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●平成6年(ネ)第3790号(債権不存在確認訴訟/容認)


平成6年(ネ)第3790号/特許出願/禁反言/分割出願/キルビー判決控訴審
(キルビー判決・控訴審)

 [事件の概要]
@本件の特許出願及び権利化後の経緯は、次の通りです。

(a)原告は、各種の半導体装置及び電子機器等の製造販売を業としている会社である。

(b)被告は、アメリカ合衆国デラウエア州法に基づき設立され、肩書地に主たる事務所を有して、各種の半導体装置の製造販売を業としている会社である。

(c)被告は、下記の経緯で取得した特許権(以下「本件特許権」という)を有する。その発明を「本件発明」という。

 被告は、半導体装置と称する発明に関して、

 (昭和三四年)二月六日に米国特許出願U(第七九一六〇二号)を行い、

 昭和三五年二月六日にUに基づく優先権を主張して原々出願である特許出願N1(特願昭三五―三七四五号を行い、

 昭和三九年一月三〇日にN1を分割して原出願である特許出願N2(特願昭三九―四六八九号を行い、

 さらにN2を分割して特許出願N3(特願昭四六−一〇三二八〇号)を行い、

 平成元年一〇月三〇日に本件特許(第三二〇二七五号)を取得した。

(d)原告は、業として2種類の半導体装置(以下「イ号物件」及び「ロ号物件」という。)を製造し、使用し、販売していたが、これに対して原告が本件特許発明の技術的範囲に属するとして実施料の支払いを求めたため、債権不存在確認訴訟を提起した。

 裁判所が原告の主張を認めたため、被告が控訴した。

 なお、特許出願N2に関しては、拒絶審決を維持した東京高裁昭和五五年(行ケ)第五四号審決取消訴訟の昭和五九年四月二六日判決の確定により、拒絶査定が確定している。

 さらに詳しい経緯に関しては、 平成3年(ワ)第9782号を参照して下さい。

A本件特許発明の内容は次の通りです。

「複数の回路素子を含み主要な表面及び裏面を有する単一の半導体薄板と;

 上記回路素子のうち上記薄板の外部に接続が必要とされる回路素子に対し電気的に接続された複数の引出線と;

 を有する電子回路用の半導体装置において、

 (a) 上記の複数の回路素子は、上記薄板の種々の区域に互に距離的に離間して形成されており、

 (b) 上記の複数の回路素子は、上記薄板の上記主要な表面に終る接合により画定されている薄い領域をそれぞれ少くともひとつ含み;

 (c) 不活性絶縁物質とその上に被着された複数の回路接続用導電物質とが、上記薄い領域の形成されている上記主要な表面の上に形成されており;

 (d) 上記互に距離的に離間した複数の回路素子中の選ばれた薄い領域が、上記不活性絶縁物質上の複数の上記回路接続用導電物質によつて電気的に接続され、上記電子回路を達成する為に上記複数の回路素子の間に必要なる電気回路接続がなされており;

 (e) 上記電子回路が、上記複数の回路素子及び上記不活性絶縁物質上の上記回路接続用導電物質によつて本質的に平面状に配置されている;

 ことを特徴とする半導体装置。」

B控訴人の予備的請求の要旨は次の通りです(→予備的請求とは)。

・本件発明の要件(a)の回路素子(中の選ばれた薄い領域)間の「距離的に離間」は、物理的離間を意味し、この物理的離間は、不活性絶縁物質上の回路接続用導電物質による電気的接続のための前提条件である。

・「距離的に離間」という語は、要件(a)のみならず、要件(d)においても用いられている。要件(d)をみると、「上記互に距離的に離間した複数の回路素子中の選ばれた薄い領域が」に続き「上記不活性絶縁物質上の複数の上記回路接続用導電物質によつて電気的に接続され、上記電子回路を達成する為に上記複数の回路素子の間に必要なる電気回路接続がなされており」と記載されており、「距離的に離間」しているのは、「複数の回路素子中の選ばれた薄い領域間」を「導電物質」によって「接続」するためであることが明らかである。

