであり、一般に、ボールを挟む内外のリング状レースウェイが軸方向に対してずれていることを指します。

 その結果として、ボールは、2つのレースウェイに軸方向(又は半径方向)に対してある角度を持って接触します。

 本件特許の場合には、断面U字形の案内溝の隅部に配置した2条のボール列とスプラインシャフトの凸部との間に挟まれる構造となっているため、ボールを中心に見ると、ボールと外筒との接点及びボールとスプラインシャフトとの接点は、周方向にずれています。


D従来技術としての米国特許第3360306号及び米国特許第3398999号を見ると、ボールは軸受中の内側の軸方向通路と外側の軸方向通路との間を循環するように構成されているために、ボールと内外のレースウェイとの接点をずらしたアンギュラコンタクトは採用されていません。

 この点に着目して、前述の諸点が本件特許の中核的作用効果と認定した裁判所の判断は妥当であると思われます。


E本事案を見ると、クレームの作成が困難であることを改めて認識されます。特許出願人は、決して図面を描写するように、見たままの構造を表現している訳ではありません。

 外筒の内面に“断面U字形の案内溝”を設けたことと、“保持器と前記外筒との間に組み込まれたボールとによって形成される複数個の凹部に一致すべく複数個の凸部を軸方向に形成した”との要件により、“断面U字形の案内溝”の両隅部に2条のボール列が存在することを間接的に表現しています。

 しかしながら、ボールを案内する手段が保持器を構成する複数の分離した部材の間に形成される凹部(又は間隙)でも良いという着想に思い当たれば、“断面U字形の案内溝”問いう表現は使うべきではなかったのではないかと思います。


Fなお、本事例では、最高裁判所が、均等論の適用には、積極的要件(本質的要件、置換容易性、置換容易性)の他に、消極的要件(特許出願時の技術水準から容易に想到できないこと、及び意図的に除外されていないこと)が必要であるという判断を示し、

 2審では想到容易性に関して判断していないとして事件を差し戻しました。
 [特記事項]
 
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