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●平成27年(ネ)第10014号[その2](特許侵害差止請求控訴事件・請求認容、控訴棄却)


均等論/特許出願/第5要件

 [事件の概要]
@事件の経緯

(a)事件の概要

(イ)本件は、角化症治療薬の有効成分であるマキサカルシトールを含む化合物の製造方法の特許に係る特許権である被上告人(甲)が、上告人(乙)らの輸入販売等に係る医薬品の製造方法は、上記特許に係る特許請求の範囲に記載された構成と均等なものであり、その特許発明の技術的範囲に属すると主張して上告人らに対し、当該医薬品の輸入販売等の差止め及びその廃棄を求めて裁判所に提訴した事案です。第一審は、甲の請求を認諾、これに対して乙が控訴しています。具体的には、

(ロ)甲(被控訴人)は、

 平成9年9月3日に、米国特許出願に基づくパリ条約優先権(優先日平成8年9月3日)を主張して我が国への特許出願(特願平10−512795)を行い、

 平成14年5月24日に当該特許出願について特許権の設定登録を受け(特許第3310301号)、

 平成21年2月24日に当該特許権について存続期間の延長登録出願を行い、

 平成22年3月31日に存続期間の延長登録の延長登録を受けた。

(ロ)甲は、当該特許出願について特許権の設定の登録を受けた後、複数の無効審判の請求を受け、無効審判中の訂正の請求により特許請求の範囲に記載の発明が変更された。

 具体的には、請求の範囲中のビタミンDの主鎖の構造中の3つの選択肢(CD環・ビタミンD・ステロイド環)のうちのCD環が削除され、また側鎖のうちのYが酸素原子に限定されました。

zu

A本件特許発明の内容

 主鎖X−Zとマキサカルシトールの側鎖{Y-(CH2)n−C-C-OH,R1,R2}とを有する物質の製造方法であり、訂正発明の内容は次の通りです。

A−1下記(イ)の構造を有する化合物の製造方法であって

 A−2 (式中、nは1〜5の整数であり;

 A−3 RおよびRは各々独立に、所望により置換されたC1−C6アルキルであり;

 A−4 WおよびXは各々独立に水素またはC1−C6アルキルであり;

 A−5 YはO(酸素原子)であり、ここでRは水素、C1−C6アルキルまたは保護基であり;

 A−6 そしてZは、式(ロ)のステロイド環構造または式(ハ)のビタミンD構造であり、Zの構造の各々は、1以上の保護または未保護の置換基および/または1以上の保護基を所望により有していてもよく、Zの構造の環はいずれも1以上の不飽和結合を所望により有していてもよい)

B−1 下記(ニ)の構造(式中、W、X、YおよびZは上記定義の通りである)を有する化合物を

 B−2 塩基の存在下で下記(ホ)又は(ヘ)の構造(式中、n、RおよびRは上記定義の通りであり、そしてEは脱離基である)を有する化合物と反応させて、

 B−3 下記(ト)構造:

 を有するエポキシド化合物を製造すること

 ;C そのエポキシド化合物を還元剤で処理して化合物を製造すること;および

 D かくして製造された化合物を回収すること;

 E を含む方法。

zu

(ろ)本件発明の構成中の特徴部分です。

・下図に示す通り全体として2工程である。

・第1工程で、出発物質の側鎖(YH)と、エポキシ基(酸素原子Oを一角とする三角形(3員環)及びその両側の炭素原子からなる構造)を有する反応物質とを反応させて、エーテル結合及びエポシキ基を導入する。

 注意…両者の導入に2工程以上かけるものは先行技術に存在する。

・第2工程でエポキシ基を開環して、マキサカルトールの側鎖を形成する。

B控訴人の方法の概要は次の通りです。

zu

 本件特許発明との相違点の要旨

・出発物質のビタミン構造がシス体ではなくトランス体である。

・トランス体は、シス体に比べて酸化抵抗性が高い。

・工程数が異なる(∵シス体へ異性化する工程が必要となる)。

C争点

・均等の成否

・訂正発明の無効理由の有無(裁判所は無効理由なしと判断した。以下解説を省略)

