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@特許出願中のライセンス契約の意義
(a)特許法では、平成20年の改正により、特許出願中の発明について実施権を設定・許諾する仮専用実施権及び仮通常実施権の精度が創設されました。しかしながら、少なくとも通常実施権については、特許出願人に対して通常実施権の許諾を求めるという実務が存在しました。
別にこうした許諾を受けなくても、補償金請求権(特許出願中の発明を出願公開後に業として実施する者に対して、特許出願人が所定の警告をしたときに当該警告後特許権の設定登録前の実施に関して補償金を請求できる権利)を行使される覚悟で実施をすることはできるのですが、補償金の額を巡って争いになる可能性があり、予め実施料を含めて許諾交渉をしておいた方が良いと考えるからでしょう。
(b)特許出願中のライセンス契約において注意しなければならないのは、ライセンス契約の対象となる発明と、特許出願に係る発明との関係です。特許範囲の広狭は、特許出願人がその後補正をすることで変動する可能性が高いのです。
補正により請求の範囲が変動した場合に、これに対応して実施許諾の範囲も自動的に変更するものと解釈するべきか否かに関して、当事者間で争いになった事例を紹介します。
A特許出願中のライセンス契約の事例の内容
[事件の表示]平成18年(ワ)第11429号
[事件の種類]特許権侵害差止等請求事件(一部認容)
[判決の言い渡し日]平成18年(ワ)第11429号
[発明の名称]熱伝導性シリコーンゴム組成物及びこの熱伝導性シリコーンゴム組成物によりなる放熱シート
[経緯]
原告は、平成10年1月27日に、前記発明を特許出願するとともに、当該出願が特許庁に継続している間に発明の実施許諾の契約を被告との間に交わしました。
その後に原告は、特許庁から当該特許出願について記載不備を理由とする拒絶理由通知を受け、平成14年2月4日に請求の範囲を変更(減縮事項を含む)しましたが、その時点で被告に補正の事実を通知しませんでした。
これを知った被告は、原告に対して、平成14年7月17日に以後の実施料の支払いを拒否する旨を通知し、同年12月13日に契約を解除する旨の意思表示を行いました。但し、契約の約定により契約が終了したのは、平成15年10月1日です。
平成14年3月22日に当該特許出願について特許権の設定登録が行われました。原告は、被告に対して、侵害行為の停止と損賠賠償、未払いの実施料の支払いを求めて提訴しました。
被告は、侵害行為の成立を否定するとともに、仮に侵害があったとしても賠償金などのに支払いに関しては、相殺されるべき事情があると主張しました。
すなわち、特許出願の請求の範囲が減縮されたことによりライセンスの許諾の範囲も減縮されると主張して、既払い実施料の返還請求を求めました。
{第2次的主張(既払実施料に係る不当利得返還請求権)}
(被告の主張)
特許出願中の発明に係る実施許諾契約において、契約締結後の補正によって特許請求の範囲が減縮された場合、特許出願人(原告)は、権利化を図るために、自らの意思により独占すべき権利の範囲を狭めたのであるから、実施許諾の範囲は、原始的に(契約締結の日から)減縮された特許請求の範囲になるというべきである。本件においても、原告は、本件補正によって本件実施契約についても減縮した部分については実施料を請求できないことを承知の上で補正したのである。
従って契約の解釈に関する信義則上、本件補正によって、一部製品(GR−i及びGR−n)を除く被告製品は契約から除外される。また、上記ア−(ウ)と同様に、本件実施契約4条2項(不返還条項)が適用される余地もない。
(原告の主張)
争う。
ア 被告による実施料の支払は、本件実施契約という法律上の原因に基づいてなされたものであるから、原告が当該実施料を受領したことが不当利得となることはない。少なくとも平成14年3月22日に本件特許権の設定登録がされる以前においては、本件実施契約における「許諾製品」とは、本件補正前の特許請求の範囲の技術的範囲に属する熱伝導性シリコーンゴム組成物よりなる放熱シートと解するほかはない。そうすると、平成14年3月22日以前において、GR−i及びGR−nを除く被告製品が本件実施契約の「許諾製品」に該当することは明らかであるから、この期間における被告の既払実施料が原告の不当利得となることはあり得ない。
イ また、本件実施契約4条2項は、被告が原告に対して本件実施契約に基づくものとして任意に支払った実施料については、確定的に原告に帰属するものとし、許諾特許や本件実施契約のその後の帰趨(無効や終了など)によって当該支払の有効性が失われ返還されることがない旨を定めたものである。かかる条項の目的は、いったん支払われた実施料について、後日、その支払の有効性に対する疑義が生じることを防止することにより契約当事者間の法律関係の安定を図ることにある。同条項では、不返還の場合の具体的な例示として、「許諾特許の無効、本契約の解約」が掲げられているが、あくまでも例示であり、いったんなされた支払の不返還が上記の場合に限定されるものでないことは、「その他いかなる理由によっても」被告に返還されないとの文言から明らかである。
よって、被告が原告に任意に支払った上記期間におけるその他製品の実施料について、原告に不当利得が発生することはない。
