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●平成20年(行ケ)第10261号


進歩性/特許出願/後知恵/キシリトール調合物

 [事件の概要]
@事件の経緯

(a)原告は,発明の名称を「上気道状態を治療するためのキシリトール調合物」とする発明について,1998年3月24日の米国特許出願に基づくパリ条約優先権を主張してPCT出願を行い、その日本国分である特許出願(特願2000−537427)について拒絶査定を受けたため、拒絶査定不服審判を請求しました。そして「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決が出されたため、審決取消訴訟を提起しました。

A特許出願の請求の範囲

「【請求項1】

 鼻の鬱血,再発性副鼻洞感染,又はバクテリアに伴う鼻の感染又は炎症を治療又は防止するために,それを必要としている人に対して鼻内へ投与するための鼻洗浄調合物であって,

 キシリトールを水溶液の状態で含有しており,キシリトールが水溶液100cc当たり1から20グラムの割合で含有されている調合物。」

B特許出願に対する審決の内容

 本願発明は,国際公開第98/03165号公報(以下「引用例1」という。)及び特表平6−507404号公報(以下「引用例2」という。)に記載された発明に基いて,当業者が容易に発明をすることができたものであり,特許法29条2項の規定により特許を受けることができないというものです。

C特許出願に対する先行技術

(a)引用発明は,「水溶液1mlあたり400mgのキシリトールを含有する,S.pneumoniaeによる上気道感染を治療するための経口投与用溶液製剤」である(審決書5頁1行〜3行参照)。

(b)特許出願に係る発明と引用発明との相違点は次の通りである。

{一致点} 再発性副鼻洞感染,又はバクテリアに伴う鼻の感染を治療又は防止するために,それを必要としている人に対して投与するためのキシリトールを水溶液の状態で含有している調合物である点(審決書5頁10行〜13行参照)

{相違点1} 本願発明が鼻内へ投与するための鼻洗浄調合物であるのに対し,引用発明は経口投与用溶液製剤である点(審決書5頁15行〜16行参照)

{相違点2}本願発明はキシリトールが水溶液100cc当たり1から20グラムの割合で含有されているのに対し,引用発明は水溶液1mlあたり400mgのキシリトールを含有する点(審決書5頁18行〜20行参照)

(c)引用文献2には、抗感染剤を局所的に局所投与できる旨の開示があります。具体的には次の通りです。

 (E) 「本発明のさらなる目的は,現在まで利用できる治療の適用様式(modality)よりも,より効果的で,簡単でそして即効性の,・・・感染性の呼吸性疾患の治療方法を提供することである。」(甲2,4頁右上欄10行〜14行)

 (F) 「本発明の1つの態様は,感染性剤により引き起こされた気道下部の疾患を受けやすいか又は患っている宿主における気道下部疾患の治療方法を提供することである。・・・局所的に投与することを含んで成る。」(甲2,4頁左下欄11行〜16行)

 (G) 「上記の抗感染剤は,局所的に,経口的に,静脈中に,又は腹腔内に投与されることができる。局所的投与が好ましい。治療薬の局所的投与の第一の利点は,より高い濃度の薬が,全身的投与により必要なものよりも低い,患者に対する全投与量により,冒された組織にデリバリ−されることができ,これにより,高い投与量の薬の,例えば,コルチコステロイドの全身的投与の,既知の副作用を回避するということである。好ましい態様においては,上記の抗炎症剤及び上記の抗感染剤は,上記宿主の気道下部に直接的に投与される。上記の抗炎症剤及び/又は上記の抗感染剤は,鼻の中に投与されることができる。上記の抗炎症剤及び/又は上記の抗感染剤は,エアロゾル粒子の形態で鼻の中に投与されることができる。」(甲2,4頁左下欄26行〜右下欄10行)

zu

D原告(特許出願人)の主張する取消事由

(1)取消事由1(相違点1に係る容易想到性判断の誤り)

 審決は,相違点1について,「引用例2には,感染性の呼吸器疾患の治療のために(摘記事項(E)),抗感染剤を局所投与すること(摘記事項(F)),全身投与より低い投与量で感染部位である鼻に投与できることが記載されている(摘記事項(G))。」(審決書5頁23行〜26行)ことを前提として,「よって,引用例1のキシリトールの投与により上気道感染を処置する際に,経口投与に代えて,全身投与より低い投与量で投与し得る感染部位への投与,すなわち,鼻への投与を採用し,鼻内へ投与するための鼻洗浄調合物とすることは当業者が容易に想到し得ることである。」(審決書5頁27行〜30行)と認定した。

