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@妨害排除請求権の意義
(a)民法は、所有権の絶対性を三大原則の一つとしており、目的物である有体物の全面的な排他的支配を保証しています。
こうした支配を実現するには、目的物の占有以外の形で物権の実現を妨害する行為を排除する、妨害排除請求権が重要な意味を持ちます。
こうした考え方は、所有権類似の権利である特許権に借用されており、特許法第100条第1項に妨害排除請求権に類似する差止請求権が規定されています。
(b)前述のように所有権と特許権とは類似している点がありますが、目的物が有体物か無体物かという点で異なり、また権利が恒久性を有するか否かという点でも異なります。
即ち、所有権は、目的物が存在していながら権利がなくなるということがありません。
これに対して、特許権は、発明をした時点で直ちに発生せず、単に特許出願をする権利(特許を受ける権利)が発生するにすぎません。
発明者は特許出願をしなければ、何ら保護を受けることができません。
特許出願をし、新規性・進歩性の審査を経て、設定登録を受けることにより、特許権の保護が受けられますが、これも恒久的な保護ではなく、少なくとも特許出願の日から20年を経過した後には特許権の存続期間の満了により、特許権は消滅します。
(b)特許権の存続期間の満了により、特許発明は公共の財産となるため、同業者は存続期間の満了に合わせて発明の実施の準備をすることが少なくありません。
特許発明が医薬品であり、実施をする為の準備が薬事法による承認を受けることである場合に、特許権者がこれを侵害行為と捉え、これを排除したいと考えることがあります。
しかしながら、そうした事実が判明するのは通常は特許権の存続期間の満了後であり、差止請求権を行使することはできないため、その代りに妨害排除請求権を用いて発明の実施行為を排除しようとした事件があります。そうした事例を紹介します。
A妨害排除請求権の事例の内容
[事件の表示]平成8年(ワ)第12505号
[事件の種類]特許権侵害差止請求事件
[判決の言い渡し日]平成10年5月7日
[発明の名称]潰瘍治療剤
[事件の概要]
(a)被告は、原告製剤の後発医薬品(被告製剤)を販売することを計画し、本件特許権の存続期間中に、厚生大臣に対して薬事法一四条に基づく製造承認申請をするのに必要な資料を得るため、被告製剤を製造し、使用して各種試験(本件試験)を行いました。
そして被告は、こうした資料を添付して厚生大臣に被告製剤の製造承認申請をして製造承認を取得し、本件特許権の存続期間満了後、被告製剤を販売しました。
(b)原告は、
・本件試験による被告製剤の使用及び製造は、本件特許権を侵害するものである
・被告は、本件特許権の存続期間満了日の二七か月前から、何ら法律上の原因なくして、本件発明を実施することにより、製造承認に基づき被告製剤を製造、販売できる地位という利益を得、本件発明についての原告の独占的占有を二七か月間にわたって侵奪して原告に損失を及ぼしたから、被告は、その受けた利益の全てを返還しなければならず、占有侵奪によって取得した製造承認及び薬価基準収載をいったん白紙に戻さなければならない
と主張して、被告製剤の製造販売の差止め等を求めました。
[原告の主張]
本件試験による被告製剤の使用及びそのための製造、製造承認の申請及びその取得並びに薬価基準の収載は、本件特許権を侵害するものであるところ、後発医薬品会社が、特許権の存続期間中に製造承認申請のための資料を得る目的で本件試験をしていることはもちろん、そのような資料に基づいて薬事法に基づく製造承認申請を行い、更には、健康保険法に基づく薬価基準の収載の申請を行っていることは公表されないから、先発医薬品会社は、その事実を捕捉することができず、その結果、特許権の存続期間が満了してしまい、右侵害行為に対する差止めの機会を失うこととなるが、このような結果を放任することが許されるはずがない。
原告は、被告が本件特許権の侵害行為たる本件試験を行うことに起因して生ぜしめた、本件特許権に対する妨害の排除を求めるものである。
[裁判所の判断]
・原告の本件特許権に基づく妨害排除請求権に基づく本件請求(損害賠償請求を含む)は、本件試験による被告製剤の使用及びそのための製造が本件特許権を侵害する違法なものであることを前提とするものであるから、前提を欠き、理由がない。
・付言するに、原告は、本件特許権妨害行為が存続している限度で、存続期間に引き続いて本件特許権に基づく妨害排除請求権が認められなければ、特許権という準物権の有している、対象物の完全かつ円満な利用収益という本来の目的を達成しえない旨主張するが、特許法は、特許権者は特許権を侵害する者又は侵害するおそれがある者に対し、その侵害の停止又は予防などを請求することができるものとして(一〇〇条)、特許権を物権に準ずるもののように定めるとともに、その存続期間は特許出願の日から二〇年をもって終了すると明確に定めている(六七条一項)のであるから、物権法定主義の趣旨に照らし、特許権は存続期間の満了により対世的、絶対的に消滅するものと解すべきであり、その消滅した特許権に基づく妨害排除請求権が存しないことは明らかである。
原告は、その主張の正当性の根拠として、いわゆる登記の中間者による抹消請求権の例を援用するが、これは、実際の権利変動の過程と登記簿上の記載との不一致という事実を前提として、中間者が正当な利益を有するときに限り、抹消登記を請求できる余地を認めるものであり、かかる前提のない特許権の存続期間満了後における差止請求権の根拠とすることはできない。
原告は、更に特許権侵害ないし妨害は、私権である特許権の権利者を害するにとどまらず、特許法の予定する産業的取引社会の公正な秩序をも害することになるとも主張するが、特許権が存続期間の満了により対世的、絶対的に消滅しているから、被告の行為がこれとは別の「産業的取引社会の公正な秩序」を害するものということはできない。
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