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●平20(行ケ)10096号


事後分析(後知恵・ハインドサイト)の排除/進歩性

 [事件の概要]
@甲(特許出願人)は「回路用接続部材」という発明について特許出願をし,進歩性違反理由で拒絶査定を受けました。特許出願当初の請求項1の発明の内容は次の通りです。

 「下記(1)〜(3)の成分を必須とする接着剤組成物と,導電性粒子よりなる回路用接続部材。
  (1) ビススフェノールF型フェノキシ樹脂
  (2) ビスフェノール型エポキシ樹脂
  (3) 潜在性硬化剤」

A甲は、拒絶査定不服審判を請求するとともに下記の如く請求項1を限定する補正をしましたが、拒絶審決がされたため、審決取消訴訟を提起しました。

「下記(1)〜(3)の成分を必須とする接着剤組成物と,含有量が接着剤組成物100体積に対して,0.1〜10体積%である導電性粒子よりなる,形状がフィルム状である回路用接続部材。
  (1) ビスフェノールF型フェノキシ樹脂
  (2) ビスフェノール型エポキシ樹脂
  (3) 潜在性硬化剤」

B本件特許出願に係る発明の目的・作用効果は次の通りです。

(イ)「【0003】【発明が解決しようとする課題】 従来,用いていた熱硬化性の接着剤では,溶剤として例えば,塩化メチレンと酸等によりなるいわゆるエポキシ剥離剤を用いて補修していたが,基板回路等への悪影響があった。

 本発明は,接続部の信頼性が高く,かつ汎用溶剤により短時間で容易に補修可能な回路用接続部材を提供するものである。」

(ロ)「【0012】【作用】 本発明においては,ビスフェノールF型フェノキシ樹脂を混合した接着剤組成物は,微細回路接続後の信頼性が高く,また補修には汎用溶剤の使用が可能であるという特徴に加えて,補修に要する時間が短いという特徴も兼備することになる。その結果として,回路の接続作業の効率が上昇すると推定される。・・・本発明における回路用接続部材は,用いる接着剤がビスフェノールF型フェノキシ樹脂,ビスフェノール型エポキシ樹脂及び潜在性硬化剤を含有し,溶剤の種類と沸点を特定し潜在性硬化剤の活性温度以下で乾燥するため,硬化剤の劣化がなく,安定した保存性が得られる。」

(ハ)「【0031】【発明の効果】 以上詳述したように,本発明によれば,接続信頼性が高くかつ汎用の溶剤により容易に,しかも非常に短時間で補修することが可能な回路用接続部材を提供することが可能となった。」

C進歩性否定の根拠となった主引例(引用例1)の内容は次の通りです。

 「下記(1)〜(4)の成分を必須とする接着剤組成物と,含有量が接着剤組成物100体積に対して,0〜30体積%である導電粒子よりなる,形状がフィルム状である接着フィルム。
   (1) アクリル樹脂
   (2) フェノキシ樹脂
   (3) ビスフェノール型エポキシ樹脂
   (4) 潜在性硬化剤」

C補正後の本件特許出願に係る発明との一致点・相違点は次の通りです。

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 (一致点)
 ビスフェノール型エポキシ樹脂と潜在性硬化剤の成分を必須とする接着剤組成物と,含有量が接着剤組成物100体積に対して,0.1〜10体積%である導電性粒子よりなる,形状がフィルム状である回路用接続部材

 (相違点)
 本願補正発明が,接着剤組成物の必須の成分として「ビスフェノールF型フェノキシ樹脂」を含むのに対し,引用例に記載の発明では,「アクリル樹脂」と「フェノキシ樹脂」を含んでいる点

D乙(特許庁)は、補正後の特許出願に係る発明が引用例から容易に想到し得ること(進歩性を欠くこと)の根拠として次のように述べました。

(イ)引用例(甲4)には,「フェノキシ樹脂は,分子量が10000以上の高分子量エポキシ樹脂であり,エポキシ樹脂と構造が似ていることから相溶性が良く,また接着性も良好な特徴を有する。」と記載されており(甲4の段落【0007】),さらに構造の似たもの同士であれば,相溶性,接着性が良くなるであろうことは,容易に想到し得たことである。また,フェノキシ樹脂とエポキシ樹脂とをF型同士とすることにより,さらに相溶性が良くなることを目的として,F型同士を混合する試みが困難であるとはいえない。