 しかし,審決の上記認定は,以下のとおり誤りである。

 ア 引用例2の記載事項の認定の誤り

 引用例2(甲2)に記載された発明(以下「引用発明2」という。)は,呼吸性ウイルス等により引き起こされる「気道下部の疾患」,具体的には肺の疾患,肺胞の疾患(間質性肺炎),及び細気管支(細気管支炎)の治療に関するものであり,その感染部位は「気道下部」,すなわち「肺」や「気管支」である(甲2,2頁右下欄6行〜23行等)。当該引用発明2における感染部位が「気道下部」である点は,審決書の摘記事項(F)においても明確に認定しているにもかかわらず,審決の対比判断において感染部位を「鼻」と認定することは誤りであり,違法である。

 イ 引用発明と引用発明2との組合せの誤り

 引用発明2は,「気道下部疾患」つまり「肺や気管支にかかわる疾患」の処置に対応するものである。引用発明2では,当該「肺や気管支」へ薬剤を直接塗布・噴霧等することはできないので,患部たる肺等へ薬剤を直接局所投与するために,薬剤をエアロゾルの形態で吸引させるものとしている(甲2,6頁左下欄2行〜17行)。そして,「鼻への投与」が好ましいとしているが,当該「鼻への投与」は,単に薬剤を吸引して肺等へ到達させるための‘入口’にすぎない。また,鼻から薬剤を吸引して肺等へ到達させるためには,液体が肺へ入ろうとすると咳き込み,吸引できないため,薬剤を水溶液の状態で含有させることは不可能であり,媒体を気体の「エアロゾル」とすることが必須である。

 これに対し,本願発明では,薬剤は患部である鼻へ直接投与するものであって,これを前提として,水溶液を鼻への投与に適した状態としている。本願発明において,エアロゾルとして,吸気しながら鼻へ投与すると,有効成分(キシリトール)が気道下部まで到達して無駄が生じる。水溶液の状態として,吸気しながら鼻に投与すると,患者は咳き込むため,有効成分が無駄に気道下部まで到達することを避けることができる。引用発明2が,薬剤を「エアロゾル粒子の形態」としていることについては,審決書の摘記事項(G)においても明確に認定している。

 引用発明2では,感染部位が肺等の気道下部であり,薬剤としてのコルチコステロイド等を効率良く局所投与するにはエアロゾルによる吸引しかあり得ない。したがって,当業者が,感染部位である上気道に対してキシリトールを経口投与する引用発明と引用発明2を組み合わせることは有り得ない。特に,本願発明における当業者としては医療・医薬関係者が想定されるところ,当該分野においては薬剤,感染部位,及び投与形態等に応じて処方が異なり,根本的に異なる発明を安易に参考としても副作用の懸念の方が大きいことは常識であるから,当業者が引用発明と引用発明2とを組み合わせることは有り得ない。

 ウ 引用発明と引用発明2の組合せの困難性に関する誤り

 仮に引用発明と引用発明2とを組み合わせたとしても,当該引用発明及び引用発明2に「鼻の感染等を治療等するために,キシリトールを水溶液の状態で含有させた調合物を鼻に直接投与する」ことが記載されていない以上,当業者が相違点1に係る構成を想到することはできない。

 したがって,経口投与に代えて鼻内へ投与するための鼻洗浄調合物とすることについて,当業者が容易に想到し得ることであるとした審決の前記認定は誤りである。

 (2) 取消事由2(相違点2に係る容易想到性判断の誤り)

  (裁判所はこの点に判断をしていないため、省略します)

F被告(特許庁)の反論

 ア 引用例2の記載事項の認定の誤りに対し

 原告は,引用発明2は感染部位を「気道下部」(肺や細気管支)とする疾患の治療に関するものであるから,感染部位を「鼻」とする疾患の治療等に関する本願発明の構成に至ることは容易とはいえないと主張する。

 しかし,原告の上記主張は,以下のとおり理由がない。

 本願の優先日前に既に各種の感染性の呼吸性疾患に対する「抗感染剤」について,その投与経路として経口投与とともに鼻内投与が選択できることや,鼻内投与の形態として,エアロゾルや鼻洗浄調合物が採用されることは,たとえば,以下の文献に記載されているとおり,周知である。

  a 特表平6−502413号公報(乙1)

