[事件の概要] |
@本件の特許出願及び権利化後の経緯は、次の通りです。 (a)原告は、各種の半導体装置及び電子機器等の製造販売を業としている会社である。 (b)被告は、アメリカ合衆国デラウエア州法に基づき設立され、肩書地に主たる事務所を有して、各種の半導体装置の製造販売を業としている会社である。 (c)被告は、下記の経緯で取得した特許権(以下「本件特許権」という)を有する。その発明を「本件発明」といいます。 被告は、半導体装置と称する発明に関して、 (昭和三四年)二月六日に米国特許出願U(第七九一六〇二号)を行い、 昭和三五年二月六日にUに基づく優先権を主張して原々出願である特許出願N1(特願昭三五―三七四五号を行い、 昭和三九年一月三〇日にN1を分割して原出願である特許出願N2(特願昭三九―四六八九号を行い、 さらにN2を分割して特許出願N3(特願昭四六−一〇三二八〇号)を行い、 平成元年一〇月三〇日に本件特許(第三二〇二七五号)を取得した。 (d)原告は、業として2種類の半導体装置(以下「イ号物件」及び「ロ号物件」という。)を製造し、使用し、販売している。 (e)原告被告間には、従来半導体装置に関する特許について期限を平成二年一二月末日までとする相互実施許諾契約が存していたが、被告が日本において本件特許権を取得したのに伴い、被告は、右契約の更新に際し、本件特許権が半導体集積回路についての基本特許であって原告を含む日本の業者が製造販売する右装置のほとんど全てが本件発明の技術的範囲に属すると主張し、このことを理由として原告に対してもイ号物件及びロ号物件を含む種々の半導体装置につき、原告の売上額に対する実施料相当額の金銭支払を要求している。 (f)そこで被告は、原告に対して、原告のイ号物件及びロ号物件の製造及び販売について、本件特許権の侵害を理由とする損害賠償請求権を有しないことの確認を求めた。 A本件特許の請求の範囲は次の通りです。 A1 主要な表面及び裏面を有する単一の半導体薄板を有すること。 A2 右半導体薄板は複数の回路素子を含んでいること。 A3 右回路素子のうち、右薄板の外部に接続が必要とされる回路素子に対して電気的に接続された複数の引出線を有すること。 a 右各回路素子は、右薄板の種々の区域に互いに距離的に離間して形成されていること。 b 右各回路素子は、右薄板の主要な表面に終わる接合により画定されている薄い領域を少なくともひとつ含んでいること。 c1 不活性絶縁物質が右薄板の表面上に形成されていること。 c2 複数の回路接続用導電物質が、右薄板の表面上に、右不活性絶縁物質上に被着され、形成されていること。 d1 右各回路素子中の選ばれた薄い領域が右回路接続用導電物質によって電気的に接続されていること。 d2 かかる電気的接続により右各回路素子間に必要なる電気的回路接続がなされ、電子回路が達成されていること。 e 右電子回路は、右各回路素子及び右接続用導電物質によって、本質的に平面状に配置されていること。 裁判所は、要件aのみで判決の結論を導いたため、当事者の主張のうち要件a以外の事項については言及を省略します。 [本件特許発明] B本件特許出願の発明の概要は次の通りです。 「回路素子が半導体薄板の一面上の不活性絶縁物質上に置かれた複数の導線により容易に相互接続し得るように、半導体薄板の一面上に、上記表面上で相互に距離的に離間された関係に形成された回路素子を有する一体化回路にして、これにより、右回路素子とそれらの相互接続とを単一の構造になし、コンパクトで機械的電気的に安定な装置で、かつ高度の複雑さの回路の多様性を可能ならしめたものである」(本件公報1欄一三行から二一行) 「本件発明に用いられる回路素子は、N型もしくはP型いずれか一つの型に導電型を示す単一の半導体物質の本体を使用して適当な導電型の拡散領域を形成しその拡散領域と半導体との間あるいは拡散領域自体間にP―N接合を形成することにより達成され、また、本件発明の原理により全電子回路の成分が半導体物質の本体に組み立てられる。電子回路の能動及び受動の成分あるいは回路素子は半導体薄板の一面あるいはその近くに形成される。その結果、得られる回路は、本質的に平面状に配置されることになり、処理工程中に半導体材料薄板の成形を行い、拡散により希望の各種回路素子を適当な関係で製造することが可能である」(同1欄二二行から2欄一二行)。 「本件発明の効果は、製造製作上満足なものであり、かつ、マスキング、エッチング及び拡散のような限定された両立性ある工程が一主面からなしうるので大量生産に適し、更に、能動及び受動回路素子の電気的接続の態様が融通性に富み、従って、回路が多種多様にできるという点にある」(同2欄一三行から一九行)。 