(ロ)甲は,ビスフェノールA型フェノキシ樹脂(PKHA)に代えて,耐熱性がより低いビスフェノールF型フェノキシ樹脂を,あえて用いる動機付けがあるとはいえないと主張する。しかし相溶性,接着性の向上という動機付けがある上,回路用接続部材の接着剤組成物として,ビスフェノールF型フェノキシ樹脂が,使用するに十分な耐熱性を有することは当業者にとって従来周知の技術的事項であるから,上記原告の主張は,失当である。


 [裁判所の判断]
@裁判所は、発明が容易想到であること(進歩性を欠くこと)の判断における留意点に関して次のように述べました。

(イ)当業者が,先行技術に基づいて特許出願に係る発明を容易に想到することができたか否かは,先行技術から出発して,特許出願に係る発明の先行技術に対する特徴点(先行技術と相違する構成)に到達することが容易であったか否かを基準として判断される。ところで,特許出願に係る発明の特徴点は,当該発明が目的とした課題を解決するためのものであるから,容易想到性の有無を客観的に判断するためには,当該発明の特徴点を的確に把握すること(当該発明の課題を的確に把握すること)が必要不可欠である。

(ロ)そして,容易想到性の判断の過程においては,事後分析的かつ非論理的思考は排除されなければならないが,そのためには,当該発明が目的とする「課題」の把握に当たって,その中に無意識的に「解決手段」ないし「解決結果」の要素が入り込むことがないよう留意することが必要となる。

(ハ)当該発明が容易想到であると判断するためには,先行技術の内容の検討に当たっても,当該発明の特徴点に到達できる試みをしたであろうという推測が成り立つのみでは十分ではなく,発明の特徴点に到達するためにしたはずであるという示唆等が存在することが必要であるというべきであるのは当然である。

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A次に裁判所は本件の進歩性について次のように判断しました。

(イ)本件特許出願の補正後発明においてビスフェノールF型フェノキシ樹脂を必須成分として用いるとの構成を採用したのは,ビスフェノールA型フェノキシ樹脂を用いることに比べて,その接続信頼性(初期と500時間後のもの)及び補修性を向上させる課題を解決するためのものである。

(イ)引用例には,「フェノキシ樹脂は・・・エポキシ樹脂と構造が似ていることから相溶性が良く,また接着性も良好な特徴を有する」(甲4の段落【0007】)と記載されており,格別,相溶性や接着性に問題があるとの記載はない上,回路用接続部材用の樹脂組成物を調製する際に検討すべき考慮要素としては耐熱性,絶縁性,剛性,粘度等々の他の要素も存在するのであるから,相溶性及び接着性の更なる向上のみに着目してビスフェノールF型フェノキシ樹脂を用いることの示唆等がされていると認めることはできない。

(ハ)一般的に,ビスフェノールF型フェノキシ樹脂が本願特許出願時において既に知られた樹脂であるとしても(乙2,3),それが回路用接続部材の接続信頼性や補修性を向上させることまで知られていたものと認めるに足りる証拠もない。

(ニ)さらに,ビスフェノールF型フェノキシ樹脂は,ビスフェノールA型フェノキシ樹脂に比べてその耐熱性が低いという問題があること,すなわち,ビスフェノールF型フェノキシ樹脂のガラス転移点は「80℃」であり,ビスフェノールA型フェノキシ樹脂のガラス転移点は「100℃」であり,ビスフェノールF型フェノキシ樹脂の耐熱性が低いものと認められる。上記のビスフェノールF型フェノキシ樹脂の性質に照らすと,良好な耐熱性が求められる回路用接続部材に用いるフェノキシ樹脂として,格別の問題点が指摘されていないビスフェノールA型フェノキシ樹脂(PKHA)(甲4の段落【0022】)に代えて,耐熱性が劣るビスフェノールF型フェノキシ樹脂を用いることが,当業者には容易であったとはいえない。

(ホ)審決は,引用発明にビスフェノールF型フェノキシ樹脂を用いることが容易である根拠として,「引用例には・・・実施例として『PKHA(フェノキシ樹脂,分子量25000,ヒドロキシル基6%,ユニオンカーバイド株式会社商品名)』・・・を用いることも記載されている」点を挙げる。しかし,審決が引用する「PKHA」は,ビスフェノール「A型」のフェノキシ樹脂であり,ビスフェノール「F型」のフェノキシ樹脂ではないから,引用例の「PKHA」との記載は,ビスフェノールF型フェノキシ樹脂を用いることに対する示唆にはなり得ない。


