[事件の概要] |
@本件特許出願の経緯 原告は、名称を“タイヤ”とする発明について特許出願をしましたが(特願2013−85881号)、6つの先行技術から自明である(進歩性を欠く)ことを理由として審査官により拒絶され、審判部も当該拒絶を支持する審決をしたため、本件訴訟を提起しました。 A本件特許出願の請求の範囲 【請求項1】 タイヤのトレッドに、該トレッドの少なくとも接地面を形成する表面ゴム層と、前記表面ゴム層のタイヤ径方向内側に隣接する内部ゴム層とを有し、前記比Ms/Miは0.01以上1.0未満であり、 前記表面ゴム層の厚さは0.01mm以上1.0mm以下であり、 前記トレッドは、ベース部のタイヤ径方向外側に隣接して、該トレッドの少なくとも接地面を形成するキャップ部を配置した積層構造を有し、前記キャップ部が前記表面ゴム層および前記内部ゴム層を含み、 アンチロックブレーキシステム(ABS)を搭載した車両に装着して使用し、 前記表面ゴム層は、前記内部ゴム層のタイヤ径方向外側で前記内部ゴム層にのみ隣接し、 前記表面ゴム層は、非発泡ゴムから成り、かつ前記内部ゴム層は、発泡ゴムから成り、 前記表面ゴム層のゴム弾性率Msが前記内部ゴム層のゴム弾性率Miに比し低いことを特徴とするタイヤ。 B本件特許出願の発明の概要 [従来技術の問題点] ・特許出願人の発明は、氷路面におけるタイヤの制動性能および駆動性能を総合した氷上性能が、タイヤの使用開始時から安定して優れたタイヤに関するものであり、特にスタッドレスタイヤに関する。 ・一般に、氷路面上では、トレッド踏面と路面との間の摩擦熱によって、該トレッド踏面と路面との間に水膜が生じる結果、タイヤおよび路面間の摩擦力が低下する。 ・これを避けるために、スタッドレスタイヤでは、トレッド踏面に改良(トレッドに水膜除去能やエッジ成分を付与すること)が加えられている。 ・トレッドの水膜除去能を向上させるためには、トレッドに発泡ゴムを適用することが有効である。トレッド表面に発泡ゴムの気泡を露出させて水膜除去能を発揮するのに加え、氷の硬度以上のモース硬度を有する微粒子を接地面に有することによって、エッジ効果またはスパイク効果を得ることができる。 ・しかしながら、トレッドに発泡ゴムを適用したタイヤにおいては、一般に、タイヤを金型で加硫成形する工程で、金型に接するトレッド表面の発泡成分が金型の熱によって気化してしまう結果、タイヤのトレッド表面近傍が低発泡または非発泡となるため、使用開始の新品時に、所期した性能に至らない場合があった。 (※)加硫成形…架橋反応の一種で、生ゴムなどのゴムの原料を加工する際に弾性限界を大きくするために、硫黄などを加える行程をいう。 [問題の原因] ・本件特許出願の発明者は、新品状態のこの種のタイヤで、初期した氷上性能が十分得られない場合があった要因は、トレッド表面近傍が低発泡または非発泡となって水膜除去能を十分に確保できないことよりむしろ、トレッド表面近傍が高弾性率となって十分な接地面積を確保できないことにあることが分かった。 ・すなわち発泡ゴムが露出するまでの初期性能を担保するには、タイヤの新品時に接地面近傍を形成するトレッド表面のゴムの弾性率を好適にすることが有効であるとの知見を得た。 [発明の目的] トレッドに発泡ゴムを適用したタイヤにおいて、氷路面におけるタイヤの制動性能および駆動性能を総合した氷上性能が、タイヤの使用開始時から安定して優れたタイヤを提供することである。 [発明の構成・作用] (a)本発明のタイヤは、タイヤのトレッドに、該トレッドの少なくとも接地面を形成する表面ゴム層と、前記表面ゴム層のタイヤ径方向内側に隣接する内部ゴム層とを有する。 内部ゴム層は、トレッドゴムの中に無数の気泡を散在させた発泡ゴム層であり、接地面の摩耗に従って順次露出する多数の気泡がトレッド表面にミクロな窪みを形成し、水膜除去能およびエッジ成分が付与される。 表面ゴム層Sは、タイヤ10の使用初期の走行において徐々に摩耗が進行して摩滅するものである。内部ゴム層Iが露出するまでの使用初期は、表面ゴム層Sがタイヤの氷上性能を担うのである。 (b)前記比Ms/Miは0.01以上1.0未満である。 これにより、トレッド表面の弾性率を好適にして、タイヤの使用開始時における氷上性能をさらに良好にすることができる。 (c)前記表面ゴム層の厚さは0.01mm以上1.0mm以下である。 