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●平成10年(ワ)第8345号・第17998号 (本訴請求:特許侵害差止請求権不存在確認・容認 反訴請求:特許権侵害差止請求・棄却)


 

 [事件の概要]
@本件の経緯

(a)被告甲は、名称を“養殖貝類の耳吊り装置”と称する発明について

 平成7年4月7日に特許出願X(特願7−107058号)を行い、

 平成9年5月16日にXの一部を分割して特許出願Y(特願9−141153号)を行い、このYについて本件特許権(第2732384号)を取得しました。

(b)原告乙は、係争物(原告装置)の製造販売をしていたところ、甲が乙に対して製造・販売の中止を求めました。

(c)甲は、差止請求権の不存在の確認を求めて本訴請求を行い、これに対して、乙は、侵害行為の差止請求を求めて、反訴請求を行いました。→反訴とは

A甲の特許権の請求の範囲

 ロープおよび養殖貝類の稚貝の耳部を積層状に並べ、(A1)

 前記ロープおよび耳部に貫通孔を形成するとともに(A2)

  前記貫通孔に係止具を刺し通す養殖貝類の耳吊り装置において、(A3)

  前記係止具を保持する送りピッチ凹部を備えるとともに(B1)

  作業の進行に合わせて回転作動する供給ロータにより前記係止具を供給する(B2)

  ことを特徴とする養殖貝類の耳吊り装置。(B3)

B甲の特許明細書の説明

(a)発明の課題

 (従来の耳吊り養殖の)方法によると、ロープ3一本当たりに取り付けられる稚貝5が二百にも及ぶ膨大な量であって、これを手作業で一つずつ取り付けようとすると大変な労力が必要とされるため、本願出願人は、従来から、この労力を軽減する目的をもって、作業を自動化または半自動化した各種の耳吊り装置または係止具取付装置を提案している

 本発明は上記提案の一環として、先に提案した装置に更なる改良を加えたもので、多数の係止具を一本ずつ整然と供給することが可能であり、もって作業効率を向上させることが可能な養殖貝類の耳吊り装置を提供することを目的とする。

(b)発明の作用

 ロープに対して養殖貝類の稚貝を耳吊りするべく、ロープおよび稚貝の耳部に形成される貫通孔に刺し通される係止具が先ず、多数の係止具が互いに平行にランナをもって一連に接続されたものとして成形されて、この一連に接続された状態でストック部にストックされる。次いでこの一連に接続された状態のまま、ストック部から供給ロータに送り出され、その後初めて、個々の係止具に分離される。先ず、個々に分離されるまでの間、多数の係止具が一連に接続されたものとして供給経路内で整然と並んだ状態で移動する。

 供給ロータにより供給された係止具は、個々にかつ順番に貫通孔に刺し通される。この供給および刺通し作業を円滑に行なうため、供給ロータには、係止具を一本ずつ保持する送りピッチ凹部が備えられている。またこの刺通し作業中、供給ロータの回転を停止させる必要があるため、回転ロータは間欠回転作動する。従って係止具は個々に分離されてからも、貫通孔に至るまでの供給経路内で整然と並んだ状態で移動する。

 また供給ロータによる供給後に行なわれる係止具の貫通孔への刺通しが、ロープおよび耳部に貫通孔を形成するドリル部の後退を係止具が追いかけるようにして行なわれる。従ってドリル部の後退によりロープの繊維の撚りが元に戻る間もなく、貫通孔に係止具が確実に刺し通される。

[本件発明]

zu1

[係争物]

zu2

C原告の主張(争点1(二))

(a)構成要件A(1)にいう「積層状に並べ」るとは、ロープと稚貝の耳部の配置の仕方が、垂直にして左右に並べる場合(以下「垂直置き」という。)を含まず、水平にして上下に重ねる場合(以下「水平置き」という。)に限定されるというべきである。

 その理由は次の通りである。

・「積層」とは「幾重にも層を重ねること」を意味し、さらに、「層」とは「重なること、重なり」を、「重ねる」とは「物の上に(同種の)物をさらにのせること」をそれぞれ意味する。右のような「積層」の語の国語上の語義からみて、「積層状に並べ」るとは、物を垂直置きする場合を含まず、水平置きの場合のみを指すものと解すべきである。