 プロアントシアニジンポリマーを有効成分とする呼吸器ウイルス感染症の治療剤が記載されている(特許請求の範囲1項)。その投与方法として経口投与,局所投与,吸入による投与が記載されている(7頁右下欄4行〜6行)。また,鼻に局所適用すること,気道へのエーロゾル投与による吸入が記載されている(乙1,10頁左上欄下から3行〜右上欄3行)

 (中略)

 上記のとおり,本願の優先日前に既に各種の感染性の呼吸性疾患に対する「抗感染剤」について,投与経路として経口投与とともに鼻内投与を選択し得ることが周知であったことを勘案すれば,当業者であれば,引用例2の前記摘記事項(G),すなわち「上記の抗感染剤は,局所的に,経口的に,静脈中に,又は腹腔内に投与されることができる。局所的投与が好ましい。治療薬の局所的投与の第一の利点は,より高い濃度の薬が,全身的投与により必要なものよりも低い,患者に対する全投与量により,冒された組織にデリバリ−されることができ,これにより,高い投与量の薬の,例えば,コルチコステロイドの全身的投与の,既知の副作用を回避するということである。」(甲2,4頁左下欄26行〜右下欄5行)という記載は,「気道下部」,「上気道」を含めて感染性の呼吸性疾患一般についていえるものであると理解するのが自然である。

zu

 イ 引用発明と引用発明2との組合せの誤りに対し

 原告は,一般に薬剤の処方は感染部位及び投与方法等に応じて異なり,異なる感染部位や投与方法に係る発明を安易に参考にしても副作用の懸念の方が大きいから,当業者において,「気道下部」に効率良く薬剤を局所投与するためには「エアロゾルによる吸引」しか有り得ない引用発明2を,「上気道」にキシリトールを「経口投与」する引用発明と組み合わせ,又は参考にするようなことは,有り得ないと主張する。

 しかし,原告の上記主張は,理由がない。

 (ア) すなわち,引用例2の摘記事項(G)は,上記のとおり「気道下部」のほか,「上気道」を含めて感染性の呼吸性疾患一般についていえるものであると理解するのが自然である。

 (イ) また,仮に,摘記事項(G)の記載が,気道下部の疾患について言及したものであるとしても,「より高い濃度の薬が,全身的投与により必要なものよりも低い,患者に対する全投与量により,冒された組織にデリバリ−されることができ,これにより,高い投与量の薬の,・・・既知の副作用を回避するということである。」という利点は,局所投与に起因するものであるから,「気道下部」の疾患に限らず,「上気道」の疾患に対しても得られると想到することは,当業者が当然に理解することができる。

 (ウ) そうすると,引用例2に接した当業者にとって,上気道感染の治療に関する「引用発明」において,経口投与に代えて,経口投与に比べ,低い全投与量で,感染部位により高い濃度の薬をデリバリーでき,副作用を回避できることが期待される鼻内への局所投与を採用することは容易に想到し得ることである。そして,上記のとおり,鼻内投与の形態として,エアロゾルや鼻洗浄調合物が周知であるから,具体的な鼻内投与の態様を鼻洗浄調合物とすることに困難性はない。

 (エ) また,引用例1及び2に記載されているのはいずれも感染性の呼吸性疾患の治療方法に関する発明であり,根本的に異なる発明であるとはいえず,また,上記のとおり引用例2には,治療薬の局所的投与の第一の利点として,高い投与量の薬の全身投与による副作用を回避できると記載されているのであるから,原告が主張するように,副作用の懸念が,引用例2の記載を参考として,全身投与である経口投与に代えて局所投与を採用してみることを阻害する要因となることはない。

 なお,患部への局所投与が可能であれば,経口投与などの全身投与に比べ,副作用を最小限にできることは,呼吸性の感染症に限らず医薬による治療一般にいえる(乙5・「最新医学大事典第3版 医歯薬出版株式会社 2005年4月1日発行 430頁 局所投与の項」)。

 ウ 引用発明と引用発明2の組合せの困難性に関する誤りに対し

 原告は,仮に引用発明と引用発明2とを組み合わせたとしても,当該引用発明及び引用発明2に「鼻の感染等を治療等するために,キシリトールを水溶液の状態で含有させた調合物を鼻に直接投与する」ことが記載されていない以上,当業者が相違点1に係る構成を想到できないはずであると主張する。

