[事件の概要] |
(a)甲(被上告人・控訴人)は、“無限摺動用ボールスプライン軸受”と称する発明についての特許出願に対して出願公告され(特公昭53−22208号)、付与された特許権(第999139号)を譲り受けて、特許権者となったものです。 (b)甲は、乙(上告人・被控訴人)を特許権侵害で訴えました(昭和58年(ワ)第12677号)が、平成3年4月19日に地方裁判所が請求を棄却したために、控訴しました。 (c)高等裁判所が地方裁判所の判決を取り消して、均等侵害を認めたため、乙は、最高裁判所に上告しました。 [特許発明/特許出願に係る発明の内容] (a)特許発明の構成は次の通りです。 「円筒内壁に断面U字状のトルク伝達用負荷ボール案内溝と、該溝よりもやや深いトルク伝達用無負荷ボール案内溝を軸心方向に交互に形成し、その両端部に前記深溝と同一深さの円周方向溝を形成した外筒と、該外筒内壁の軸心方向に形成したトルク伝達用負荷ボール案内用溝(「トルク伝達用負荷ボール案内溝」の誤記である。)と該トルク伝達用無負荷ボール案内溝に一致して厚肉部と薄肉部(「薄肉部」と「厚肉部」の誤記である。)を形成し、さらに前記薄肉部と厚肉部との境界壁に形成した貫通孔と前記厚肉部に形成した無負荷ボール溝へボールがスムーズに移動可能な無限軌道溝を形成した保持器と、該保持器と前記外筒間に組み込まれたボールとによって形成される複数個の凹部間に一致すべく複数個の凸部を軸方向に形成したスプラインシャフトを嵌挿組立てて構成されることを特徴とする無限摺動用ボールスプライン軸受」 (b)この特許請求の範囲の記載は次のように分説されています。 ・構成要件A…円筒内壁に断面U字状のトルク伝達用負荷ボール案内溝と、該溝よりもやや深いトルク伝達用無負荷ボール案内溝を軸方向に交互に形成し、その両端部に前記深溝と同一深さの円周方向溝を形成した外筒 ・構成要件B…外筒内壁の軸方向に形成したトルク伝達用負荷ボール案内溝とトルク伝達無負荷ボール案内溝に一致して薄肉部と厚肉部を形成し、さらに前記薄肉部と厚肉部との境界壁に形成した貫通孔と前記厚肉部に形成した無負荷ボール溝へボールがスムーズに移動可能な無限軌道溝を形成した保持器 ・構成要件C…該保持器と前記外筒間に組み込まれたボールとによって形成される複数個の凹部間に一致すべく複数個の凸部を軸方向に形成したスプラインシャフト ・構成要件D…右の外筒と保持器とスプラインシャフトを嵌挿組み立てること (c)特許発明の内容に関しては、第2審の解説をご覧ください。 →平成3年(ネ)第1627号 [原判決(高等裁判所の判断)] @本件において、被上告人は、上告人製品は本件発明の構成要件を全て充足するか又はこれと均等なものとして、本件発明の技術的範囲に属すると主張しているところ、原審は、次の通り判断して、本件特許権の侵害を理由とする被上告人の損害賠償請求を認容しました。 (a)上告人製品は、本件発明の構成要件C、D及びEを充足する。 (b)構成要件Aについては、構成要件に「断面U字状」、「円周方向溝」とあるのに対して、上告人製品では「断面半円状」、「円筒状部分7」である点で相違する。 (c)構成要件Bについては、本件発明の保持器が一体構造であり、保持器自体によってボールの無限循環案内、スプラインシャフト引き抜き時のボール保持機能及びシャフト凸部を案内するための凹部形成機能を有するのに対し、上告人製品は外筒の負荷ボール案内溝間にある突堤上端部とプレート状部材11及びリターンキャップ31の三つの部材の協働によって本件発明の保持器の前記各機能を実現しているものであって、両者はその構成を異にする。 (d)しかし、上告人製品は、解決すべき技術的課題、その基礎となる技術的思想及びこれに基づく各構成により奏せられる効果において本件発明と変わるところがなく、構成要件Bの保持器の構成について本件発明と上告人製品との間に置換可能性及び特許出願時における置換容易性が認められ、また、構成要件Aの「断面U字状」、「円周方向溝」と上告人製品の「断面半円状」、「円筒状部分7」の相違も、上告人製品について特段の技術的意義が認められないから、上告人製品は本件発明の技術的範囲に属すると認めるのが相当である。 |
[裁判所の判断] |
最高裁判所は、原審の右判断は是認することができないと判断し、その理由を次のとおりと説明しました。 @均等論の適用要件について 特許権侵害訴訟において、相手方が製造等をする製品又は用いる方法(以下「対象製品等」という。)が特許発明の技術的範囲に属するかどうかを判断するに当たっては、願書に添付した明細書の特許請求の範囲の記載に基づいて特許発明の技術的範囲を確定しなければならず(特許法七〇条一項参照)、 特許請求の範囲に記載された構成中に対象製品等と異なる部分が存する場合には、右対象製品等は、特許発明の技術的範囲に属するということはできない。 しかし、特許請求の範囲に記載された構成中に対象製品等と異なる部分が存する場合であっても、 (1) 右部分が特許発明の本質的部分ではなく、 (2) 右部分を対象製品等におけるものと置き換えても、特許発明の目的を達することができ、同一の作用効果を奏するものであって、 (3) 右のように置き換えることに、当該発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者(以下「当業者」という。)