・「距離的に離間」が電気的接続の前提条件を意味するということであれば、本来的に距離的に離間が必要とされるのは、すべての回路素子間ではなくて、「導電物質」によって「接続」されるべき「回路素子中の選ばれた薄い領域」同士の間であるということになる。

 (中略)本件発明の要件(a)にいう「距離的に離間」は、すべての回路素子間に必要とされる合理的理由はない。

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C被控訴人の反論の要旨は次の通りです。

・控訴人は、本件発明の要件(d)によれば、要件(a)の「距離的に離間」は回路素子の薄い領域を導電接続するためであるというが、理由がない。

・本件発明の特許請求の範囲の冒頭の要件は、半導体薄板内の「複数の回路素子」を規定し、要件(a)は、「上記の複数の回路素子は、上記薄板の種々の区域に互に距離的に離間して形成されており」と規定し、要件(b)は、各回路素子がそれぞれ接合によって画定された薄い領域を有することを規定し、その後に、要件(d)で、「上記互に距離的に離間した複数の回路素子中の選ばれた薄い領域が・・・回路接続用導電物質によって電気的に接続され・・・」と規定している。

・この各要件の記載の流れからみると、要件(d)の「互に距離的に離間した」は、その直後の「複数の回路素子」を修飾しているのであって、「選ばれた薄い領域」にかかるのではない。(後略)


 [裁判所の判断]
@控訴裁判所は、無効になる蓋然性の高い特許権の行使は権利の濫用である、係争物は特許請求の範囲の要件の少なくとも一部を具備しない、という理由で原審決を支持しました。

A控訴裁判所は、無効になる蓋然性が高い理由として、本件特許出願が分割出願の要件(原特許出願に係る発明と異なる発明であること)を満たしておらず、出願日の遡及効が得られない旨を指摘しました。

A出願分割の基礎となった特許出願N2(原出願)の特許請求の範囲に記載した発明(原発明)の内容は次の通りです。

 「一主面を有する単一の半導体薄板よりなる半導体装置において、該薄板に形成され、上記一主面で終るP―N接合により画成された少なくとも一つの領域を含む少なくとも一つの受動回路素子、

 該受動回路素子との間に必要な絶縁を与えるように、該受動回路素子から離間されて上記薄板に形成され、上記一主面で終るP―N接合により画成された少なくとも一つの領域を含む少なくとも一つの能動回路素子、

 上記一主面を実質上全部被覆し接触部のみを露出するように上記領域の少なくとも二つに対応して設けられたを有するシリコンの酸化物よりなる絶縁物質

 該絶縁物質に密接し上記少なくとも二つの領域間に延び上記孔を通して上記領域を電気的に接続する電気導体とを具備する事を特徴とする半導体装置。」

B裁判所は、特許出願N2の発明との同一性の判断で、N2の“孔”に関して次のように判示しました。

“(5) 原発明の特許請求の範囲には、絶縁物質及び電気導体につき、「上記一主面を実質上全部被覆し接触部のみを露出するように上記領域の少なくとも二つに対応して設けられた孔を有するシリコンの酸化物よりなる絶縁物質」、「該絶縁物質に密接し上記少なくとも二つの領域間に延び上記孔を通して上記領域を電気的に接続する電気導体」と記載されているのに対し、本件発明の特許請求の範囲には、「(c) 不活性絶縁物質とその上に被着された複数の回路接続用導電物質とが、上記薄い領域の形成されている上記主要な表面の上に形成されており」、「(d)上記互に距離的に離間した複数の回路素子中の選ばれた薄い領域が、上記不活性絶縁物質上の複数の上記回路接続用導電物質によつて電気的に接続され、上記電子回路を達成する為に上記複数の回路素子の間に必要なる電気回路接続がなされており」と記載されている。

