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@禁反言の意義
いわゆる包袋禁反言の原則は、特許出願や商標出願の審査の経過で出願人がした主張が審査官に受け入れられて権利になったときには、その主張と矛盾する権利の行使は許されないというものであり、一般には、審査段階では権利範囲を狭く見せかけ、設定登録があった後には手のひらを反すように広い権利範囲を主張する権利者に対して、権利行使を受ける側の反論の手段として用いられます。ここでは、それと異なり、広く解釈される可能性のある権利内容に関して、出願人が審査段階で禁反言の原則に言及し、そうした広い権利解釈はあり得ないとして、拒絶理由の回避を図った事例を紹介します。
A禁反言による信義則の事例の内容
事件の表示:平成24年(行ケ)第10222号
事件の種類:拒絶審決取消訴訟(請求認容)
本願商標:図形商標(大きく描いた筆書きの「北斎」の文字+図形)
出願番号:商願2007−117902
問題の意思表示が行われた場面:拒絶査定不服審判及び取消訴訟の審理
意思表示の内容:
単なる「北斎」の文字に商標権の効力が及ぶことはありえない。
事件の経緯:
(a)本件商標出願は、商標法第4条第1項第7号違反で拒絶されました。
(b)商標出願人は、審判段階において、
・本願商標は「北斎」の漢字を特定の書体で縦書きし、その左側部に朱印の印が押された構成よりなる結合商標であって、それ以上でもそれ以下でもない、
・本願商標に係る標章は、これら縦書き文字と印の二者で構成されるものであって、単純に「北斎」の名前を独占しようとするような類いのものでは全くない、
・本願商標の効力が土産物に及ぶのは、本願商標と完全に同じ商標、あるいは本願商標を構成する二つの部分(漢字文字、本件図形)の配置に変更を加えてなる商標などのように、本願商標と類似する商標を土産物に付した場合などの極めて特異なケースに限られるものである、
・これらの原告の主張は、実質的に、本願商標の効力範囲が、漢字文字の「北斎」のみからなる商標には及ばないことを自覚し、これを宣言するものであるなどと主張しました。
(c)審判官は、その主張を退け、審決において、原告のみに「北斎」との人物名について商標登録を認めることは、第三者の公益的施策に伴う各種商品等への商標の使用を制限することとなり、その公益的な事業活動に支障を来すおそれがあると判断しました。
(c)これに対して、原告(商標出願人)は、審判手続において、本願商標が登録となった際の禁止権の範囲は、特定の書体からなる「北斎」の漢字文字と図形の配置に変更を加えたものに限られることを宣言しているから、禁反言の法理に鑑みれば、本願商標が登録された場合にも、本願商標を構成するそれぞれの部分が独立して自他商品の識別標識としての機能を発揮することはなく、まして、単なる「北斎」の文字等にその商標権の効力が及ばないことは明らかである、と主張しました。
裁判所の判断:
(a)裁判官は、判決において次のように説諭した上で原審決を取り消しました。
“審判段階における原告の主張からすると、本願商標が商標登録された場合において原告が本件指定商品について本願商標に基づき主張することができる禁止権の範囲は、「北斎」との筆書風の漢字と本件図形からなる構成に限定されると考えられることから、例えば、「北斎」との漢字文字のみからなる商標について、これが本願商標の禁止権の範囲に含まれるなどと主張することは、信義誠実の原則に反し許されないといわなければならない。”
(b)審決を取り消した理由は次の通りです。
“葛飾北斎は、日本国内外で周知、著名な歴史上の人物であるところ、周知、著名な歴史上の人物名からなる商標について、特定の者が登録出願したような場合に、その出願経緯等の事情いかんによっては、何らかの不正の目的があるなど社会通念に照らして著しく社会的相当性を欠くものがあるため、当該商標の使用が社会公共の利益に反し、又は社会の一般的道徳観念に反する場合が存在しないわけではない。
しかしながら、原告による本願商標の出願について、上記のような公益的事業の遂行を阻害する目的など、何らかの不正の目的があるものと認めるに足りる証拠はないし、その他、本件全証拠によっても、出願経緯等に社会通念に照らして著しく社会的相当性を欠くものがあるとも認められない。”
[コメント]
外国では、審査段階において出願人が特定の事柄を保護範囲から除外するディスクレームという制度がありますが、この事件のやりとりはそうした手続を連想させるものです。裁判官が“例えば「北斎」との漢字文字のみからなる商標が本願商標の禁止権の範囲に含まれることは信義誠実の原則に反する”と述べたことは、そうした権利行使が許されないと釘をさすとと同時に、出願人の主張を受け入れて権利が成立したことを証拠上明らかにする趣旨と理解されます。
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