[事件の概要] |
@本件特許出願の概要 Sernakerは、“刺繍された転写物及び作製方法”と称する発明について特許出願を行い、自明性(進歩性の欠如)を理由として審査官に特許出願を拒絶されました。そして審判部も拒絶を支持する決定をしたため、決定の取り消しを求めて、本件訴訟に至りました。 (請求容認) A本件特許出願の請求の範囲は次の通りです。 〔請求項1〕 刺繍された転写物或いはエンブレムを作成する方法であって、 あるサブストレート(基材)の一部に、油っ気のない単色の糸(thread)を用いて一定のパターンを形成し、そのパターンの一部が当該パターンの他の部分より厚くなるように糸の量を調整して彫像する(sculptured)段階と、 当該パターン及び関係するサブストレート部分を残りのサブストレート部分から分離する段階と、 加熱により加圧ないし真空状態で昇華可能な2以上の異なる色の染料のついた転写プリント付き紙を提供する段階と、 当該プリントの一部を、前述のパターンのうちの対応する部分(mating portion)にレジストする(registering)段階と(※1)、 染料を昇華させるのに十分な熱を加えることにより、当該プリントから前記パターンの反った面(warp side)へ前記色をガス化して転写する段階と を含むことを特徴とする刺繍された転写物或いはエンブレムを作成する方法。 (※1)…“regist”には印刷分野で“多色刷りの各色版をずれないようにそろえる”などの意味があります。裁判所は、特許出願人が“register”或いは“in registry”という言葉を○○に対応して(in corresponding)置く、置かれた状態にある、という意味につかっていると認定しています。 〔本件特許出願の発明〕 10…サブストレート 12…パターン 16…盛り上げ領域 18…プリント B本件特許出願の明細書には次の記載があります。 “刺繍された転写物(embroidered transfer)は、通常は色彩の異なる複数の糸をサブストレートの上に縫い付けることで製造される。糸の色彩を変える度に製造装置を停止しなければならない。停止時間は通常45分程度である。沢山の色(例えば5〜6色)を使った刺繍転写物を作製するときには、装置の停止時間は通算で何時間にもなる。(中略) 紙から樹脂へプリントする技術は既知である(米国特許第2、911、280号、同第3、868、214号参照)。(中略)しかしいずれの特許もパターンの一部がsculpture(盛り上げられる、或いは彫像される)ような態様で糸を用いて生地に刺繍しかつプリントするという本発明の利益及び予期しない効果を開示していない。 この発明の目的は、彫像効果を有する複数色の刺繍されたパターンであって、当該パターンが生き生きと輪郭を描かれ、かつ従来の刺繍転写物に比較して高価でないものを提供することである。 この発明の他の目的は、製造装置の停止時間を短く、作業員の員数を少なくすることが可能な複数色の刺繍されたパターンを提供することである。 C裁判所は、特許出願人の発明について次のように述べています。 (A)記録によれば、審判部(board)は特許出願人のエンブレムに関して非常に魅力的であると評価している。 (B)本件特許出願の発明の作用は、異なる色の複数の糸を使用した刺繍と類似した物が得られることがである。 (C)本件特許出願の発明の効果は、刺繍をする者が異なる色の糸を使う必要性を解消することである。(中略)従来は、単色の糸しか扱えない自動刺しゅう織機(schiffli)を使用していたため、色の変更に時間を要したのである。 D本件特許出願の先行技術 (A)審判部が用いた先行技術は次の通りです。 (イ)米国特許第3、657,060号(引用文献1) (ロ)米国特許第3、974、010号(引用文献2) (ハ)米国特許第4、092、451号(引用文献3) (ニ)英国特許第1、243、223号(引用文献4) (ホ)Miles, L.W.C., Journal of the Society of Dyers and Colorists, May 1977, pages 161-163.(引用文献5) (ヘ)Vellins, British Knitting Industry, Vol. 46, No. 524, January 1973, pages 45, 46, 48, 50, 53, 55, 57, 59, 63, 65, 67, and 69.(引用文献6) (ト)The Butterick Fabric Handbook, Published by Butterick Publishing, A Division of American Can Company, New York, New York, 1975, pages 99, 100, 119-121, and 142. (引用文献7) (B)引用文献4は、転写プリントの方法に関する。