内容 |
@訴訟ホールドの意義
訴訟においては、裁判の結果を左右する情報を、相手方の当事者が保有している場合が少なくありません。特許訴訟の場合には、発明者(特許出願人)の研究記録などです。
そうした事柄を開示させる手続としてディスカバリーがあり、手続の実効性を担保するために、米国の連邦訴訟規則では裁判の可能性が発生したときに関連する情報を保全するプロセス(訴訟ホールド)について規定しています。
ここでは訴訟ホールドを適切に実行しなかった当事者が裁判上の不利を被った事例を紹介します。
A訴訟ホールドの事例の内容
(a)アップル対サムスン事件
(イ)スマートフォンの特許に関するアップルとサムスンの一連の訴訟は世界各国で繰り広げられましたが、ここでは米国で争われたアップルの特許/意匠特許侵害訴訟(アップル対サムスン事件)のうち、
2012 年 7 月に下された裁判所命令25について取り上げます。これは、E ディスカバリー違反に対して制裁が科された事例です。
(ロ)事件の概要
サムソンは、その小会社が構築したeメールシステムを2001年から導入しており、このシステムには全てのメールを2週間後に自動削除するという設定が含まれていました。証拠保全義務発生した後に削除設定が通常通り実施されていました。
これを以て、アップルは、サムソンが訴訟関連の大量の電子メールを意図的に破棄したとして証拠保全義務への制裁としてサムソンに不利な推定を行うことの申し立てを行いました(→不利な推定とは)。
陪審員は、アップルの申し立てを認め、証拠開示義務が生じた後に関連証拠が廃棄され、失われた証拠がアップルにとって有利なものであることに関して、アップルが証明責任を果たしたと推定しました。
サムソンによる電子メールの自動削除が証拠開示義務の「意識的な無視 (conscious
disregard)」であったと認定されたのです。
(ハ)サムソンの対応
・2010年8月4日、アップルは、サムスンによるアップルの特許の侵害可能性に関する情報をサムスンに提示した。
・同年8月23日、サムスンは、特定の同社従業員に対し、次の内容を含む訴訟ホールド通知をeメールで伝えた。
・「ビジネス上での解決の至らない場合、サムスンとアップルとの間で将来特許訴訟が発生する可能性があると考えるのが合理的である。(中略)証拠となる文書の保全義務が存在するか否かを裁判所が判断する際の主要な論点は、問題の証拠文書と予期される訴訟との関係について、当事者が通知されていたかどうかである。ここでいう通知とは、前に行われた訴訟、今回の訴訟前のやり取り、訴訟を予期しての準備作業や努力など、様々な状況を含む。(中略)完全な解決が成立するまで、サムスンとアップル間の訴訟争点に関連すると思われるすべての文書を保存しておくように要請する。」
・この通知には、受信したeメールにうち特に慎重に扱うべき10カテゴリーを示した。
・しかしながら、その後の数カ月の間は、サムソンは特別な措置をとらなかった。
・2011年4月15日、アップルは本件訴訟を提起した。
・同年4月21日、サムスンは再度、訴訟ホールド通知を従業員向けに送ったが、このときは2300人の従業員に向け、保全すべき文書の範囲を詳細に示した。
・その後もサムスンは、訴訟が進展するに伴い、訴訟ホールド通知の内容と送付範囲を改めていった。
(ニ)証拠保全義務の発生時点に関する当事者の主張
アップルによれば、サムスンによる証拠の保全義務はアップルによる侵害通知がサムスンになされた2010年8月に生じました。この時点において、サムスンが自社製品を変更することを予定していれば別であるが、そうでなければアップルとの訴訟が、不可避ではないにしても、差し迫っていることは認識できたはずというのです。
他方、サムスンによれば、保全義務が生じたのは、アップルが訴訟を提起した2011年4月15日です。010年8月の時点ではアップルの請求内容もわからず、ライセンス交渉も進行中であったため、和解の可能性もあったからです。
裁判所はアップルの主張を支持しました。
(ホ)コメント
サムソンの側の特許担当者の立場としては、証拠となる電子メールを保存するように社員に要請しているのだから、証拠開示義務の意識的な無視には当たらないと考えるかもしれません。ここに、厳格な義務の履行を求める裁判所との意識のズレがあります。
サムソンの通達は、単なる“要請”であり、関連する文書を保存するか否かは結局各従業員の裁量に委ねられており、従業員が会社の指示を順守しているか否かを確認していませんでした。裁判の意識の低い一般の従業員が電子メールを削除しないように、知財担当者が関連するメールを選別し、保存することが必要だったのです。
Apple Inc. v. Samsung Electronics Co., LTD, et al.,
|