[裁判所の判断]
ア 本件実施契約書(甲4)には、以下の定めがあることが認められる。
(ア) 「許諾特許」とは、原告所有の下記の特許出願及びこれに係る特許権並びにその分割又は変更に係る新たな出願に基づく権利をいう。(第2条(1))
特開平11−209618号(発明の名称:熱伝導性シリコーンゴム組成物及び該組成物よりなる放熱シート)
(イ) 「許諾製品」とは、許諾特許の技術的範囲に属する熱伝導性シリコーンゴム組成物よりなる放熱シートをいう。(第2条(2))
(ウ) 本件実施契約に基づいて被告から原告になされたあらゆる支払は、許諾特許の無効、本件実施契約の解約その他いかなる理由によっても被告に返還されないものとする。(第4条2:以下「不返還条項」という。)
イ 上記本件実施契約の第2条(1)には、契約締結時点における「許諾特許」として公開公報(特開平11−209618号)が掲げられており、これと並んで「これに係る特許権」と記載されていることからすれば、特許権発生前の「許諾特許」とは、同公開公報の特許請求の範囲に記載された発明を指すものであり、特許権発生後の「許諾特許」とは、発生した特許権に係る特許請求の範囲による特許を指すものと解するのが相当である。
被告は、特許請求の範囲が減縮された場合には、信義則上、契約締結の日に遡って許諾の範囲も減縮されると主張する(第2次的主張)。しかし、本件実施契約締結時点では本件特許は未だ特許出願段階であったから、補正により特許請求の範囲が減縮されることがあり得ることは当然に想定できたはずであるのに、本件実施契約書上、特許請求の範囲が補正により減縮された場合について何らの定めもされていない。
また、未だ出願段階であるが故に特許出願が拒絶されたり、補正により特許請求の範囲が減縮されることもあり得ることを前提として、実施料率が特許権発生後に比して低率(1%)に抑えられていると解され、これとの均衡においても、特許出願が拒絶された場合や特許請求の範囲が減縮された場合のリスクは被許諾者において負担すべきである。したがって、補正により特許請求の範囲が減縮されたからといって、信義則上、本件実施契約締結の日に遡って減縮の効果が生じると解することはできない。
ウ 上記に対し、本件実施契約上、特許権発生後における「許諾特許」とは、同特許権に係る特許請求の範囲と解すべきであるから、本件補正による特許請求の範囲の減縮により、GR−b等は「許諾特許」の技術的範囲に属さず、「許諾製品」に当たらないことになる。よって、GR−b等については、特許権発生後、すなわち特許権の設定登録日以後、実施料を支払う義務はなかったというべきである。
しかしながら、本件実施契約では、原告がいったん受領した実施料は、許諾特許の無効、本件実施契約の解約その他いかなる理由によっても被告に返還されないと定められており(不返還条項)、その文言上、契約締結後に生じたあらゆる事由がこれに含まれることになるから、本件における特許請求の範囲の減縮も、文言上「その他いかなる理由」に含まれることになる。
この点、被告は本件において不返還条項は適用すべきではない旨主張する。しかし、本件では特許請求の範囲が減縮された上で特許権が発生したのであるから、減縮後の技術的範囲に属する場合には実施料の受領が認められることになるし、本件実施契約上、被告が原告に対して実施品の態様を開示する義務は定められておらず、基本的に被告の責任において当該実施品が「許諾製品」に該当するかを判断することが前提とされているのであるから、特許権が発生している以上、被告の支払う実施料を受領することは、むしろ通常のことといえる。そうすると、本件において原告が特許権発生後も被告の支払う実施料を受領したことが信義則に照らして容認できないとはいえず、不返還条項の適用を否定すべき事情は見当たらない。
エ 以上より、本件実施契約締結後、特許権発生日までの間については、GR−b等も「許諾特許」の技術的範囲に含まれ、「許諾製品」に該当するから、その実施料の受領が法律上の原因を欠くとはいえない。
また、特許権発生日後については、GR−b等は「許諾特許」の技術的範囲に含まれず、「許諾製品」には該当しないが、GR−b等について原告が受領した実施料は不返還条項に基づき返還する必要はないから、その実施料の受領に法律上の原因がないとはいえない。
よって、被告の第2次的主張に係る不当利得返還請求権は、認められない。
[コメント]
被告は、特許出願の請求の範囲が減縮されることにより、許諾の範囲も契約時に遡って減縮される旨を主張していますが、補正の効果としての遡及効は、一般的に、特許出願の効果であって、それが当事者間の契約にまで及ぶと解釈するには根拠が不足しています。そのように解釈するべきという法令もないし、そのように解釈するべきという契約上の条項もないので、裁判所としては前記の如く判断せざるとえないと思います。
(留意点)
なお、被告は、不当利得返還請求による相殺の抗弁に関して、補正の効果により許諾の範囲も厳粛されるという前述の主張(2次的主張)の他に、特許出願の請求の範囲を減縮することは減縮部分の発明に関する特許出願の取り下げに相当する旨の主張(3次的主張)をしていますが、これについては下記を山椒して下さい。
→特許出願中のライセンス契約のケーススタディ3
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