・本件発明に係る明細書(本件明細書)の「発明の詳細な説明」及び図面においては、貝とロープを水平置きにして位置決めする構成の装置しか記載されていない。

・本件特許権の出願Yは、前述の通り特許出願Xの分割出願であるところ、出願Xの出願当初の明細書の「特許請求の範囲」においては、請求項1ないし7のいずれについても、ロープと稚貝の耳部との位置決めにつき、「上下に積層状に重なるように」するものとされ、これらを垂直置きに並べる構成については明細書中に何らの記載もないから、特許出願Xにおいて開示されている発明は、ロープと稚貝の耳部を水平置きに重ねる構成の養殖貝類の耳吊り装置のみに限られ、これらを垂直置きに並べる構成のものは含まれないというべきである。他方、分割出願が適法なものとして特許法四四条二項の出願日の遡及が認められるためには、分割出願が原出願について補正のできる範囲で行われること、すなわち、分割出願の明細書又は図面が原出願の出願当初の明細書又は図面に記載した事項の範囲内でないものを含まないことが必要であるから、特許出願Yにつき、出願Xからの分割が認められたのは、特許庁が、特許出願Yにおける発明が出願Xで開示された事項の範囲内でないものを含まないと判断したからにほかならない。

・このような特許出願Yの分割の経緯からすれば、本件発明における「積層状に並べ」るとは、特許出願Xが開示している「上下に積層状に重なる」構成、すなわち、ロープと稚貝の耳部を水平置きに重ねる構成のみを意味し、これらを垂直置きに並べる構成を含まないものと解するのが相当である。

・養殖用稚貝の穿孔は、重ね合わされた稚貝の耳部という非常に小さなスペースに、小さな穿孔を施すという精密な作業であるから、穿孔時の貝は完全に安定していなければならない。そして、貝を静止・安定させるには、

 載置時安定方式(二枚を重ね合わせるときに水平状態に置いて安定させて穿孔する)と、

 穿孔時安定方式(二枚合わせのときは垂直状態に置いて、穿孔時にのみ安定させる方式)

 とが考えられるところ、原告各装置は、穿孔時安定方式を採用したものであり、穿孔時の貝の安定を保つために、耳当て部材、胴受け部材、貝ストッパー、貝押さえ部材等の構成を有している。他方、本件発明においては、原告各装置の右各部材に対応した構成は開示されておらず、右穿孔時安定方式により貝の安定を図る構成を有していないことからすれば、右載置時安定方式により貝の安定を図ることを予定しているものというべきである。

 前記の如く本件発明においては、ロープと稚貝の耳部を垂直置きに並べて穿孔する構成を想定しておらず、これらを水平置きに重ねて穿孔する構成のみを想定しているのである。(b)原告各装置においては、ロープ(養殖ロープ51)及び稚貝の耳部(7a)に貫通孔を形成するとともに右貫通孔に係止具(係止ピン59)を刺し通す際、二枚の対向する貝7が養殖ロープ51の両側に耳部7aを下に向けた状態で垂直状に起立する状態となるのであり、右貝及び養殖ロープを「積層状に並べ」ているとはいえないから、原告各装置はいずれも構成要件A(1)を充足しない。

D被告の主張

(a)構成要件A(1)にいう「積層状に並べ」るとは、次のような理由から、ロープと貝の配置の仕方が、水平置きであるか、垂直置きであるかを問わず、ロープを二枚の貝の耳部が挟み込むように位置していることを意味するものと解すべきである。

・本件発明の目的・効果からすると、本件発明におけるロープと貝の耳部の位置関係として必要なことは、貝の耳部とロープとを係止具で一度に刺し通すために、二枚の貝の耳部とロープが重ねて並べられるという相対的な位置関係のみであり、ロープと貝の並べ方が水平置きか垂直置きかは全く問題とならない。

