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①特許の活用策・保全の必要性の意義
(a)特許法は、新規性・進歩性を備えた発明を国に開示した特許出願人に対して、当該発明を社会に公開して技術の進歩に資することの代償として、当該発明を“業として実施する権利を専有すること”を効力とする特許権を付与します。
(b)しかしながら、この特許権は無体財産権であり、権利対象(発明)を事実上占有することが困難であるという特殊事情があります。
このために、特許発明を有効に保護することは難しく、一人の事業者により特許発明の模倣を許すと、我も我もと模倣者が続出し、市場に侵害品が溢れて収拾のつかない状態になることがありえます。
(c)こうした事態を阻止するために、現実の侵害行為に対して速効性を有する救済策として差止請求権(特許法第100条)が認められ、かつ暫定的な保護として、仮処分(被疑侵害者に対して問題の行為を停止する地位を仮に認める処分)の申請もできます。
(d)しかしながら、仮処分の命令を受けるためには、被保全権利(有効な特許権)が存在するだけではなく、保全の必要性が存在することを疎明することが必要です。
(e)特許権は、端的にいうと特許の活用(特許発明の活用)を図る権利ですので、現実に特許発明が特許権者(又は実施権者)により実施されており、実施の事業が侵害品により脅威に晒されていることが明らかであれば、保全の必要性を認める上では十分です(→特許の活用策・保全の必要性のケーススタディ1)。
(f)しかしながら、現実的には、特許権者が特許の活用を図っているつもりであっても、そのことの疎明に失敗することがあります。
疎明に失敗する理由は、
・特許権者が他人に発明を実施させる場合に、その他人は法律上の実施権者であるのか。
・特許権者側が実施している発明は、間違いなく特許権者であるのか。
です。
前者に関しては、特許権者としては、通常実施権者(或いは専用実施権者)に実施させている積りでも、両者間の権利関係を証明する書面が準備されておらず、事実関係の疎明ができないという可能性があります。
後者に関しては、特許権者としては特許発明を実施している積りでも、実施の現場の判断で設計変更が加えられるなどして、特許発明の実施ではなくなっている可能性があります。
こうしたことを踏まえて、関連する先行例(疎明に失敗した事例)を解説します。
②特許の活用策・保全の必要性の事例の内容
[事件の表示]昭和59年(ヨ)第318号
[事件の種類]特許発明販売差止等仮処分申請事件(却下)
[発明の名称]全自動式脱フ装置
(“フ”はのぎへんに“孚”を添えた漢字で穀物の種子を覆っている外皮の意味)
[保全の必要性の論点]特許発明の実施の疎明の不備
[事件の経緯]
(a)申請人は、“全自動式脱フ装置”と称する発明の特許出願に対して付与された特許権(登録番号第一〇一〇四五三号)及び同じ名称の発明に対して付与された特許権(登録番号第一〇六〇一五一号)を有している。以下、前者の発明を特許発明1といい、後者の発明を特許発明2という。
申請人はこれらの特許権に基づいて、被申請人は係争物を製造販売してはならない旨の仮処分の裁判を求めた。
[裁判所の判断]
まず、本件仮処分申請について保全の必要性の有無を判断するに、本件仮処分申請は、債務者に対し、別紙の各物件(全自動式脱フ装置)の製造、販売又は販売のための展示の差止め等を求め、かつ、債務者の右各物件等に対する占有を解いて名古屋地方裁判所執行官に保管を命ずる裁判を求めるものであるから、右は民訴法七六〇条所定の仮の地位を定める仮処分、いわゆる満足的仮処分を求めるものと解される。
→満足的仮処分とは
このような製造、販売等の差止め等を求める満足的仮処分申請について、その保全の必要性の有無を判断する場合においては、右仮処分が往々にして債務者の企業活動等に対し回復困難な打撃を与えることがあることから、当該仮処分命令が発令されないことによつて仮処分債権者の被るべき不利益と当該仮処分命令が発令されることによつて仮処分債務者の被るべき不利益とを考慮し、両者の比較考量の上に立つて判断するべきである。
そこで、債権者らが、債権者ら主張に係る本件特許発明1、2を実施して、全自動式脱フ装置を製造、販売しているか否かをみるに、本件全疎明資料によるも、右実施の事実を認めるに足りない。
この点に関し、債権者らは、甲製作所名で本件特許発明1、2を実施している旨主張する。しかしながら、債権者らが本件特許発明1、2の実施品の組立、整備、点検を行つていると主張する建物は、疎甲第二五号証の一ないし六によれば平家建のプレハブ状の建物で、甲製作所と記載された木札が掲げられてはいるが、その扉には株式会社S(以下単に「S」という。)と記載されており、また、右扉は閉じられていて内部の状態を窺い知ることはできないことが一応認められる。したがつて、右疎明資料によつても右建物が債権者らの製品組立、整備、点検のための工場であるとは認め難い。
また、疎甲第二八号証の一ないし三によれば、「”丙”達」が訴外株式会社岐阜ベルト等から「全自動式脱プ装置(風圧真空式籾摺機)」用の部品の納入を受けていることが一応認められるが、右「”丙”達」が債権者ら個人を指すのか、あるいはSを指すのかという点は、疎甲第二八号証の四、五の「”丙”達、或は、株式会社S」等が訴外A等に右装置の海外輸出の代理業務を委託している旨のあいまいな記載及び前記のとおり債権者らの製品組立、整備のための工場が存在する旨の疎明がないこと等に照らし、必ずしも明確ではなく、また、右「全自動式脱プ装置(風圧真空式籾摺機)」が本件特許発明1、2の実施品であるのか否かといつた点も不明である。
したがつて、右疎明資料をもつてしても債権者らが本件特許発明1、2を実施している事実を認めるに足りず、他に右事実を認めるに足りる疎明資料はない。
次に、債権者らは、債権者らが実施していないとしても、債権者らの同族会社ともいうべきSが本件特許発明1、2に係る実施品X」を製造、販売しており、この点から本件においては保全の必要性を認めるべきである旨主張する。
しかしながら、疎甲第五号証の一ないし四によりSが販売していることが一応認められるX」が、本件特許発明1、2の実施品であるか否かの点は、現段階では本件記録上、必ずしも明らかではなく、また、疎甲第二六号証によればSの代表取締役が債権者甲1であり、債権者甲2が取締役に、債権者甲3が監査役にそれぞれ就任していることが一応認められるが、そうであるからといつて、債権者らとは別個の法人格を有するSと債権者らとを同一視することは、特段の事情のない限り、許されないものというべきところ、本件において、右特段の事情を認めるに足りる疎明はない。
したがつて、債権者らの右主張も理由がない。
以上、要するに、債権者らが、現在、本件特許発明1、2を実施している事実ないしはそのための準備を現実に行つていたとの事実を窺うことはできないから、債務者が別紙(一)添付の別紙目録一ないし七記載の物件(全自動式脱フ装置)を製造、販売することによつて債権者らが被るべき損害は、本件特許権の実施料相当額の金員の支払を受けることができないこと等による金銭的な損害に限られるものと考えられるのであり、本件記録上も債権者らに右以外の損害が発生することを窺うことはできない。
これに対し、本件仮処分命令が発令されることによつて債務者の被る不利益をみるに、債務者は、その売上げ中のかなりの部分を占める前記各債務者製品の製造、販売が禁止されることにより、債務者の行う企業活動に重大な支障が生ずることが予想され、回復し難い打撃を被ることが、本件記録上、窺える。(中略)
以上の両当事者間の事情等を総合し、比較考量すると、本件仮処分申請は、その保全の必要性を欠くものというべきである。
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