「従来の技術よりも少ない工程を含む新規な小型電子回路を提供する。」(同2欄一九行から二一行)。 「本質的に、電子回路の小型化に関するものである。」(同2欄二二行及び二三行) 「複数の回路素子は、半導体薄板の一主面上に平板状に配置され、マスキング、エッチング及び拡散の様な両立性ある工程が一主面から成し得るので半導体装置の大量生産に適している。更に、複数の回路素子の接続が絶縁物質上で行なうことができるので回路に融通性、多様性があると共に大量生産に適している。」(同5欄二四行から三〇行)。 C係争物の内容 イ号物件の構成を本件発明の構成の分説に対比します(ロ号物件は省略)。 A1' 半導体装置は、単一のP型シリコン基板(1)を有し、基板は表面と裏面を有する。 A2' P型シリコン基板(1)は、二個のPチャネル型MOSFET(21)E及び(21)G並びに二個のNチャネル型MOSFET(9)m及び(9)rを含んでいる。 A3' 各Pチャネル型MOSFET(21)E及び(21)Gは、端子パッド(4)aを介し、電源線(5)aに電気的に接続されており、また、各Nチャネル型MOSFET(9)m及び(9)rは、端子パッド(4)bを介し、接地線(5)bに電気的に接続されている。 a' 各Pチャネル型MOSFET(21)E及び(21)G並びに各Nチャネル型MOSFET(9)m及び(9)rは、互いに間隔をおいて形成されている。 b' 各Pチャネル型MOSFET(21)E及び(21)Gは、P型シリコン基板(1)の表面下に薄く形成された、P―N接合により画定されているソース(22)E及び(22)G、ドレイン(23)E及び(23)Gの各領域を含み、ソース(22)E及び(22)G、ドレイン(23)E及び(23)Gの各領域を画定するP―N接合はいずれも、右基板(1)内に形成したNウエル(16)の表面に終端部を有している。また、各Nチャネル型MOSFET(9)m及び(9)rは、P型シリコン基板(1)の表面下に薄く形成された、P―N接合により画定されているソース(12)m及び(12)r、ドレイン(13)m及び(13)rの各領域を含み、ソース(12)m及び(12)r、ドレイン(13)m及び(13)rの各領域を画定するP―N接合はいずれも、P型シリコン基板(1)の表面に終端部を有している。 c1' 酸化シリコン膜(24)及びリンガラス中間層(29)は、P型シリコン基板(1)の表面上に形成されている。 c2' アルミニウム層(30)は、シリコン基板(1)の表面上に、酸化シリコン膜(24)及びリンガラス中間層(29)上に密着して形成されている。 d1' 一方のPチャネル型MOSFET(21)Eのソース(22)Eと他方のPチャネル型MOSFET(21)Gのソース(22)Gは、アルミニウム層(30)によって電気的に接続され、一方のNチャネル型MOSFET(9)mのソース(12)mと他方のNチャネル型MOSFET(9)rのソース(12)rは、アルミニウム層(30)によって電気的に接続されている。また、一方の、Pチャネル型MOSFET(21)Eのドレイン(23)EとNチャネル型MOSFET(9)mのドレイン(13)mは、アルミニウム層(30)によって電気的に接続され、他方の、Pチャネル型MOSFET(21)Gのドレイン(23)GとNチャネル型MOSFET(9)rのドレイン(13)rはアルミニウム層(30)によって電気的に接続されている。 d2' 右のような電気的接続により、各二個のPチャネル型MOSFET(21)E及び(21)G並びにNチャネル型MOSFET(9)m及び(9)r間に必要なる電気的回路接続がなされ、二個のインバータ回路(20)a及び(20)bからなる遅延電子回路を構成する。 e' この遅延電子回路は、二個のPチャネル型MOSFET(21)E及び(21)G、二個のNチャネル型MOSFET(9)m及び(9)r、アルミニウム層(30)により、P型シリコン基板(1)の表面に平面的広がりをもって形成されている。 D被告の主張 “ (2) 「互いに距離的に離間して」について (ア) 本件発明の構成要件aの「互いに距離的に離間して」とは、文字どおり、構成要件A2の「複数の回路素子」が互いに距離的に離間している、即ち、物理的に離れている状態をいう。本件発明においてバルク抵抗の利用を本件発明の構成要件と解することはできない。 その理由は、次のとおりである。 (イ) 本件明細書の特許請求の範囲にも発明の詳細な説明にもバルク抵抗の利用の点はもとより、回路素子間の距離的離間により絶縁を達成するということを構成要件としていない。