・本件発明は、まず、構成要件Aにおいて、本件発明が属する分野として公知の基本的構成を有する耳吊り装置に関する発明であることを述べ、次いで、このような公知の耳吊り装置において、新規な供給ロータを使用するものであることを、構成要件Bにおいて述べるという構成となっている。このような本件発明の構成からすれば、構成要件Aは、従来技術を前提とするものであるところ、特許出願X当時の従来技術の耳吊り装置としては、貝を水平置きにするもののみならず、垂直置きにするものも存在したから、本件発明は貝を垂直置きにする場合をも想定している。

・本件明細書の「発明の実施の形態」の記載をみると、「シート状のカートリッジ85がストック部52に横並びの積層状にストックされる」旨の記載(「発明の詳細な説明」の「0027」)があるところ、図19によれば、カートリッジ85がストック部52に収納されている状態は、明らかに垂直置きの状態であるから、右記載における「積層状」の文言は、垂直置きの場合をも含むものとして使われている。このように同一の明細書中において、垂直置きの場合をも含むものとして「積層状」の文言が使われている以上、構成要件A(1)における「積層状」についても、垂直置きの場合を含むものと解すべきである。

・辞書等での一般の用法からいっても、「積層状」という文言は、水平置きの場合のみに使用されるものとはいえない。

 また、仮に「積層」を極めて狭くとらえて、水平方向に重ねられた層のみを表すと解したとしても、「積層状」という表現により表される内容は「積層」の概念よりも広く、「積層」に近い状態であれば、これに包含されるものといえる。

・原告は、特許出願Xはロープと稚貝の耳部を水平置きに重ねる構成の養殖貝類の耳吊り装置のみを開示しており、ロープと稚貝の耳部を垂直置きに並べる構成のものは、特許出願X明細書及び図面に記載された事項ではない旨主張する。

 しかしながら、

(ア)特許出願X当時における養殖貝類の耳吊り装置としては、貝を水平置きに重ねる構成のもののみならず、貝を垂直置きに並べる構成のものも当業者に周知であり、特許出願X明細書の「発明の詳細な説明」における従来技術の説明でも、貝を垂直置きに並べる構成の耳吊り装置に関する発明が記載されていること、

(イ)本件発明において示されている技術思想は係止具を保持する送りピッチ凹部を備え作業の進行と共に回転作動して係止具を供給するという供給ロータの有する作用効果の点にあり、ロープと貝の耳部とが重ねられてさえいればその方向が水平置きであるか垂直置きであるかを問わず右のような作用効果が達成されるものであることは、特許出願X当時、当業者にとって自明であったこと、

 からすると、特許出願Xの原明細書及び図面において、ロープと稚貝の耳部を垂直置きに並べる構成の耳吊り装置が明示的に記載されていないとしても、このような構成をも含めた耳吊り装置が当業者において容易に理解できる程度に記載されていたものということができる。

(b)原告各装置においては、ロープ(養殖ロープ51)及び稚貝の耳部(7a)に貫通孔を形成するとともに右貫通孔に係止具(係止ピン59)を刺し通す際、二枚の貝の耳部7aが養殖ロープ51を挟み込むように位置していることは明らかであるから、右貝及び養殖ロープを「積層状に並べ」ているものということができ、原告各装置はいずれも構成要件A(1)を充足する。


 [裁判所の判断]
@裁判所は、に関して「積層状に並べ」の要件(争点1(一))に関して「積層状」文言の意義を次のように解釈しました。

(a)まず「積層」なる用語の意義につき考察するに、「積層」とは「幾重にも層を重ねること。」(三省堂「大辞林」)、「板状のものを何枚も積み重ねること。」(小学館「国語大辞典」)を、また、「積み重ねる」とは「あるものの上に幾重にも他のものを加える。上へ上へとのせる。」(小学館「国語大辞典」)ことを、「層」とは「上へ上へと積み重なっていること。また、その重なり。」(三省堂「大辞林」)をそれぞれ意味するものであり、これらを総合すると、「積層」なる用語は、本来、「複数の物を、一つの物の上に他の物を順次のせていくように、配置すること」を意味する用語であって、「複数の物を、一つの物の隣に他の物を順次並べていくように、配置すること」をも含む概念ではないということができる。

