内容 |
@証明力の内容
自由心証主義の下では証拠の証明力の評価は裁判官の自由な心証に委ねられていますが、その判断にはある程度の論理則や経験則に従って判断することが必要です。特許出願の新規性・進歩性のような特許要件、或いは特許侵害の成否に関する事実認定も例外ではありません。特に進歩性の規定中の「容易に」の要件は抽象的な事柄に関する評価なので判断が難しいのです。2次的な事情(経済的な成功や長期間の不実施)にも光を当てて進歩性の有無を検討するべきという考え方もありますが、前記要件をを考察して進歩性を認めるべきと判断された事例がありますが、これらの事情は「容易に」発明できなかったことを推認させる事実に過ぎないため(→間接事実とは)、そうした証拠の証明力をどう評価するのかは裁判官の心証に委ねられています。
A〔事例1〕
事件番号:平成11年(行ケ)第430号 事件の種類:拒絶審決取消訴訟
事件の論点:進歩性の有無(要望されていながら長期間不実施だった事実) 本件発明の名称:「製紙機フェルト」
〔事件の経緯〕
原告は、1989年4月24日にイギリス国にした国際出願(PCT/GB90/00623)に基づく優先権を主張して、平成2年4月23日、発明の名称を「製紙機フェルト」とする発明について特許出願をしたが(以下「本願出願」といい、その発明を「本願発明」という。)、拒絶査定を受けたので、平成7年10月17日、これに対する不服の審判の請求をした。特許庁は、これを平成7年審判第22577号事件として審理した結果、平成11年7月22日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、同年9月1日、その謄本を原告に送達した。
〔本件特許出願の内容〕
「製紙機の形成部,プレス部または乾燥部で使用する製紙機用布であって,繊維構造を有するものにおいて,前記繊維構造の繊維が主に,テレフタル酸,1,4−ジメチロールシクロヘキサンおよびイソフタル酸のコポリマーであるポリエステル材料の構成からなり,ポリエステル材料がポリエチレンテレフタレートを含有してなる布に比べて長い寿命を示し,かつ,前記繊維が260℃よりも高い融点を有していることを特徴とする製紙機用布。」
[本件特許出願の審決の理由]
本願発明1は、昭和46年5月20日丸善株式会社発行「化学繊維V」(73頁ないし112頁)(以下「引用刊行物1」という。)に記載された技術(以下「引用発明1」という。)及び特開昭58−23915号公報(以下「引用刊行物2」という。)に記載された技術(以下「引用発明2」という。)に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法29条2項に該当し、特許を受けることができない、そして、その余の各発明については、特許法49条1項1号の規定により拒絶されるべきである、とするものである。
[本件特許出願の発明と引用発明との相違点]
(イ)テレフタル酸、1、4−ジメチロールシクロヘキサンおよびイソフタル酸のコポリマーであるポリエステル材料からなる繊維が、本願発明1においては、製紙機の形成部、プレス部または乾燥部で使用する製紙機用布であって、繊維構造を有するものに用いられるのに対して、引用発明1においては、布に用いられる点
(ロ)布の寿命が、本願発明1においては、ポリエチレンテレフタレートを含有して成る布に比べて長いのに対して、引用発明1においてはこの点が明確でない点
(ハ)上記繊維が、本願発明1においては、260℃よりも高い融点を有するものであるのに対して、引用発明1においては、この点が明確でない点
〔原告(特許出願人)の主張〕
(a)PPSモノフィラメントにせよ、PCHDT繊維にせよ、その引張り強度が不十分であれば、その耐加水分解性を考慮するまでもなく、その繊維を製紙機用布に織り込むには適さないのである。
(b)当業者が、PCHDT繊維についても製紙機用布に織り込むことが不適当であると認識していたことは、PCHDTの構造、物理的及び化学的性質が、ドイツ特許第1,222,205号により1966年8月4日に公告されてから本願特許出願の優先権主張日である1990年(平成2年)4月23日に到るまで約24年を経過し、また、引用刊行物1が1971年(昭和46年)5月20日に発行されてから本願特許出願の優先権主張日に到るまで約19年を経過しているにもかかわらず、このように長い期間、PCHDT材料の製紙機用織物への適用が実用化されてこなかったことからも裏付けられる。
〔裁判所の判断〕
(イ)原告は、当業者が、PCHDT繊維について製紙機用布に織り込むことが不適当であると認識していたことは、PCHDTの構造、物理的及び化学的性質が、ドイツ特許第1、222、205号により1966年8月4日に公告されてから本願特許出願の優先権主張日である1990年(平成2年)4月23日に到るまで約24年を経過し、また、引用刊行物1が1971年(昭和46年)5月20日に発行されてから本願特許出願の優先権主張日に到るまで約19年を経過しているにもかかわらず、このように長い期間、PCHDT材料の製紙機用織物への適用が実用化されてこなかったことからも裏付けられる旨主張する。
(ロ)しかしながら、仮に、長期間、PCHDT材料の製紙機用織物への適用が実用化されてこなかったことが事実であるとしても、そのことは、それだけでは、当業者がPCHDT繊維について製紙機用布に織り込むことが不適当であると認識していたことに結び付くものではない。実用化するか否かを決める要因には種々のものがあり得ることが明らかであるから、長期間、実用化されていないという事実自体が有する証明力にはおのずから限界があるものという以外にないからである。
〔コメント〕
(a)要望がありながら長期間不実施であった事実は、例えば米国特許出願の実務で非自明性(進歩性)の根拠の一つとして採用される事例がありますが、通常は進歩性の存在を推認させる別の証拠と組み合わされて特許に至ることが多いのです。
(b)例えば“△△をすると□□の不都合を生ずると我々の業界では信じられていた。だから誰も実施しなかった。”というような専門家の証言があるような場合です。
(c)本件の場合には、そこまで裁判官の心証に響くものがなかったということでしょう。特許出願人は“引張り強度が不十分”という議論の裏付けとして“不実施”の事実を利用しようとしていますが、これは特許出願人の意見であり、第三者の証言と比較すると裁判官に与える心証の程度は低いと考えられます。
→証明力のケーススタディ(肯定的に判断された例)
|