この方法は、繊維の種類を問わず全ての布製品(textiles article)に使用することができ、さらに布以外の製品にも使用できる。 具体的には適用対象を次のように説明している。 「Fleeces(羊毛)or webs of non-woven fibers(不織布積層体), textile threads, woven webs, knitted material, lace, spongy material in sheet form or already shaped, or even made up articles of clothing.」 引用文献4は、転写プリントの対象として刺繍製品を挙げていない。しかしながら、この文献は、多色のデザインが布製品に転写できることを開示している。 「色の異なる複数の染料が(転写プリントの)同じサポートに適用されてよい。布製品へ転写するべきデザインを形成するために、それらの染料は予め混合しておいてもよく、別々に分配しても構わない。」 (C)引用文献5は、転写プリントがポリエステル製のものやカーペットタイルなどさまざまなサブストレートに適用可能であることを示している。 同文献は、転写紙から繊維へデザインを転写するときに完全な接触は必要ないと述べている。何故なら染料は転写の際にガスの状態になるからである。 引用文献5は、その技術の適用対象として刺繍のことに気付いているが、刺繍されていない箇所に転写を行うという意味で言及しているに過ぎない。 引用文献5は、刺繍そのものに転写プリントを行うことを教示していない。 (D)引用文献6は、様々な布製のサブストレートに転写プリントを行うことを開示しているだけでなく、潤滑油(lubricating oil)などを含むポリエステル製のサブストレートに転写することの有害な効果に言及している。 (E)その他の引用文献は、転写プリントそのものよりも刺繍に関する様々な技術及び刺繍のエンブレムの製造方法を開示している。 E本件特許出願に対する拒絶審決の内容は次の通りです。 (A)審査官は、本件特許出願のクレーム1、4〜6、9〜11が引用文献5〜7を参照として引用文献4に基づいて自明であるとして拒絶し、この決定は、審判部により支持された。 (B)また審査官は、本件特許出願のクレーム2〜3、8を同じ引用文献及び引用文献1〜3より自明であるとして拒絶し、この決定も審判部により支持された。 (C)審判部は、特許出願人の発明は、基本的に公知の2つの技術、すなわち、 (1)多色のデザインを紙のストリップから布を含む様々な種類のサブストレートへ転写する技術、及び、(2)異なる色の意図をサブストレートに縫うことにより刺繍された転写物又はエンブレムを作る技術 の組み合わせであるという立場をとった。 (D)審判部は、特許出願人が前記2つの技術が公知であることを確認した後、特許出願人が2つの技術を組み合わせて新しい製品を作製する方法の特徴が次の点にあると認定した。 “サブストレートを単色又は白色の糸で縫った後に転写プリントによりデザインの形に染色されること” (E)審判部は、引用文献を分析する際に、各引用文献が転写プリント或いはエンブレムの製作に関して特許出願人のクレームのさまざまな観点を取り扱った。そして特許出願人のアピールの論点を次のようにまとめた。 “前述の引用文献に接した当業者にとって、刺繍されたエンブレムに色を付けるために転写技術を適用することは容易か。” (F)審判部は、この問いに対して下記の理由により肯定的に回答しました。 (イ)我々は、引用文献を参照して、染色転写技術は殆ど如何なるタイプのサブストレート、例えば比較的滑らかな布からカーペットのように比較的粗い材料或いはアルミニウムに至るまで適用可能であると教示されていることを認識した。 (ロ)刺繍された布製品を作製することは公知であり、引用文献7が示すように白地に白糸で刺繍することも公知である。 (ハ)当業者は、サブストレートの表面が粗いか滑らかであるかに関わらず、特許出願人が古いと認識している従来の転写技術をパターンの転写に利用できると考えるであろう、と我々は信ずる。 (ニ)特許出願人の刺繍されたエンブレムは大変魅力的ではあるものの、我々は、特許出願人のプロセスは引用文献から公知であり、単に予期せぬ魅力的な効果を発揮するに過ぎないと考える。 (ホ)また我々は、クレームは一般的な性質のものであり、特許出願の開示中の特定の例に限定して判断をしてはならない。我々は、特許出願人のクレームと引用文献に開示された物とを比較しなければならない。 (ト)そうすると、我々は、特許出願人がクレームした方法及びその結果物は当業者にとって自明であったと判断せざるを得ない。 |
[裁判所の判断] |