 そして、右のような「積層」の語の本来的な意味に忠実に、構成要件A(1)の「積層状に並べ」を解釈すれば、構成要件A(1)は、ロープと稚貝の耳部を水平置きにすることを要求しているのであり、これらを垂直置きにすることは、構成要件A(1)における「積層状に並べ」には含まれないというべきである。

(b)被告は、「積層」の語が右のとおりに解釈されるとしても、「積層状」との表現は、「積層」の概念よりも広く、「積層」に近い状態をも包含するものであり、垂直置きに並べることも「積層状」のなかに含まれる旨主張する。

 しかしながら、「××状」との表現は、物のありさまが「××」のようであることを意味する表現であるところ、「積層」とは、前記のとおり「複数の物を上下に重ねて配置する」ことを意味するのであるから、これとは全く異なった物の配置状態というべき「左右に並べる配置」が、「積層」のような状態であるといえないことは明らかである。従って、被告の右主張も、採用することができない。

zu

A裁判所は、「積層状に並べ」の意義を包袋禁反言の原則に照らして次の様に判断しました。

(a)前記のb「積層状に並べ」の解釈は、次のような特許出願Yの経過に関する事情に照らしても、合理的なものとして是認できる。

(b)本件特許出願Yは、本原出願Xからの分割出願としてなされたものであるところ、特許出願Xの明細書の「特許請求の範囲」及び発明の詳細な説明には、次の記載がある。

・請求項1〜7のうち請求項1及び2においては、ロープ及び稚貝の耳部に貫通孔を形成し係止具を刺し通すに当たっての稚貝位置決め部の構成について、「前記ロープ(3)ならびに前記一および他の稚貝(5)の耳部(5a)が上下に積層状に重なるように前記一および他の稚貝(5)を水平方向に位置決めする」ものであることが明示されており、

・請求項3〜7は、いずれも請求項1又は2を引用する形式で記載された請求項である。

・「発明の詳細な説明」の「課題を解決する手段」で、請求項1及び2に関して、右同様の構成の位置決め部の説明がされており、

・「実施例」の項及び図面においても、二枚の稚貝を稚貝位置決め部において水平方向に位置決めし、ロープと稚貝の耳部を上下に重ねる構成の装置のみが記載されている。

(c)特許出願Yのような分割出願が適法なものとして特許法四四条二項による出願日の遡及が認められるためには、

(1)分割の基になる原出願の明細書又は図面に二以上の発明が記載されており、

(2)右記載された発明の一部を分割出願に係る発明としていることのほかに、

(3)分割出願が原出願について補正のできる範囲で行われることが、必要と解される。
けだし、分割出願に出願日遡及の効果が認められている以上、このように解さなければ、本来許されないはずの補正が分割の方法を用いることによって実質的に可能になるという、不当な結果を招くからである。

 そして、本件において、分割出願が原出願について補正のできる範囲で行われているといえるためには、分割出願の明細書又は図面が、原出願の願書に最初に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内でないものを含まないことを要するのであり、具体的には、原出願の願書に最初に添付した明細書又は図面に記載した事項そのもの又は右記載事項から当業者が直接的かつ一義的に導き出せる事項以外の事項を含まないことを、要するものと解すべきである。

 この点について、被告は、当業者にとって自明な事項については、明細書又は図面に記載がなくともそこに記載されているものとして補正のできる範囲に含まれる旨主張するが、右のような解釈は、補正の範囲を限定し新規事項の追加を禁止する旨の一七条二項が設けられた平成五年改正後の特許法の下においては、採り得ない解釈というべきである。

(d)分割出願の適法要件について前記のような理解に立った上で、前記特許出願X明細書の記載と本件明細書の記載とを対比し、特許出願Yが分割出願の適法要件を満たすものであるか否かについて検討すると、仮に、被告の主張するように、本件発明の構成要件A(1)における「積層状に並べ」がロープと稚貝の耳部を水平置きにする構成のみならずこれらを垂直置きにする構成をも含むと解釈するならば、次に述べるとおり、特許出願Yは、分割出願の適法要件を満たさないこととなる。

