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判例紹介
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●平成10年(ワ)第7191号「筆記具のインキ筒」事件


包袋禁反言/特許出願の経過/特許侵害

 [事件の概要]
@甲(原告)は、昭和58年1月25日に「筆記具のインキ筒」の考案に係る実用新案登録出願を行い、

 平成3年7月23日に本件考案の出願手続中にされた本件明細書の補正のうち逆流防止剤としてのポリブテンに関する記載を「ポリブテン」から「ポリブテン(これをゲル化してもよい)」と補正し、

 平成3年11月26日に出願公告を受けて(実公平3−53902号)、実用新案権を取得しました。

A本件実用新案権に対して丙が無効審判(平成7年審判第17314号)を請求し(請求棄却)、これに対する審決取消訴訟で裁判所は上記補正を要旨変更と認定して審決を取り消す判決を出しました。

B甲は、上記判決後、「ポリブテン(これをゲル化してもよい)」を「ポリブテン」と訂正することを目的とした訂正審判請求(平成11年審判第39106号)を行い、この請求は認められました。

C甲は、乙(被告)の水性ボールペンの製造・販売に対して損害賠償請求権を行使して、本件訴訟に至りました。

D甲の実用新案権の権利範囲は次の通りです。

(イ)材質がポリエチレン又はポリプロピレンよりなる透明又は半透明のインキ筒であって、インキが水性インキであり、且つ、該水性インキの末端側に該水性インキと相溶しない逆流防止剤よりなる筆記具のインキ筒に於いて、

(ロ1)該水性インキと該逆流防止剤の接触面の中心部で、該水性インキが該逆流防止剤へ突入状に接触させるために、

(ロ2)該インキ筒に対する該水性インキの濡れの方が該インキ筒に対する該逆流防止剤の濡れよりも濡れ難くなるよう、該逆流防止剤がポリブテンよりなり、該インキ筒に対する該水性インキの濡れがポリブテンの該インキ筒に対する濡れよりも小さい水性インキよりなる

(ハ)ことを特徴とする筆記具のインキ筒。

[本件考案]

図面

 1…インキ筒 2…インキ 3…逆流防止剤

E甲の考案の作用に関して出願公告公報に次の説明があります。

「室温時の状態において第1図のように中心部においてインキ2が逆流防止剤3中に突入状で接触している。このような状態でインキ2と逆流防止剤3が接触するときは筆記によりインキ2が流出してもインキ2と逆流防止剤3は図示せる状態を維持したままともにペン先方向へ移動するので両者の境界線4は形状が変わることなく常に明瞭に観察することができる。」(第3コラム第17〜25行目)。

F争点

1.イ号物件は、本件考案の構成要件ロ〈1〉を充足するか。

 イ号物件では、水性インキと逆流防止剤の接触面の中心部で、水性インキが逆流防止剤へ突入状に接触しているか。(以下省略)

2.イ号物件は、本件考案の構成要件ロ〈2〉を充足するか。

(1)イ号物件の逆流防止剤は、ポリブテンよりなっているか。(以下省略)

(2)イ号物件の水性インキは、インキ筒に対する水性インキの濡れがポリブテンのインキ筒に対する濡れよりも小さい水性インキよりなっているか。

3.原告の損害額。(以下省略)

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G争点2−(1)に対する被告乙の主張

(イ)裁判所は本件明細書の補正のうち逆流防止剤としてのポリブテンに関する記載を「ポリブテン」から「ポリブテン(これをゲル化してもよい)」とした補正は要旨変更に当たると判断し、無効審判請求を退けた審決を取り消したところ、原告は、本件明細書の「ポリブテン(これをゲル化してもよい)」との記載を「ポリブテン」とする訂正請求を行い、特許庁はこの訂正を認める審決をした。以上の経過にかんがみれば、本件考案の「ポリブテン」が「ゲル化したポリブテン」を含まないことは明白である。

(ロ)イ号物件の「ゲル化したポリブテン」は、ポリブテン単体(液状)をゲル化(やや大雑把な言い方をすれば、網の目構造の中に液体が取り込まれて全体として流動性を失った状態がゲルだと考えればよい。)させたものである。

{ポリブテン単体の場合}

 その1滴をプレート上に滴下すると、ポリブテン自体の流動性が高く、流動を妨げるものがないので濡れ拡がってしまう。

{ゲル化したポリブテンの場合}

 その1滴をプレート上に滴下すると、ゲル化剤に保持された状態で一体的に挙動し、形状を保とうとする。

(ハ)単体のポリブテンは剪断速度による見かけ粘度の変化が見られないのに対して、イ号物件の逆流防止剤に使用されているゲル化剤を添加したポリブテンは、剪断速度によってみかけ粘度が変化する(揺変性・チキソトロピー性)というゲルによく見られる特徴を有する。

H争点2−(1)に対する原告甲の主張

(イ)本件訂正請求は、要旨変更を回避するために、ポリブテンについて当初明細書に記載のなかった「(これをゲル化してもよい)」という括弧書きを追加した補正後の明細書から上記追加記載を削除する訂正であり、当初明細書の記載に戻しただけであるから、本件考案の技術的範囲は出願当初の技術的範囲からいささかも減縮されるものではない。