D地方裁判所の判断 被告方法は特許発明の均等の範囲であり、無効理由は存在しないため、請求を認容する。

E当事者の主張(要旨)

 均等論の第1〜第3要件に関して下記参照
平成27年(ネ)第10014号[その1]

{均等論の第5要件}

zu

〈控訴人の主張〉

第3-1-(4)-イ しかも、本件においては、以下のとおりの事情からすれば、特許出願人がシス体のビタミンD構造のみを出発物質としたのは、特許出願時の困難や過誤に基づくものではなく、出発物質を定義する際にトランス体のビタミンD構造の記載を失念したという事情は存在しない。特許出願人は、特許請求の範囲を記載するに際し、トランス体のビタミンD構造を対象としないことを明瞭かつ客観的に意識して出発物質を決定し、積極的にトランス体のビタミンD構造を除外するという意識的な選択をしたものである。

(ア) ビタミンDの基本骨格にはシス体とトランス体という二種類の幾何異性体が存在し、この二種類の基本骨格しか自然界に存在しないことは周知の事項である。また、本件優先日には、ビタミンD誘導体の合成において、出発物質をトランス体のビタミンD構造とするルートは広く当業者に知られており、ビタミンD誘導体を研究する本件特許の発明者らであれば、これらの事実を熟知していた。したがって、本件優先日において、特許出願人が過誤でトランス体のビタミンD構造を出発物質とする合成ルートの存在に気付かなかったということはない。(中略)

(イ) 訂正明細書の特許請求の範囲の請求項13には、訂正発明の構成要件B−3の構造式において化学結合を波線で「 zuH」と記載し、Hの付け根の立体構造がR体とS体の立体異性体の双方を含むことが明示されているのに、ビタミンD構造の幾何異性体についてはシス体のみに限定して記載されている。立体異性体についてはその両方を含むことを明記する一方で、幾何異性体についてはシス体のみを特許請求の範囲に記載すればトランス体が対象外となることは特許出願人も直ちに理解でき、第三者もそのように理解する。従って訂正明細書上、トランス体を対象としないことを明瞭かつ客観的に限定している。

(ウ) また、訂正明細書の詳細な説明中(41欄32〜48行)には、前記(1)の控訴人らの主張ア(イ)のとおり、出発物質として、シス体のビタミンD構造を記載した特許公報のほかに、トランス体のビタミンD構造を記載した二つの国際公開公報が記載されている。しかるに、訂正明細書には、「本発明に関するCD環構造、ステロイド構造およびビタミンD構造は各々、特には下記する構造を意味し・・(略)」と記載された上で、シス体であるビタミンD構造の化学構造式が選択され、記載されており、かかる選択を受けて、特許請求の範囲においても、シス体のビタミンD構造のみが記載されている。このように、二種類存在する基本骨格の中から、シス体を「特に」限定しているのであるから、訂正明細書上、トランス体を対象としないことを明瞭かつ客観的に限定している。したがって、トランス体のビタミンD構造は意識的に除外されている。

(エ) さらに、訂正明細書の詳細な説明中には、SOの付加によって保護されたビタミンD構造の例として、下記の図が記載されている。

zu

 左右の図は、化合物としては同じであり、「(SOの付加により)保護されたビタミンD構造の例」を示すためであれば、左図を描けば十分である。ところが、訂正明細書に上記二つの構造式を提示しているのは、次図に示すような、シス体の出発物質とSOが付加した直後の構造式(左側の構造式)、トランス体の出発物質とSOが付加した直後の構造式(右側の構造式)を各々表現していると解釈するしかない。

zu

 また、保護基としてSOを付加したビタミンD誘導体を出発物質として用いると、アルキル化反応の際に必ずトランス体になることは、本件優先日当時の技術常識である。

 訂正明細書の「発明の詳細な説明」の欄に、このようなトランス体の出発物質を想定した記載が存在するのに、特許請求の範囲ではシス体の出発物質に限定しているのであって、この点でも意識的限定が明らかである。