 すなわち、被告主張のような解釈に立つとすると、本件明細書には、本件発明に係る装置として、ロープと稚貝の耳部に貫通孔を形成しそこに係止具を刺し通す際の位置決めに際しこれらを垂直置きにする構成のものについても記載されていることになるところ、特許出願X明細書においては、その特許請求の範囲で、ロープと稚貝の耳部の位置決めを「上下に積層状に重なるように」「水平方向」にするものであること、すなわち水平置きにする構成のものに限定されることが明記され、発明の詳細な説明や図面においても右のような構成の装置のみが記載されているのであるから、ロープと稚貝の耳部を垂直置きにして位置決めする構成の特許出願Xの発明に係る装置が出願X明細書及び図面に直接記載されていないことは明らかであり、

 また、特許出願X明細書及び図面の記載内容を精査しても、当業者がそこからロープと稚貝の耳部を垂直置きににして位置決めする構成の特許出願Xの発明に係る装置を直接的かつ一義的に導き出せるような記載を認めることはできない。
→直接的かつ一義的とは

 そうすると、本件発明の構成要件A(1)の「積層状に並べ」を被告主張のように解釈すると、本件明細書には特許出願X明細書又は図面に記載した事項の範囲内でないものが含まれることになり、特許出願Yは分割出願の適法要件のうち(3)の要件を欠くことになる。

 この点に関し、被告は、特許出願X明細書の「発明の詳細な説明」における従来技術の説明でロープと稚貝の耳部を垂直置きにして位置決めする構成の耳吊り装置に関する発明が記載されている旨主張する。

 なるほど、特許出願X明細書の「発明の詳細な説明」の「従来の技術」の項には、特開平五ー二一一八二六号及び特開平五ー二一一八二七号の各公開公報が参照文献の一つとして挙げられ、右各公開公報中の図面に、ロープと稚貝の耳部を垂直置きにして位置決めする構成の耳吊り装置が記載されていることが認められる。

 しかしながら、特許出願X明細書の右記載は、出願Xの発明の前提となる従来技術の説明に付随して参照文献として右各公開公報を挙示しているのみであり、右各公開公報に係る発明の内容を具体的に説明する記載はなく、右各公開公報に記載されたロープと稚貝の耳部を垂直置きにして位置決めする構成を特許出願Xの発明において採用することを示唆する記載もないから、結局のところ、右各公開公報に関する特許出願Xの明細書の記載から、又はそれと特許出願X明細書中の他の記載とを総合することによって、当業者がロープと稚貝の耳部を垂直置きににして位置決めする構成の特許出願Xの発明に係る装置を直接的かつ一義的に導き出すことができるとはいえない。

 従って、被告が主張する右各公開公報に関する特許出願X明細書中の記載の存在を考慮しても、前記の結論が左右されるものではない。

(e)右のように、特許出願Yが分割出願の適法要件を欠くということになると、特許法四四条二項による出願日の遡及は認められず、現実の出願日である平成九年五月一六日が本件発明の出願日になるところ、右出願日の前である平成八年四月二三日には既に特許出願Xの発明が公開されており、さらに、特許出願Xの発明にはないロープと稚貝の耳部を垂直置きにして位置決めするという構成の養殖貝類の耳吊り装置も右出願日以前に既に公知であったことが認められるから、右の現実の出願日の時点を基準とすると、本件発明が、その特許出願前にその発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が公知の技術に基づいて容易に発明することができたものに該当することは明らかであり、本件特許には明白な無効事由(特許法一二三条一項二号、二九条二項)が存するということになる。

zu

(f)本件発明の構成要件A(1)の「積層状に並べ」について、仮に、被告主張のように、ロープと稚貝の耳部を水平置きにする構成のみならずこれらを垂直置きにする構成をも含むと解釈すると、特許出願Yは違法な分割出願となって出願日の遡及が認められず、ひいては本件特許に明白な無効事由が存するという結論が導き出されることになる。