本件明細書の特許請求の範囲には、「距離的に離間」とあるだけで、どのような態様で離間させるのかについて一切限定はない。「距離的に離間していれば、その離間の態様は問わない」というのが、特許請求の範囲の解釈として合理的である。 実施例がバルク抵抗を利用しているということはバルク抵抗が本件発明の構成要件であることの根拠とはなりえない。 (ウ) 本件発明の特許出願の優先権主張日以前の技術的課題としては、そもそも各回路素子をどのように配置して一体化回路を構成するかが、残されていたのであり、これを解決したのが、半導体の一主面上に回路素子を平面状に配置するという本件発明であった。本件発明の構成要件の全体が新規なものである限り、本件発明の構成要件の一部として、当然のこと、即ち、複数の回路素子が平面状に配置される前提として、各回路素子が物理的に離間しているという技術を採用したとしても何ら不思議ではない。 (エ) 「回路素子、その接続及び分離」あるいは「回路素子間の電気的分離」は、電子回路を形成するうえで重要な事項ではあるが、必ず電子回路の発明の構成要件として記載しなければならない、というようなものではない。 本件発明において「距離的に離間」した回路素子間の電気的分離の態様については何ら限定はなく、これは、本件発明の構成要件ではないと解したとしても何の問題もない。また、回路素子間を「距離的に離間」させたとしても、これを電気的に分離するか、或いは回路接続用導電物質によって接続するか、は任意に選択されるべきものであり、回路素子間を「距離的に離間」させたからといって、電気的分離をしなければならないというものではない。 本件発明の特徴は、回路素子及び回路接続用導電物質を平面状に配置して電子回路を構成するというものであるが、電子回路の構成において、回路素子間の電気的分離をいかにしようとも、それが物理的に離間して、平面状に配置されていれば、本件発明を利用することになるのである。 (オ) 特許出願N1(原々出願)にかかる特許の特許請求の範囲に「上記能動回路素子の薄い領域と上記受動回路素子との間の薄板を通じて実質的に存在し、それら両者を接続する薄板の半導体材料自体により形成され、両者間の必要な絶縁を与えるインピーダンス」という記載があり、その明細書中に薄板の半導体材料自体により形成されるインピーダンスの実施例として、バルク抵抗、P―N接合、真性半導体が開示されているが、そうだからといって、本件発明の技術的範囲が、特許出願N1にかかる特許の特許請求の範囲はもとより、その実施例の範囲に限定される理由は全くない。 また、特許出願N2(原出願)は、受動素子及び能動素子間をバルク抵抗等により距離的に離間することにより必要な絶縁を達成することを構成要件とするものであるのに対し、本件発明は、バルク抵抗の利用の点はもとより、回路素子間の距離的離間により絶縁を達成するということを構成要件としていない。 更に、被告は、本件発明の特許出願の手続中で提出された昭和四七年四月二七日特許庁受付の上申書(甲第六号証の六)において、遅延線22は、四個の容量素子を有する一個の回路素子であるから、トランジスタ14と「距離的に離間」していないと述べたまでであって、「距離的に離間」を「物理的に別々のところに回路素子を配置する」という意味以外の意味で主張していた訳ではない。 被告は、本件発明の特許出願の手続中で提出された昭和五七年八月二七日付の意見書(甲第六号証の一〇の七頁及び八頁)において、「実施の態様では」として、トランジスタT1とT2間では抵抗R5とR6、トランジスタT1と抵抗蓄電器C2R3間では、R6、R5、R4、トランジスタT2と抵抗蓄電器C1R8間では、R5、R6、R7が存在し、回路素子間の距離的離間があると述べたものである。実施例では距離的に離間された回路素子間に抵抗が存在することを具体的に示した方が特許庁の審査官の理解を助けることになるであろうという必要性を感じて説明したまでである。また、被告が「回路構成の前提条件」と述べたのは、「距離的に離間されている回路素子」でなければ、「複数の回路素子間の回路接続」も不要であるとの前提に立って、「『距離的に離間されている回路素子』という表現は、複数の回路素子間の回路接続の前提条件として記載したものであります。」と述べたまでである。 (カ) イ号物件の構成a'は、「各Pチャネル型MOSFET(21)E及び(21)G並びに各Nチャネル型MOSFET(9)m及び(9)rは、互いに間隔をおいて形成されている。」というのであるから、本件発明の構成要件aの各回路素子が薄板の種々の区域に「互いに距離的に離間して」に当たる。 (キ) イ号物件の遅延電子回路における各回路素子間は、距離的に離間しており、このような距離的に離間された回路素子間の電気的分離を確実にするために、また高集積化するために、LOCOS酸化膜及び二酸化シリコン隔壁が利用されているにすぎない。 仮に、電気的分離のために回路素子間の距離的離間が必要だとしても、イ号物件のLOCOS酸化膜及び二酸化シリコン隔壁は、かかる距離的離間を不要とするものではなく、いずれにしろ、距離的離間がなければ電気的分離を達成することは不可能である。従ってイ号物件において、回路素子間の距離的離間は、電気的分離のために必須のものである。” E原告の主張 “(3) 「互いに距離的に離間して」について (ア) 構成要件aの回路素子の距離的離間は、距離の長短を問わない単なる物理的離間ではなく、回路素子間に所望の値のバルク抵抗を介在させるのに必要な距離的離間である。 (イ) 「距離的離間」とは「物理的離間」であり、「距離的」に「離れている」ことであるところ、明細書中の発明の一般説明には距離的離間の意義について直接的な一般説明がなく、開示例を説明した部分にも、その意味及び技術的意義について特に言及してはいない。 次に、本件公報中の開示例をこれについての説明と同公報の第1図及び第2図により参酌すると、本件明細書に開示されている電子回路装置は、R1ないしR8として示されたバルク抵抗をもつ導電路がなければ、電子回路にならないという点が大きな特徴である。 また、本件明細書において、本件発明の実施例として、製造工程につき、半導体薄板への不純物拡散によるP―N接合の形成後に、半導体薄板をエッチングすると説明し(本件公報3欄七行から一〇行)、「特にこのエッチングは、R1とR2と回路の他の部分との間に分離を与えるための薄板を通してのスロットを形成し、又予め計算された形状に全部の抵抗の領域を形成する。」(同4欄九行から一三行)と記載している。 (ウ) 特許出願N1(原々出願)の明細書中に現実に開示されている集積回路の各回路素子の離間は、回路素子の必要な箇所に薄板本体による電気接続を図りつつ、回路素子間の電気的分離のために、スロットと回路素子との位置関係及び素子間に介在する基板の作用長さ、断面積、比抵抗などから決まるバルク抵抗を利用する方式であることが明らかである。 このことは、本件発明の特許出願の優先権証明書に添付された米国特許明細書のクレイム14(甲第六号証の二の2の一七頁)の記載からも明らかである。 (エ) 特許出願N2(原出願)を拒絶した審決の取消訴訟(東京高裁昭和五五年行ケ第五四号事件)当時の原出願の明細書の特許請求の範囲には、離間が回路素子相互間に必要な絶縁を与えるような離間であると明記されており、しかも、特許出願人である本件被告は、右訴訟において、審決の第一引用例(ジョンソン特許明細書)の構成と対比して、「離間」という構成が「必要な絶縁」の作用ないし機能をもつものだと明確に述べている。 (オ) 被告は、本件発明の特許出願手続中で昭和四七年四月二七日特許庁受付の上申書(甲第六号証の六)において、ジョンソン特許明細書に示されている発明と本件発明との相違点として、「ジョンソン特許に於けるRC遅延線22は本願における抵抗・容量素子C1、R8或いはC2、R3に相当するものである。ジョンソン特許における遅延線22はトランジスタ14に対し直接的な電気接続(接触)を有しているのであってトランジスタから離間しているのではない。」と述べ(六頁四行から七行)、「従ってジョンソン特許は本願要旨の如き少く共4つの距離的に相互に離間した回路素子を含(む)…半導体装置を容易に想起せしめる基礎概念は全く示していないのである。」(六頁一五行から二〇行)と記載している。 (カ) 本件発明の特許出願について昭和五七年三月三一日付の拒絶理由通知が発され、そこでは、距離的に離間された回路素子間はどうなっているのか明細書に具体的説明がない旨指摘された(甲第六号証の九)。 これに対して、特許出願人は、昭和五七年八月二七日付の意見書中で、「「距離的に離間されている回路素子」という表現は、複数の回路素子間の回路接続の前提条件として記載したものであります。本願発明に於ける距離的に離間されている複数の回路素子は本願の実施態様に於いてはトランジスタT1、T2、抵抗蓄電器(C1R8)及(C2R3)に対応いたします。そして、これら回路素子間には、半導体薄板の一部が存在し、…」と説明している。この説明によると、「距離的に離間されている回路素子」という表現は、「回路接続の前提条件」の記載であるというのであって、これは、本件発明では回路素子間の必要な個所を抵抗接続していること、その接続のためには、所定のバルク抵抗値をもたせること、そのためには素子間の距離的な離間が必須の前提条件であることを述べる趣旨に出たものである。 (キ)(中略)集積回路においては、複数の裸の回路素子を半導体薄板内に剥き出しで作り込むのであるから、回路素子間の電気的分離は解決しなければならない最重要の技術的課題ということになり、この課題の解決なしには新規の回路装置など成り立たない。そして、本件明細書には、バルク抵抗による分離以外の構成は全く開示されていないのである。” |