が、対象製品等の製造等の時点において容易に想到することができたものであり、 (4) 対象製品等が、特許発明の特許出願時における公知技術と同一又は当業者がこれから右出願時に容易に推考できたものではなく、かつ、 (5) 対象製品等が特許発明の特許出願手続において特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情もないときは、 右対象製品等は、特許請求の範囲に記載された構成と均等なものとして、特許発明の技術的範囲に属するものと解するのが相当である。 A均等論の必要性と前記適用要件を課す理由 けだし、 (一) 特許出願の際に将来のあらゆる侵害態様を予想して明細書の特許請求の範囲を記載することは極めて困難であり、相手方において特許請求の範囲に記載された構成の一部を特許出願後に明らかとなった物質・技術等に置き換えることによって、特許権者による差止め等の権利行使を容易に免れることができるとすれば、社会一般の発明への意欲を減殺することとなり、発明の保護、奨励を通じて産業の発達に寄与するという特許法の目的に反するばかりでなく、社会正義に反し、衡平の理念にもとる結果となるのであって、 (二) このような点を考慮すると、特許発明の実質的価値は第三者が特許請求の範囲に記載された構成からこれと実質的に同一なものとして容易に想到することのできる技術に及び、第三者はこれを予期すべきものと解するのが相当であり、 (三) 他方、特許発明の特許出願時において公知であった技術及び当業者がこれから右出願時に容易に推考することができた技術については、そもそも何人も特許を受けることができなかったはずのものであるから(特許法二九条参照)、特許発明の技術的範囲に属するものということができず、 (四) また、特許出願手続において出願人が特許請求の範囲から意識的に除外したなど、特許権者の側においていったん特許発明の技術的範囲に属しないことを承認するか、又は外形的にそのように解されるような行動をとったものについて、特許権者が後にこれと反する主張をすることは、禁反言の法理に照らし許されないからである。 B本事件への均等論の要件の適用 (a)これを本件についてみると、原審は、本件明細書の特許請求の範囲の記載のうち構成要件A及びBにおいて上告人製品と一致しない部分があるとしながら、構成要件Bの保持器の構成について本件発明と上告人製品との間に置換可能性及び置換容易性が認められるなどの理由により、上告人製品は本件発明の技術的範囲に属すると判断した。 (b)しかしながら、原審は、 (一) 外筒、スプラインシャフト及び保持器により構成される無限摺動用ボールスプライン軸受は本件発明の特許出願前に既に公知であり、本件発明における「該保持器と前記外筒間に組み込まれたボールとによって形成される複数個の凹部間に一致すべく複数個の凸部を軸方向に形成したスプラインシャフト」(構成要件C)はボールスプライン軸受のシャフトとして通常の構成要件であること、 (二) そして、 (1) 本件発明における保持器が一体構造であり、保持器自体によってボールの無限循環案内、スプラインシャフト引き抜き時のボール保持機能及びシャフト凸部を案内するための凹部形成機能を有する(構成要件B)のに対し、上告人製品の保持器は三枚のプレート状部材11、二個のリターンキャップ31と外筒の負荷ボール案内溝間の突堤25、27、29からなる分割構造のものであり、これら部材の協働により、本件発明の保持器の前記各機能を実現しているところ、 (2) 上告人製品における三枚のプレート状部材11及び二個のリターンキャップ31よりなる分割構造の保持器は、本件発明の特許出願前に頒布された刊行物である米国特許第三三六〇三〇八号明細書における無限摺動用ボールスプライン軸受に示されており、 (3) また、このような分割構造の保持器によりボールを保持するためには外筒の負荷ボール案内溝間に突堤を設けることが技術的に必然であるところ、このような構成は前同様の刊行物である米国特許第三三九八九九九号明細書のボールスプラインに示されていたことを、認定している。右によれば、上告人製品における分割構造の保持器及び外筒の負荷ボール案内溝間に突堤を設けることは、本件発明の特許出願前に公知のボールスプライン軸受において既に示されていたことになる。 また、原審の認定によれば、上告人製品は、無負荷ボールを円周方向に循環させる点及びスプラインシャフトの凸部をトルク伝達用負荷ボール案内溝の負荷ボールが左右から挟み込む複列タイプのアンギュラコンタクト構造を採用している点において、本件発明の構成(構成要件A、C参照)と共通するものであるが、原審が、本件発明の特許出願前に頒布された刊行物である特公昭四四―二三六一号公報、ドイツ連邦共和国特許第一四五〇〇六〇号公報及び米国特許第三四九四一四八号明細書に無負荷ボールの円周方向循環及び複列タイプのアンギュラコンタクト構造に関する記載があることを認定していることからすれば、これらの技術をボールスプライン軸受に用いることは本件発明の特許出願前に公知であったことがうかがわれる。 (c)そうすると、無負荷ボールの円周方向循環及び複列タイプのアンギュラコンタクト構造を備えたボールスプライン軸受の技術が本件発明の特許出願前に公知であったとすれば、原審の認定では保持器の構成はボールの接触構造によって根本的に異なるものではないというのであるから、上告人製品は、公知の無負荷ボールの円周方向循環及び複列タイプのアンギュラコンタクト構造を備えたボールスプライン軸受に公知の分割構造の保持器を組み合わせたものにすぎないということになる。 (d)そして、この組合せに想到することが本件発明の開示を待たずに当業者において容易にできたものであれば、上告人製品は、本件発明の特許出願前における公知技術から右出願時に容易に推考できたということになるから、本件明細書の特許請求の範囲に記載された構成と均等ということはできず、本件発明の技術的範囲に属するものとはいえないことになる。 (e)本件では、前記のとおり、本件明細書の特許請求の範囲に記載された構成中に上告人製品と異なる部分が存するところ、原審は、専ら右部分と上告人製品の構成との間に置換可能性及び置換容易性が認められるかどうかという点について検討するのみであって、上告人製品と本件発明の特許出願時における公知技術との間の関係について何ら検討することなく、直ちに上告人製品が本件明細書の特許請求の範囲に記載された構成と均等であり、本件発明の技術的範囲に属すると判断したものである。原審の右判断は、置換可能性、置換容易性等の均等のその余の要件についての判断の当否を検討するまでもなく、特許法の解釈適用を誤ったものというほかはない。 (f)右のとおり、原審の判断には、法令の解釈適用の誤り、ひいては審理不尽、理由不備の違法があるものというべきであって、この違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。 (g)論旨は右の趣旨をいうものとして理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、本件については、前に判示した点について更に審理を尽くさせる必要があるので、これを原審に差し戻すこととする。 |
[コメント] |
@本事例は、均等論の成立には、いわゆる積極的要件(本質的要件・置換可能性・置換容易性)だけではなく、消極的要件(公知技術の抗弁等、特別の事情がないこと)が必要であると判断された事例です。 すなわち、特許出願人自身により特許請求の範囲に記載された構成中に対象製品等と異なる部分が存する場合に、 ・第1要件…右部分が特許発明の本質的部分ではないこと。 ・第2要件…右部分を対象製品等におけるものと置き換えても、特許発明の目的を達することができ、同一の作用効果を奏するものであること。 ・第3要件…右のように置き換えることに、当該発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者(当業者)が、対象製品等の製造等の時点において容易に想到することができたものであること。 ・第4要件…対象製品等が、特許発明の特許出願時における公知技術と同一又は当業者がこれから右出願時に容易に推考できたものではないこと。 ・第5要件…対象製品等が特許発明の特許出願手続において特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情もないこと が満たされる場合に、均等論が適用されます。 A一般的に、第4要件及び第5要件の立証責任は、特許侵害訴訟の被告側にあると解釈されます。例えば、特許権者の側から、第4要件を立証するとすれば、特許出願時に存在したあらゆる先行技術との関係で対象製品が容易に推考できなかったことを証明しなければならず、事実上不可能だからです。 しかしながら、本事件の場合には、均等論の適用に関して第4、第5要件が必要である旨の司法判断は、この事件の最高裁裁判所で初めて示されたものであり、下級審では当然ながら当事者がこれらの要件に関して十分に立証・反論を行なったとは言えないため、最高裁判所は、第4、第5要件に関して心理させるために、事件を下級審に差し戻しました。 Bなお、均等論の第1要件(本質的要件)については、平成8年(ワ)第8927号〔徐放性ジクロフェナクナトリウム製剤事件〕において、次のように判示しています。 「特許発明の本質的部分とは、特許請求の範囲に記載された特許発明の構成のうちで、当該特許発明特有の作用効果を生じるための部分、換言すれば、右部分が他の構成に置き換えられるならば、全体として当該特許発明の技術的思想とは別個のものと評価されるような部分をいうものと解するのが相当である」 C均等論第4要件に関連する外国の判決として、Wilson Sporting Goods Co. v. David Geoffrey & Associates(904 F.2d 677)があります。 これは、均等侵害の係争物を包含する仮想クレームが特許出願されたと仮定した場合に、先行技術に照らして当該特出願が特許査定になるか否かで、均等の是非を判断する手法です。 →仮想クレーム理論(hypothetical claim)とは |
[特記事項] |
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