 すなわち、両発明とも、絶縁物質は、主要な表面上に形成されており、これを被覆するものであり、この絶縁物質の上に密接された電気導体もしくは被着された導電物質により、回路素子の薄い領域を電気的に接続する構成であるから、両発明において、回路素子の電気的な接続を要する接合により画定された領域を覆っている絶縁物質には、接触部のみが露出するように被覆が欠如している箇所すなわち孔が存在しなければならないのは当然であり、現に、本件明細書には、「本発明の実施例によれば酸化シリコンの如き絶縁不活性物質が電気接続が行なわれる点を除いて完全に薄板を被覆するか或いは電気的に接続されるべき点に接合する選ばれた部分のみを被覆するかするためにマスクを通して半導体回路薄板に蒸着される。」(甲第二号証4欄二六行から三一行)と記載され、絶縁物質による薄板の被覆は電気的接続を行うために必要な箇所において被覆を欠如させなければならないことを説明している。本件発明の特許請求の範囲には、原発明の特許請求の範囲に記載されている「接触部のみを露出するように上記領域の少なくとも二つに対応して設けられた孔を有する」旨の記載はないが、これは、当然かつ自明の技術事項として記載されなかったものと認められ、この点をもって両発明に差異があるものということはできない。”

C裁判所は、特許出願N2の発明との同一性の判断で、原発明の特許請求の範囲の絶縁物質が「シリコンの酸化物よりなる絶縁物質」と規定されているのに対し、本件発明の特許請求の範囲の絶縁物質が「不活性絶縁物質」と記載され、「シリコンの酸化物」であることに関して次のように判示しました。

・特許出願N2の明細書の記載から、「酸化シリコン」は、不活性絶縁物質の一つの例示としてしか示されておらず、これを他の不活性絶縁物質と区別して取り扱うべき技術的理由は何ら記載されていない。

・原発明の特許請求の範囲の「シリコンの酸化物よりなる絶縁物質」との記載は、不活性絶縁物質の代表的なものとしてシリコン酸化物を挙げたものにすぎず、これが限定的な意味を持つものと解することはできない。

・本件発明においても、本件明細書の本件発明の唯一の実施例として「酸化シリコンの如き絶縁不活性物質が電気接続が行なわれる点を除いて完全に薄板を被覆するか或いは電気的に接続されるべき点に接合する選ばれた部分のみを被覆するかするためにマスクを通して半導体回路薄板に蒸着される。」と説明しているから、不活性絶縁物質として「酸化シリコン」すなわち「シリコンの酸化物」を用いるものであることが明らかである。

・このことからすると、「酸化シリコン」を、その特許請求の範囲において明示せず、「不活性絶縁物質」と抽象的に記載したとしても、その技術内容において、本件発明は原発明と実質的な差異があるとすることはできない。また本件発明は少なくとも「酸化シリコン」を用いる範囲で原発明と重複することが明らかである。

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D裁判所は、特許出願N2の発明との同一性の判断で、原発明の特許請求の範囲には、回路素子の「離間」につき、能動回路素子が「受動回路素子との間に必要な絶縁を与えるように、該受動回路素子から離間されて・・・形成され」と記載されているのに対し、本件発明の特許請求の範囲には、「複数の回路素子は、・・・互に距離的に離間して形成されており」と記載されている点に関して次のように判示しました。

・特許出願N2には絶縁に関して次の記載がある。

「特にこのエツチングはR1とR2と回路の他の部分との絶縁を行うため薄板を通してのスロツトを形成する。そして又予め計算された形状に対する全部の抵抗の領域を形成する。・・・上述した様に第6a図に示した実施例は薄板の中或いは上に含まれる回路要素間に所要の絶縁を施すため機械的加工を利用して組立られたが、該絶縁が或る導電型の半導体物質をその逆導電型物質に選択的に転換して形成されたp−n接合障壁に依り得られる様に電気的加工を利用して組立ててもよい。(後略)」

・すなわちN2の当初明細書には、「必要なる絶縁を与えるように」する手段としては、エッチングによる機械的加工手段を利用したスロットの形成と、マスキング及び拡散による電気的加工手段を利用したp−n接合障壁の形成しか開示されていないと認められる。

・他方、N2には、「離間」については、次のように説明している。

「第1図を参照すれば単一結晶半導体物質の本体内に組込まれるかも知れない抵抗の典型的な設計を示してある。第1図に示す如く、この設計はn型かp型かの導電型を半導体物質の本体(10)の大部分の抵抗を利用することを企図している。接点(11)及び(12)は本体(10)の1面にオーミツクに作られ所望の抵抗をもつに充分な距離だけ離間してある。・・・この抵抗はR=ρL/Aなる式から算出することが出来る。ここでLは糎で表はした作用長さ、Aは断面積、ρは半導体物質の比抵抗を単位オームセンチメートルで表わしたものである。」