[裁判所の判断] |
@裁判所は、イ号物件及びロ号物件は、少なくとも本発明の要件a(右各回路素子は、右薄板の種々の区域に互いに距離的に離間して形成されていること)を充足しないから、その技術的範囲に属しないと判断しました。 Aまず裁判所は、「複数の回路素子」と要件aとの関係に関して次のように判断しました。 2 まず、本件明細書の特許請求の範囲の記載について検討する。(中略) (二)また、本件明細書の特許請求の範囲には、「複数の回路素子を含み主要な表面及び裏面を有する単一の半導体薄板と;上記回路素子のうち上記薄板の外部に接続が必要とされる回路素子に対し電気的に接続された複数の引出線と;を有する電子回路の半導体装置において、(a)上記の複数の回路素子は、上記薄板の種々の区域に互に距離的に離間して形成されており、(b)上記の複数の回路素子は、上記薄板の上記主要な表面に終る接合により画定されている薄い領域をそれぞれ少なくともひとつ含み;」と記載されており、(a)及び(b)にいう「上記の複数の回路素子」とは、冒頭の「複数の回路素子を含み主要な表面及び裏面を有する単一の半導体薄板」にいう「複数の回路素子」の全てを指していると解するのが、通常の解釈である。 そうすると、「主要な表面及び裏面を有する単一の半導体薄板」に存する「複数の回路素子」は、全て構成要件a、bを充足しているものと認められる。 (三)次に、本件明細書の特許請求の範囲は、右(二)のとおり冒頭から、「複数の回路素子を含み……の半導体薄板と、……複数の引出線と、を有する電子回路用の半導体装置において」との文言的構造を有しているものである。 ところで、一般に、「xの特徴を有する複数の回路素子を含む半導体薄板と、……引出線と、を有する電子回路用の半導体装置において」と表現される特許請求の範囲を想定すれば、文言としては、その半導体薄板には「xの特徴を有する複数の回路素子」の外に「xの特徴を有しない複数の回路素子」を含むものと解する余地がある。即ち、「xの特徴を有する複数の回路素子」の存在を前提とするからには、「xの特徴を有しない複数の回路素子」が存在することも前提となり、電子回路用の半導体装置を構成する半導体薄板である以上、発明の要件である「xの特徴を有する複数の回路素子」を含む外に、「xの特徴を有しない複数の回路素子」を含むことが、付加事項又は設計事項として許容され、あるいは、技術上自明の事項とされる余地がある(勿論「xの特徴を有しない複数の回路素子」を含むことが許されないものとされる余地もある)ものと解するのが文言として不自然でないからである。 これに対し、「複数の回路素子を含む半導体薄板と、…の引出線と、を有する電子回路用の半導体装置において」と表現される特許請求の範囲を想定すれば、その「複数の回路素子」とは、そうでないことが明細書の他の部分や図面で明示されていない限り、当該半導体薄板に含まれている全ての回路素子を指示するものと解するのが自然な解釈である。 即ち、「複数の」という限定の性質上、ある「複数の回路素子」とは別の単数又は複数の回路素子が存在すると仮定しても、特段の限定なく単に「複数の回路素子」と言えば、その別の単数又は複数の回路素子をも含めて「複数の回路素子」と表現していると解されるからである。 従って、本件明細書の特許請求の範囲の冒頭の「複数の回路素子」も、そうでないことが明細書や図面で開示されていない限り、本件発明の半導体装置を構成する半導体薄板に含まれる全ての回路素子を指すものと解するのが自然であるところ、特許請求の範囲中には、「複数の回路素子」が半導体薄板に含まれる回路素子の一部を指すことを示す記載はない。 3 次に本件明細書の発明の詳細な説明の記載について検討する。(中略) (二) 本件明細書の発明の詳細な説明には、「本発明に用いられる回路素子はN型もしくはP型いづれか一つの型に導電型を示す単一半導体物質の本体を使用して適当な導電型の拡散領域を形成しその拡散と半導体との間或は拡散領域自体間にP―N接合を形成することにより達成される。本発明の原理に依れば全電子回路の成分は以降に詳細に説明される技術の適用に依り特徴づけられる様に本体に組立てられる。