(オ) 訂正明細書にはステロイド環構造を出発物質とする実施例しか記載がないのに、訂正発明は、「Z」に相当する部分構造がシス体のビタミンD構造の場合にまで拡張されている。実施例からの拡張として、ビタミンD構造を権利範囲に加える際に、シス体として特定すれば、それが拡張の限界となること及びその記載こそが第三者に対する権利主張可能範囲であることも特許出願人は理解していた。また、具体的に記載された発明がすでに一般化され、特許出願人自らが主張する独占排他権の範囲として特許請求の範囲に記載されている明細書に接すれば、第三者は、当然に「Z」に相当する部分構造についても検討が行われた上で、権利が及ぶ範囲が決定され、それと同時に、特許請求の範囲に記載されなかったビタミンD構造に関しては権利が及ぶ範囲から除外されたと認識する。

(カ) 本件特許出願時の審査実務では、出発物質ごとに具体的な実施例が求められていなかったから、特許出願人が出発物質として何を選ぶかは全く任意であり、出発物質の「Z」に相当する部分構造として、シス体のビタミンD構造、トランス体のビタミンD構造、ステロイド環構造、CD環等のいずれをも選択可能であり、トランス体を含めることに何らの困難もなかった。

(キ) 特許出願人がビタミンD構造についてはシス体のみとしたのは、発明の進歩性を意識した限定と理解される。すなわち、訂正発明について訂正明細書に記載がある作用効果は、「工程の短縮」のみであるが、トランス体を出発物質とするとシス体への転換工程が必要となり、同作用効果を主張できない。しかも、トランス体のビタミンD構造を出発物質とする場合、一工程で側鎖を導入した公知技術が存在するため、従来技術と比較した工程数短縮効果は得られない。そのため、特許出願人は、ビタミンD構造についてトランス体を発明の対象とすると工程短縮の効果を主張して特許査定を受けられなかった可能性が高く、シス体のみを出発物質としたものであると考えられる。

zu

〈被控訴人の主張〉

・特許請求の範囲の文言が明瞭であるか、不明瞭であるかは均等を認める必要性や均等論の理念とは関係がない。(中略)

・ボールスプライン事件最判により均等論が認められている以上、出願人はこれを前提として特許出願をすることができ、また、第三者もこれを前提として特許の評価をする必要があり、特許請求の範囲でのある文言の構成の選択が、その文言以外の構成について権利を主張することの放棄の意思表明には必ずしもならない。それは「その文言以外の構成」が広く知られていても同じである。

・控訴人らの主張は、特許出願時に容易に知り得る均等技術は明細書に記載し、特許請求の範囲に含まれるように記載すべきであり、これを怠ると、均等の主張が許されないというものであるが、そのような義務は、特許法のどこにも規定されておらず、均等論が確立している現在の特許実務においては根拠がない。

・控訴人らの主張に従うと、出願人は、「シス体」の発明をしたら、特許出願のために「トランス体」の発明も研究しなければならないことになり、さらに、他の「意識的除外」も生じないように、特許出願時の検討が必要になる。「意識的除外」を避けるための検討事項が増えると、多くの研究時間を要し、特許出願に時間、労力、費用がかかることになる。一方、侵害者は、他者の特許を検討し、特許請求の範囲に記載がされていなければ均等が及ばないものとして、均等侵害の心配をすることなく均等物を探すことができるようになり、不当である。

・控訴人らは、シス体とトランス体の二種類しかないときに特許請求の範囲に「シス体」と記載すれば、それはシス体を「特に」限定したことを意味する旨の主張をする。しかし、二種類のうちの一方を記載したことが、「特に」限定する積極的な意思表示であると解する理由はない。

・控訴人らが指摘する訂正明細書の37欄は、訂正発明の出発物質の構造式を説明する中で、「本発明に関するCD環構造、ステロイド構造およびビタミンD構造は、各々、特には下記する構造を意味し、」と述べており、特許請求の範囲に記載されている三種類のZの構造式を記載しただけである。一方、訂正明細書の41欄は、訂正発明の出発物質のうち公知化合物であるものについて、文献を引用している部分である。

 これらの離れた別の記載を意図的に結び付けて、特許出願人が、出願時に、トランス体のビタミンD構造を技術的範囲から意識的に除外したとする控訴人らの主張は、恣意的にすぎる。