これにより、タイヤの使用初期にトレッドの接地面積を十分に確保し、かつ内部ゴム層の早期出現を実現して、氷上性能をより安定して発揮することができる。 (d)前記トレッドは、ベース部のタイヤ径方向外側に隣接して、該トレッドの少なくとも接地面を形成するキャップ部を配置した積層構造を有し、前記キャップ部が前記表面ゴム層および前記内部ゴム層を含む。 これにより、レッドの剛性を好適にして、加減速性能と運動性能とを両立できる。 (c)アンチロックブレーキシステム(ABS)を搭載した車両に装着している。 アンチロック・ブレーキシステムは、急ブレーキまたは低摩擦路でのブレーキ操作において、車輪のロックによる滑走の発生を低減するシステムである。このシステムを搭載した車両では、車体の制動時に車輪がロックすることなく、トレッド接地面が常に更新されるため、当該システムを搭載していない車両に比べて氷路面を走行する際に氷路面とタイヤ表面との間に水膜が介在する機会が少ない。 (d)表面ゴム層は、内部ゴム層のタイヤ径方向外側で前記内部ゴム層にのみ隣接する。 (e)表面ゴム層は非発泡ゴムから成るとともに、内部ゴム層は、発泡ゴムから成り、かつ前記表面ゴム層のゴム弾性率Msが前記内部ゴム層のゴム弾性率Miに比し低い。 一般に、トレッドに発泡ゴムを適用した場合、タイヤを加硫成形する工程で、金型に接するトレッドの表面が金型の熱によって気化し、トレッド近傍が低発泡又は未発泡となると同時に高弾性となる。 これに対して、発泡させるゴム材料の外側に低弾性となるゴム材料を配置して成形を行うことから、次の作用が得られる。 ・金型と内部ゴム層Iになる発泡ゴム材料との間に表面ゴム層Sになるゴムが介在して両者の直接接触が回避されるため、金型側からの熱が内部ゴム層Iになる前記ゴム材料に必要以上には伝わらなくなる。その結果、内部ゴム層の表面近傍が高弾性率となる ・内部ゴム層の発泡率がタイヤ径方向外側と内側とで不均一になることも抑制できる ・タイヤ10の使用開始後、表面ゴム層Sが比較的短時間で摩滅する [本願発明] [引用発明] C本件特許出願の先行技術は、次の通りです。 [先行技術のリスト] (ア) 引用例1:実願平2−101134号(実開平4−57403号)(引用発明) (イ) 引用例2:特開平6−240052号公報 (ウ) 引用例3:特開2013−7025号公報 (エ) 引用例4:特開2009−96421号公報 (オ) 引用例5:特開2011−57066号公報 (カ) 引用例6:特開2007−8427号公報 (キ) 引用例7:特開2008−207574号公報 [引用文献の内容] {実用新案登録請求の範囲} トレッドの本体層の表面に、タイヤ製品時での厚みが0.5mm以下、ピコ摩耗指数が50以下である皮むき用の表面外皮層が形成されたことを特徴とするタイヤのトレッド構造。 ※ピコ摩耗措数…表面外皮層のゴムの柔らかさを示す値。 {考案の目的} 従来より加硫直後のタイヤには、ベントスピューのカット傷や離型剤の残滓が付着しており、製品時のトレッド表面にいわばベントスピューと離型剤の皮膜が形成されていた。しかるに例えばスタッドレスタイヤの場合、この被膜は氷雪路で有効な接地面積を得る上では邪魔となり好ましくなく、本来の性能を発揮するにはこの被膜を除去する皮むき走行が必要であった。また路面との接触面積を増加させるためにはトレッド表面はある程度摩耗して粗さがあることを必要とするが、この粗さを出す上でも一定距離を走行しなければならなかった。 この考案の目的はかかる皮むき走行の走行距離を従来より短くし、速やかにトレッド表面において所定の性能を発揮することができるタイヤのトレッド構造を提供する点にある。 {考案の作用} この考案は走行により容易に除去し得る皮むき用の表面外皮層をあらかじめトレッド本体層表面に形成しているので、ベントスピュー及び離型剤は速やかにこの表面外皮層とともに除去され、従来に比して速やかに皮むきがなされる。したがって、スタッドレスタイヤの場合では、早期に氷雪路での性能を発揮するとともに、早期にトレッド表面が摩耗して粗さを現出し、路面との接触面積が増大する。 [引用文献第1表] {実施例} トレッド1の本体層2の表面を皮むき用の表面外皮層3で被覆してなる。この実施例では本体層2及び皮むき用の表面外皮層3のゴムは、それぞれ第1表記載の通りのゴムA及びゴムBを使用した。表面外皮層3の厚みは0.4mmとした。 