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@仏具人天蓋事件の意義
要素の錯誤とは、その錯誤がなかった場合には意思表示が行われなかったであろうと考えられるような重大な瑕疵であって、意思表示の無効に結びつく可能性があります。
要素の錯誤の態様として、意思表示の動機を錯誤していた場合がありますが、単に契約の当事者が一方的に錯誤していただけでは、意思表示は無効になりません。例えば
・特許査定されると信じて特許出願を譲り受ける契約を結んだのに、新規性或いは進歩性が欠如しているとして拒絶査定を受けた
・特許が有効であると信じてライセンス契約を締結したのに、進歩性の欠如に無効審判を請求され、無効審決が確定した
としても、契約を無効と主張することは一般的には困難です。特許出願或いは特許権の将来はもともと不安定なものだからです。
動機の錯誤が認められるとすれば、当事者の一方が事前に契約の動機を表明し、他方の当事者がそれを了解していたというような事情が必要です。そうしたケースとして本事例を紹介します。
A仏具人天蓋事件の内容
[事件の表示]昭和48年(ワ)第10175号損害賠償請求事件
[判決の言い渡し日]昭和52年2月16日
[事件の種類]損害賠償請求事件
[事件の経緯]
(a)乙(被告)は、“素材電解鍍金の中間処理方法”という発明について特許出願をし、その発明に対して特許権を取得しました。
(b)乙は、甲(原告)との間で次のライセンス契約を締結しました。
・乙は、甲に対して前記発明の特許権についての通常実施権を設定する。
・乙は、甲に対して本件特許発明を甲が製造・販売しようとする低発泡スチロール製仏具人天蓋に実施するためのノウハウの技術指導を行うこと。
・甲は、本契約に基づき一時金及び(人天蓋完成品一台当たりの金△△円)×(制作台数)であるロイヤリティ(但し月額▲▲円に満たないときには▲▲円)を支払う。
(c)甲は、本契約に基づいて前記一時金及び6月分のロイヤリティの最低保証額を支払いましたが、契約後6月を経過した時点で、本件特許発明を直ちに人天蓋に実施することは不能であると理解しました。
(d)甲は、乙に対して契約の無効を主張し、一時金及び支払い済みのロイヤリティの支払いを求めました。その理由は次の通りです。
・“本件特許発明を直ちにしかも容易に人天蓋に実施して、これを商品化することができる”という動機の錯誤があり、
・甲は、乙に対して本契約の目的が人天蓋に本件特許発明を実施することであると表示して契約したのであって、人天蓋に実施できる見込みがなければ契約をしなかった
[裁判所の判断]
(a)裁判所は事例に関して次の事実を認定しています。
・人天蓋に本件特許発明を実施するためには低発泡スチロールの表面に塗布するべき接着剤が必要不可欠であるが、本件契約締結時にはそのような接着剤が選定されておらず、ただ選定される可能性は存在していた。
・乙は、契約締結後に接着剤の選定に努力し、契約後4月後に他社接着剤を一応選定したが、未だ研究開発の余地があり、甲に対して提供されるに至っていなかった。
(b)上記の事情に照らして裁判所は次のように判断しました。
・甲は本件特許発明によりノウハウの技術指導を受ければ直ちに人天蓋に本件特許発明を実施できるものと誤信して、契約締結の意思表示をしたものであり、契約締結の動機に錯誤がある
・錯誤がなければ契約に至らなかったと認定される。
・前記動機は乙に示されており、乙もこれを知っていたことは明らかであるから、契約は無効である。
[コメント]
本事例のポイントは、錯誤を含む契約動機が特許権者に表示され、特許権者がこれを理解していたことが客観的に明らかであることです。人天蓋に発明を利用するためのノウハウの技術指導が契約に盛り込まれているからです。単に口頭で人天蓋の製造にしようしたいと述べたと主張しても、それは単に言った・言わない、の水掛け論になります。
→要素の錯誤のケーススタディ3(接触濾材実施許諾事件)
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