・控訴人らは、訂正明細書中のSO付加により保護されたビタミンD構造についての記載を根拠に、意識的限定であると主張する。

 しかし、SOの保護基は、ビタミンD構造を酸化反応から保護するものであるが、訂正発明の反応においては酸化作用の反応は存在しないから、訂正発明の反応において用いられる保護基ではなく、一般的なビタミンD構造で用いられる保護基の例である。訂正明細書記載の二通りの保護基の図は、同一の構造であり、一方の図で十分であるが、両方の表記がなされていることから、これを出願人のトランス体に対する意識的除外を示すものとする控訴人らの主張は理解し難い。(後略)


 [控訴裁判所の判断]
@控訴裁判所は、均等論の要件の立証責任について次のように述べました。

 第1要件ないし第5要件の主張立証責任については、均等が、特許請求の範囲の記載を文言上解釈し得る範囲を超えて、これと実質的に同一なものとして容易に想到することのできるものと認定される範囲内で認められるべきものであることからすれば、かかる範囲内であるために要する事実である第1要件ないし第3要件については、対象製品等が特許発明と均等であると主張する者が主張立証責任を負うと解すべきであり、他方、対象製品等が上記均等の範囲内にあっても、均等の法理の適用が除外されるべき場合である第4要件及び第5要件については、対象製品等について均等の法理の適用を否定する者が主張立証責任を負うと解するのが相当である。

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A控訴裁判所は、均等論の第5要件について次の判断基準を述べました。

(a)特許発明の実質的価値は、特許請求の範囲に記載された構成からこれと実質的に同一なものとして当業者が容易に想到することのできる技術に及び、第三者はこれを予期すべきものであるから、対象製品等が、特許発明とその本質的部分、目的及び作用効果で同一であり、かつ、特許発明から当業者が容易に想到することができるものである場合には、原則として、対象製品等は特許発明と均等であるといえる。しかし、特許出願手続において出願人が特許請求の範囲から意識的に除外したなど、特許権者の側において一旦特許発明の技術的範囲に属しないことを承認するか、又は外形的にそのように解されるような行動をとったものについて、特許権者が後にこれと反する主張をすることは、禁反言の法理に照らし許されないから、このような特段の事情がある場合には、例外的に、均等が否定されることとなる(前記ボールスプライン事件最判参照)。

(b)この点、特許請求の範囲に記載された構成と実質的に同一なものとして、特許出願時に当業者が容易に想到することのできる特許請求の範囲外の他の構成があり、したがって、特許出願人も出願時に当該他の構成を容易に想到することができたとしても、そのことのみを理由として、特許出願人が特許請求の範囲に当該他の構成を記載しなかったことが第5要件における「特段の事情」に当たるものということはできない。

 なぜなら、

・上記のとおり、特許発明の実質的価値は、特許請求の範囲に記載された構成以外の構成であっても、特許請求の範囲に記載された構成からこれと実質的に同一なものとして当業者が容易に想到することのできる技術に及び、その理は、出願時に容易に想到することのできる技術であっても何ら変わりがないところ、出願時に容易に想到することができたことのみを理由として、一律に均等の主張を許さないこととすれば、特許発明の実質的価値の及ぶ範囲を、上記と異なるものとすることとなる。

・また、特許出願人は、その発明を明細書に記載してこれを一般に開示した上で、特許請求の範囲において、その排他的独占権の範囲を明示すべきものであることからすると、特許請求の範囲については、本来、特許法36条5項、同条6項1号のサポート要件及び同項2号の明確性要件等の要請を充たしながら、明細書に開示された発明の範囲内で、過不足なくこれを記載すべきである。

 しかし、先願主義の下においては、特許出願人は、限られた時間内に特許請求の範囲と明細書とを作成し、これを出願しなければならないことを考慮すれば、出願人に対して、限られた時間内に、将来予想されるあらゆる侵害態様を包含するような特許請求の範囲とこれをサポートする明細書を作成することを要求することは酷であると解される場合がある。これに対し、特許出願に係る明細書による発明の開示を受けた第三者は、当該特許の有効期間中に、特許発明の本質的部分を備えながら、その一部が特許請求の範囲の文言解釈に含まれないものを、特許請求の範囲と明細書等の記載から容易に想到することができることが少なくはないという状況がある。