@裁判所は、進歩性(非自明性)の判断基準に関して次のように説明しました。 (A)当裁判所は、全ての先行技術が相互に関連し合い、共通の技術分野に関連しているものであることを認める。従って、法上の想像人物である当業者がこれらの技術になじみがあるものと判断しなければならない。 (B)次の質問は、 (a)全部または一部の先行技術の組み合わせが、本件特許出願の発明の態様による組み合わせで改良を実現する可能性を明示的又は開示的に程度しているかどうか、 (b)或いは、特許出願人がクレームした発明は、先行技術が明示的或いは暗示的に示唆したことの組み合わせ以上の何かを達成しているかどうか、 である。 (C)これらのテストは、下記の先例から導かれたものである。 まず審判部の決定を覆した先例として次のものがある。 (イ)In re Rinehart, 531 F.2d 1048, 189 U.S.P.Q. 143 (Cust. & Pat.App.1976). (ロ)In re Imperato, 486 F.2d 585, 179 U.S.P.Q. 730 (Cust. & Pat.App.1973). (ハ)In re Adams, 356 F.2d 998, 53 Cust. & Pat.App. 996, 148 U.S.P.Q. 742 (Cust. & Pat.App.1966). 他方、審判部の決定を肯定した先例として次のものがある。 (ニ)In re McLaughlin, 443 F.2d 1392, 170 U.S.P.Q. 209 (Cust. & Pat.App.1971). (ホ)In re Conrad, 439 F.2d 201, 169 U.S.P.Q. 170 (Cust. & Pat.App.1971). (ヘ)In re Sheckler, 438 F.2d 999, 168 U.S.P.Q. 716 (Cust. & Pat.App.1971). A裁判所は、前記の基準を本件特許出願人に次のように当て嵌めました。 (A)審判部は、本件特許出願の内容に関して刺繍とサブストレートとを混同し、特許出願人がプリント技術を単に滑らかな面の代わりに粗い面に適用したものと解釈するという過ちを犯した。 (イ)すなわち、審判部は、プリント及びサブストレートを発明要素とする先行技術に、特許出願人の発明を対比させた。 (ロ)しかしながら、実際には特許出願人のクレーム1、10の発明には何れも3つの要素が存在する。 (ロ)そして刺繍は、プリントとサブストレートとの間に存在するのである。 (ハ)(特許出願人の発明においては)プリントは全て刺繍に適用されるのであって、サブストレートに適用されるのではない。 (ニ)彫像されたパターンは、デザイナーの意図の通りに都合よくプリントの色を遮断する。そしてプリントとパターン(刺繍)とは、互いに適合する(conform)ようにレジストされる(registered)。そして、両者は対応する(mate)。※2 ※2…特許出願人のクレーム中の「プリントの一部を、前述のパターンのうちの対応する部分に配置する」という要件に基づく解釈です。 (B)審判部は、何れかの先行技術文献が3つの要素を前述の対応で組み合わせることを、明示的或いは暗示的に示唆していると指摘していない。 (イ)引用文献4は、引用文献5〜6と同様に、サブストレートに転写プリントを適用することを一般的に教示しているに過ぎない。他の引用文献は転写プリントのことを教示していない。 当業者が発明時(※3)に全ての先行技術の組み合わせを考えるときに、彼が他の何を発見するのかを我々は知覚できない。 先行技術が示唆しているのはせいぜい表面の粗いサブストレートに転写プリントを適用することである。 前述の“対応”及び“レジスター”に関しては先行技術のどこにも開示されておらず、所要の結果を実現するために特許出願人がどうアプローチすればよいかも開示されていない。 どの先行技術もサブストレートにプリントせずに、一定のパターンに彫像された刺繍をプリントと対応させレジストするために提供することを開示していない。 (C)引用文献4は、レース地に転写プリントをすることを開示しているが、この特許は、転写プリントとレースのサブストレートとの間に挿入されたパターンを使用し、転写プリントと対応させることを想定していない。 (イ)もちろん、レース地自体は固有のパターンを有しているのであろうが、英国特許はそのことに言及しておらず、転写プリントをレース地に対応させることに関してヒントすら示していない。 (ロ)明示の、或いは暗示の示唆も無しに、我々は、当業者が転写プリントを前記パターンに対応させることを自明であると認めることができない。さらにまたレース中の前記固有のパターンはレースのサブストレートと転写プリントとの間に挿入することができない。