体系 |
民法 |
用語 |
原始的不能のケーススタディ |
意味 |
原始的不能とは、債権について履行の不能なことが最初から確定していることです。
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内容 |
①原始的不能の意義
(a)例えば家屋の賃貸契約において、契約が締結される前に特定の家屋が焼失してしまったら、たとえそのことを知らないで契約を締結しても、締結より前に履行することが不可能なことが確定的になっています。
いわゆる特定物の取引であり、代わりに他の家屋を提供すれば良いという性質のものではないからです(→特定物とは)。
(b)家屋の賃貸契約は、有体物を対象としているのに対して、例えば特許出願中の発明のライセンス契約は、無体物を対象としているため、固有のリスクが伴います。
特許出願中の発明についてライセンス契約を求める側としては、将来特許権の保護のもとでの実施を期待することが通常ですが、当初は有望に見えた発明の特許出願が予期せぬ拒絶理由に拒絶されることがあります。こうした場合、ライセンシーの期待に反する結果になったとしても、特許出願中の発明を実施することができなくなる訳ではないので、原始的不能の理由とはならないというのが司法の立場です。そうした事例を紹介します。
②原始的不能の内容
[事件の表示]平成19年(ワ)第28849号
[事件の種類]業務委託料等請求事件
[判決の言い渡し日]平成19年1月31日
[発明の名称]ディーゼルエンジンの低負荷時高排気温度維持装置
[事件の概要]
本件は、原告が、被告に対し、原告と被告との間の特許実施許諾及び技術援助契約に基づき、平成15年分のミニマムロイヤルティを、原告と被告との間の試験研究及び技術指導業務委託契約(本件業務委託契約)に基づき、平成16年6月分ないし同年9月分の業務委託料の支払を求める事案である。
[事件の経緯]
(a)原告は、自動車における排ガス浄化システムの研究・開発及び製造と販売等を業とする株式会社であり、「ディーゼルエンジン低負荷時におけるPM連続再生方法」と称する発明についての特許出願1の出願人である。
(b)被告は、排気ガス浄化システムの研究開発、設計、製造、販売、メンテナンス等を業とする株式会社である。
(c)株式会社Kは、「ディーゼルエンジンの低負荷時高排気温度維持装置」と称する特許出願2、「エンジンの排気処理方法及びその装置」と称する特許出願3、及び「多基筒ディーゼルエンジンの排気浄化装置」と称する特許出願4の出願人であり、これらの情報に基づいて、「使用過程車」(既存の普通自動車及び小型自動車をいう。)向けの「PM除去装置」(PMを低減する装置)を開発した。
(d)原告は、
平成14年9月26日、Kとの間で特許実施許諾及び技術援助契約(以下「K契約1」という。)を締結し、Kから、特許出願2〜4の発明に基づく「PM除去装置」(PMを低減する装置)を製造販売する独占的権利並びにライセンスの許諾を受け、他方、
平成14年12月25日、被告との間で、被告に対し、特許出願1〜4の発明(本件発明)に基づくPM除去装置(以下「本件許諾製品」という。)を製造・販売する権利及びライセンスを許諾する特許実施許諾及び技術援助契約(以下「本件許諾契約」という。)、及び、本件許諾契約に付帯して原告が被告から受託する旨の試験研究及び技術指導業務委託契約(「本件業務委託契約」という。)を許諾した。
(e)本件許諾契約の要旨は、原告は被告に対して、ロイヤリティの支払いを条件として、本件技術(特許出願1〜4の発明と本件ライセンス技術等を合わせたものをいう)に基づき、本件許諾製品を独占的に製造販売する権利及びライセンスを許諾し、また本件技術のうち原告がKから許諾を受けた権利及びライセンスの全部を再許諾する、というものであり、特許出願1〜4に拒絶理由が存しないことを保証する条項などは存在しない。
(f)しかしながら、原告は、Kとのライセンス契約を締結する前に、特許や技術の評価を業務とする業者に、特許出願2〜4の発明者のアイディアに基づいて研究開発された技術の事業化の評価を依頼しており、高い評価を得ていた。
(g)しかるに、被告が本件許諾契約及び本件業務委託契約の平成16年分のミニマムロイヤリティを支払わなかったため、本件訴訟に至ったものである。
(h)そうした状況に至った理由として、次の事情がある。
(イ)原告は、平成17年7月5日にKとの間で特許出願2〜4の発明の使用を前提とする技術に関して、特許実施許諾契約(「K契約2」という。)を締結した。
(ロ)ところが、原告がKに対してロイヤリティを支払わなかったため、Kは平成19年8月3日に原告を訴えた(平成19年(ワ)第20032号事件・別件訴訟)
(ハ)別件訴訟の審理中に原告は、“3つの特許出願中の発明を使用する前提になっているものの、そもそも被告(本件訴訟の原告)が実際に使用しているのはそのうちの1つにすぎず、しかも、その1つについても、既に他の大手自動車メーカーによって実用化されており、明らかに特許が成立し得ない。よって、K契約2は、その契約の根本部分に大きな支障があるから、被告には年間ミニマムロイヤルティの支払義務は存しない。”と主張している。
(ニ)本件訴訟の被告は、K契約2に使用されている発明とK契約1に使用されている発明とほぼ同一であると考えている。
[被告の主張]
(a)K契約1と本件許諾契約及び本件業務委託契約とは、同一の特許出願中の発明を目的として、前者がライセンス契約、後者がサブライセンス契約の関係にあり、両者は内容的にもほとんど同一である。
(b)そして、K契約1が平成17年7月5日付けで合意解約され、これに代わるものとして、平成17年7月5日付けでK契約2が締結されたものであり、両契約は、同一の出願中の発明を目的とし、契約内容もほとんど同じである。