・ここで用いられている「離間」ないし「相互に離している」とは、半導体物質の本体の持つ抵抗(バルク抵抗)を利用して所望の抵抗値を有する抵抗素子を半導体薄板内に形成するために所定の長さを確保するための離間であることは明白である。

・特許出願N2の審決取消訴訟の判決では、「必要な絶縁」に関して次のように認定した。

「本願発明(注、原発明)にいう『必要な絶縁』とは、『不要な電気的結合によつてそれぞれの素子の機能が互いに影響を受けないようにするために必要な絶縁』の意味であつて、回路構成上必要な半導体薄板内部の接続によつて、それぞれの素子の機能が所定のとおりに影響し合うことを妨げるものではなく、実施例において、スロツトにより抵抗・容量素子R8C1とトランジスタT2 との間に抵抗(素子)R5 ないしR7 (及びR1、R2、R3C2、R4 )以外には半導体薄板内部における接続が存在しない状態がこれに該当するものであり、そして同じく『離間』とは距離的すなわち物理的に離れていることを意味する点では原告(本件の控訴人)主張のとおりであるけれども、実施例においては、抵抗(素子)R5 ないしR7 の介在それ自体ではなく、これら抵抗に連接する部分以外は両素子がスロツトという空間によつて隔離されている状態がこれに該当するものと解するのが相当である。」

・本件明細書の「絶縁」に関する記載、すなわち、「特にこのエツチングは、R1とR2と回路の他の部分との間に分離を与えるための薄板を通してのスロツトを形成し、又予め計算された形状に全部の抵抗の領域を形成する。」は、原出願当初明細書の前示引用の冒頭部分の記載の記載と同文であり、また、「離間」に関する「本発明の実施例によれば複数の回路素子、T1 、T2 、C1R8及びC2R3は相互に距離的に離間され」の記載は、右高裁判決の認定中の、抵抗・容量素子R8C1とトランジスタT2 の「両素子がスロツトという空間によつて隔離されている状態」が「距離的すなわち物理的に離れていること」の意義を有する「離間」に該当するとの認定に対応することは明らかであるから、本件発明にいう「距離的に離間」は、原発明における「離間」とその技術的意義を同一にし、回路素子が正常に機能するためには、回路素子間の不要な電気的結合を排除する必要があり、このための絶縁を得るために適宜の手段が採用できるように、回路素子が物理的に離れていることをいうと解すべきである。

・したがって、原発明と本件発明における各特許請求の範囲の記載に差異はあるが、その技術的意義は同一であり、両発明は、この点において差異はない。

E裁判所は、特許出願N2の発明との同一性の判断で、原発明が本件発明の特徴である要件(e)の「平面状配置」の構成を欠いていることに関して、次のように判示しました。

・本件発明の明細書には次の記載がある。

「本発明は、主要な表面と裏面とを有する単一の半導体薄板に、本質的に平面状に配置された複数の回路素子と、この薄板の外部に接続が必要とされる回路素子に対し電気的に接続された複数の引出線とを有する電子回路用の半導体装置に関するものである。(中略)

 本発明に依れば電子回路の能動及受動成分或いは回路素子は半導体の薄板の一面或いはその近くに形成される。

 その結果、得られる回路は本質的に平面状に配置されることになる。処理工程中に半導体材料薄板の成形を行ない、拡散により希望の各種回路素子を適当な関係で製造することが可能である。」

 「本発明の効果は製造製作上満足なものであり且つマスキング・エツチング及拡散の様な限定された両立性ある工程が一主面から成し得るので大量生産に適する事であり、更に能動及受動回路素子の電気的接続の態様が融通性に富み従つて回路が多種多様に出来ると云う点にある。」(同2欄一三行から一八行)