 これに対して、構成要件A(1)の「積層状に並べ」がロープと稚貝の耳部を水平置きにする構成のみを意味するとの前記のような解釈に立てば、右構成は、特許出願X明細書の「特許請求の範囲」におけるロープと稚貝の耳部を「上下に積層状に重なるように」「水平方向」に位置決めする稚貝位置決め部の構成と同様のものということになるから、特許出願Yが前記(2)記載の分割要件を欠くことにはならず、従って、本件特許に無効事由があるということにもならない。

 このような場合には、特許出願Yを分割出願として行った出願人の意思及び特許出願Yを適法な分割出願と認めて特許した特許庁の判断を尊重し、できる限り本件特許に前記のような無効事由が生ずることのないようにその特許請求の範囲を解釈するのが相当というべきであり、かかる観点からすれば、構成要件A(1)の「積層状に並べ」については、ロープと稚貝の耳部を水平置きにする場合のみを意味するものと解釈するのが、相当である。

(g)被告は、構成要件A(1)の「積層状に並べ」についての右のような解釈を否定する根拠として、

(i)本件発明の目的・効果からみてロープと稚貝の耳部の並べ方が垂直置きか水平置きかは問題とならないこと、

(i i)特許出願X当時における養殖貝類の耳吊り装置としては、ロープと稚貝の耳部を水平置きにするもののみならず、垂直置きにするものも公知であったこと、

(i i i)本件明細書の「発明の詳細な説明」の記載中に垂直置きの状態のものを「積層状」と表現している部分があることを主張する。

 しかしながら、(i)及び(i i)の点については、仮に被告が主張するとおりの事情があるとしても、これらの事情にかかわらず、出願人において特許出願の対象とする発明の範囲をロープと稚貝の耳部を水平置きに位置決めする構成のもののみに特に限定することも妨げられないところ、前述の「積層状」なる文言の本来的な意味と前記特許出願Yの経過に関する事情を総合すれば、本件発明においては、その特許請求の範囲において、ロープと稚貝の耳部の位置決めに関する構成につき、「積層状」なる文言が用いられることによって、水平置きにする構成のもののみに限定されたものと解するのが相当というべきであるから、これらの点は、構成要件A(1)に関する前記のような解釈を否定し得る根拠とはいえない。

 また、(i i i)の点に関しては、確かに、本件明細書の「発明の詳細な説明」の「発明の実施の形態」の項に、「ストック部52には、作業の開始に先立ってシート状のカートリッジ85が多数横並びの積層状にストックされ」(本件公報第九欄四行目ないし六行目)との記載があり、図19ではカートリッジ85が垂直置きの状態でストック部52に収納されていることが認められるが、

・この記載は、実施例の説明に関する記載の一部にすぎず、

・内容的にみても、多数のシート状カートリッジのストック部における収納状態に関するものであって本件発明の特許請求の範囲に記載された構成自体に関する説明部分ではない
ことからすると、当該記載における表現が必ずしも特許請求の範囲における記載文言の解釈を拘束するものとはいえない。

 以上を総合すると、本件発明の構成要件A(1)を充足するためには、貝吊り用のロープと稚貝の耳部に貫通孔を形成するとともにそこに係止具を刺し通す際に、右ロープと稚貝の耳部を水平にして上下に重ねて配置する装置であることを要するものと、解される。

B裁判所は、原告各装置が構成要件A(1)を充足するかに関して次の様に判断しました。
 原告各装置においてはいずれも、養殖ロープ51と貝7の耳部7aに貫通孔を形成するとともに右貫通孔に係止ピン59を刺し通す際、二枚の貝7が養殖ロープ51の両側にそれぞれ耳部7aを下に向けた状態で垂直に配置される状態となるのであり、貝吊り用のロープと稚貝の耳部を水平にして上下に重ねて配置するものでないことは明らかであるから、原告各装置はいずれも本件発明の構成要件A(1)を充足しない。