 均等の法理は、特許発明の非本質的部分の置き換えによって特許権者による差止め等の権利行使を容易に免れるものとすると、社会一般の発明への意欲が減殺され、発明の保護、奨励を通じて産業の発達に寄与するという特許法の目的に反するのみならず、社会正義に反し、衡平の理念にもとる結果となるために認められるものであって、上記に述べた状況等に照らすと、特許出願時に特許請求の範囲外の他の構成を容易に想到することができたとしても、そのことだけを理由として一律に均等の法理の対象外とすることは相当ではない。

(c)もっとも、このような場合であっても、特許出願人が、出願時に、特許請求の範囲外の他の構成を、特許請求の範囲に記載された構成中の異なる部分に代替するものとして認識していたものと客観的、外形的にみて認められるとき、例えば、

特許出願人が明細書において当該他の構成による発明を記載しているとみることができるときや、

特許出願人が出願当時に公表した論文等で特許請求の範囲外の他の構成による発明を記載しているときには、

 特許出願人が特許請求の範囲に当該他の構成を記載しなかったことは、第5要件における「特段の事情」に当たるものといえる。

 なぜなら、上記のような場合には、特許権者の側において、特許請求の範囲を記載する際に、当該他の構成を特許請求の範囲から意識的に除外したもの、すなわち、当該他の構成が特許発明の技術的範囲に属しないことを承認したもの、又は外形的にそのように解されるような行動をとったものと理解することができ、そのような理解をする第三者の信頼は保護されるべきであるから、特許権者が後にこれに反して当該他の構成による対象製品等について均等の主張をすることは、禁反言の法理に照らして許されないからである。

zu

A控訴裁判所は、前記基準に照らして控訴人の主張について次のように判断しました。

(ア)控訴人らは、化学分野の発明では、特許請求の範囲が客観的かつ明瞭な表現で規定されており、第三者にはその範囲以外に権利が拡張されることはないとの信頼が生じるから、当該信頼は保護されるべきであると主張する。

 しかし、前記のとおり、均等による権利は、特許請求の範囲の文言上規定された範囲以外であっても、特許請求の範囲に記載された構成からこれと実質的に同一なものとして当業者が容易に想到することができる技術に及び、第三者はこれを予期すべきであり、禁反言の法理に照らし均等の主張が許されないのは、上記特段の事情がある場合に限られるのであって、化学分野の発明であることや、特許請求の範囲が文言上明確であることは、それ自体では「特段の事情」として均等の成立を否定する理由とはなり得ないから、控訴人らの主張は理由がない。

(イ)控訴人らは、訂正発明の特許出願人は、特許請求の範囲を記載するに際し、トランス体のビタミンD構造を対象としないことを明瞭かつ客観的に意識して出発物質を決定し、積極的にトランス体のビタミンD構造を除外するという意識的な選択をしたものであり、したがって、本件においては、ボールスプライン事件最判がいう「特許請求の範囲から意識的に除外されたものに当たるなどの特段の事情」があり、また、同判決が均等論を認める根拠として示す「あらゆる侵害態様を予測して明細書の特許請求の範囲を記載することは極めて困難」という、特許権者を特に保護すべき事情は存在しないなどと主張する。

 しかし、以下のとおり、訂正明細書中には、訂正発明の出発物質をトランス体のビタミンD構造とした発明を記載しているとみることができる記載はなく(訂正明細書中に、トランス体のビタミンD構造を出発物質とする発明の開示がされていないことは、争いがない。)、その他、特許出願人が、本件特許の出願時に、トランス体のビタミンD構造を、訂正発明の出発物質として、シス体のビタミンD構造に代替するものとして認識していたものと客観的、外形的にみて認めるに足りる証拠はないから、控訴人らの主張は理由がないというべきである。

 a 控訴人らは、二種類の幾何異性体の存在やトランス体のビタミンD構造を出発物質とする合成ルートは周知であったから、特許出願人が過誤でトランス体のビタミンD構造を出発物質とする合成ルートの存在に気が付かなかったということはないと主張する。