D本件特許出願に対する審決の内容は、次の通りです。 (a)本願発明は、下記アの引用例1に記載された発明(引用発明)及び引用例2〜7に記載された技術的事項に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法29条2項(進歩性)の規定により特許を受けることができない。 (b)本願発明と引用発明との一致点 タイヤのトレッドに、該トレッドの少なくとも接地面を形成する表面ゴム層と、前記表面ゴム層のタイヤ径方向内側に隣接する、内部ゴム層とを有し、前記表面ゴム層と前記内部ゴム層が所定の組成及び物性を有し、前記表面ゴム層の厚さは0.4mmである、タイヤ。 (c)本願発明と引用発明との相違点1 「表面ゴム層」及び「内部ゴム層」の組成及び物性について、本願発明においては、「前記比Ms/Miは0.01以上1.0未満であり、」「前記表面ゴム層は、非発泡ゴムから成り、かつ、前記内部ゴム層は、発泡ゴムから成り、前記表面ゴム層のゴム弾性率Msが前記内部ゴム層のゴム弾性率Miに比し低い」のに対し、引用発明においては、「前記表面外皮層のゴムは、ゴムBを使用し、Hs(−5℃)が46、ピコ摩耗指数が43であり、前記本体層のゴムは、ゴムAを使用し、Hs(−5℃)が60、ピコ摩耗指数が80であ」る点。 (d)本願発明と引用発明との相違点2 「表面ゴム層の厚さ」について、本願発明においては「0.01mm以上1.0mm以下」であるのに対し、引用発明においては「0.4mm」である点。 (e)本願発明と引用発明との相違点3 本願発明においては「前記トレッドは、ベース部のタイヤ径方向外側に隣接して、該トレッドの少なくとも接地面を形成するキャップ部を配置した積層構造を有し、前記キャップ部が前記表面ゴム層および前記内部ゴム層を含」むものであるのに対し、引用発明においてはそのような特定がなされていない点。 (f)本願発明と引用発明との相違点4 本願発明は「アンチロックブレーキシステム(ABS)を搭載した車両に装着して使用」するものであるのに対し、引用発明においてはそのような特定がなされていない点。 (g)本願発明と引用発明との相違点5 本願発明においては「前記表面ゴム層は、前記内部ゴム層のタイヤ径方向外側で前記内部ゴム層にのみ隣接する」のに対し、引用発明においてはそのような特定がなされていない点。 (以下、裁判所が判断を示した相違点1のみを解説します。) E特許出願人の主張(要旨)は次の通りです。 ・特許出願人の明細書の記載によれば、本願発明の前提条件は、トレッドに発泡ゴムを適用したタイヤにおいて、当該発泡ゴム(内部にある発泡ゴム)が露出するまでの表面ゴム層によるタイヤの使用開始時の氷上性能の担保を課題として設定していることにある。 ・これに対し、引用発明の前提条件は、加硫直後のタイヤには、トレッド表面にベントスピューのカット傷や、離型剤の残滓が付着しており、製品時のトレッド表面にはいわばベントスピューと離型剤の皮膜が形成されており、この被膜は氷雪路で有効な接地面積を得る上では邪魔となり好ましくなく、本来の性能を発揮するにはこの被膜を除去する皮むき走行が必要であり、また路面との接触面積を増加させるためにはトレッド表面はある程度摩耗して粗さを有することが必要であるため、この粗さを出す上でもこの邪魔な被膜を除去する皮むき走行が必要であったという問題点を解決するために、邪魔な被膜を除去する皮むき走行距離を従来より短くし、速やかにトレッド表面において所定の性能を発揮することを課題として設定していることである。 ・すなわち、本願発明と引用発明とでは、表面ゴム(表面外皮層)に関して、前者は十分な氷上性能を所期し、後者は何らの走行性能も所期せず、早期に摩滅させることのみを所期している点で、そもそも前提条件が全く異なるのである。 ・そうすると、引用発明に基づいて、出願時に当業者が本願発明を容易に想到するというからには、引用例1に、加硫直後のタイヤのトレッド表面のベントスピューと離型剤の邪魔な被膜を除去する皮むき走行の際に、皮膜により氷上性能の初期性能が得られるようにする思想について記載や示唆等がされていなければならない。 ・しかし、引用例1には、この点に関して記載や示唆等がされていない。引用発明においては、上述したような発泡ゴムの問題点について、認識されておらず、また課題の設定もされておらず、表面ゴム自体を内部ゴムが露出するまでの初期性能の担保のために使用することができることも見いだすことができていないのである。