 「また、複数の回路素子は前述した様に半導体薄板の一主面上に平板状に配置され、マスキング、エツチング及び拡散の様な両立性ある工程が一主面から成し得るので半導体装置の大量生産に適している。更に複数の回路素子の接続が絶縁物質上で行なうことができるので回路に融通性、多様性があると共に大量生産に適している。(後略)」

・特許出願N1(原々出願)の明細書には次の記載がある。

 「(前略) 本発明に依れば電子回路の能動及受動成分或いは回路素子は半導体の薄板の一面或いはその近くに形成される。本発明に於て重要なることは成形の思想である。この成形の着想は回路に於て各素子間の必要なる絶縁を得、且つ素子を画定することを可能ならしめる。或いは換言すれば与えられた成分に利用される区域を決定することが可能である。・・・

 いずれにしても成形の効果は、電流流路を定めるか、電流流路を制限するかして、単一の半導体材料薄板においては従来得られなかつた回路の製造を可能にすることである。その結果、得られる回路は本質的に平面状に配置されることになる。処理工程中に半導体材料薄板の成形を行ない、拡散により希望の各種回路素子を適当な関係で製造することが可能である。」

 「本発明の効果は製造製作上満足なものであり且つマスキング・エツチング及拡散の様な限定された両立性ある工程が一主面から成し得るので大量生産に適する事であり、更に能動及受動回路素子の電気的接続の態様が融通性に富み従つて回路が多種多様に出来ると云う点にある。」

・本件明細書と特許出願N1(原々出願)の各明細書の各記載を対比すれば、同一の技術内容を説明していることが明白である。(中略)「回路の成分が半導体物質の本体の中に組合され且つその1部を形成している」こと、「本発明に依れば電子回路の能動及受動成分或いは回路素子は半導体の薄板の一面或いはその近くに形成される」ことが、発明の本質であり、「その結果、得られる回路は本質的に平面状に配置されることになる」のであり、これにより、「両立性ある工程が一主面から成し得るので大量生産に適する事であり、更に能動及受動回路素子の電気的接続の態様が融通性に富み従つて回路が多種多様に出来る」という効果を生ずるのであって、この点において、両者に差異はない。

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E裁判所は、分割出願不適法の効果に関して次のように判示しました。

・本件発明(分割出願に係る最終的な補正後の明細書の特許請求の範囲に記載された発明)は、原発明(原出願の最終的な補正後の明細書の特許請求の範囲に記載された発明)と実質的に同一といわなければならないことは前示のとおりであるから、本件分割出願は不適法であって、出願日遡及の利益を享受することができない。

・したがって、本件分割出願は、その実際の出願日である昭和四六年一二月二一日に出願されたものとして、当時施行されていた特許法(昭和三四年法律第一二一号)の適用を受けることになり、同法第六七条第一項(平成六年法律第一一六号による改正前のもの)ただし書の規定により、本件特許権の存続期間は、「特許出願の日から二十年をこえることができない」ものであるといわなければならず、そうすると、平成三年一二月二一日の経過により、その二〇年の存続期間は満了し、本件特許権は消滅に帰したものである。

・すなわち、同年同月二二日以降については、本件特許権に基づく損害賠償請求権が発生する根拠はないから、イ号物件、ロ号物件が本件発明の技術的範囲に属するかどうかの後記の検討を待つまでもなく、イ号物件、ロ号物件の製造及び販売につき、同日以降の損害賠償請求権が発生する由はなく、損害賠償請求権の不存在の確認を求める被控訴人の本訴請求のうち、同日以降の分については、すでに理由があり正当として認容すべきものである。

・また、本件発明が原発明と実質的に同一の発明であって、本件発明に係る特許出願(本件出願)が分割出願として不適法である以上、本件出願は、原出願に遅れて、原発明と同一の発明につき特許出願したものとして、特許法第三九条第一項の規定により本来特許されるべきものではなかったものであるから、本件特許は無効とされる蓋然性がきわめて高いものといわなければならない。のみならず、原発明については、前示東京高裁昭和五五年(行ケ)第五四号審決取消訴訟の昭和五九年四月二六日判決(甲第四号証)の確定により、公知の発明から容易に推考される発明として拒絶査定が確定しているのであるから、原発明と実質的に同一である本件特許についても、この理由による無効事由が内在するものといわなければならず、このような無効とされる蓋然性がきわめて高い特許権に基づき第三者に対して権利を行使することは、権利の濫用として許されるべきことではない。この理由からすれば、被控訴人の本訴請求はすべて理由があり、認容すべきものである。