 しかし、訂正発明の特許出願人が、一般的にシス体の幾何異性体としてトランス体が存在することやトランス体のビタミンD構造を出発物質としてビタミンD誘導体の合成を行う方法があることを知っていたとしても、そのことだけをもって、特許出願人が、出願時に、訂正発明の出発物質に代替するものとしてトランス体のビタミンD構造を出発物質とすることを認識していたものと客観的、外形的にみて認められるということはできない。したがって、控訴人らの主張は理由がない。

 b 控訴人らは、訂正発明の特許請求の範囲は、化学結合を波線で「 zuH」と記載し(構成要件B−3)、Hの付け根の立体構造がR体とS体の立体異性体の双方を含むことを明示しているのに、ビタミンD構造の幾何異性体についてはシス体のみに限定して記載されているのであるから、トランス体を対象としないことを明瞭かつ意識的に限定していると主張する。

 しかし、R体−S体の立体異性(鏡像異性)とシス体−トランス体の立体異性(幾何異性)とは性質が異なるものであり、訂正明細書においてR体とS体の区別を前提とする記載があるからといって、特許出願人が訂正発明の出発物質に代替するものとしてトランス体のビタミンD構造を認識していたものと客観的、外形的にみて認められるとはいえず、特許請求の範囲を意識的に限定したとは認められない。したがって、控訴人らの主張は理由がない。

zu

 c 控訴人らは、訂正明細書中に、シス体の出発物質にSOが付加した直後の構造式と、トランス体の出発物質にSOが付加した直後の構造式を表現する二つの構造式が記載され、トランス体の出発物質を想定した記載が存在するのに、特許請求の範囲ではシス体の出発物質に限定しているのであるから、この点でも、出発物質の意識的限定は明らかであると主張する。

 しかし、訂正発明の「Z」は、請求項13において、「1以上の保護又は未保護の置換基および/または1以上の保護基を所望により有していてもよ(い)」ものと明記されているのであり、控訴人らが指摘する訂正明細書中の二つの構造式(前記(3)イ(イ)b)は、いずれも、このような保護基が付された形態の「Z」の例として、保護基としてSOが付加されているビタミンD構造を示すものにすぎず、SOが付加される前の化合物が記載されているものではない。そして、ビタミンD構造にSOが付加された化合物は、ビタミンD構造の二重結合が失われて回転障害がなくなり、幾何異性体ではなくなるから、上記二つの構造式自体はシス体・トランス体の区別がないものである。そうすると、このような保護基が付された形態の「Z」の例が記載されていることによって、特許出願人が訂正発明の出発物質に代替するものとしてトランス体のビタミンD構造を認識していたものと客観的、外形的にみて認めるには足りず、特許請求の範囲の出発物質を意識的に限定したものとはいえない。したがって、控訴人らの主張は理由がない。

 d 控訴人らは、訂正明細書の41欄には、出発物質として、シス体のビタミンD構造のほかに、トランス体のビタミンD構造を記載した二つの国際公開公報が記載されているのに、訂正明細書の37欄では、二種類存する基本骨格からシス体を「特に」限定し、特許請求の範囲でもシス体のみが記載されているのであるから、訂正明細書上トランス体のビタミンD構造は意識的に除外されていると主張する。

 訂正明細書の41欄には、訂正発明における中間体に当たる化合物の製造の際に出発化合物として使用することができる公知化合物の例示として、「日本特許公開公報昭和61−267550号(1986年11月27日発行)および国際特許公開公報WO90−09991(1990年9月7日)およびWO90/09992(1990年9月7日)に記載された所望により水酸基が保護されている9、10−セコ−5、7、10(19)−プレグナトリエン−1α、3β、20β−トリオール」との記載がある。しかし、「9、10−セコ−5、7、10(19)−プレグナトリエン−1α、3β、20β−トリオール」との記載は、ビタミンD構造をシス体ともトランス体とも限定しない一般的な表記であり、上記41欄の記載は、トランス体のビタミンD構造を出発物質とする発明を記載しているものではない。そして、引用された個々の公報の中においては、それぞれの公報記載の発明に係る製造方法の過程においてビタミンD構造のシス体の構造式又はトランス体の構造式が記載されているものの、訂正明細書においては、これらの文献は「9、10−セコ−5、7、10(19)−プレグナトリエン−1α、3β、20β−トリオール」を記載したものとして引用されているのみである。