 しかし,原告の上記主張は理由がない。すなわち,前述したとおり,引用例2に接した当業者は,上気道感染の治療に関する引用発明において,経口投与に代えて,鼻洗浄調合物による局所投与を採用することを容易に想到し得る。


 [裁判所の判断]
@まず裁判所は、複数の引用文献を組み合わせる場合の進歩性の考え方を示しました。

  特許法29条2項が定める要件は,特許を受けることができないと判断する側(特許出願を拒絶する場合,又は拒絶を維持する場合においては特許庁側)が,その要件を充足することについての判断過程について論証することを要する。同項の要件である,当業者が先行技術に基づいて特許出願に係る発明を容易に想到することができたとの点は,先行技術から出発して,特許出願に係る発明の先行技術に対する特徴点(先行技術と相違する構成)に到達することが容易であったか否かを基準として判断されるべきものであるから,先行技術の内容を的確に認定することが必要であることはいうまでもない。また,特許出願に係る発明の特徴点(先行技術と相違する構成)は,当該発明が目的とした課題を解決するためのものであることが通常であるから,容易想到性の有無を客観的に判断するためには,当該発明の特徴点を的確に把握すること,すなわち,当該発明が目的とする課題を的確に把握することが必要不可欠である。そして,容易想到性の有無の判断においては,事後分析的な判断,論理に基づかない判断及び主観的な判断を極力排除するために,当該発明が目的とする「課題」の把握又は先行技術の内容の把握に当たって,その中に無意識的に当該発明の「解決手段」ないし「解決結果」の要素が入り込むことのないように留意することが必要となる。さらに,当該発明が容易想到であると判断するためには,先行技術の内容の検討に当たっても,当該発明の特徴点に到達できる試みをしたであろうという推測が成り立つのみでは十分ではなく,当該発明の特徴点に到達するためにしたはずであるという示唆等の存在することが必要であるというべきである(知財高等裁判所平成20年(行ケ)第10096号審決取消請求事件・平成21年1月28日判決参照)。

A次に裁判所は、引用例2の記載事項の認定の誤りについて次のように判断しました。

(a)引用例2は,専ら「感染部位」を「気道下部」とする疾患を対象とした治療方法が開示され,また,上記(E)ないし(G)には,抗炎症剤及び抗感染剤が感染部位である「気道下部」に直接的に投与されることが,好ましい治療態様であることが開示されている。

 そうすると,上記(G)「好ましい態様においては,上記の抗炎症剤及び上記の抗感染剤は,上記宿主の気道下部に直接的に投与される。上記の抗炎症剤及び/又は上記の抗感染剤は,鼻の中に投与されることができる。上記の抗炎症剤及び/又は上記の抗感染剤は,エアロゾル粒子の形態で鼻の中に投与されることができる。」における「鼻の中に投与されることができる。」との記載部分は,エアロゾル粒子を,抗炎症剤及び/又は抗感染剤を感染部位である「気道下部」に直接的に投与するために,通過経路の入り口に当たる鼻孔から「鼻の中」に向けて投与されることができるという意味に理解すべきであり,鼻自体が感染部位であることを前提として,鼻を治療する目的等で,鼻に抗炎症剤及び/又は抗感染剤を投与するという意味に理解することはできない。

 したがって,「引用例2には,・・・感染剤を・・・感染部位である鼻に投与できることが記載されている(摘記事項(G))。」とした審決の前記認定は誤りである。

(b)これに対して,被告は,本願の優先日前に既に各種の感染性の呼吸性疾患に対する「抗感染剤」について,投与経路として経口投与とともに鼻内投与が選択できることが周知であることに照らすならば,当業者であれば,引用例2の摘記事項(G)の記載,すなわち「上記の抗感染剤は,局所的に,経口的に,静脈中に,又は腹腔内に投与されることができる。局所的投与が好ましい。治療薬の局所的投与の第一の利点は,より高い濃度の薬が,全身的投与により必要なものよりも低い,患者に対する全投与量により,冒された組織にデリバリ−されることができ,これにより,高い投与量の薬の,例えば,コルチコステロイドの全身的投与の,既知の副作用を回避するということである。」との記載は,「気道下部」のみならず,「上気道」を含めて感染性の呼吸性疾患について述べたものと理解することができると主張する。