何故ならばそのパターンはレースのサブストレートの重要部分(parts and parcel)だからである。、るように、レースを再度刺繍することはできるであろうが、刺繍の上の再度の刺繍は、パターンをはじめから描くことはできない。単にレースのパターンの輪郭をなぞるだけである。 (D)前述のテスト(a)及び(b)に対する答えは何れも同じである。テスト(b)で言えば、これらの先行技術を単に組み合わせようとする当業者は、特許出願人の発明の予期せぬ効果に関する何の言及も示唆も得られないであろう。審判部は、先行技術を組み合わせることで如何に本件特許出願の発明の構成に至るのかを説明していない。 B裁判所は前記の判断を正当化するために、過去の判例に言及しました。 (a)In re SHECKLERの事件は、先行技術の組み合わせが特許出願人の発明の効果を予期可能な事例として紹介される。この事例では、先行技術は、発明特定事項を明示的に開示する必要がなく、特許出願人の発明の変化や改良を示唆する必要もないことが判示された。 (b)In re Imperatoの事件は、先行技術の組み合わせが特許出願人の発明の効果を予期不可能な事例として紹介される。この事例の教訓は、複数の先行技術の組み合わせにより達成される何等かの効果を各先行技術が開示していない限り、先行技術の組み合わせは特許出願人の発明の効果を否定するものでないということである。 Cさらに裁判所は、本件特許出願に関して2次的考察を行いました。 (a)商業的成功などの2次的考察事項に関して特許出願人が証拠を以て十分に証明したときには、審判部は常にこれらの証拠を証明しなければならない。 (b)さらに特許出願人が提出した証拠は、これらの商業的成功の理由として特許出願人の多色の刺繍エンブレムが先行技術による刺繍エンブレムより相当に安価であることを示している。 (c)審判部が採用した引用文献が、(特許出願人が創作したアイディアの達成に)長らく利用されなかったのは事実である。 (d)従って特許出願人の発明はこの業界で長らく要望されていたものと認められる。 |
[コメント] |
@我国の進歩性審査基準では、進歩性を否定する論理付けの一つとして引用文献中の発明の示唆を挙げていますが、示唆の程度に関する詳しい解説はありません。 A他方、米国特許出願に関する裁判では、自明性(進歩性を有しないこと)の根拠となる先行技術文献中の示唆/開示は、直接的なもの或いは暗示的なもの(expressly or by implication)の何れでも構わないという判例が存在します。 A“暗示的な”示唆とはどの程度の範囲をいうのかを考える教材として本事例を紹介します。 審判部は、転写プリントを(サブストレートの)被転写面に適用するときに、滑らかな面に代えて粗い面に適用することは容易であるから、サブストレートの刺繍箇所に転写プリントに色を付ける本件特許出願の発明に至ることは容易であると判断しました。 しかしながら、裁判所は審判部の判断はサブストレートと刺繍とを(混同しているものだとして退けました。 換言すれば、転写技術をカーペット等の表面が粗いサブストレートに適用する技術が刊行物に記載されていても、サブストレートの上に設置された凹凸状の構造(刺繍)に“対応させて”或いはレジスト(位置を揃える)した態様で転写技術を適用することに関しては明示的にも暗示的にも示唆していることにならないということです。 Bサブストレート自体の粗面(凹凸面)とサブストレートに設けられた凹凸状の構造物−刺繍−との相違は正直に言ってそれほど大きいとは思えませんが、前述の“対応”や“レジスト”という要素が加わってくると話は別です。 C本件特許出願では、予期せぬ発明の効果及び商業的成功などの2次的考察が裁判所の判断に大きな影響を与えていたものと考えられます。 →2次的考察 単色の糸でサブストレートの上に形成した刺繍に転写プリント技術で複数の色を後付けするというアイディアが当業者に容易に思いつくものであり、当該アイディアにより、色彩の異なる糸でサブストレートに縫うという従来の技法による多色の刺繍と類似の構造が実現することができるのであれば、抜け目のない誰かがそれを商品化していたことでしょう。そうでないなら、そのアイディアは自明ではなかったと考えるのが自然です。 そうすると、サブストレートと刺繍との相違を棚上げして、“転写技術を滑らかな面の代わりに粗い面に適用するのは自明”とするのは後知恵的な分析手法であったと考えます。 D我国の進歩性審査基準でも“商業的成功…は、進歩性の存在を肯定的に推認するのに役立つ事実として参酌することができる。”とされています。前述の後知恵的な分析を排除するのに必要だからです。 |
[特記事項] |
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