F裁判所は技術的範囲の属否に関して次のように判断しました。

・請求の範囲の被着の意義に関して当事者の間で争いがある。

[控訴人の主張] 本件発明の「被着」とは、「回路接続用導電物質」が「不活性絶縁物質」上に接触して形成された状態を指すものであって、本件発明は、この状態にするために、導電物質をCVD法によって形成するのかスパッタリングにより形成するのかは問わない。

[被控訴人の主張] 本件発明の「被着」とは、「縫箔」ないしはこれに類似する状態である「置かれた」や「敷設される」などと同義で、金の線を半導体薄板の表面に絶縁物質に接するように這わせて置いた状態を意味し、マスク蒸着、CVDによる密着、スパッタリングによる密着は含まれないと主張する。

・本件明細書には、「被着」に関して次の記載がある。

 「本発明の原理を実施している一体化回路の特別な説明は第1図に示されているがここで金の線は半導体薄板の一主面上の絶縁不活性物質上に敷設される。…金の線70はそれから接続を完全にするため適当な領域に熱的に接合され、最終的な清浄化エツチングが施される。金の線70を用いる代りに接続は何か他の方法で行なわれてもよい。本発明の実施例によれば酸化シリコンの如き絶縁不活性物質が電気接続が行なわれる点を除いて完全に薄板を被覆するか或いは電気的に接続されるべき点に接合する選ばれた部分のみを被覆するかするためにマスクを通して半導体回路薄板に蒸着される。金の様な導電物質はそれから必要なる電気回路接続を行なうために絶縁物質に被着される。」

・本明細書には、「被着」の他に「蒸着」という用語が使われている。
「金がトランジスタT1 、T2 のベース接続53、54及び抵抗蓄電器C1R8、C2R3のコンタクト51、52の如き、n型区域とオーミツクな接触をなす領域51〜54を設けるためにマスクを通して蒸着される。アルミニウムはn層と整流接触を形成するトランジスタのエミツタ領域56を備えるべく、適当な形状をしたマスクを通して蒸着される。」

・「蒸着」という用語は、回路接続用導電物質の絶縁物質に対する被着を説明する以外の箇所では用いられているにもかかわらず、回路接続用導電物質の絶縁物質に対する被着を説明する語としては用いられていない。この記載からすると、本件明細書では、回路接続用導電物質の絶縁物質に対する被着とマスク蒸着とは区別されていると理解される。

・この用語の用い方の差異の理由を検討するために、特許出願N1(原々出願)の当初明細書をみると、次のように記載されている。

 「金の線(70)はそれから接続と与えられた最終のエツチングを完全にするため適当な領域に熱的に接合される。金の線(70)を用いる代りに接続は何か他の方法で行なわれてもよい。例えば酸化シリコンの如き絶縁不活性物質が電気接続が行なわれる点を除いて完全に薄板を被覆するか或いは電気的に接続されるべき点に接合する選ばれた部分のみを被覆するかするためにマスクを通して半導体回路薄板に蒸散されるかも知れない。金の様な導電物質はそれから必要なる電気回路接続を行なうために絶縁物質に縫箔されるかも知れない。」(同二〇頁一九行から二一頁九行)

・すなわち、本件明細書の「被着」が「縫箔」とされ、絶縁物質の「蒸着」が「蒸散」とされている以外は、本件明細書の記載と同文であることが認められる。この「縫箔」と「蒸散」の語は、N1の補正明細書においては、本件明細書に用いられている「被着」と「蒸着」の語に訂正されている(後略)。