 しかし,被告の上記主張は,採用することができない。
 すなわち,引用例2は,前記のとおり感染部位を「気道下部」とする疾患の治療方法を提供しようとするものであることを,繰り返し述べている記載態様に照らすならば,被告引用に係る上記記載部分は,感染部位を「気道下部」とする疾患に関する記述であると解するのが自然である。仮に,呼吸性疾患に対する「抗感染剤」の投与経路として「経口投与」とともに「鼻内投与」を選択し得ることが周知であったとしても,そのことは,「気道下部」の疾患に対する治療方法を提供するものであると繰り返し述べている引用例2の記載を,明白な記述に反してまで,「上気道」をも含める記載であると解する根拠とはなり得ない。したがって,被告の上記主張は採用することができない。

zu

B裁判所は、引用発明と引用発明2との組み合わせの容易相当性に関して次のように判断しました。

引用例1に引用例2を組み合わせることによって,相違点1(本願発明が鼻内へ投与するための鼻洗浄調合物であるのに対し,引用発明は経口投与用溶液製剤であるとの相違点)に係る構成に到達することはないと判断する。すなわち,

 (ア) 引用例1には,「水溶液1mlあたり400mgのキシリトールを含有する,S.pneumoniaeによる上気道感染を治療するための経口投与用溶液製剤」が記載され,また,「上気道感染において子供に食品であるキシリトールチューインガムによって,キシリトールを経口(全身)投与する臨床試験結果」が示されているが,キシリトールを「経口投与用」溶液製剤として用いることによる作用,機序,副作用回避等の事項までが格別開示されているわけではない。

 引用例2には,PIV3,Ad−5,又は他の感染性剤により引き起こされた病気を患っている検体の気道下部に,病気等の緩和,回復のために,小さい粒子のエアロゾルの形態の有効量のコルチコステロイド又は抗炎症薬を直接デリバリーするための手段を含んで成る治療装置を提供する発明が開示されている。

 引用発明(上気道感染について子供達にキシリトールチューインガムの形態で経口(全身)投与をするとの臨床試験に基づいて想到した「水溶液1mlあたり400mgのキシリトールを含有する,・・・上気道感染を治療するための経口投与用溶液製剤」)と引用発明2(肺炎等の気道下部感染症においてコルチコステロイド等をエアロゾルの形態で局所投与をする処置方法)とは,解決課題,解決に至る機序,投与量等に共通性はなく,相違するから,それらを組み合わせる合理的理由を見いだすことはできないし,そもそも,エアロゾルの形態のままでは吸気しながら鼻へ投与すると,有効成分(キシリトール)が感染部位とは異なる気道下部にまで到達することがあるため,感染部位である鼻内への局所投与の実現は,困難であるというべきである。

 以上のとおりであり,引用例1に接した当業者は,これに気道下部の感染を緩和するための目的でエアロゾルの形態の有効量のコルチコステロイド又は抗炎症薬を投与する引用例2を適用することによって,安全性,多目的性,効率性,安定性等を有するとともに,安価で調合及び投与を可能とするために採用された本願発明の構成(相違点1の構成)に容易に想到できたと解することはできない。

 (イ) この点について,成分や用途に係る医薬品等に係る発明が存在する場合に,その投与量の軽減化,安全性の向上等を図ることは,当業者であれば,当然に目標とすべき解決課題といえるであろうし,そのための手段として格別の技術的要素を伴うことなく,課題を解決することができる場合もあり得よう。

 しかし,そのような事情があるからといって,審決が,本願発明の相違点1の構成は,引用例2の記載内容から容易であるとの理由を示して結論を導いている場合に,その理由付けに誤りがある以上,上記のような事情が存在することから直ちに審決のした判断を是認することは許されない。

 けだし,審決書の理由に,当該発明の構成に至ることが容易に想到し得たとの論理を記載しなければならない趣旨は,事後分析的な判断,論理に基づかない判断など,およそ主観的な判断を極力排除し,また,当該発明が目的とする「課題」等把握に当たって,その中に当該発明が採用した「解決手段」ないし「解決結果」の要素が入り込むことを回避するためであって,審判体は,本願発明の構成に到達することが容易であるとの理解を裏付けるための過程を客観的,論理的に示すべきだからである。