引用発明の発泡ゴムの記載からでは、本願発明のような発泡ゴムの問題点についての認識及び課題の設定、解決に至る思想について想到することはあり得ない。 F被告(特許庁)の主張は次の通りです。 (a)主張1(本願発明及び引用発明の性能向上の共通性課題) 被告は、 ・本願発明の実施例と引用発明はともに従来例「100」に対して「103」という程度でタイヤの使用初期の氷上での制動性能が向上するものであり、 ・また、引用例1の比較例と実施例を比較すると、比較例が実施例に対して表面ゴム層(表面外皮層)を有していない点のみが異なることから、使用初期の性能向上は、表面ゴム層(表面外皮層)に由来することが明らかである、 ・そうすると本願発明の実施例と引用発明の性能向上はともに、タイヤ表面に本体層のゴムよりも柔らかいゴムを用いることにより使用初期の氷上での性能を向上させる点で同種のものであるから、結局、表面ゴム層(表面外皮層)に関して、本願発明と引用発明の所期する条件(機能)は変わるものではなく、 ・引用例1に接した当業者は、引用発明の表面ゴム層(表面外皮層)が、早期に摩滅させることのみを目的としたものでなく、氷上性能の初期性能が得られることを認識する 旨を主張する。 (b)主張2(ゴム弾性率の比を特許出願人のクレームの通りにすることの容易性) 被告は、引用発明において、表面外皮層Bの硬度は、本体層Aのそれより小さく(引用例1の表1)、硬度の小さいゴムが、ゴム弾性率の小さいゴムである旨の技術常識(甲4、甲5)を考慮すれば、「引用発明の「表面ゴム層(表面外皮層)」のゴム弾性率が「内部ゴム層(本体層)」のゴム弾性率に比し低いものといえ、「表面ゴム層のゴム弾性率」/「内部ゴム層のゴム弾性率」の値を0.01以上1.0未満程度の値とすることは、具体的数値を実験的に最適化又は好適化したものであって、当業者の通常の創作能力の発揮といえるから、当業者にとって格別困難なことではない。 |
[裁判所の判断] |
@裁判所は、本件特許出願人が主張する取消事由に関して次のように認定しました。 (a)本願発明は、使用初期においても、タイヤの氷上性能を発揮できるように、弾性率の低い表面ゴム層を配置するのに対し、引用発明は、容易に皮むきを行って表面層を除去することによって、速やかに本体層が所定の性能を発揮することができるようにしたものである。したがって、使用初期においても性能を発揮できるようにするための具体的な課題が異なり、表面層に関する技術的思想は相反するものであると認められる。 (b)よって、引用例1に接した当業者は、表面外皮層Bを柔らかくして表面外皮層を早期に除去することを想到することができても、本願発明の具体的な課題を示唆されることはなく、当該表面外皮層に使用初期においても安定して優れた氷上性能を得るよう、表面ゴム層及び内部ゴム層のゴム弾性率の比率に着目し、当該比率を所定の数値範囲とすることを想到するものとは認め難い。 (c)また、ゴムの耐摩耗性がゴムの硬度に比例することや、スタッドレスタイヤにおいてトレッドの接地面を発泡ゴムにより形成することにより氷上性能あるいは雪上性能が向上することが技術常識であるとしても、表面ゴム層を非発泡ゴム、内部ゴム層を発泡ゴムとしつつ、表面ゴム層のゴム弾性率を内部ゴム層のゴム弾性率より小さい(表面を内部に比べて柔らかくする。)所定比の範囲として、タイヤの使用初期にトレッドの接地面積を十分に確保して、使用初期においても安定して優れた氷上性能を得るという技術的思想は開示されていないから、本願発明に係る構成を容易に想到できるとはいえない。 A裁判所は、被告の主張に関して次のように判断しました。 (a)被告の主張1(本願発明及び引用発明の性能向上の共通性課題)に対して しかし、前記のとおり、引用例1に記載された課題を踏まえると、引用発明は、あくまで早く摩耗する皮むき用の表面外皮層を設けて、ベントスピューと離型剤を表面外皮層とともに除去することにより、本来のトレッド表面を速やかに出現させるものであり、引用例1は、走行開始から表面外皮層が除去されるまでの間の氷上性能について何ら開示するものではない。よって、引用例1に接した当業者が、氷上性能の初期性能が得られることを認識するものとは認められない。 したがって、被告の上記主張は理由がない。 (b)被告の主張2(ゴム弾性率の比を特許出願人の請求項の通りにすることの容易性) しかし、本願発明と引用発明とでは、具体的な課題及び技術的思想が相違するため、引用例1には、表面ゴム層のゴム弾性率を内部ゴム層のゴム弾性率より小さい所定比の範囲として、使用初期において、接地面積を確保するという本願発明の技術的思想は開示されていないのであるから、引用発明から本願発明を想到することが、格別困難なことではないとはいえない。 また、表面外皮層BのHs(−5℃)/本体層AのHs(−5℃)が、0.77(=46/60)、表面外皮層Bのピコ摩耗指数/本体層Aのピコ摩耗指数が、0.54(=43/80)であるとしても、本願発明が特定するゴム弾性率とHs(−5℃)又はピコ摩耗指数との関係は明らかでないので、引用例1の表1に示すHs(−5℃)又はピコ摩耗指数の比率が、本願発明の特定する、「比Ms/Miは0.01以上1.0未満」に含まれ、当該比率について本願発明と引用発明が同一であるとも認められない。 したがって、被告の上記主張は理由がない。 |
[コメント] |
@本件においては、本願発明と引用発明とは、ともにスタッドレスタイヤの氷上性能を向上させるという点で課題上の共通性があります。 また引用発明は、“内部ゴム層+表面ゴム層”という基本構成を有すること、内部ゴム層の素材として発泡ゴムを開示していることで本願発明と共通しています。 また各層の構成に関して、特許出願人は“ゴム弾性率”という物性を用いて、他方、引用発明は“ピコ摩耗係数”という物性を用いて特定しており、それぞれの用語の概念は異なるのですが、発明品の実際の物がどのように違うのかはいま一つはっきりしません。 Aこうした状況の中で裁判所は、本願発明は初期使用においても氷上性能を発揮するために弾性率の低い表面ゴム層を用いるのに対して、引用発明は、皮むき走行の距離を短縮し、初期使用においていち早く表面ゴム層を除去しようとするものであるから、技術的に相反するものと判示しています。 思想的に特許出願人のアイディアから遠ざかる(teaching away)ので、進歩性審査基準にいう阻害要因に近い考え方であると評価できます。 Bもっとも引用発明が形式的に本願発明から遠ざかる内容であっても、結局進歩性が否定される事案も少なくないことに留意する必要があります。 例えば技術常識から特許出願人の課題が当たり前であり、“進歩性を否定する方向に働く事情”(進歩性審査基準)に該当することがあり得るからです。 この点に関して、特許出願人の明細書には、“氷上性能が十分に得られない場合があった要因は、トレッド表面近傍が低発泡または非泡となって水膜除去能を十分発揮できないことよりもむしろ、トレッド表面近傍が高い弾性率となって十分な設置面積を確保できなことにあることが分かった。”と記載されています。 進歩性の困難性は、問題を解決する技術的手段(発明の構成)そのものを考案することの難しさの他に、問題の原因を発見することが困難であることである場合があります。問題の原因(表面ゴム層がなぜ滑り易いか)が判らないと、対策の取りようがないというケースがあるからです。 外国の事例ですが、In re Sponnoble (405 F.2d 578)を参考事例として挙げます。 特許出願人の上記知見が正しければ、進歩性の評価に有利に働くものと考えます。 C本件の別のポイントは、数値限定の使われ方です。 表面ゴム層のゴム弾性率Msと内部ゴム層のゴム弾性率Miの比が0:0.1以上1未満という数値限定は、随分範囲が広いです。 裁判所が指摘する通り、本願発明の特定事項である“ゴム弾性率”と引用発明の特定事項である“ピコ摩擦係数”との関係は明らかではないですが、これだけ広範囲であれば、引用発明の数値限定(ピコ摩耗係数が50以下)に属する物が同時に本願発明のゴム弾性率の数値限定の範囲に属するという可能性もあると思料します。 しかしながら、ゴム弾性率の数値限定の他に、“ゴム層の厚さが0.01mm以上1.0mm以下”という数値限定もあるため、仮に特許庁が本件特許出願に新規性の規定を適用しようとすれば、2つの数値限定を含めて本願発明の全ての発明特定事項と同一の事項を開示する単一の先行技術文献を探し出さなければなりません。 それができないとすれば、特許庁としては進歩性の有無で争うしかなくなります。 |
[特記事項] |
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