回路の成分が半導体物質の本体の中に組合され且つその一部を形成している事は注意されるべき事である。」(同1欄二二行から2欄五行)との記載があることが認められる。 右記載によれば、本件発明において、「全電子回路の成分」は、「N型もしくはP型いづれか一つの型に導電型を示す単一半導体物質の本体」に組み立てられるというのであり、単一半導体物質の本体に依存するのは「全電子回路の成分」である。「全電子回路の成分」との文言の意味は、必ずしも明確ではないが、少なくとも半導体装置に含まれる一部の電子回路のみを問題としているものではないことを窺わせるものである。(中略) (三) また、本件明細書の発明の詳細な説明によれば、本件発明により、所定の目的を達成し、効果を奏するものとされている。 ・「複数の回路素子は、半導体薄板の一主面上に平板状に配置され、マスキング、エッチング及び拡散の様な両立性ある工程が一主面から成し得るので半導体装置の大量生産に適しており、更に、複数の回路素子の接続が絶縁物質上で行うことができるので回路に融通性、多様性があると共に大量生産に適している」 ・「従来の技術よりも少ない工程を含む新規な小型化電子回路を提供する」 ・「本質的に電子回路の小型化に関するものである」 これらの目的を達成し、効果を奏するためには、半導体装置を構成する半導体薄板に含まれる複数の回路素子の全てが、特許請求の範囲に定められた本件発明の複数の回路素子が具備すべき特徴を備えていることを要するものであることは明らかである。 即ち、本件発明の特許請求の範囲に定められた各要件を具備することにより、右のような目的を達成し、効果を奏するのであるから、半導体装置を構成する半導体薄板に、本件発明の複数の回路素子が具備すべき特徴を備えない一個又は複数の回路素子が含まれているとすれば、右のような一体としての半導体装置の生産工程上、回路設計上の効果及び小型化する上での効果を奏することができないものと解されるからである。 ・ 「半導体薄板の一面上に、上記表面上で相互に離間された関係に形成された回路素子を有する一体化回路にして、これにより、右回路素子とそれらの相互接続とを単一の構造になし、コンパクトで機械的電気的に安定な装置……を可能ならしめた」 ・「全部単一の物質、すなわち半導体から形成されうる故に、回路設計において、それら全部を、拡散P―N接合を含む単一結晶半導体薄板に適当な回路及び適正な成分値をもつ様に一体化して形作る事が可能である」 との目的を達成し、効果を奏するためには、本件発明の半導体装置の電子回路を構成する回路素子の全てが単一の半導体薄板に含まれており、右電子回路中には、半導体薄板に含まれない回路素子はないことを要するものであることが明らかである。 (五) 本件明細書の発明の詳細な説明及び本件発明の特許願に添付された図面に示された実施例としては、本件発明の構成要件a、bを充足する回路素子として、トランジスタT1、T2、抵抗蓄電器C1R8、C2R3のみが開示されており、これらの回路素子の全てが単一の半導体薄板にマスキング、エッチング及び拡散の工程によって形成され、一つの電子回路(マルチバイブレーター)を形成していることが認められる。 (六) 発明の詳細な説明及び図面中には、特許請求の範囲の冒頭の「複数の回路素子」が、半導体薄板に含まれる回路素子の一部を指すことを示す記載はない。(中略) (三) 被告は、抵抗は一般には回路素子といわれるものであり、本件公報の第2図の回路図には本件発明の「回路素子」だけでなく、本件発明の「回路素子」ではない抵抗Rが示されていることから、本件発明の半導体薄板には、本件発明の「回路素子」でない回路素子をも含みうる旨主張しているが、その主張は次のとおり理由がない。(中略) 本件特許出願手続中で、出願人である被告は、昭和四七年四月二七日付上申書を提出し、その中において、米国特許第二八一六二二八号(ジョンソン特許)の明細書に示されている発明と本件発明との相違点として、「ジョンソン特許に於けるRC遅延線22は単一の分布回路素子を形成する様共に働き合った領域を具備するのである。……ジョンソン特許に於けるRC遅延線22は本願に於ける抵抗・容量素子C1、R8或いはC2、R3に相当するものである。ジョンソン特許における遅延線22はトランジスタ14に対し直接的な電気接続(接触)を有しているのであってトランジスタから離間しているのではない。ジョンソン特許第3図にはトランジスタに接触しているコレクタ負荷抵抗50を示し、2つの素子間に電気的に直接接続されているものをも示しているのである。