 (ウ) 被告は,仮に,引用例2の摘記事項(G)の記載が気道下部の疾患のみの開示であり,引用例2の認定に関する誤りがあったとしても,@全身投与に比べて局所投与をすると少ない総投与量で既知の副作用を回避することができるという利点は,局所投与に起因するものであるから,「気道下部」の疾患に限らず,「上気道」の疾患に対しても局所投与をすることにより得られるであろうと当業者が当然に理解することができる,Aそうすれば,引用例2に接した当業者にとって,上気道感染の治療に関する引用発明において,経口投与に代えて,経口投与に比べ,低い全投与量で,感染部位により高い濃度の薬をデリバリーでき,副作用を回避できることが期待される鼻内への局所投与を採用することは容易に想到し得る,Bそして,鼻内投与の形態として,エアロゾルや鼻洗浄調合物が周知であるから,具体的な鼻内投与の態様を鼻洗浄調合物とすることに何ら困難性はないので,容易想到性を認めた審決の判断に影響を及ぼさない旨を主張する。しかし,上記(ア)及び(イ)で述べたとおり,引用発明に引用発明2を組み合わせることにより,本願発明の相違点1に係る構成に到達することができたとする審決の判断は是認できないのであるから,被告の上記主張の当否については,審判手続において,改めて特許出願人である原告に対して,本願発明の容易想到性の有無に関する主張,立証をする機会を付与した上で,審決において再度判断するのが相当であるといえる。


 [コメント]
@本事例では、特許出願の進歩性要件に関して、キシリトールを含む抗感染剤を、主引用例で開示する如く口経投与(全身投与)する代わりに、副引用例で開示する如く局部投与(鼻内への投与)をすることが容易か否かを争ったケースです。

A2つの引用例の開示内容の要旨は次の通りです。
主引用例…上気道感染について子供達にキシリトールチューインガムの形態で経口(全身)投与をするとの臨床試験に基づいて想到した「水溶液1mlあたり400mgのキシリトールを含有する,・・・上気道感染を治療するための経口投与用溶液製剤」
副引用例…肺炎等の気道下部感染症においてコルチコステロイド等をエアロゾルの形態局所投与をする処置方法

B裁判所は、次の2つの理由から、その置換が容易である(進歩性がない)という審決の判断は是認できないとしました。

・2つの解決課題,解決に至る機序,投与量等に共通性はなく,相違するから,それらを組み合わせる合理的理由を見いだすことはできない

・そもそも,エアロゾルの形態のままでは吸気しながら鼻へ投与すると,有効成分(キシリトール)が感染部位とは異なる気道下部にまで到達することがあるため,感染部位である鼻内への局所投与の実現は,困難である

C被告(特許庁)は、2つの引用文献を組み合わせることの動機付けとして、“自明の課題”の論法を用いました。

 すなわち、投与量の軽減や安全性の向上は医療関係者にとって自明の課題であり、そのために投与の態様を工夫すること、すなわち、「経口投与に比べ,低い全投与量で,感染部位により高い濃度の薬をデリバリーでき,副作用を回避できることが期待される鼻内への局所投与を採用することは容易に想到し得る」というのです。
 しかしながら、裁判所は、“そのような事情があるからといって、審決の理由付けに間違いがある以上、直ちに審決がした判断を是認することは許されない。”として被告の主張を退けています(理由付けに間違いがあるとまで言っていることに注目して下さい)。

D進歩性審査基準は、当業者にとって自明な課題に基づいて複数の引用例を結び付けたり、設計変更を行って特許出願人の発明に容易な想到し得る場合があることを認めています。
自明な課題とは

 しかしながら、それは引用発明の開示内容にある程度の共通性がある場合に言えることであり、“解決課題・解決に至る機序・投与量等に相違する”結果として審決の理由付けが誤りだと言える場合にまで、その結論を覆すような材料ではないのです。

E裁判所が先例を引用して判示した如く、“当該発明が容易想到である(進歩性がない)と判断するためには,先行技術の内容の検討に当たっても,当該発明の特徴点に到達できる試みをしたであろうという推測が成り立つのみでは十分ではなく,当該発明の特徴点に到達するためにしたはずであるという示唆等の存在することが必要”であり、その点を慎重に判断しないと、事後分析的な、或いは後知恵的な判断に陥る可能性があります。
後知恵とは


 [特記事項]
 
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