内容 |
①恩恵主義の意義
(イ)特許という仕組みを最初に導入したのはヨーロッパ大陸のヴェニスであったといわれています。例えばガリレオ・ガリレイは、国王に対して、自分が非常に便利な揚水・灌漑用機械(馬を動力として絶えず水を供給する機会)を発明したこと、それは非常な労力と費用を費やした結果として完成したものであること、その発明が全ての人の財産になってしまうのは堪えられないことであることを陳述し、そして、他人が発明品を製作・使用することが一定期間出来ないようにし、違反者に対して罰金を科し、その罰金の一部を自分或いは自分の子孫(或いは自分達等から権利を受け継いだ人々)が受け取れるようにして欲しいと請願しました。
(ロ)今日の特許出願のことを当時は“特許の請願”と呼んでおり、一旦特許が発生した後はそれは“権利”として認められるものの、特許の形成段階ではそれはあくまで国王にお願いするものでありました。特許をするか否かは国王の裁量であり、不特許に対して不服を申し立てる途はありませんでした。すなわち“特許を受ける権利”というものはこの時点ではなかったのです。
(ハ)16世紀になって、英国ではモノポリー(monopoly)の特許が発せられるようになりました。
(ニ)当時の英国はヨーロッパの中では後進国であり、国を富ませるという産業政策を重要視していました。特にヨーロッパ大陸に居た優れた職人達を英国に呼び込む必要があったのです。そこで英国の国王は国を豊かにするために、次のような特許を与えたのです。
(a)商工業を興した者に与えられる特許
(b)外国から技術を導入(輸入)した者に与えられる特許
(c)新製品を発明した者に与えられる特許
②恩恵主義の弊害
もともと産業振興のための恩賞が目的であった特許の制度は、次第に恣意的なものとなり、既存の産業の一部を対象として暴利をむさぼるという事例が多くなりました。
モノポリーの特許は、トランプなどの嗜好品から塩・油・酢などの生活必需品に及び、人々の生活を圧迫したのです。
③恩恵主義の変遷
(イ)英国王は、議会の反対を受けて、モノポリーと呼ばれる特許に関して、特に弊害の強かったものを廃止し、残ったものの有効性に関してはコモンロー裁判所の審査に委ねることにしたのです。
(ロ)コモンロー裁判所は、トランプの製造・販売・輸入に関するモノポリーに関する事例(Darcy v.
Allen)において、公益に反しで国民の負担・損害となるようなモノポリーはコモンローに反し、そうしたモノポリーを認める国王の勅許は無効であるという判断を示しました。
(ハ)その後17世紀になって、専売条例が制定され、国王が与えるモノポリーのうち新製品の発明や輸入に対して与えられるもののみが有効であるとされたのです。
(ニ)一般に、“誰が真の発明者であるのかを問わずに特許を付与する考え方”を出願者主義と、、これに対して、“特許を取得し得る者は発明者及びその承継人に限られるという考え方”を発明者主義といいます。後者は権利主義に結びつきます。上述の専売条例は初期の段階では発明者主義を採るものとまでは言えませんが、時代を下るにつれて次第にその要素が強くなってきます。
|