これ又『離間せられた』構成ではなく、更にジョンソン特許の抵抗50は接合に依り分離せられた薄い領域を本質的特徴としていないものである。」(五頁一二行から六頁一四行)とし、「従ってジョンソン特許は本願要旨の如き少く共4つの距離的に相互に離間した回路素子を含み、これら回路素子各々が半導体薄板の一主面に終る接合に依り分離せられた薄い領域を含む半導体装置を容易に想起せしめる基礎概念は全く示していないものである。」と記載していることが認められる。 右記載によれば、被告は、ジョンソン特許におけるバルク抵抗を利用した遅延線22及びコレクタ負荷抵抗50をもって、本件発明における抵抗R1、R2、R4ないしR7とは相違し、本件発明の回路素子に相当するものとしているのであり、従って、被告は、本件発明において、回路素子と回路素子との間に電気的接続を与える抵抗の機能を有する領域R1、R2、R4ないしR7を「回路素子」ではないと主張していたものである。 B裁判所は、要件aのうちの「互いに距離的に離間して」に関して次のように判断しました。 (a)特許請求の範囲の記載に関して 半導体は、導体と絶縁体との中間の電気伝導率を有する物質をいうから、半導体中の二点間の距離を小さくしていけばその間での半導体自体が有する抵抗値が低くなって、その極限の状態では短絡に近くなり、逆に、半導体中の二点間の距離を大きくしていけばその間での半導体自体が有する抵抗値が高くなって、その極限の状態では狭義の絶縁に近い状態になり、更に、二点間に介在する半導体の断面積を増減させることでその間の半導体自体が有する抵抗値を変えることができることは、当裁判所に顕著な事実である。 →顕著な事実とは 従って、単一の半導体薄板の中に、電子回路として作動するためには相互の必要以上の電気的接続が行われてはならないような複数の回路素子が形成されている場合において、回路素子相互の物理的な離間の状態が接触しているのに近いものである時には、回路素子間が短絡に近い状態になるのであるから、相互の必要以上の電気的影響を排除することができず、到底、電子回路として適正に作動する装置になりえないことは自明である。 (中略)前記のような半導体の自明の性質を念頭に置いて、特許請求の範囲の記載を読むとき、本件発明の構成要件aの「互いに距離的に離間して形成され」との要件が複数の回路素子間の電気的導通の状態をどうするのかの点についての構成、手段であると解される。 即ち、右構成要件aの「互いに距離的に離間して形成され」るとは、電気的な作用と無関係に、単に物理的に離れた状態に形成されるという意味ではなく、半導体薄板内において、「互いに距離的に離間して形成され」ることによって、半導体薄板自体の有する抵抗によって複数の回路素子が電気的な意味でも分離あるいは導通が制限されている状態を達成するような距離、形態で複数の回路素子を配置することを意味するものと解することができる。 (b)実施例に関して 開示された実施例についてみると、発明の詳細な説明の実施例についての説明及び本件発明の特許願に添付された図面によれば、実施例として示された装置は、5.08mm×2.03mmの半導体薄板内に、その半導体薄板の長手方向の両端に近い位置に抵抗蓄電器C1R8とC2R3とがあり、その中間にメサ型トランジスタT1、T2が長手方向に並ぶような位置関係に間隔を置いて形成し、C1R8とC2R3との間で、T1、T2と半導体薄板の幅方向の一方の端部との間の薄板に、薄板の裏面まで通り長手方向に細長いスロットを形成した(中略)ことが認められる。このT1とT2のコレクタ、C1R8、C2R3の抵抗部分は半導体薄板そのもので、右四個の回路素子の間にある半導体薄板と一体のものであり、回路機能の配線図では、C1R8とT1との間には抵抗R7、C2R3とT2との間には抵抗R4、T1と負電源への引出線50との間には抵抗R6、T2と負電源への引出線50との間には抵抗R5、C1R8と正電源への引出線50との間には抵抗R1、C2R3と正電源への引出線50との間には抵抗R2があるものとして表現されているが、それらの抵抗R1、R2、R4ないしR7及び抵抗蓄電器C1R8、C2R3の抵抗部分は各該当部分の半導体薄板自体が有する抵抗(バルク抵抗)をそのまま利用しているものである。右マルチバイブレーター装置が適正に作動するためには、それらの抵抗の機能を果たす半導体薄板の部分の抵抗は、それぞれ所定の数値であることを要するところ、右抵抗値は当該半導体薄板の有する比抵抗と、半導体薄板内での各回路素子間の距離、各回路素子間の半導体薄板の断面積から計算上定まるから、右装置は、各抵抗値が、装置が適正に作動するための数値となるように、半導体薄板の比抵抗を前提に、形状や寸法、回路素子の位置を定めてあるもので、前記のスロットも、その部分の半導体を除去することによる絶縁と、残存部分の形状を適正な抵抗値が得られるように形成することとの両面を有するものと認められる。 