 また、控訴人らが指摘する訂正明細書の37欄は、特許請求の範囲の記載と同じ内容を特定して記載しているものであり、出発物質等の「Z」としてトランス体のビタミンD構造を明示しているものではない。

 そして、訂正明細書には、他に、トランス体をシス体へと転換する工程の記載など、トランス体のビタミンD構造についての言及は一切なく、トランス体を出発物質とする製造方法に係る発明についての記載はない。

 そうすると、上記各訂正明細書の記載をもって、訂正明細書中に、訂正発明の出発物質をトランス体のビタミンD構造とする発明が記載されているとみることはできないし、これをもって、特許出願人が、出願時に、トランス体のビタミンD構造を訂正発明の出発物質に代替するものとして認識していたものと客観的、外形的にみて認めるには足りず、トランス体のビタミンD構造が特許請求の範囲から意識的に除外されていたものとは認められない。したがって、控訴人らの主張は理由がない。

e 控訴人らは、訂正明細書にはステロイド環構造を出発物質とする実施例しか記載がないのに、特許請求の範囲では、シス体のビタミンD構造を出発物質とするものにまで発明が一般化されて拡張されており、このような明細書に接すれば、第三者は、特許請求の範囲に記載されなかった構成については除外されたものと認識すると主張する。しかし、特許請求の範囲の記載は、明細書によりサポートされている必要はあるが、実施例に記載された発明の範囲と一致する必要はない。実施例に示された内容よりも一般化された内容の発明が特許請求の範囲に記載されていることは、一般的に行われていることであって、このことのみをもって、特許出願人が、特許請求の範囲に記載されている出発物質以外のものを、当該出発物質に代替するものとして認識していたものと客観的、外形的にみて認められる根拠となるものではなく、特許請求の範囲を意識的に限定したなどの特段の事情があるものとはいえない。したがって、控訴人らの主張は理由がない。

 f 控訴人らは、特許出願人が、出発物質のZとしてトランス体のビタミンD構造を含めることに何らの困難もなかったと主張する。しかし、特許出願時に、特許請求の範囲に記載された構成と実質的に同一なものとして、特許請求の範囲外の他の構成を容易に想到することができる場合であっても、そのことのみでは、当該他の構成を意識的に除外したなどの特段の事情があるとはいえない。したがって、控訴人らの主張は理由がない。

 g 控訴人らは、訂正発明はトランス体のビタミンD構造を発明の対象とすると工程短縮の効果を主張して特許査定を受けられなかった可能性が高く、そのため、出願人はシス体のみを出発物質としたものと考えられるなどと主張する。しかし、訂正発明の作用効果が工程数の短縮にあるとは認められず、かえって、訂正発明の本質的部分はエーテル結合及びエポキシ基を1工程で導入することと認められ、シス体であることは本質的部分に何ら関わるものではないことからすれば、被控訴人が控訴人らの主張する作用効果を意識して、訂正発明の出発物質から意図的にトランス体を除外したものと認めることはできない。したがって、控訴人らの主張は理由がない。

h 以上によれば、本件においては、特許出願人が訂正明細書において訂正発明の出発物質をトランス体のビタミンD構造とする発明を記載しているとみることはできず、特許出願人が出願時に訂正発明の出発物質に代替するものとしてトランス体のビタミンD構造を認識していたものと客観的、外形的にみて認められないから、特許出願人が特許請求の範囲に「Z」をトランス体のビタミンD構造とする構成を記載しなかったことが、第5要件における「特段の事情」に当たるものということはできない。


