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@訴えの利益の意義
(a)訴えの利益は、民事訴訟や行政訴訟において原告が自分の請求について実質的な審判を受けるために必要な要件(訴訟要件)であり、訴えの利益を欠くときには訴えは却下されます(→訴訟要件とは)。
(b)民事訴訟で言えば、特許侵害訴訟を提起したのにも関わらず、提訴の時点で特許権が年金不納で失効していた(しかも納付の猶予期間を過ぎていた)ことが判明すれば、当該民事訴訟は却下されます。
(c)また行政訴訟で言えば、特許出願の拒絶査定不服審判の審決取消訴訟において、提訴の時点で当該特許出願が取り下げ擬制されたり、無効とされたときには、やはり当該行政訴訟は却下されます。
(d)ここでは、無効審判の請求前に特許権の存続期間が満了した場合において、請求は成り立たない旨の審決が出され、審決取消訴訟で訴えの利益の有無が争われた事例を紹介します。
A訴えの利益の事例の内容
[事件の表示]平成28年(行ケ)第10182号
[事件の種類]審決取消請求事件(無効審判不成立・請求棄却)
[判決の言い渡し日]平成30年 4月13日
[発明の名称]ピリミジン誘導体
[事件の概要]
乙(被告)は、
平成3年7月1日に「ピリミジン誘導体」と称する発明を特許出願し、
平成4年5月28日に当該出願を基礎とする国内優先権を主張して新たな特許出願(本件出願)を行い、
平成9年5月16日に特許権(本件特許権)の設定登録を受けた(特許第2648897号)。
甲(原告)は、平成27年3月31日,当時の本件特許の請求項1〜5及び7〜12について,特許無効審判を請求した(甲79。無効2015−800095号。以下「本件審判」という。)。
この審判において、特許請求の範囲の明細書の請求が行われた。
特許庁は,平成28年7月5日,「本件審判の請求は,成り立たない。」との審決をし,その謄本は,同月14日,原告らに送達された。
[裁判所の判断]
(a)本件審判請求が行われたのは平成27年3月31日であるから、審判請求に関しては同日当時の特許法(平成26年法律第36号による改正前の特許法)が適用されるところ、当時の特許法123条2項は、「特許無効審判は、何人も請求することができる(以下略)」として、利害関係の存否にかかわらず、特許無効審判請求をすることができる旨を規定していた(なお、冒認や共同出願違反に関しては別個の定めが置かれているが、本件には関係しないので、触れないこととする。この点は、以下の判断においても同様である。)。
このような規定が置かれた趣旨は、特許権が独占権であり、何人に対しても特許権者の許諾なく特許権に係る技術を使用することを禁ずるものであるところから、誤って登録された特許を無効にすることは、全ての人の利益となる公益的な行為であるという性格を有することに鑑み、その請求権者を、当該特許を無効にすることについて私的な利害関係を有している者に限定せず、広く一般人に広げたところにあると解される。
そして、特許無効審判請求は、当該特許権の存続期間満了後も行うことができるのであるから(特許法123条3項)、特許権の存続期間が満了したからといって、特許無効審判請求を行う利益、したがって、特許無効審判請求を不成立とした審決に対する取消しの訴えの利益が消滅するものではないことも明らかである。
(b)被告は、特許無効審判請求を不成立とした審決に対する特許権の存続期間満了後の取消しの訴えについて、東京高裁平成2年12月26日判決を引用して、訴えの利益が認められるのは当該特許権の存在による審判請求人の法的不利益が具体的なものとして存在すると評価できる場合のみに限られる旨主張する。
しかし、特許権消滅後に特許無効審判請求を不成立とした審決に対する取消しの訴えの利益が認められる場合が、特許権の存続期間が経過したとしても、特許権者と審判請求人との間に、当該特許の有効か無効かが前提問題となる損害賠償請求等の紛争が生じていたり、今後そのような紛争に発展する原因となる可能性がある事実関係があることが認められ、当該特許権の存在による審判請求人の法的不利益が具体的なものとして存在すると評価できる場合のみに限られるとすると、訴えの利益は、職権調査事項であることから、裁判所は、特許権消滅後、当該特許の有効・無効が前提問題となる紛争やそのような紛争に発展する可能性の事実関係の有無を調査・判断しなければならない。
そして、そのためには、裁判所は、当事者に対して、例えば、自己の製造した製品が特定の特許の侵害品であるか否かにつき、現に紛争が生じていることや、今後そのような紛争に発展する原因となる可能性がある事実関係が存在すること等を主張することを求めることとなるが、このような主張には、自己の製造した製品が当該特許発明の実施品であると評価され得る可能性がある構成を有していること等、自己に不利益になる可能性がある事実の主張が含まれ得る。
このような事実の主張を当事者に強いる結果となるのは、相当ではない。
(c)もっとも、特許権の存続期間が満了し、かつ、特許権の存続期間中にされた行為について、何人に対しても、損害賠償又は不当利得返還の請求が行われたり、刑事罰が科されたりする可能性が全くなくなったと認められる特段の事情が存する場合、例えば、特許権の存続期間が満了してから既に20年が経過した場合等には、もはや当該特許権の存在によって不利益を受けるおそれがある者が全くいなくなったことになるから、特許を無効にすることは意味がないものというべきである。
したがって、このような場合には、特許無効審判請求を不成立とした審決に対する取消しの訴えの利益も失われるものと解される。
以上によると、平成26年法律第36号による改正前の特許法の下において、特許無効審判請求を不成立とした審決に対する取消しの訴えの利益は、特許権消滅後であっても、特許権の存続期間中にされた行為について、何人に対しても、損害賠償又は不当利得返還の請求が行われたり、刑事罰が科されたりする可能性が全くなくなったと認められる特段の事情がない限り、失われることはない。
以上を踏まえて本件を検討してみると、本件において上記のような特段の事情が存するとは認められないから、本件訴訟の訴えの利益は失われていない。
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