実施例についての説明中の「特にこのエッチングは、R1とR2と回路の他の部分との間に分離を与えるための薄板を通してのスロットを形成し、又予め計算された形状に全部の抵抗の領域を形成する。」との記載は、右認定の事実を端的に表現したものと認められる。 右のように実施例においては、単一の半導体薄板の中に形成された複数の回路素子間の半導体薄板を通じての電気的導通の状態をどのように処理するかという問題を、エッチング等の手段によって半導体薄板にスロットを設け又は予め計算された形状に成形することによって複数の回路素子間の半導体薄板の部分を回路に必要な抵抗として利用するという方法により解決することが開示されている。 (c)特許出願の経緯に関して 本件発明の特許出願手続において、審査官が昭和五七年三月三一日付で拒絶理由通知(甲第六号証の九)をし、その備考欄において「特許請求の範囲には『距離的に離間されている回路素子』と記載されているが、離間された回路素子間はどうなっているのか詳細な説明には具体的な記載がない。」と指摘したのに対し、特許出願人である被告は、昭和五七年八月二七日付の意見書中で、「『距離的に離間されている回路素子』という表現は、複数の回路素子間の回路接続の前提条件として記載したものであります。本願発明に於ける距離的に離間されている複数の回路素子は本願の実施態様に於いてはトランジスタT1、T2、抵抗蓄電器(C1R8)及(C2R3)に対応いたします。そして、これら回路素子間には、半導体薄板の一部が存在し、実施の態様では少なくとも次に示すような抵抗素子が存在し得る例として記載されています。即ち、トランジスタT1とトランジスタT2との間には抵抗R5とR6、トランジスタT1と抵抗蓄電器(C2R3)との間には抵抗R6、R5、R4、トランジスタT2と抵抗蓄電器(C1R8)との間には抵抗R5、R6、R7があります。」(七頁)と説明していることが認められる。(中略) 被告は、審査官の、特許請求の範囲中の「距離的に離間されている回路素子」との記載についての、離間された回路素子間はどうなっているのか具体的な説明がないとの本件発明一般にかかわる指摘に対して、「本願発明に於ける距離的に離間されている複数の回路素子は本願の実施態様に於てはトランジスタT1、T2、抵抗蓄電器(C1R8)及(C2R3)に対応いたします。」とし、「これら回路素子間には、半導体薄板の一部が存在」するとした上で「実施の態様では少なくとも次に示すような抵抗素子が存在し得る」として実施例の回路素子間のR4ないしR7を挙げているのみで、それ以上に他の実施態様を具体的に挙げるなど、「距離的に離間されている」ことの一般的意味についての具体的説明をしていないのであるから、被告は、審査官の本件発明一般にかかわる指摘に対する答として、右「これら回路素子間には、半導体薄板の一部が存在し」との記載をもって、本件発明一般について、回路素子間に半導体薄板の一部が存在し、そのバルク抵抗が利用されているという趣旨の説明をしているものと理解する外はない。 本件発明の構成要件aの「互いに距離的に離間して形成され」とは、被告が主張するような、物理的に接触していなければどのような態様であってもいいという意味にすぎないものとはいえない。(→包袋禁反言の原則) B裁判所は、上記認定を踏まえてイ号物件の特許発明の技術的範囲への属否に関して、“イ号物件は、本件発明の構成要件aを充足しないから、その余の点について判断するまでもなく、イ号物件は、本件発明の技術的範囲に属さない。”と判断しました。 |
[コメント] |
@キルビー判決は、分割出願の要件違反を理由とする無効を根拠として、明確な無効理由が存する特許権の行使は権利の濫用に当たると判断した事例で有名ですが、第一審では、そうした論点までは踏み込まず、通常の特許請求の範囲・明細書の解釈、及び、特許出願中の経緯に違反する主張の禁止(禁反言の原則)という観点から、債権不存在の結論を導きました。 A外国特許出願に基づくパリ条約優先権を主張する場合、外国特許出願の明細書中に用語の説明が足りないことがあります。本件では「距離的に離間して」という文言が問題となりました。我国の特許出願の際に用語の追加説明をしていれば結論は違っていた気がします。 |
[特記事項] |
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