・「縫箔」という用語の技術的意義は必ずしも明確でないため、特許出願N1の優先権主張の基礎となった米国特許出願第七九一六〇二号(米国特許第三一三八七四三号)明細書をみると、N1当初明細書の記載は、同米国特許出願明細書のほぼ忠実な翻訳と認められ、その図面も同一であるから、N1当初明細書は、同米国特許出願明細書の技術内容をそのまま継承しているものと認められるところ、「縫箔」と訳された部分は、「金のような導電性材料を前記絶縁材料の上に置いて(laid down )必要な電気的接続を行ってもよい。」(同号証の二の2被控訴人訳文では、「laid down 」を「被着」と訳している。)とされていることが認められ、これにつき、その技術的意義を明白にする記載はされていないことが認められる。

・この「laid down 」の意義については、米国においても、同米国特許出願明細書自体について、この用語が回路接続用導電物質が絶縁層の上に固着(adherent)していることを開示しているかどうかが、発明者であるジャック・セント・クレア・キルビー氏と、キルビーの同特許出願(以下「六〇二出願」という。)に遅れて一九五九年七月三〇日に出願され一九六一年四月二五日に成立した特許第二九八一八七七号の特許権者であるロバート・N・ノイス氏の間で、米国関税特許控訴裁判所において争われ)、結論として、キルビー自身が言及しているとおり、「同裁判所は、酸化膜に固着するように相互配線をする技術を最初に教示したのはNoyceであったと判定した」のである。

・この裁判における争点は、キルビーが右六〇二出願の後に、ノイスの右特許出願及び特許成立に遅れて、一九六二年一月二九日に一部継続出願としてした第一六九五五七号出願が、「金のような導電物質が絶縁物質上に『敷設』(laid down )されてもよいという六〇二出願の記載に加えて、『シリコン酸化物層上に密着した(adhering to )金のリボン』という開示を追加した」ことにつき、この追加された技術事項、すなわち、「半導体酸化物の絶縁層表面に『密着』しており(adherent to )半導体表面のP型領域とN型領域との接合を横切って電気接続を形成する導体というカウント1の要件(limitation)をキルビーの六〇二出願が支持しているか否である」(両訳文八頁一五行から九頁一行)という点にあった。

・このカウント1の要件は、次のとおりである。

 「一表面を有し、隣り合うP型及びN型の領域間にあって該表面にまで延在する一つの接合を含む一半導体本体と、

 該接合の一部分の両側に密着し且つ該接合の一部分に隣り合う二つの近接したコンタクトと、

 実質的に該半導体の酸化物からなり、該(半導体)表面上にあって該表面に密着し該接合の異なる部分を横切って延びる絶縁層と、

 近接した両コンタクトの電気的接続を形成すべく、該絶縁層に密着し一つのコンタクトから該絶縁層上で該接合の異なる部分を横切って延びる導体による該コンタクトへの電気的接続と

 を備えた半導体装置。」
カウントとは

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・同判決は、「キルビーの出願に『敷設』(laid down )という文言があるというだけでは、出願中に支持があるというためにはクレイムされた特徴が内在的に開示されていることを要する(must be inherently disclosed)、という要件は到底みたされていないというべきである。また、キルビーは、一九五九年の六〇二出願の時点及びそれ以後において、電子ないし半導体業界で『敷設』(laid down )という語が密着(adherence )の概念を当然に含むものとして理解されているということを立証できなかった。」として、キルビーの主張を認めず、カウント1がキルビーの六〇二出願に支持されていないと判断したのである。

・以上の事実によれば、絶縁物質と回路接続用導電物質及びこれによる電気的接続についてのカウント1に示されている具体的構成は、キルビーの六〇二出願には開示されていなかったものであり、その後にノイスの出願によって初めて開示され、ノイスの出願が特許されその特許明細書が公開された後、一九六二年一月二九日出願のキルビーの第一六九五五七号出願に取り入れられたものと認められる。

・このカウント1の半導体装置に係る構成を、原発明及び本件発明の特許請求の範囲に記載された構成と対比すれば、両者における絶縁物質と回路接続用導電物質及びこれによる電気的接続に関する構成は、原発明における「密接し」及び本件発明における「被着された」との用語の意味を、カウント1における「密着し」(adherent to )と同義に解釈するとすれば、その技術的内容を同一とするものであることが明らかである。