(c)そうすると、本件許諾契約及び本件業務委託契約が規律する原告と被告との法律関係と、K契約2が規律するKと原告との法律関係とは、殆ど同じ内容であるといえる。
(原告の説明によると、K契約1を解約してK契約2を締結した理由は技術指導の停止に伴う契約条件の変更のためである)
したがって、K契約2において目的とされた発明に関連する抗弁が発生するならば、本件許諾契約及び本件業務委託契約においても、同様の抗弁が発生し、被告は原告に当該抗弁を主張することができるものと解すべきである。
(d)別件訴訟における原告の主張は、契約の目的たる特許出願中の三つの発明のうちの少なくとも一つには、特許出願の拒絶事由があり、又は特許として成立したとしても無効事由があるから、そのような発明を目的とする契約は、錯誤又は原始的不能により無効であるというものである。
したがって、本件許諾契約及び本件業務委託契約も、その目的とする本件発明の少なくとも一つには、特許出願の拒絶事由があり、又は特許として成立したとしても無効事由があるから、錯誤又は原始的不能により無効である。
[原告の主張]
(a)K契約2の締結後、原告は、Kに対し、特許出願2〜4について、正式に審査請求をするように促したものの、Kはなかなか審査請求をしようとしなかった。そこで、原告は、審査請求をするまでは、K契約2に基づくロイヤルティの支払を止めるという措置を採った。原告の上記措置について、Kがロイヤルティの支払を求めて提訴したのが別件訴訟である。
(b)以上のとおり、K契約2は、本件許諾契約及び本件業務委託契約が解消された後になって締結されたものであり、本件許諾契約及び本件業務委託契約が継続中にその基礎となっていた契約であるK契約1とは異なる契約である。従って別件訴訟における原告の主張が、本件訴訟における被告の抗弁となるものではない。
[裁判所の判断]
(a)被告は、本件許諾契約及び本件業務委託契約は、特許出願2〜4に係る発明をその目的として含むことから、その目的の少なくとも一つに拒絶事由又は無効事由が内包されており、本件許諾契約及び本件業務委託契約は、錯誤又は原始的不能により無効である旨主張する。
(b)本件許諾契約においては、契約期間中に許諾の対象となる発明に係る特許出願のすべてが最終拒絶され、あるいは、特許が無効や取消等により失効する場合は契約も終了するものとする旨や、原告は被告に対し許諾の対象となる発明に係る特許出願について特許が成立すること及びその有効性について一切保証せず、これについて義務や責任を一切負わないものとする旨が定められていることに照らすと、仮に、特許出願2〜4記載について拒絶事由が存在し、あるいは、特許として成立した場合でも無効事由が存在するとしても、本件許諾契約及びそれに付帯する本件業務委託契約において、これらの事実が要素の錯誤に当たるとも、契約を原始的に不能ならしめる事由であるともいえない。
(c)また、上記の点をひとまず置くとしても、そもそも、特許出願2〜4について、特許法の定める拒絶事由が存在し、又は特許として成立したとしても無効事由が存在するとの点については、これを認めるに足りる証拠はない。
(d)すなわち、被告は、原告が別件訴訟において、K契約2の目的たる特許出願2〜4のうちの少なくとも一つには、拒絶事由又は無効事由があるから、そのような発明を目的とするK契約2は、錯誤又は原始的不能により無効である旨の主張をしているから、本件においても、被告に同様の抗弁が発生する旨主張するものの、原告が別件訴訟において上記のような主張をしていることのみで、特許出願2〜4について拒絶事由が存在し、又は特許として成立したとしても無効事由が存在するとの事実を認めるに足りず、他に上記事実を認めるに足りる証拠はない。
(e)以上によれば、被告の上記主張は理由がない。
[コメント]
(a)被告の主張は、特許出願に係る発明の独占的ライセンス契約のライセンシー自身が当該特許出願の拒絶理由の存在を理由として、原始的不能を主張としているのであれば、当該独占的ライセンス契約に基づくサブライセンスに関しても、原始的不能であるというものであると推測されます。
しかしながら、原始的不能は契約の無効は結びつく議論であるため、それが認められるためのハードルは高いものと考えられます。
特許出願中の発明が特許になるかどうかは予測が困難な問題です。社会の技術水準と比較して一見したところ優れた技術に思えても、新規性や進歩性の審査は世界中の公知技術に基づいて行われるため、厳しい引用例が一つ見つかっただけで、特許出願中の発明の評価はガラリと変わってしまうからです。
従って特許出願中の発明のライセンス契約にはそうしたリスクがあるのは、事業者が当然予想すべきものと解釈され、拒絶理由の存在を理由として原始的不能を主張するのは無理筋です。まして本件では、別件訴訟での他人の主張(特許出願中の発明について拒絶理由が存する旨の主張)を借用しているに過ぎないため、なおさらに無理があります。
特許出願中の発明に対するライセンス契約を締結するリスクを減らしたいのであれば、
・特許出願が拒絶されたときにはロイヤリティを引き下げるとか、
・特許出願中はロイヤリティを低く設定しておき、特許権の設定登録が行われたときにロイヤリティを増額する
などの条項を予め契約に入れておくことが現実的です。
(b)この欄では、本事件のうち「原始的不能」の部分だけを引用しています。本判決は控訴され、被控訴人の開発の遅れにより控訴人の不利益を根拠として原判決の一部を変更しています。
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留意点 |
現在民法の改正作業が進められており、この記事の掲載後に原始的不能に対する取り扱いが変更される可能性があります。実際の法律解釈に際してはその時点での法律を参酌して下さい。
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