(ロ)すなわち、ポリブテンにゲル化剤を添加した構成に対し、本件考案を利用するものであるとの主張も許されないような技術的範囲に減縮されるものではない


 [裁判所の判断]
@特許庁は、出願経過に関して次のように判断しました。

(イ)特許庁は、平成12年2月28日、本件訂正請求は実用新案登録請求の範囲の「ポリブテン」からゲル化したポリブテンを除くものであり、実用新案登録請求の範囲の減縮を目的として行われたものであるとして本件訂正請求を認める審決(本件訂正審決)をしたことが認められる。

(ロ)そうすると、本件訂正請求及び同請求を認めた本件訂正審決によって、本件考案の「逆流防止剤がポリブテンよりなり」という構成から、逆流防止剤がゲル化したポリブテンよりなるものは、特に除かれたものというべきである。

A特許庁は、「ポリブテン」と「ゲル化したポリブテン」との性質・関係に関して次のように判断しました。

(イ)イ号物件の逆流防止剤のポリブテンは、ゲル化剤によってゲル化されているものの、ゲル化剤の3次元網の目構造の中において、なお、ポリブテンのまま存在しているのであるから、本件考案の「逆流防止剤がポリブテンよりなり」という構成を具備していると見る余地がないではない。

(ロ)逆流防止剤は、インキがインキ筒を逆流したりインキ筒より飛散してしまうことを防止するためのものであるから、そのために逆流防止剤の粘度は高い方が望ましいということができる。他方、本件考案が、筆記具のインキ筒であることからすれば、逆流防止剤は、筆記によるインキの流出に応じて、インキに追従することが、その性質上当然要求されているということができるが、逆流防止剤の粘度が高すぎると、その要求に応えることができなくなってしまう。

(ハ)以上のとおり逆流防止剤には、相反する2つの性質が要求されることとなるが、本件明細書には実施例として3、000cst(センチストークス)という特定の粘度のポリブテンが逆流防止剤として選択されていることが認められるから、本件考案の「ポリブテン」は、適度な粘度のものを選択することによって、インキの逆流・飛散防止とインキに対する追従性という要求に応えていると認められる。

(ニ)他方、ゲル化剤によってゲル化したポリブテンは、通常は高い粘度を示しつつも、単体のポリブテンには見られないチキソトロピー性(揺変性)が備わり、剪断速度の増加に伴って見かけ粘度が低下することが認められる。したがって、ゲル化剤によってゲル化したポリブテンは、通常は高い粘度を示しつつも、筆記によるインキの流出に応じて、逆流防止剤の剪断速度が増加して、その見かけ粘度が低下し、インキに追従するものと認められる。

(ホ)そうすると、ゲル化剤によってゲル化したポリブテンが逆流防止剤として用いられる場合には、単体のポリブテンにはない物性(チキソトロピー性)によって、インキの逆流・飛散防止とインキに対する追従性という2つの相反する要求に応えていることが認められる。

(ヘ)したがって、逆流防止剤として用いられるという観点から見た場合、ゲル化剤によってゲル化したポリブテンを「ゲル化剤の添加(又はゲル化剤の網の目形状)」と「ポリブテン」とに分け、「ゲル化剤の添加(又はゲル化剤の網の目形状)」を単なる付加的構成と見るのは相当でなく、単体のポリブテンとゲル化剤によってゲル化したポリブテンとは、異なる物質というべきである。

zu

B以上の理由から、裁判所は、逆流防止剤がゲル化剤によってゲル化したポリブテンよりなるイ号物件は、本件考案の「逆流防止剤がポリブテンよりなり」という構成を具備しないというべきである、と判断しました。


 [コメント]
@包袋禁反言の原則は、信義誠実の原則の上に成り立つものであり、信義を外れてトリッキーな権利の主張を行うことを制限する方向に働くものです。本事例は、そうしたことを示す教材となるものです。

A特許出願(或いは実用新案登録出願)の当初の明細書の「ポリブデン」を「ゲル化剤を添加したポリブテン」に補正し、これを訂正により「ポリブデン」に戻した。補正・訂正の法律的な効果(遡及効)を重視すると、結果として何もしていないのだから、包袋禁反言の原則を適用するべきでないという原告の主張は、一理あるように思えます。しかしながら、その過程で上記補正が要旨変更にあたるという裁判所の判断が示され、それによって、要旨変更であることにより出願日が繰り下がり(→要旨変更)、権利が無効となるという可能性を訂正により回避しているのですから、訂正の趣旨に反する権利の主張は、排除されるべきです。

B特許出願の実務者では、包袋禁反言の原則の適用というと、新規性や進歩性の問題で先行技術との差異を生じさせるための補正をしたり、意見書で反論した場合を思い浮かびます。それ以外の手続での包袋禁反言の適用というと議論があるところです。
包袋禁反言の原則と補正

 特許出願等に係る実務者にとって、こうした場合以外で禁反言が主張され、均等論が適用されなくなってしまうと影響が大きいからです。しかしながら、本件訴訟は、包袋禁反言の原則の適用範囲を限定的に考えるべきでないことを示しています。


 [特記事項]
 
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