・我が国における本件発明に係る出願過程において、回路接続用導電物質についての「密接」もしくは「被着」の用語は、

 昭和三五年二月六日にされたN1においては、その出願当初明細書の公告時の明細書にはみられず、

 昭和五二年九月二八日発行の訂正公報(N1補正明細書)において、「縫箔」が「被着」と補正されて初めてみられ、

 昭和三九年一月三〇日にされた特許出願N2(原出願)については、その出願当初明細書にはみられず、

 N2補正明細書の特許請求の範囲において「密接し」と明示されるに至っている。

 昭和四六年一二月二一日にされた本件出願については、出願当初明細書(甲第六号証の五)にはみられず、昭和五五年六月一二日の補正明細書(甲第六号証の八)において初めてみられ、本件明細書(甲第二号証)に引き継がれている。

・また、前示カウント1の絶縁物質と回路接続用導電物質及びこれによる電気的接続に関する具体的構成に対応する構成が、特許請求の範囲に記載されるに至ったのは、N2補正明細書においてであり、本件明細書がこれを引き継いでいるものと認められる。

・右の米国における経緯と我が国における経緯に照らせば、N1当初明細書がその優先権主張の基礎となった米国特許出願第七九一六〇二号(米国特許第三一三八七四三号)明細書(甲第六号証の二及び三の各2)のほぼ忠実な翻訳であることからして、N1当初明細書に開示された技術事項は、キルビーの六〇二出願である右米国特許出願明細書に開示された技術事項と同一であり、その範囲を出ないものというべきである。すなわち、キルビーの六〇二出願には開示されていない「密着」する技術手段は、N1当初明細書の「縫箔」の概念に含まれるものということはできず、この技術手段は、同明細書には開示されておらず、また、これにより当業者が当然に知ることができる事項としても開示されていなかったものといわなければならない。

・そして、特許出願N1からの分割出願であるN2及びN2からの分割出願である本件出願においては、このN1当初明細書に開示された事項を超える技術事項をその内容とすることはできないから、原発明の「密接」及び本件発明の「被着」の意義を、右「縫箔」の意義を超えて、導電物質を絶縁物質上にマスク蒸着し、CVDにより密着し、スパッタリングにより密着する技術手段を含むものと解することはできない。

・そうすれば、本件発明の「被着」の意義を、導電物質を絶縁物質上にマスク蒸着し、CVDにより密着し、スパッタリングにより密着する技術手段を含むものと解することはできない以上、イ号物件及びロ号物件は、本件発明の要件(c)を充足するものということはできない。

A裁判所は、以上の認定を踏まえて「イ号物件及びロ号物件は、本件発明の要件(c)を充足するものということはできないから、本件発明のその他の構成要件について検討するまでもなく、本件発明の技術的範囲に属するものということはできない」と判断しました。


 [コメント]
@本件キルビー判決は、無効理由を根拠とする権利濫用の抗弁が認められた事件として有名ですが、その評価に関しては最高裁の判決[平成10年(オ)第364号]を参照して下さい。

A本件では分割出願の要件の違法性を特許出願の経緯を参酌した点に重点を当てて紹介しました。特筆するべきは、本件特許出願(N3)の経過だけでなく、出願の分割の基礎となった原出願(N2),原々出願(N1)の当初明細書や補正明細書、さらには優先権主張の基礎となった米国特許出願の明細書、さらには当該米国特許出願から派生した一部継続出願に対する司法判断(但し事実認定のみ)まで参照していることです。

B米国では、いわゆる禁反言の法理に関連して(→禁反言の原則とは)、その特許出願の元になった特許出願の経過を参酌することは普通ですが、日本では稀なことです。

Cもっとも前記各特許出願の経過の参酌は、特許請求の範囲の用語の意義の解釈に発明の詳細な説明の記載を参酌するに当たり、発明の詳細な説明の記載の意味を明らかにしたり、その記載から導かれる解釈を補強するという形で行われていることに留意するべきです。

D原出願等の明細書は、本件特許明細書と同列に扱われている訳ではなく、いわば特許請求の範囲の参考資料のさらに参酌材料としているに過ぎません。


 [特記事項]
 
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