C裁判所は、均等の成否(争点1(三)均等の成否)について

 被告は、仮に構成要件A(1)における「積層状に並べ」がロープと稚貝の耳部を水平置きにすることのみを意味し、これらを垂直置きにする原告各装置が「積層状に並べ」との要件を文言上充足しないとしても、原告各装置は本件発明と均等の範囲にある旨主張する。

 被告の主張は、弁論準備手続を終結した後に提出されており、明らかに時期に遅れた攻撃防御の主張というべきであるから、これにより新たな主張整理ないし証拠調べを要するものであれば、却下すべきものである。しかし、被告の均等の主張は、次に述べるとおり、明らかに理由がないので、進んで、この点についての当裁判所の判断を示す。
時期に遅れた攻撃防御方法とは

 すなわち、特許出願Yは出願Xの分割出願としてなされたものであるところ、前判示のとおり、分割出願が適法になされたというためには原出願の願書に最初に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内でないものを含まないことを要するから、本件発明は、その技術的範囲からロープと稚貝の耳部を垂直置きにする構成を除外して特許出願されたものと解すべきである。

 従って、本件発明については、特許出願手続において、出願人が垂直置きの構成がその技術的範囲に属さないことを承認するか、又は外形的にそのように解されるような行動をとったものというべきであるから、本件において被告がこれと反する主張をすることは、禁反言の法理に照らし許されない。

 何故なら、特許出願Yが分割出願としてなされた経緯に照らして、本件発明の技術的範囲を限定的に解釈しておきながら、他方で、これと相反する均等の主張を許すならば、分割出願の法定要件を潜脱することを結果的に許すこととなり、相当でないからである。

 本件においては、特許出願手続の経緯に照らし、均等の成立を妨げる事情があるものといえるから、被告の均等の主張は採用することができない。

 従って、原告による原告各装置の製造・販売等は、本件特許権を侵害するものではないから、原告の本訴請求は理由があり、他方、被告の反訴請求は理由がない。


 [コメント]
@本件は、分割出願の際に、ロープと稚貝の耳部との位置決め条件に関して、原出願の明細書に記載されていた“上下に積層状に並べ”の“上下に”をとって発明特定事項の概念を拡張したことに関して、包袋禁反言の原則が適用されたものです。
包袋禁反言の原則とは

A裁判所は、まず「ロープおよび養殖貝類の稚貝の耳部を積層状に並べ」という要件のうちで“積層状に”とは上下方向に重ねること(水平置き)が本来の用語に意味に沿うと判断し、その判断を補強する形で包袋禁反言の原則を用いました。すなわち、包袋禁反言の原則だけで結論(本訴請求の棄却)を導いたのではありません。

B特許出願の明細書を作成する立場からすると、“積層”という用語は、本来、水平に延びるものが上下に積まれているという意味かもしれませんが(具体例…地層の積層)、普通は用語の意味をここまで厳密に解釈することはないと思います。

 なぜならば、物の構造を表現する場合に、物が置かれた或るの状態を基準として、便宜的に上下方向を決めるということは普通にあることだからです。

 しかしながら、明細書全体を検討すると、水平な台(貝座部)の上に稚貝を置いて、その台に付設した耳当て部33、34、36、37に稚貝の耳部を当て、貝座部に対して固定された位置にある溝状のロープ案内部22をセットして、稚貝の耳部とロープとを位置決めする、ことが発明の重要な要素になっているため、裁判所が“積層”の意義を狭く解釈したことには相当の合理性があると考えます。

Cもっとも、裁判所が禁反言を適用した論理では、“分割出願が原出願について補正のできる範囲で行われることが必要と解される”ことが論拠となっています。この判決が出た当時は、補正の条件である新規事項の追加の禁止に関して、“直接的かつ一義的”という判断基準が用いられ、かつ厳密に適用されていました。現在では事情が違います。

 被告が主張するように、ロープと稚貝の耳部を垂直置きすることが本件特許出願の当時に知られていたとすれば、現時点で同じような紛争が起きた場合、本事例と同じような判決が出るとは限らないと考えた方がよいと思います。


 [特記事項]
 
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