 [コメント]
@取り消された審決の判断は事後的分析(いわゆる後知恵/ハインドサイト)によるという裁判所の指摘は正しいと思います。本件特許出願に係る発明の構成のうち先行技術との一致点は“ビスフェノールエポキシ樹脂と潜在性硬化剤成分を必須とする接着成分と、含有量が所定量である導電性粒子からなる形状がフィルム状である回路用接続部材”であり、相異点は“接着成分がビスフェノールF型フェノキシ樹脂(以下「F型」という)”です。

A本来発明の進歩性判断は発明全体で判断すべきでありますが、審決は、相違点のみに着眼して、ビスフェノールA型フェノキシ樹脂(以下「A型」という)に関して相溶性及び接着性がよい旨の記載があることに注目し、A型とF型という)とは性質が似ているから、上記記載はF型に当てはまると推論し、“相溶性及び接着性をより向上させる”という動機付けを“考案”して、その動機付けに基づき、先行技術の構成中のA型をF型に置換することは容易という進歩性否定の論理を構築しました。しかしながら、この論理構成には、次に論ずるように問題があります。

 第1の問題点は、本件特許出願に係る発明と引用発明とはメカニズムが異なることです。

 第2の問題点は、A型は“相溶性及び接着性”に問題があるという契機を裏付ける証拠がないことです。

A上記の論理構成は、本件特許出願の課題(接続信頼性及び補修性の向上)とは別の課題(相溶性及び接着性の向上)から本件特許出願に係る発明の構成に到達できたというものですが、そのこと自体には問題ありません。特許庁の進歩性審査基準にも「別の課題を有する引用発明に基づいた場合であっても、別の思考過程により、当業者が請求項に係る発明の発明特定事項に至ることが容易であったことが論理づけられたときは、課題の相違にかかわらず、請求項に係る発明の進歩性を否定することができる(参考:ディスクブレーキ事件)」と記載されております。

Bしかしながらこの審査基準の参考例として挙げられたディスクブレーキ事例(→596 F. 2d 1019)は、要するに、引用発明と特許に出願に係る発明とは、“ディスクブレーキの摩擦面に内から外へ延びる異物排出用の溝を設け、摩擦状態で発する異物を溝を介して排出する”という着想において一致し、前者は金属ブレーキにダスト排出用溝を設けて摩耗を防止する、後者はカーボンディスクに排水溝を設けて摩擦係数の低下を防止することを相違点とするものです。遠心力を利用してディスクに設けた溝を介して異物を逃がすという発明のメカニズムは同じです。これに対してF型を利用して接続信頼性及び補修性を向上する本件特許出願に係る発明のメカニズムと、A型を利用して相溶性及び接着性を向上するという発明のメカニズムとは同じであると考える証拠はないので、もともと別の思考過程により発明の構成に至ることが容易とされた先行判決とは事例が異なると思われます。

Cさらに判決文で指摘しているように、上述の論理付けのうちのA型は相溶性及び接着性に問題があったという想定は引用文献の記載に反しています。

D再び進歩性審査基準を引用すると、そこには、進歩性の基本的な考え方として、“進歩性の判断は、本願発明の属する技術分野における特許出願時の技術水準を的確に把握した上で、当業者であればどのようにするかを常に考慮して、引用発明に基づいて当業者が請求項に係る発明に容易に想到できたことの論理づけができるか否かにより行う”ことです。

Eこの考え方を本件事例にあてはめるとします。仮に接着成分としてA型を用いた引用例を先行技術として当業者に提示し、従来の技術水準に比べて補修に要する時間が1/○以下になる回路用接着部材を開発しなさい、という課題を与えたとすれば、どうでしょうか。米国判例の“Obvious to Try”の論法によれば、発明の構成に至る選択肢が“公知かつ有限”であれば進歩性を否定できるとされています(→603 F.3d 1325)。しかしながら、上述の接着成分としてA型とF型としか存在し得ないのであれば、当業者がF型を接着成分の材料として試験し、発明を完成させるのは容易であったかも知れません。裁判所で認定された証拠では、そうした推論をする根拠がないのです。

Fなお、本件では、裁判所は、本件の特許庁の進歩性の論理を否定したに過ぎないということに留意すべきであります。例えば前述の“Obvious to Try”の論法で本件発明が否定できるか否かは技術の専門官庁である特許庁がまず裁判すべきことです。

 [特記事項]
 
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