 [コメント]
(a)特許発明の構成の一部を他の要素に置き換えた物・方法に均等論が適用されるためには、当該一部が本質的な部分ではなく、置換が可能であり、かつ容易であることが条件となりますが(均等論の積極的要件)、特許出願の時点において容易の程度が顕著であるときには、逆に当該他の要素を意識して除外したのではないかと言う疑念を生じます。

 例えば“前”と“後”、“右”と“左”、そして本事案の“シス体”と“トランス体”のように一方に着目したときに、他方を自然に想起するようなものです。しかしながら、意識的に除外した疑問があるというだけで一律に均等論の第5要件に言う“特別の事情”に該当するものとすると、判例上で認められた均等の範囲(特許発明と実施的に同じ価値を有するものの範囲)を、異なるものとすることになり、不合理です。

 特許出願をする時点でそうした意識的な除外と誤解され得る記載が請求項に含まれないように十分な検討時間があれば別ですが、先願主義の下では、特許出願を急ぐあまり、そうした不用意な限定が紛れ込む可能性があります。

 本件の特許出願人が請求の範囲の記載がまさにそうであり、ビタミンDの構成を示す図表にシス体の構成要素が描かれていたのです。

 本来ならば、シス体を含む図表とトランス体を含む図表とを選択可能に併記しておけば良いのですが、請求項が多数であり、かつ米国特許出願日からの優先期間の間際に出願が行われたなどの事情を考慮すると、準備が行き届かなかった可能性があります。

 これに対して、訴訟の相手方には特許発明の本質部分を備えながらその一部が請求の範囲に含まれないものを容易に想到することができる場合に少ないので、“請求の範囲外の他の構成を記載していないことのみを以て”一律に均等論の適用を否定するかことは適当ではない、と裁判所は結論しました。

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(b)なお、裁判所は、特許出願人が“請求の範囲外の他の構成”を明細書に記載していた“みる”ことができる場合には、均等論の第5要件の“特別の事情”に当たると言えると判示しています。

 本判決で興味深いのは、明細書に記載していた“みる”ことできるかどうかに関して、具体的な判断をしていることです。

 すなわち、ビタミンDの構造にSOを付加するという工程の説明で、シス体に付加した直後の構成と推察し得る図面と、トランス体に付加した直後の構成と推察し得る図面とを明細書に併記していたのです。

 しかしながら、裁判所は、これを「明細書に記載していた“みる”ことできる」とは言えないと判断しました。

 私見によれば、

・“トランス体にSOを付加した直後の構成と推察し得る”というのと、

・“シス体とトランス体という2種類しかない概念のうちの一方しか請求の範囲に記載しなかったのだから、他方を請求の範囲から除外したものと推察し得る。”と、

 とでは五十歩百歩であると思います。

 裁判所としては、特許出願人が請求の範囲からトランス体の構造を除外する意思があったことが外形上明確であるということを証明して欲しいのであり、立証の程度がそのレベルに達していなかったのでしょう。

(d)本件発明のもう一つの注目点は、“特許出願人が、出願時に、特許請求の範囲外の他の構成を、特許請求の範囲に記載された構成中の異なる部分に代替するものとして認識していたものと客観的、外形的にみて認められるとき、

・例えば、特許出願人が明細書において当該他の構成による発明を記載しているとみることができるときや、

・特許出願人が出願当時に公表した論文等で特許請求の範囲外の他の構成による発明を記載しているときには、出願人が特許請求の範囲に当該他の構成を記載しなかったこと

 は、第5要件の「特段の事情」に当たるものといえる。”と判示していることです。

 ちなみに、本判決では、控訴人は本件特許出願の優先日前に“ビタミンDの構造の側鎖にエーテル結合及びエポキシ基を一工程で導入すること”が知られていたことを、論文などにより立証しようと試みますが、裁判所は、“一工程でマキサカルシトールの側鎖を有するビタミンD誘導体を製造する方法が具体的に開示されていたと認めることはできない。”と判示しています。

(e)米国では、特許出願の“written discription”(明細書)に記載しながらclaims(請求の範囲)に記載されていなかった事柄は公衆の利用に供したもの(dedicated)であり、均等論によっても救済できないと解釈するというDecidationの法理が判例上存在します(→Decidationの法理とは)。

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